2025.01.01

今年もバイク乗りとして始動

2025年、あけましておめでとうございます、今年はいいことが沢山ありますように…(-人-)あぁ南無阿弥陀仏

と、いうことで、毎年恒例の箱根駅伝前日の元旦に、箱根駅伝コースを走って、箱根まで行く、という走り初めを今年も敢行。
大晦日に一カ月ぶりくらいに飲酒したせいか、元旦の朝は10時に目が覚めるという大寝坊、慌てて支度して、11時に出発、寝坊したのでフルコース走行は無理なので、高速使って小田厚使って大磯まで走って行ってそこから国道1号に出て4区の途中からスタート。

平地を走ってる時は元旦らしからぬ気温で、ちょっと着込みすぎてたかな?、と思ってたけど、5区の上りに入ったら寒いのなんの!、一番高い所では2℃と言う電光掲示温度表示があった。まぁ恒例行事だからそれに対抗する装備は固めてあるので大丈夫なんだけどね。

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今回使ったのはスズキのDR-Z400SM。ツーリングマシンではなくどちらかというと闘うマシンだけど、快適装備としてグリップヒータを仕込んであるうえに、こんな感じでハンドルカバーも装備。これで一番冷える指先もヌクヌクで快適。ウェアもしっかり極寒仕様の着込みなので、冷える要所さえ温めておけば、氷点下でも走れる。まぁタイヤがオンロードタイヤだから路面が凍結してたらスコーン!、と大転倒するからあくまで慎重に安全に走るけど。

何もなく平穏無事に大観山に到着。今年もバイク乗りとして元旦にここにこれたことを一人でガッツポーズ。今年も無事に楽しくバイクにのれますように…(^▽^)

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今回DR-Zを使ったのは、今年これのフルモデルチェンジした新型が発売されそうという噂がバイク界隈であるため。新型が出ても買い替えるわけじゃなく、今のこのコを末永く大事に乗るだけなんだけど、果たして新型が出てこういうバイクがまた世に受け入れられるようになるのかの試金石が2025年にあるのかな、と思うので。今年は車検もあるからちゃんと整備しよう、純正の鉄エキパイ大分サビてきたから再塗装しなきゃ。

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しかしまじまじと見るとこのコはカッコいいんだよなぁ。ウチのコは2007年式だから、今年でなんと18歳。ウチの中では21世紀製造なんてわずかしかないけどそのうちの1台。それがもう18年落ちにもなるのか(冷汗)、他のコがもっともっと古いのばかりだから、これに乗っても自分は全然古さを感じないけど、キャブレターだし、電子制御無いし、ABSも無いし、ギヤポジション表示もない。今のワカモノに乗せたら多分違和感あるんだろうな。自分はそんなのよりも1gでも軽く作って欲しいから、新技術テンコ盛りで排ガスがキレイだけど重たい新型には正直は薄い。一度試乗して技術の進化とやらを体感したいけど、古いコイツで十分満足してるから、若い新型に乗り換えるようなことは無いと思う。

逆に、イマドキのバイクしか乗ったことのない若いバイク乗りに、このコやウチの他のコも乗ってみて欲しいなと思う。相当ビックリすると思う。古すぎて、というのこあるだろうけど、牙を抜かれまくった今のバイクと違う、今の規制では許されないようなシロモノだから、乗ったらきっと楽しいと言ってくれると思うんだよね。まぁそんな機会無いんだけどね(^^;)
 

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2024.12.31

波乱万丈の2024年も終わり

…と、タイトルに書いたけど、そういえばここ数年いつもそう書いてるような気がする(汗)

うれしい事楽しい事といったポジティブな人生の出来事が少なくなって、ネガティブな出来事が増えてきてるのは事実だ。

去年は父が亡くなり、今年は母が倒れて入院(退院後は要介護)、いつかはやってくるライフイベントなんだけど、出来ればいいことも同じくらい起きてほしいと思ってしまうのは甘えてるのかもなぁ。今はそういうステージと考えるしかないな。自分もいつ事故や病気で倒れて救急車に乗って病院に担ぎ込まれて死んでしまったり要介護状態にならないとも限らない。人生の後半戦は残念ながらポジティブな出来事なんてめったに怒らないから、ネガティブな出来事をどれだけ躱してゆくかが、生きる目的になってゆくような、そんな気がする。

今年は初めて新型コロナにも掛かったし、11月から血圧が上がって(特に下の血圧が高い)降圧剤を毎日服用しながら血圧手帳に記録をせっせと貯めてる状態。大動脈石灰化とかいう腹部エコーの結果も出たし、LDLコレステロール値も高め。たまにでいいからポジティブなライフイベントとか起きないもんだろうか…頼むから。

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そんな状態だったので、乗り物道楽は捗らず、毎年恒例の各車年間走行距離記録は以下のような燦燦たる状態に。

レガシィ : 847km
サンバー :1324km
R1100GS  : 992km
TDM850  : 362km
XTZ660   : 224km
LS650   : 373km
XT600Z  : 470km
SRX600  : 325km
TT600R  : 188km
DR-Z400SM : 397km
TZR250RS : 329km
TY250ZS  :  0km
DT230   : 444km
TW200   : 132km
SX200R  : 268km
DT200R  : 96km
DF125E  : 268km
CUB110  : 604km
KSR80   : 329km
CRM80   : 104km

1000km超えたのはサンバーだけか…、バイクで最長はほぼ1000kmくらい走ったR1100GS、これは高速使っての日帰りツーとかの影響だな。TR車のTY-ZSはいいとしても、他は300~400kmくらいと、100km前後ってところかな?、カブは物珍しさから少し多めに乗って600kmも走ったのね。

たったこれしか乗らない乗り物を維持し続けるのは無駄だ!、と思うだろうなぁ、端から見たら。自分だって知人がこうやってたらそう思うかも。ただちょっとしか乗ってないのは事実だけど、これ動態保存するために必要なんだよね。乗らない走らないバイクはどんどん劣化して壊れてゆくけど、エンジンをかけてあちこち動かして磨いて空圧見て油脂さして液モノ(オイル、ブレーキフルード、冷却水、バッテリ液、キャブ内清掃等々)を正しく管理すると、四季に一回ずつしか乗らなくてもちゃんと動いてくれる。

今はストーブリーグ、ということで乗れてないけどちゃんとタスクは果せたと自画自賛。これから年老いてどんどん乗れなくなったら、少しずつ手放さないといけないかもだけど、出来る限り動態保存状態を保ちながら、次の世代にたすき渡しするまで頑張って維持するよp(^^)q

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そういう乗り物維持費を含めた、2024年の家計は…詳細は見ても楽しくないだろうけど、去年よりは安く済んだ。ここを長く見てる人なら大体判ると思うけど、正直な所このBlogを初めてから今に至るまで、そんなに大きな生活レベルの変動はない。今だに冷暖房はケチるし、見切り食材ばかり買うし、業務スーパ食材率高いし、カセットコンロ生活だし、服はワークマンやドンキの格安品ばかりだ。2000年代の初期頃と大きく違うのは、風呂に入ろうと思えば入れるようになったことと、電子レンジを持ってて日常で使えるようになった事くらいだと思う。住まいはボロボロ借家から持ち家に代わったけど、生き方としてはほぼ同じ生活レベルのまま生きている。

そんな今年の家計管理の結果はこの通り。

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約230万/年、という総額のうち、上記の乗り物道楽として二輪費と四輪費という費目があるけどそれの合計が約106万、その他の趣味道楽として約15万を使ってる。それらを差し引いた、実質的な生活費は108万/年、一か月平均で約9万/月、という事になる。道楽は死ぬまでこのペースで行くなんて事は無いだろうから、将来年金生活とかになったらそこはガッツリ減るはずなので、今のところ公的年金の支給額だけで貯金しながら生きていける…はず。なにせ独身男の生活保護費や、最低賃金での8H×5日×4週で得られる手取りよりも自分の実生活費は低いからね。老後対策も生活レベルを上げないまま生き続けた事で、ほぼ終わってると言っていい。

そこに至る前に交通事故や大病になったら破綻するから、取らぬナントカの皮算用そのものなんだけど、今の自分にできるせめてもの準備と心構えってことで、やれることを淡々とやってゆけば多分老後の生活も大丈夫なはず。インフレリスクや景気後退、株価暴落、世界恐慌といったネガティブイベントがあったらこれまたコロリと破綻するくらい脆いガラスの老後準備だけど、冒頭にも書いた通り、出来れば何かポジティブな出来事が起こって事態が改善するような、そういう前向きなモードに人生が切り替わってくれることを祈りつつ、2024年終わりのあいさつにかえてUPします(^^;)

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2024.12.27

仕事納め

2024年最終出勤が終わり帰宅。これで年末年始の休みに突入する。

私生活のゴタゴタトタバタと、仕事のウダウダトタバタ(自分に非がないトラブルなのになぜか対応を押し付けられて巻き込まれた)でここまで大変だったけど、とりあえず息継ぎ出来る状態に。明日から1/5までは連休なのでちょっと自分を取り戻すことが出来るかと思う。入院中の母の見舞いも出来る範囲で行くけどね(^^)

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さて本題。今日出勤したら、隣の部署の責任者から小声で今日の夕方にコッチの部署で納会(という名の要は飲み会)をやるんだけど参加されますか?、との話があった。声をかけてきた人も、そっちの部署の人間も長く一緒に仕事をしているので良く知っており、ある程度仲もいい。

こういう場合、昭和生まれのオッサンである自分はどうするのが正解か、

 1.飲みの誘いはハイ喜んで!、と参加させてもらう
 2.今日はちょっと用事があるので…、と不参加表明する
   (実際に用事があっても無くても)

応えは2、謹んでお断りする、だ。

どういうことか?、こういう明確に実施する日が判っていて、しかもどこでも混みそうなタイミング(連休前、金曜日、忘年会シーズン)での飲み会は、今日の朝に突然突発的に思いついたものではなくて、ある程度事前に計画されて実施に向けて参加者を募って人数を確定した上で予約済み、というくらい調整が済んでいるとみるのが普通だ。

それなのに、それらの変更が難しい当日の朝になって、お誘いをしてくるのは、本当に自分に来てほしいからじゃなく(もしそうなら事前調整の段階で声がかかっているはず)、突発的な欠員が出たのでやむを得ずに、とか、自分が参加しないことを前提として儀礼的な意味合いで声をかけているな、と自分は考える。

前者ならそれなりに出て欲しい的な雰囲気を醸すかバカ正直にその理由を告げても別に問題はないから言うはずだ。今回はそれはない、つまりこれからの休憩時間とかでそういう話が自分に聞こえてきたときに、疎外感を感じさせないためだけの声かけで、実際に「おお、じゃあ参加するよ」となったら多分少し困る(とはいえその可能性も無きにしも非ずだからそうなったら仕方なく組み入れる)はずだ。

正直若い頃はこの「その場の雰囲気を読む」が苦手で、自分の希望や都合を優先してこういう事に対して回答していたような気がする。でもそこそこの期間を生きて、色々な人物観察をしてきて、いいことも悪いことも含めて色々な人との付き合いを経験すると、悲しいかなそういう「空気を読む」能力が培われてしまうものだ。

今回はその空気を彼から感じた。なのでこう答えた。

ino:「おお、いいね、うーん、行きたいんだけど、ゴメンちょっと
   今日は別に約束があって、ソッチに行くから遠慮しておくよ」

そういったら、ほっとした表情を浮かべ、安心したかのように、判りました、スミマセン急に誘ってしまって、という答えが返って来て、会話は終わった。ああやっぱりそうだったか、無理させたね、ゴメンゴメン(^^;)

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実際には別の約束なんて無いので、そのまま家に買って貧乏節約自炊の夕飯を食うだけだったけど、相手のこちらを気遣う優しいウソを感じ取ったので、こちらもその相手に嫌な思いをさせずに済む優しいウソをついて、物事をキレイに軟着陸させる方向に誘導をした。そうすることで今後の関係もまたうまくいくからね。もし最初の計画から自分を入れての飲み会がセットアップされたら、その時は快く参加させて頂けばそれでいいし、今後ずっと誘いが途絶えたらそれで別にいい、職場の儀礼的な人付き合いは、そうやってその時点で最善の方法を取ればいいだけだから。

中には本心から参加したくない飲み会や、同じ場に居たくないヤツなんかもあったりするけど、それでも短絡的に即断即決で断ったりせず、他の参加者や今後の関係などを加味して、表面的にはニコニコしながら一次会までは参加するこだってある。大人の判断、大人の機転、大人の関係って、よく言えば高度な、悪く言えば利己的で打算的なそういうもんだと、もう理解しているから、それでうまく回って行くもんなのよね。
 

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2024.11.25

そろそろ再起動にかかろう

人生に一大事が発生して、ドタバタした日々を過ごしてきたけど、少し落ち着いて来た。

倒れた母は元の生活を送れるようなことはもうないだろう障害を負っているが、命に別状はない状態になってきた。今は救急車で運ばれ急性期の手当てを行った病院からリハビリを主体とする病院に転院し、最長150日間の入院期間中にどれだけ機能回復ができるかのチャレンジを老いて弱った身体で毎日頑張っている。

ここから先は未来の話しになるが、その結果どこまで回復が叶うかはわからないけど、症状が固定化したと判断されたらそこを出て母は次なるステージに移る事になる。少なくとも昭和の古い建売一戸建ての実家での一人暮らしは無理だから、自分を含めた子世帯で面倒を見るか、介護生活を送れる特養ホームといった施設に移る事になると思われる。この方針はリハビリ入院期間中にある程度見定めて準備を行わなければならない。

それが自分の生活にどういう影響をあたえるのかは、正直まだわからない。第三者的な目線だと、重荷を背負って見えるのだと思う。

でも、自分自身がこういう状態になって思うのは、

「それでも生きていてくれてよかった、生きていてくれることがそれだけで嬉しい」

という、ポジティブな実感だ。高齢の要介護の老人など生かしておくだけで無駄だと思う人もきっと居ると思う。老人に医療費をかけるよりもワカモノや子育て世代にお金を回すべきだ!、とかね。純粋に長期的経済的観点から見たらそういうドライな考えもあるのかもしれない。でも当事者の身内としては、ただ生きていてくれることが、こんなにうれしいのだという事をしみじみと感じている。それに社会にとって老人の存在は意外とそんなに悪いことでもないのだな、と実感してることもあるけど、それは次の機会にでもまとめよう。

きっと母が健全だったころよりも自分の人生の負担は増すと思うけど、この2カ月弱くらいでそれを背負ってゆくくらいの覚悟は出来た。まぁ全てを一人で背負い切ったら多分自分も長く持たないから、それはしないで、同じ志を持つ強力な味方である自分の姉兄妹たちと出来る範囲で協力しあって対応して行くことになる。出来る範囲で頑張って行こう。親孝行は出来るうちにやらないとねp(^^)q

また今回の件で、母と同じかそれ以上に年老いた、伯父や伯母といった高齢の身内親族にも連絡をとり、実際に会って話をして、その過程で伯母が亡くなって葬儀に出たり、と、自分の周りで急にそういうモードが増え始めた。親孝行だけでなく、子供のころに色々世話になった伯父や伯母にも、その子らよりは出来ることは少ないけど、出来る範囲で伯父孝行、伯母孝行をしていきたいと思う。

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…ということで、今年はバイクにあまり乗れないまま終わりそう。大排気量車でも多くて一カ月に1回くらい、小排気量車だと、一年間で4回とか5回くらいしか乗れてない車体もある。それでも手放さないよ、自分が乗れるうちはカワイイ我が子みたいなものだから最後まで面倒見て乗りたいと思ったときにいつでも乗れるようにメンテして保険を生かして稼働状態を保ち続ける。まぁ母の対応で生活に困るようになったらさすがに手放してゆくとは思うけど、まだまだオレは頑張れる、だから頑張るp(^◇^)q

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2024.10.15

ちょっと大変なことが(よく見ると矛盾を感じる記述I

昨年7月に父が亡くなり、実家で一人暮らししていた母が音信不通となり、近所に住む妹が見に行ったら倒れてた、という事象が発生。

最近心臓系の薬を飲み始めたみたいだけど、心臓で血栓ができて脳に飛んで詰まる脳梗塞で半日家の中で倒れてた模様。救急車で運ばれたものの、長時間の脳梗塞で血栓溶解剤は使えず、半身マヒは確定。それまでは元気に動き回っていた老母も、もう一人暮らしは出来ない状態になったので、今後は母の生活は大きく変わるし、自分の生活も少し変わる可能性がある気がしてます。

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ここ最近は休日になるとバイクに乗らず車で実家に行って溜まりに貯まった雑物(ほとんどごみに近い)を整理整頓して車に詰め込んで、そのまま病院に行って見舞ってから帰って、翌日は持ち帰ったものを廃棄するべく分別、解体、切断といった作業をしてるのであまりバイクは乗れてません。急性期が終わってリハビリ専門病院に転院する予定だけど、もう高齢なのでどこまでやれるかどうか…

でも、今回感じたのは、「生きててくれてよかった」という一言。よく高齢者の医療費で大金がかかる、という話を聞くけど、それでも自分の肉親が生かされたことに感謝しかない。今後のことを考えるとそっちの方が大変だけど、でもまずは生きててよかったホントに。

それと同時に、初老一人暮らしの自分の将来のことも少し考えた。ぶっちゃけ結末は同じだ。そうなると半身不随になる前にどうにか今の暮らしから次のステージへステップアップする必要があるだろうと思った。まぁあと20年はバイクに乗って、その後5年くらいは一人で元気に暮らすつもりだからそのあとの話だけどね。

でも一人暮らしで倒れたら誰も助けてくれないから母と同じ状況にはなる。となると大事なのは倒れないことと、倒れても助けを呼べること。

倒れないのは健康管理しかない。助けを呼ぶのはウチはセコムのドクターコール契約をしてるから、それでお願いしようかな。あとはご近所さんとの付き合いで人間関係を良好に保つことかな。

文字ばっかりですみません、ここ最近そんなわけでちょっと疲れてます。なお老母対応は自分一人ではなく強力な兄弟たちと力を合わせて分担しながらやっていきます。最後はお金に頼るかもだけど、一応自分のライフシミュレーションではこういう事態も想定してたのである程度はカバーできるから、親孝行出来るうちにやっておきます(^^ゞ

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2024.09.24

今日で満21年間(7670日間)

自分が離婚後の生活を切り開くに至った手法の一つに、家計管理がある。

小学生の頃の小遣い帳とかがめんどくさ過ぎて一週間続いたことがなかったくらい、こういうのが苦手で仕方なかった。小遣い支給が無くなった高校生からバイトを始めて収入を得るようになったものの、それでも多分脳内で1万単位くらいのおおざっぱなIN/OUTしか把握してなかったと思う。今思い出しても夏のバイトで何万、冬のバイトとお年玉で何万、その年に欲しくて買ったものは何万、くらいしか記憶に残ってない。

社会人になって実家に毎月5万仕送りという名目だったが、実質は親の年収の関係で奨学金が組めず親が教育ローンを借りて大学行かせてくれたのでそれの返済だったが、それを10年間しながら安アパートで暮らしてた時も、いくら使ってたかなんて把握せず、ただひたすら節約して支出を詰切り詰めながらその枠内で道楽を細々楽しみながらも一円でも多く残すことしか考えてなくて、収支記録なんて全く残ってない。その成果は結婚するときに自分がいくら持ってたか、という預金残高でしか把握出来なかったからね。

でも離婚して、今後の自分の将来を考えた時に、一人で老後を生きるという現実を突きつけられ、色々な事を計画して実行せねばならない状況にあると判った時に、自分は嫌で嫌で仕方が無かった小遣い帳らしいものをつけ始めた。最初はMS-DOS機の表計算ソフト、そして早々にEXCEL97に乗り換えて、PCでそれをつけ始めた。それが2003年の9月25日だ。思い立ったが吉日ということで脈絡もないこんな日付から始めたのでその日が自分にとっての家計集計の原点日でもある。今日で丸21年目。明日から22年目の1日がカウントされる、と言う事になる。

…最初は本当に面倒だった、苦痛そのものといってもいい、絶対長続きなんてしないと思った。でも一カ月やって、1年続けて、それを数回繰り返すと、集まるデータとその傾向、何をすればいいのか、何を絞れば何にいくら使ってもイケる、といったPDCAサイクルが回せることの面白さ、日記のように自分の生きてきた生活そのものの途切れがない記録、といったRPGの経験値積み&装備拡充みたいな要素にすっかり面白さを感じてしまい…そして結局恐らく1円の誤差もないような記録を継続して集計し続け、今に至ってる。家計簿は楽しいよホント、これは間違いないと思う(^^)/

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今までの累計は過去の毎年の家計簿ファイルから串刺し演算されて自動で集計出来るようにしてあるので、さっきそれを開いて2024年度の今日までの集計データを呼び込んで、丸21年間の集計をしてみた。…うわ、オレが一人で生きるだけで、こんなに膨大な費用が発生してるのかよ…冷汗かいた。

21年間ということは超ザックリでいえば人生の約2/5くらいでしかない。まぁ人の生き様としてとても色濃い充実した時期でもあるから、他の時期に比べれば確かに費用は掛かるとは思う。でも短い短い結婚生活は一人暮らしの時より確かにイニシャルコストもかかり、毎月の支出がドカンと増えたけど僅か17か月間だったし、その結果育てる子供もいない自分が、たった一人で生きるのにこんなにカネを使ってきたんだ、ということにちょっとビックリを通り越してしまう(そりゃ21年間の総額だからね)。たった一つのデータで全体の傾向を破綻させてしまう特異点の高額な自宅購入費用をあえて抜いて、借家時代の家賃や今の維持費等と見合うような形で若干データトリートメントしないと傾向を掴む事が難しいのでちょっとデータを弄るけど、そうすると大体自分が今までに公表してるような年間支出傾向とほぼ同じ傾向が見えてくる。あ、それでもこの総額を見てビックリしないでね。誰よりも自分がビックリしてるので_| ̄|〇

21nennkannkakei

ザックリ年間350万くらいの支出だけどそのほぼ半額は道楽関連費用と言う事がわかる。それを除いた実生活費としては179万/年、毎月に直せば14.9万/月だ。もっと少ないと思ってたけど、数字はどこまでもウソをつかない、つまり自分はこんなにカネを使ってタラフク食って生きてた。…情けない限りだ。

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自分の現時点での年金定期便による支給見込みはこれを手取りベースでもそこそこ上回るから、年金支給レベルが下がらない限り、自分は老後も年金だけで生きていけるという事がわかる。無論今のような生活費とほぼ同額の道楽なんて出来っこないのは理解してるし、今の支給レベルがそのまま変わらないなんてファンタジーを信じるほどウブでもない、そんなのは絶対に無理だ、つまり年金だけで生きていくことなど逆立ちしても出来ないと思ってないとダメ。そういう未来分析と今後の覚悟も出来るのが家計管理の良い所だ。

しっかし「ちりも積もれば山となる」とはホント言ったもんだよなぁ…ホントにこんなに使ってきたのかな???

ここではあえて集計データを出さないけど、給料から天引きされた所得税地方税健保厚生年金失業保険介護保険で失ってしまった総額の大きさには、ただただ絶望しかない。老後生活が始まったら今まで奪われ続けたそれをどれだけ取り戻せるかの命をかけた勝負が国と始まるけど、多分奪われ続けた総額を取り戻すことは生きてるうちは無理だと思う(ホントそのくらい引かれてるのよ!)。

なので、少なくとも支払った厚生年金(自腹+会社負担分)は満額取り戻すくらいはしてもバチは当たらないと思う。余計に得たいとは思わない、だけど元を取らないと(損失を取り戻さないと)死ぬに死ねないよこんなの悔しすぎる。だから、そこまでは生きてやる!、という目標を立ててみよう、そんなに長生き出来る気がしないけど、夢は大きくてもいいでしょ、目指せ満額取戻し!、ってね(^^ゞ
 

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