トップページ | 2004年6月 »

2004年5月

2004.05.31

終戦記念日でも独立記念日でもなく

今日は自分のとても大切な人の「命日」

こんなくだらない自分にも未来を夢見せてくれた我が人生中で最愛の人、
残念ながらこの世では、そしてあの世でも、もう二度と逢う事は出来ない。
臨終した後にあの世で出会っても、その人はもうその人ではないからだ。

人の命は二つある。身体の命、そして心の命。

例えばパソコンのハードウェアが人の身体だとすれば、マザボやデバイスは
筋肉や内臓。心の根幹はBIOS、その人格はOS、その人の行動や趣味は
アプリケーション。

ハードウェアが壊れればそのPCは死ぬ、事故や病で身体が死ねば、人は
死ぬように。

また、OSやアプリケーションが飛んでしまったら、PCは生きていても、その
機能は失われてしまう。その後リカバリーを行い、ソフトウェア類を全て新しく
インストールし直したPCは、一見今までのと同じように機能しているようで、
…実はもう今までのPCではない。

-----------------

自分の愛した人の「ハードウェア」は、今もこの世のどこかで動いているはず。
でもそこにインストールされていたはずの、自分が愛した人は、もうそこには
入ってない。だから、彼女は「死んで」しまった…。

いくら愛していても、「死体」とは暮らせない。離れたくなくて、意地でそのまま
暮らし続けても、どんなに努力した所で「腐敗を防ぐ」のが精一杯で、一度命を
失った物は二度と生き返らない。

自分の意地やメンツのような薄っぺらいモノのためでなく、純粋に彼女のためを
考え、今の俺に出来る事とは一体なんだろう?そう、自分が出来る最善の事は
「ハードウェア」だけをそのまま身近に束縛して「塩付け」する事ではないし、
いつか「蘇生」するんじゃないか?と放置して無為に時間を過させミイラ化や
腐らせる事でもない。自分との「現世」のしがらみを全て解き放って、「来世」に
彼女を送り出し、そちらで「生かして」やることだ。

自分と一緒に居ても彼女は幸せになれない、もう俺では幸せにしてやれない。
・・・こんな俺が、あと何を彼女のために何をしてあげられるのだろうか?
ずっとずっと、悩み苦しんだ。その果てに人生最大の決断をもって、当時の
彼女に自分がしてあげられる、彼女が心の底から望むものを、一緒に暮らし
始めてから初めて、そして一番最後にプレゼントした。

-----------------

幸せにしてやれず自分も幸せになれずに「死に」別れてから一年間、ずっと
自責の日々を過した。自分に能力が無いから、弱いから、悪いからこんな
事になってしまったんだ…!、ってね。

それは今も完全に吹っ切れていない気がする。だけど、一年たって「喪」も
明けた。あの時の自分は確かに力不足だったけど、でもその当時出来る事は
多分全部やれていた。その実力を使い切っても、二人は幸せになれなかった。
だから今はこの結果に納得が出来る。

それに、今の彼女は少なくとも自分と暮らしてた時より幸せになっているはず。
…そう考えたら不思議と自分もほんの少しだけ幸福感を味わう事が出来た。

そっか、「自分が幸せでありたいから彼女を自分が良しとする幸せにしたい」、
じゃなくて「どんな形であれ彼女が幸せであれば、自分はそれで幸せなんだ」
…そうだ、そうだったんだよ。

さあ、自分も片方のオールを失ってからずっと片方だけのオールを漕ぎ続け
同じ場所でくるくる回って一歩も先に進んでないボートを漕ぐのをもう止めて、
そろそろ先に進もうか(^^)

その前に今は「無き」妻に、届きはしないけれど、あらためて言いたい。

 「人生の中であなたに出会えてよかった。…さようなら」

-----------------

PCならソフトウェアやアプリケーション、データはバックアップしておけば
ハードウェアが壊れても「生き返らせる」事が出来る。例えハードウェアが
違ってもね。

もし「人の心」を何らかの方法でバックアップするような事が出来るのなら
「彼女」にまた逢えたのにな。外観はどんな姿でもいいから、逢える物なら
今すぐにでも逢いたい(^^)。

…そっか、恐山のイタコの婆さんにでも呼び出してもらうか(笑)
姿なんてどうでもいいよ、その中身が「彼女」ならば、もうそれだけで。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.28

痛さを感じて、初めて分かる

どういう訳か、一ヶ月前から左股関節が痛い。街医者で原因がわからず
現在某大学病院に通院中。

何となく違和感を感じてから日に日に悪化し、GW頃はまるで関節内部に
生傷があって、動かすたびにそれをツンツン!としているような痛みが
突っ走ってかなり辛かった。GWを棒に振ってさらに今も単車通勤や、車
通勤を駆使、勤務中もデスクワークに徹して「腫れ物に触る」ように
養生し続けた結果、その生傷の上にブ厚いカサブタが出来てゆっくりと
直りかけているような、実際はどうだかわからないが、そんな感じだ。

------------

股関節自体がヤバい変形症とかではないので、人工関節を入れるとかは
しなくて良く安静にしていれば直るらしい。事実、GW中に丸一日寝て
過ごしたら翌日は改善した。それは分かる、良く分かるのだが…実際は
無理だ。

膝、股関節、腰、肩、首といった人体の要所にある関節は
日常生活を送る上で動かさないわけにはいかないのだ。

そこを固定されてしまったら布団から起き上がる事すら出来なくなる。
今、出来る事は「使わない訳にはいかないが極力使わない」事で一進
一退を繰り返し、「10歩進んで9歩下がる」を繰り返し段々段々と良い
方向に進めるよう努力するだけだ。だから不用意に再び悪化させると
すぐに2週間くらい前の状態に戻ってしまう(T_T)

前出の通勤にバイクや車を使った出勤だと、殆ど歩かないで済むので
傷めた足にはGood♪。これがもし、駅まで歩いて階段を上り下りして
電車に乗って階段を上り下りしてバス停まで行ってバス停から歩いて
…をやったと思うと、実際にやらずとも想像だけで痛くなるよ(T◇T)

------------

で、今も少し痛い状態が継続中。医者から処方された鎮痛剤は飲むと
驚くほど効き、その間は階段を2段飛ばしで上り下り出来るように!
だがそれはあくまでも麻痺してるからで、薬が切れた途端に2週間分の
回復が水の泡と化した事を「身を持って」知るハメになる。

今は薬を飲まない。痛みとは生体が発する危険信号、ちゃんと意味が
あるんだ。
だから痛くならない可動範囲を常に意識し足を引きずって
歩かざるを得ないんだけどね。

しかし突然こんな身体になってみると健常だった頃には何とも思って
なかった事が凄く大変だと気付く。階段の昇降は実に大変な作業だ。
しかもそこに手すりが無いと体重が分散出来ずに痛い箇所が一段毎に
悲鳴を上げる、でも手すりがあるだけでかなり楽ゥ〜♪、とかね。

何より一番驚いたのは高さ1.5cmのなだらかな突起か?段差?に足が
引っかかって転んだ事。

健常者ならそれは段差ではない。踏むか、跨げばいい。自分もその
つもりだった。だが傷めた足は本人が思っているより上がらなかった
らしい、靴先がその段差に引っかかってバランスを崩した。そんな時
とっさに足を出しバランスを取れば大事には至らない。でも、痛くて
動かせない足を無意識でとっさに出そうとしたらいきなり激痛が走り、
思うように動かず、結局バランスを崩したままであっけなく転んだ。

それは襖の敷居のような直角な段差じゃなかった。車椅子でも上を
通過できるような、本当になだらかな所なのに、それでも足は見事に
引っかかり、しかも転んでしまったのだ!

ズキズキと悪化した関節に脂汗を流しながら、これがもしも骨太な
中年男でなくて、足腰の弱った老人だったらこんな事で本当に骨折
してしまうかも、と実感した。

------------

世間では「バリアフリー化しました」っていう言葉をよく言うけど、
本当にそれが必要な人がそれを考えて作る側に意見を伝えて
適合するように作っているのだろうか?もしかしたら健常者が
これならいいだろ、という机上検討、悪く言えば自己満足だけで
作っていないか?

障害や老化、怪我や病気など不確定要素が沢山ある、だから万人に
適応するユニバーサル・バリアフリーなんてのは本当はありえない。
もしあるならばそれは単に平均値は満足しています、とか該当者の
8割は救われます(=他の2割は対象外)…って言うだけの気がする。

これがもし健常な状態でそのコブに躓いただけならここまで思わな
かったろう。でも、足を引きずり必死に歩く体が原因で痛い思いを
したら初めてそれが見えた。

つまり「その人の身になって考える」とは、それを想像し空想する
事ではなく、その人と同じ視線、同じ立場、同じ身体、同じ気持ち
にならないと成しえないのだ。

当然、「完全同化」は無理だけど、それに近い経験があれば置換え
感じられるだろう。

------------

話がちょっとそれるけど、自分は自身が離婚するまでは離婚経験者
に少し偏見があった。でも自分がそれを経験した結果、バツイチの
人を「戦友」と思えるようになった。暴力、酒乱、借金、浮気等の
一方的な原因の加害者どもは「戦友」ではなく「戦犯」だが(苦笑)
戸籍と心が傷付いた人達は状況の違いすれ、あの「戦場」で戦った
「同志」なんだ。自分も戦って色々痛い目にあったからこそ、今は
気持ちが少しは理解出来ると思う。

自分は弱い人間だったので、自ら痛い思いをするまでは本当に理解
出来なかった。でも痛い目や辛い思いをした人は、それを経験して
いない人より痛みを感じ成長し、以前より必ず優しくなれる…はず。
(自分自身はそう変われたか自信は無いが)

もう一度繰り返すが「学習能力がある人」であるならば、だ。

身体も心も痛い思いを経験した、今だからこそ「自己満足のための
バリアフリー」と「その人が望んでいるバリアフリー」と言う似て
異なる二つの違いが良く分かる。身体に対する物理的「バリア」も、
人と人との心の間にある「バリア」も…ね(^^)

 身体を痛めたことで初めて見えてきたことがある
 心を痛めたことで初めて理解出来る気持ちがある

昔から国語の成績が悪かった自分では上手く文章化が出来ないが
つまりは…そういう事だ。(あーっ!歯痒いっ!!)

------------

何も考えずに、ただ今の痛みからすぐに開放されたくて、空虚な心を
満たしたくて、一時的によく効く鎮痛剤を飲んだり、心の隙間にとり
あえず何かを適当に詰めて、今だけ楽になれればそれでいい、という
短絡的な発想で焦って行動するほど、本当に受け止めねばならない
現実や真実から目を逸らし、逃避するだけになる。俗に言う所の、
「〜依存症」ってのも、実はそれだと思う。

逃げる事で一瞬開放されたかに思えても、薬が切れたり、依存した
「詰め物」が無くなった時に、必死になり逃げようとしていた痛みを
凌駕する激痛を伴う症状悪化、または生きる気力と自信を失うほどの
虚脱感と、今以上にもっと沢山の大切な物をさらに失ってしまう
「しっぺ返し」を食らう事になるんだよね。

今は様々な「痛み」から逃げずに向き合い、じれったくても「治る」
までは辛抱我慢。時間は何にも効く遅効性万能薬、昔から諺にあるよ、
「急がば回れ」ってね(^^ゞ

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.23

「副収入」は得るのではなく削り出す

家計簿で支出を記録し始めてから、実は収入の方の記録も始めた。

その詳細は諸般の事情によりとても明らかに出来ないが(苦笑)
自分がいくら給料を貰って、いくら天引きされて、いるのかをずっと
集計していると所得税、地方税、健保、厚生年金、失業保険等の
「社会負担」が痛いほどわかる。

税金も保険も年金も、ちゃんと有意義に使ってくれればそれでいい。
それが社会をうまく回して、日本人みんなが幸せになれるのならば、
この「重たい重たい負担」にも少しは意味があると思えるから。

でも今の社会の現状を鑑みるに、どうやら天引きされている金は
社会の役に立っているのではなく、一部の連中のメンツを立てる為に
いいように使われているだけ、という感じが否めない。だから全然
納得出来ない。

給与収入がガラス張りで源泉徴収されるサラリーマンの場合、
給料以外の収入がもしあれば、問答無用で召し上げられてしまう
天引きが減らせなくとも、トータルではプラスにする事が出来る。
でもそこからまた源泉徴収とかされていたら、結局はまた国である
鵜飼に首縄をつけれた鵜の状態であることに代わりは無いが。

おっとっと、愚痴はこれくらいにして、本題に入ろう。

家計簿をつけ始めたのは去年の9/25、この日から自分の支出
及び収入は一円単位で記録されている。明日には先月分の
支出の集計が出来るのでバツイチ中年サラリーマンの危険な
家計簿を見たい人は明日の夜またどうぞ<ばき

で、今日は今までのBBSによる日記でもあえて触れていなかった
収入側について。会社から貰ってる給料明細を暴露すると自分の
悲しい年収がバレるからこれはナイショ。その代わりに給料明細に
載らない副収入について暴露してみる(苦笑)

家計簿兼収入記録ワークシートを見てみると去年の9/25から
今日までの約8ヶ月に、給料として会社から出た以外に約58万程の
「副収入」があった事になる。一ヶ月平均に直すと約7.25万、これは
世間一般のサラリーマンの小遣い+α程度であり、そのくらいは
どうにかこの「副収入」で賄えていたことになる。

別にバイトをしていたわけではない。ギャンブルには興味がないので
そういう金でもない。じゃあなにか、というと、半分くらいは現場出張に
行っていた時に出ていた出張日当。これは会社から出ているから
給料の一部,と思いきや,労衛法では一日4000円以内は必要経費?
として無税であることが確約されている。だから「副収入」扱いなのさ:-p
#実際貰ってるのは4000円/日なんて額じゃないよ、念のため。

通常は、その金で飯を食ったり服をクリーニングに洗濯したり、という
長期出張という非日常生活のための経費なのだが自分は出張先でも
コストダウンの手を緩めない。と、言うよりも出張時こそ日常以上の
コストダウンが出来る絶好のチャンスだ!
何せ冷暖房完備で電気も風呂も水道も使い放題という夢の暮らしだぜ♪

飯はホテルのレストランでの朝食に1000円、夕飯に1500円なんてのは
バカらしくて食わない、食えない。具体的には愛用のキャンプ用品を
ビジホや寮に持ち込み、そこで自炊を敢行するのだ。現地でも安売りの
スーパーを発掘し、見切食材を駆使し一日の食費を300円以下に抑える。
キャンプ用ガスバーナー、片手鍋、コッヘル、シェラカップがあれば
何だって出来るのだ。魚焼き用の焼き網があれば食パンのトースト
だって出来る。貧乏男をなめたらいかんぜよ
炒め物や揚げ物や焼魚は火災報知器が作動するからしないけどさ(^^;)

ビジホに備え付けの小型冷蔵庫には地元スーパーでまとめ買いした
食材をビニール袋に小分けにして入れておけばいい。野菜は常温でも
結構長持ちする。調味料は塩コショウと醤油、マヨネーズくらいがあれば
事足りる。油はチューブマーガリン。このあたりはバイクでしていた放浪
貧乏旅のノウハウがぎっちり詰まっている。

働いている仲間でここまでしている奴は居ない。と言うかこんな事してる
奴を自分は他に知らない。この荒業(?)は、元々は所帯を持っていた時に
少しでも将来のために貯金する手法として編み出した裏技だ。手間ヒマは
無用にかかるけど明るい未来の為にする貯金は今思えば楽しかったっけ♪
結局その金は将来の為ではなく、等分されて破綻処理(引越し代等)に
使ったんけどさ(苦笑)

今は悲しき一人暮らしだから家を買ったり子供の学費のために貯金する
必要などは無いからここまで苦労(?)してコストダウンに徹する必要は
まったく無いが、単に自分らしい生き方の一つとして、と言うよりも、
確実に実益を得られる道楽として地方長期出張時は今も続けている。


その次の副収入源は個人売買の売上だ。手持ちのバイクを友人に
売ったりヤフオクで手持ちの品を売ったりて得るのだ。これもチリも
積もれば山となるとは言ったもんで、今年度だけで20万近く得てる。
ただ、これは手持ちのリソースを手放しているだけなので、長い目で
見れば損してる。つまり「蛸足食い」なんだけど、使ってないし使う
アテての無い足なら腐る前に食った方がいいのさ(^^;)

株取引における「損切り」と同じで「見切る」ってのは「万事において」
大切だよ、ホントに(謎)

他は、宝くじの末等、貯金箱を開けて出てきた小銭、宴会の景品で
得たビール券、道端で拾った金(笑)など。これは合計しても1万円にも
ならないからビビたるもん。

結局、副収入と思って集計してても実際の所は本来そのまま使う
べきものを使わなかったり手放したりすることで発生している。これは
副収入,と言うより単なる「やりくり」なんだよね。でも、給料とは別に
手元に現金が残るから、感覚として&結果として「副収入」なのさ。


本当の意味で純粋に得をしたのは各種預貯金の金利その他(謎)だけ。
これらの合計は8万チョイ、一ヶ月あたりで1万円にしかなってないから
正真正銘の小遣い銭だ。
それでも自分一人が一ヶ月間生きれる位はこれで稼げているじゃん:-p
        ↑      ↑      ↑
   明日UP予定の支出の集計を見ればどういう意味か判るハズ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.19

誰がためにカネは生る?

前日書いたように、自分は背広を着る事すら嫌がるスチャラカな
サラリーマンだ。

某一部上場企業の郊外にある研究所で、新規事業の技術開発、
それに伴う化学基礎実験や実証試験装置製作、それを用いた実験と
その実験結果を評価するための各種化学分析などを行うのが自分の
本来の主な業務だ。

ここで働いている限り、週休二日はほぼ確保され、残業も大体だが
毎月20時間程度で収まる。通勤も楽だし、やることさえやっていれば
休日も取りたいときに取れるだけ取れる。

だがここ数年は各種のトラブルにより、現場、具体的にはBWR系の
原子力発電所の定期検査工事に従事することが増えた。原子力
発電所の現場仕事は、その扱う装置の重要さと緻密な全体工程を
自分らの仕事の遅延によって狂わせてはいけない、という重責が伴う
キツく、苦しい、だが流した汗に見合うやりがいと達成感のある仕事だ。

そこは丸々一ヶ月、一日も休まず深夜残業当然!徹夜上等!
交代勤務ですか?喜んで!…だが、そんな苦しい仕事でも、家で
自分を信じて待つ愛する家族のために、という思いがあれば結構
苦しまずに乗り切れた。そして緊張と疲労は、出張から帰った時に
その家族と再会し、再び幸せな生活を送る事で癒え、流した汗と
費やした労力は、キッチリ給料に反映される。

激務の現場ではそう信じてハードな日々を歯を食いしばり働いていた。
…が、俺はそういう暮らしを望んだり、求めたりしてはいけない
人間だった、らしい。

一人暮らしに戻ったこの一年間は、自身が進めなくなった未来から
極力目を背け、自分は何のために誰のために働くのか?一度失った
その意義を何かにこじつけるためか、それとも単に現実から逃れる
ためか、目の前にある仕事にただガムシャラに取り組んだ。片方の
オールを失い、同じ場所でくるくる回るだけの手漕ぎボートのように、
一歩も前に進めないまま、自分に残された自分のためだけの一本の
オールを漕ぎ続けた。

そして今日、その間の功績が認められ、今年度から社内資格が
昇格すると内示があった。今のご時世、春闘での定期昇給は殆ど
無いから、昇級は昇給、要は能力給が上がると言う事。

内示が出るほど大げさな割に、年収ベースで言えば高々24〜25万
程度のUPだから残念ながら実生活への影響は微々たるモノだ(苦笑)

今は意図して貧乏生活を送ってはいるが、別に金に困ってやっている、
わけじゃない。一人暮らしでヒマになった&今までと違う新たな生活を
模索したくてやってるのだ。故に一人で生きるためだけならとりあえず
今の給料でも必要にして十*分だというのに・・・皮肉だね。

だからその内示を聞いて、嬉しさや誇らしさよりも、つい、「今更そんな
ハシタ金はいらないから未来を返せよ!」、と声を出して言いたくなった。

だが個人的な問題に対し会社に責任は無いのだ。だから、そんな事を
すれば、単なる八つ当たりになってしまう。逆に会社は、会社だけは、
自分の今までの頑張りをちゃんと見える形で評価してくれた。
どんなに頑張ったって、どんなに成果を上げたって、自分が一番
認めてもらいたい人に、それを認めてもらえなければ、何の意味も
無いんだけどね。

悲しいかな今の生活で、それを認めるべき人は…自分自身だけだ。
ちぇっ、マスターベーションかよ(苦笑)

頑張った結果、僅かでも一応の成果を叩き出した自分に対して
「ご苦労様」と労いの言葉をかけ、ボーナス時のように毎給料日に
サバ缶とかの高価で美味い物でも食わしてやるべきかなのか?
一番認めてもらいたかった人に、人間としての存在価値を全否定
された自分には果たして、それだけの価値が、本当にあるのか?
…この程度では、まだとてもそうとは思えない。


世界は広い、そしてそこには今まで自分が出会った数以上に、
多種多様な人がいる。その中には、誰かの代わりではなく、
こんな自分をちゃんと認めてくれて、自身も認めて欲しいと願い、
無論自分も認めることが出来る人がいるのかもしれない。

それは時間がたって自分を許せるようになった未来の自身だけの
ような気もするが(苦笑)、この世に生まれた以上、生きている間に
一人くらいはそういう人に会ってみたいもんだ。

そう思って生きていれば、残りの人生に少しは希望が持てる、
…かな(^◇^;)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.18

爆縮戦隊!サラリーマン!

かく言う自分もサラリーマンだが、昨日、実に半年振りくらいに
ネクタイを締めた。

研究所&現場勤めであるため、私服で出勤し、職場で作業服に
着替えるのが日常なのプレスされ折り目の付いたズボンと、襟の
硬いワイシャツ、存在意義不明なネクタイと、機能性に乏しい背広に
全く縁が無い。なによりも本人がそういう窮屈な服を極力着たくない。

だが、郊外の研究所勤めでも、数ヶ月に一度は本社や客先への
打ち合わせが発生する。髪型からしても、いかにも中学生っぽい
ルックスな自分は(プロフィールに画像をUP済)誰が見てもスーツを
着てもあまり似合わない。だから東京の本社に行く場合などは、
他の出張と組み合わせたりすることで今まで何度も私服のまま
本社に乗り込んでいる(笑)

だが昨日は諸般の事情でそういう我侭を通せない場所に行く必要が
有り、泣く泣く、前夜にスーツを引っ張り出し、ワイシャツとズボンに
アイロンを当てた。そういえばサラリーマンと化して13年、実はその間、
一着もスーツを買った事が無い。ネクタイを必要とする服は葬式が
あった時に必要に迫られ喪服を買っただけだ

今、自分が持っているスーツは、大学生時代に就職活動用にコナカで
買ったチョー安物。中学生のブレザーのような、いかにも典型的な
紺色のリクルートスーツ(秋冬用)が一着と、少し薄い生地の春夏用が
色違いで二着。この三着だけで着回しに一度も困った事がない(^^;)

なにせ、一週間連続でスーツを着たのは、入社式から新入社員研修が
終わる間だけ。その後、始まったのは技術者研修、それはもう、スーツ
ではなく作業服だった。一ヶ月間の地方現場実習を含む約5ヶ月の
研修が終わり、決まった配属先は就職活動時の面接の頃から希望して
いた今いる郊外の工場に隣接した研究所だった。

ここも研修時代同様に私服で通って、作業服で仕事するのが日常スタイル
だったので、スーツを着る機会は本社出張や客先訪問などの限られた
シチュエーションだけだ。

そんなスーツ嫌いの男が、それを着て息苦しいネクタイを締めて、
履き慣れぬ革靴を履き、一般サラリーマンが一日で使う体力の大半を
消耗するという、朝の通勤電車に乗った。郊外から、電車を三本乗り継ぎ
都心を目指す途中で久々に殺人的通勤ラッシュに遭遇した。

都心に近づくたびに、電車を乗り継ぐたびに、段々車内に人が増えてゆく。
ネクタイのせいだけはなく、明らかに暑苦しく息苦しい車内の不快指数は
右肩上がりで、一向に上げ止る傾向にない。額を流れる汗を拭うハンカチ
すら使えなくなってゆく。3本目の東海道本線に横浜駅から乗った時には、
車内は人間を乗せるモノではなく、肉轢き機に肉を押し出すための
プレス機に掛かっているような状態になっていた。

それなのに、途中の駅に止まるたびに、内圧でドアすら開かないような
殺人的状況の車内にさらなる圧力を加えながら人が乗り込んでくる!
信じられん。

そんな時にふと気付いた。これは長崎型プルトニウム原子爆弾と同じだ、と。

その起爆装置は爆縮という方法を取るのだ。これは核分裂物質である
プルトニウムの周囲に爆薬を配し、それに同時に点火することで、
ある一点(つまり中心)に向かって周囲から均一に圧縮することで、
プルトニウムを核分裂臨界状態に持ってゆく、というモノだ。

これを、周辺都市から都心へ出勤する人の流れと置き換えてみると、
人の密度の薄い郊外から都心に向けて同時に移動させ濃度を高めて行き
人同士の間隔は徐々に狭まり、そして押すな押すなのラッシュ状態になり、
それをそのまま続けたら、何処かのある一点、つまり「臨界」に達したら、
プルトニウムがプルトニウムでいられなくなって、核分裂連鎖反応を
起こすように、人は人でなくなってしまうのではないか?

それはもしかしたら本当は強大なエネルギーを内包しながらも
日々の生活に抑圧され続けながら苦悩しつつ生きる現代人の魂が、
真の解放を迎える瞬間ではないのか・・・・・

多摩川を越えて肉体に掛かる圧力がピークを迎えていた頃に、身動き
一つ取れぬ圧迫感と暑苦しさと早起きした眠気によって薄れてゆく
意識の下で漠然とそんな事を考えた。
だが東海道本線が品川に着いた途端、車内の「人圧」は急速に低下。
山手線に乗り換える人がそちらに流れたのだ。た、助かった…(-◇-;)

幸か不幸か(笑)、車内は自分が想像した「臨界点」には達しなかった。
だが、もし山手線がなかったら、逆に品川や新橋で更なる「人圧」の
上昇が続いたら、もしかしたら有楽町を越えて東京に到着するまでに
スーツで武装しサラリーマンという姿を保っている人々も、その
圧倒的な爆縮エネルギーによって「臨界」に達してサラリーマンは
サラリーマンではいられなくなって、人としてさえもいられなくなって
「爆発」するのではないだろうか?

以前又聞きした情報だと、こういったラッシュにより人間がパニック
状態に陥るのは1平方メートルに11人以上の人が密集している
状態だという。厳密に測定したわけではないが、朝の通勤電車は
この条件を十分満たしているような気がする。
つまり「臨界」寸前の「いつ爆発(崩壊)するかわからない」危険な
状態なのだ。

だがスーツを着てサラリーマンに変身した人達が人としての限界を
超えた「超人」として、「爆発」することなく、額から汗が流れても
身動き一つせずに黙って耐えているんだ。

無事に列車から排出された時には前夜のアイロンの甲斐もなく
ヨレヨレになった安物のスーツと未熟な心構えで戦場に挑んだ
自分から見れば日々こんなにも圧縮されながらも爆発せず、
いや、出来ずにいられる世間の都心に生きるサラリーマンは
つくづく尊敬に値すると思う。

生き甲斐を無くし、これからを一人で生きるその意義をまだ見つけ
られずにいる自分にとって家族のためでなく、自分のためだけ、
食うためだけに、こんな思いをしてまで通勤するのは・・
たまのスポット参戦は出来ても毎日は勘弁してほしいな、
精神を病んでしまいそうだ(^^;)

あー、俺は郊外勤め&作業服勤務でよかったよ、マジでね。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.15

思い通りの音量を

学生の頃は粗大ゴミで拾ったオーディオを組んで音楽を聴いていた。

ちょっと古いアンプや、チューナー、カセットデッキなどが使える状態の
ままで捨てられていた。だからそれを拾ってきて、テスターでちょっと調べ
使えそうなら、または自力で直せそうなら以前拾って使っていた物と
入れ替えて、少しずつグレードアップしていったもんだ(笑)

ちょっと脱線するが、CDプレーヤーは拾えても、ターンテーブルは拾えない。
いや、ターンテーブルは沢山捨てられているが、テーブル部分をアルミ
地金回収屋が早々に持っていってしまうので、使える状態で拾える事は
極めて稀だったのだ。何度泣いた事か(T◇T)ぅぅぅ

おっとと、話を本筋に戻そう。最終的には200W+200Wの山水のプリメイン
アンプを中心として24cmウーハー&スコーカ-&ツィーターの3wayフロント
スピーカーと、18cmバスレフのリヤスピーカーをドライブするシステムを
組むに至った。全て拾った物だから無料だ(^^;)
自分なりに(ゴミを)吟味したセットだったのでそれで聞く音楽が楽しかった。

だが、一戸建てだった実家でさえ、そのアンプのボリュームを1/4以上
開けた記憶がない。なぜなら家族や近隣から音量に苦情がくるからだ。
大音量で音楽を楽しみたい時はフルセットがあるのにそこにヘッドホンを
差し込んで、それで聞くしかなかった。

社会人になり寮に入ると、4.5畳のワンルームはそんなセットは置けずに
オーディオはCDラジカセとウォークマンだけの生活になった。
年齢制限で寮を追い出さられ、おんぼろアパートに引っ越したら、
壁が薄いのもあってますます音量が上げられなくなった。オーディオの
インフラはカセットからMDに変わり、音楽と言えば通勤中の電車の中で
聞くだけのものになってしまった。

その後ポンコツの軽自動車を手に入れ、付属カーステでカセットテープを
聞くようになったがエンジン音がモロに車内に聞こえるその車では高速
道路走行時などはフルボリュームでも渋滞情報ラジオが聞けないような、
オーディオとは言いがたい環境だった。車をボロボロのものからちょっと
新しいアトレーに買い換えても、それは代わらなかった。

結婚し、そして離婚し、引っ越した今の家でもやっぱり望む音量では
楽しめない。だがその頃に手に入れたB4はもう一台の軽1BOX車の
アトレーよりも、音響もノーマルのヘッドユニットもはるかに高音質だった。
当然!自宅のCDラジカセよりもね!

そう、車の中ならどんな音量でも音楽が聴ける!あたりまえだが
新鮮な驚きだった。どんなに優れたオーディオを持っていても、
普通の家ではそれをフルパワーで鳴らすことはまず出来ないが、
カーステレオなら、密閉、しかも移動する空間を作れて、そこでは
極端な話、鼓膜が破れる程の音量で音楽を鳴らす事も出来るのだ。

離婚した直後で時間も金も少しあったので、まず手始めにB4に
チューンナップサブウーハーを積んでみた。すると十分満足行く
重低音を鳴らすことが出来た。その後でアトレーに乗るとB4と比べ
あまりにも貧弱なカーステレオに不満が爆発!、こっちにも小型の
チューンナップサブウーハーを乗せ、ドアに仕込まれたフロントの
スピーカーもAMラジオ用のようなペナペナなノーマルユニットから、
搭載できる最大級のマグネットを持つ中古ユニットをドアに改造を
加えながら搭載し、ヘッドユニットもより高出力で新しい、だが格安の
中古を(苦笑)ヤフオクで入手し、載せてみた。

ついでに荷室に小型BOX型リヤスピーカーを増設し、最終的には
4スピーカー+サブウーハーという軽貨物にあるまじき音響環境に。
すると今までラジオくらいにしか思ってなかったアトレーのカーステが
激変、ハードロックは納得の重低音が、POPsは満足の音量音質が、
クラッシックはピアニシモはエンジン音に消されるけど、それなりに
聞けるようになり、間違いなく「音楽」を楽しめる環境になった。

こうなるとB4のカーステ環境もさらに改善したくなる。フリードライブ式
リヤスピーカーを入手、リヤトレーにカッターで大穴を開けて、さらに
トランクに通じる蓋を外し装着したらそこからサブウーハー級の
重低音が出るようになった。よしよし。

カーステは手を入れれば入れただけの効果が出るので楽しい。
金も底無しに注ぎ込めるがそこまでしなくても庶民が十分満足行く
システムはMDラジカセ+αくらいの投資でOKだ。
その後ヘッドユニットをMP3対応の社外品に交換し、車内に持ち込む
メディアを減らした。ドアのスピーカーユニットはノーマルでも十分満足の
行く音量&音質だったので変えず、デッドニングもしなかった。

必要最小限の投資で、チープなりにバランスの取れた構成を目指した。

完成後、近所の河原に出向き、一番最初にバーンスタインの第九の
CDをかけてみた。ピアニシモが聞き取れる音量で聞き始めたら、
フルコーラス部では魂が揺さぶられるほどの激しい音量となった。
聞き慣れたCDなのにまるで初めて聞いたかのように感動できた。

俺は齢35歳にして、初めて自分が納得行くまで音量を上げて
音楽を聴ける環境を手に入れたぞぉ〜〜〜!

今では車を運転するときに音楽が欠かせない。
基本がバイク乗りである自分は、さほど車の運転に楽しさを感じないが、
音楽を聴くためにはぜひ車を運転したい。新しいCDを手に入れたりすると
我が家最強のオーディオ装置であるB4に乗り、あてもなく走り続ける。

単車やアトレーに比べて維持費がべらぼうにかかるB4には、乗り物と
しての用途以上に心置きなく音楽を楽しむための音響装置としての
存在価値があるのだ(苦笑)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.13

個人売買の醍醐味とヤフオクとのズレ

ネットオークションの代名詞たるヤフーオークションを利用し始めて
もう3年以上になる。

元々niftyがパソコン通信だった頃に「売ります買います」コーナーで
全く見ず知らずの人と個人売買する経験を積んでいたので始めるのに
それほど抵抗は無かったがオークションというシステムに、最初は
かなり違和感を持って接していた気がする。

個人が手持ちの品物を売るならフリーマーケット的な手法が楽しい、
買い手と売主が会話を楽しみながら値引き交渉をすすめる(^^;)、
コミュニケーションがセットじゃなきゃ面白くない、と思っていたからだ。

実際、自分は即売会や、祭りの屋台や繁雑時のアメ横のような所を
歩いてまわり、そこで威勢の良いオヤジさんとの掛け合い会話を
楽しみながらの買い物が大好きだ。

そんな会話はそれだけでも楽しいし、納得出来ればそのまま買ったり、
会話の中で値引き交渉の余地があると思えば徹底的に値引き交渉が
成立するまで楽しむのだ。そこには穀物先物取引や証券取引市場の
ような生き馬の目を抜く苛烈さは無いけど一応は商売という真剣勝負の
場であり、そこでのコミュニケーションというのはその人なりの本性も
垣間見えて、実に楽しい。

日々の生活ではライフコスト削減のため商品毎に安いスーパーを把握し
脳内にすっかり出来上がってる底値リストと特売品の値段を常時
比較しながら買い物をしている自称「プロの兼業主夫」な自分だが、
旅で地方に行ったり、海外に出た時などは、どこでも手に入る同じ
商品を、そのまま購入できるスーパーやコンビニよりも小汚い地元
密接型の個人商店などで、店の人や、常連の地元のお客さんらとの
非日常な旅先ならではのコミュニケーションを取利ながら買い物を
するのが楽しいのでやめられない。

例えば、このあたりでは何が取れるのか、とか、何が美味いのか、
この魚はどうやって食うの?、とか、辺りに銭湯は無いか、とか(笑)、
とりあえず何でも話しかけてみればそこを糸口に思わぬような
様々なコミュニケーションが取れるのだ。

これを若いねーちゃんに出来れば女に不自由しないのに(T◇T)<ばき

北海道の過疎の街の町営ライダーハウスに泊まったとき、食料を
買いに入ったその街唯一の商店でそこのばあちゃんから町の歴史を
聞いたりしたっけ。そしてそこでビールとキュウリとトマトを買ったら
「ちょっと待ち」とアルミホイルに味噌を包んでくれたな。

ライダーハウスの鍵の管理をしている町会長さん宅で鍵を借りるときに
それまでの旅の話などもしたし、翌朝出発する際にその鍵を返したら
「これ、もっていきな」とわざわざおにぎりを作ってくれて、渡してくれた。
これはもう何年も前の事だが、この縁、この恩は死ぬまで絶対忘れない。

旅という特殊事情があるとはいえ、本来、人と人が接する所には
何処にでもこういう暖かいコミュニケーションが存在するはずなんだ。

極論すれば商売ってのも人の営みそのものだから、売る人と買う人の
コミュニケーションがそこにはある。本来それこそが「売買の場」で
あるはずだ。だが今の世の中、特に都会ではそういうウェットな
雰囲気を疎ましく思い、物とカネの交換でいい、という利便性のみを
追求した極めてドライな取引の雰囲気が多い気がする。

無言のままでも商品が難なく買える深夜のコンビニや、なぜか
店内にもある商品がその店の外の自販機でも売られているってのは
確かに便利なんだけど、その商売は実にドライで、そこには人と人の
コミュニケーションが入り込む余地が…無い。

ネットオークションってのはドライとウェットの中間ではあるが、
限りなくドライ側に近い気がする。

売り手と買い手がシステムを介していて両者は遠い存在として
存在している。落札後に必要最小限の連絡をしあい、代金を
振り込みして、商品を郵送で受け取る。メールなどで最小の
コミュニケーションは取れるが、それに駆け引きはないし、
戦友同士の奇妙な連帯感もなく、オークションで競り勝った時の
興奮も一時的でどこか実感がなく、代理戦争の事後処理とでも
いうべき淡々とした流れで進む。

昔と違い、他人と直接接触するのに危険性があるのは事実だ。

ネットオークションはそれを回避する安全な、そして自由経済の
原則に基づき多くのネットを見れる人の目に留まり、その中で
欲しいと思う人が欲しい品に払えるだけの値段を付けて買う、
…という、売る方にも買う方にも、そして場を提供する側にも利の
ある優れたシステムであることは理解できる。

自分もこの数週間で本人の予想を超えた8万近くを売り上げた。
オークションでなければこんな値段は付かなかっただろう。
でも率直な実感として、売った!という実感は無く、手持ちの品が
目の前から消えて、代わりに液晶に表示されるネットバンクの
残高が増えた、・・なんとも実感が湧かない、いわば仮想現実の
ような感じなのだ。

つまり、本心としてはヤフオクを利用して高い落札価格で売れるより
自分は売り手と買い手の微妙で大胆なやり取り、掛け合い自体を
楽しみたい。

分かりやすく一言で言えばオークションよりもフリマ向きらしい(笑)

でも今は乗り物貧乏の足しにするために一円でも高く売りたい。
そういう用途にはフリマより残念ながらヤフオクの方が向いてる。
それに自分が売ってるものはマニアックすぎて普通のフリマでは
誰も買わないし(苦笑)

だからネットオークションでも、郵送不能な大物商品の受け取りの
場合や、出品者や落札者が近所だったりすると、自分から積極的に
直接取引きを試みる。大体は断られるがOKが出ることがある。
例えば送料がもったいないなどで意気投合出来た場合などだが
その理由は様々だ。

先日もあるバイクの外装一式を落札した。これは梱包すると大型
冷蔵庫くらいになってしまうモノだったので、直接取引きを申し出て、
そして快諾を得た。お互いの家の中間のコンビニに待ち合わせて、
初対面の出品者と会い、商品を確認し、料金を支払った。

同じバイク乗り同士だから会話も弾む。その後、旅の話、人生訓話、
様々なことを延々2時間ほど話し込んでしまった(^^;)

これは真剣勝負の商談ではないが、明らかに楽しい「コミュニ
ケーション」だった。

これは出品者が良い人&馬の合う人ゆえの稀なケースかもしれない。
でも、今後もチャンスがあれば、こういった直接取引をしてみようと思う。
恐らくいつも楽しい事ばかりでなく、逆に嫌な思いをする事も有るだろう。
でも、嫌なことばかり想像し、それを恐れていたら、何も始まらないよ(^^)
交通事故で何度痛い目にあっても、その楽しさ故にバイクから降りられ
ないように、痛い目も、いつか貴重な人生経験となるはずなのさ。
…そう、例えば結婚生活のように<ばき

「リスク」ってのは目を背けて耳を塞いで、ただそれから逃げ回るんじゃ
なくて、目を背けず見続けて、その存在を把握し続けながら、食らわぬ
よう努力し続け、仮に回避出来ない場合でも、経験を生かして最小限に
食い止めるものさ(^^ゞ

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自炊に勝るコストダウン無し

バツイチの中年男だって生きていかねばならない。

男の一人暮らしは、親からの独立前に実家で家族と暮らしてた時や
所帯を持ち楽しい食生活を過ごしてた時と違い大体食生活が乱れる。
それは通常、外食や惣菜やコンビニ弁当などで済ましてしまう事で
発生していると思われる。

だが、結婚前に長く一人暮らししていて、さらに趣味が単車で野宿を
しながら旅をする事、というアウトドア生活に何の苦が無い、いや逆に
楽しめて、しかも節約生活が大好きという中年男の毎日のメニューに、
外食やコンビニ弁当は存在しない。それは最高に無駄な金だから。
だから毎日毎食、当然のように自炊して暮らしている。これはさっきの
話とは逆の意味で「乱れて」いる。

毎朝朝飯を調理し、場合によっては弁当まで作って職場に持って行く、
そして夕飯も当然自力で作るのだ。それはこんな理由だ。

 1)安くて良い食材を買う買い物がとても楽しい
 2)買った食材を工夫して調理するのが楽しい
 3)自分が食いたい物を食いたい量だけ自分で作れるのが楽しい
 4)何よりも安上がりで済み、家計が助かる
 5)このまま老いて行くのだから今のうちに確実にノウハウを蓄積する

離婚してから数ヵ月後、今後の生活も考えて、一円単位まで記載する
詳細な家計簿を始めた。そして自分がどれだけ金を浪費して生きて
いるのかを把握すると共に削れるライフコストは削ってみよう決めた。

その対象となったのが食費だった。

自分ひとりだったらどんな粗末な食料でも我慢できるし、買ってきた
コンビニ弁当なんかを一人でぽつねんと食うだけの飯ってのはまるで
生きるための義務、動物の餌みたいで味なんてどうでもかまわないし、
そうやって食う食事自体が、ちっとも楽しくない。

だから、挫折の人生をこれからも生きねばならない自分と言う人格が、
それでもこれから生きる意味、そんな生き伸びるための食の本能を
理性で押さえ込んで食費をギリギリに抑えることで、ただ動物的に
無意味に生きているのでなく、その行為にも自分なりに意味がある、
と言い聞かせ、自らのアイデンティティを確立してるつもりになってる。

そのためには日々の自炊がかかせないのだ。
幸か不幸か、自炊することには何の抵抗も無いし。

日々特売チラシに目を光らせ、百戦錬磨の主婦たちとの見切り商品の
争奪戦に打ち勝ち、得た激安食材を調理して食す夕飯は、コンビニ
弁当と違い、いや一人でぽつねんと食うという点だけは全く同じだけど
それでもそれには無い「奇妙な達成感」が加わり、それなりに美味い。

今夜は10kg3000円の米を1.5合+1kg285円の押麦0.5合の計2合の
麦飯を炊いている間、4つで102円という特売の生のメンチを少量の油を
引いたフライパンで「油焼き」して見切りで30円となったキャベツの
表の数枚を矧いで刻んでソースをぶっ掛けて食した。

久々の揚げ物は美味いな♪ソースを掛けた千キャベツ自体もご飯の
おかずになるから、どんぶり山盛りの炊き立て麦飯が進む進む(^◇^)

原料費と調理に使ったカセットコンロのガス代と電気釜の電気代を
足しても今回の夕飯は200円くらいで済んでるはず。日常の夕食と
比べるとちょっと高め&贅沢な夕飯だったが、いつもはもっともっと
安上がりな夕飯を食ってるから、一週間に一度くらいはこんな贅沢で
腹いっぱいの夕飯を食っても、貧乏の神様も許して下さるだろう(-人-;)

今のペースでいけば今月の食費は昼飯込みで8000円とちょっと、
になりそうだ。先月のそれは7300円だったから残念ながらそれを
越してしまいそうだが、自分に課した一日の食費は300円以内、と
いう上限値だけはクリア出来そうだ。

自炊は本当に楽しいよ♪、一人暮らししているなら自炊しないのは
実にもったいないぜぃ。

ん?ナニ?「自炊するだけの時間がない」?「面倒だ」だぁ?

こうやってネットを見てる時間を少し削れば米を砥いで、サバを焼き、
しかも流しの洗い物すら綺麗に片付くぞ。どうしても米を炊きたくない
のなら、麺類や食パンなんかの見切り品を買えばいいのさ♪

 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.05.10

たった2cmで得られるもの

乗り物貧乏な自分は今現在でバイクを8台、車を2台持っている。
嘘じゃない、実話だ。

その車の一台、1999年式の富士重工製レガシィB4-RSKは
離婚して一人暮らしが始まった時にその記念(?)というかそれまでは
バイク一辺倒だった今までの生き方とは何か違う、全く新しい
生き方をしたくて、知人から譲ってもらった生まれて初めて所有した
「普通車」だ。もう一台の車はバイクを載せ運ぶための軽1BOX車。

B4は一見、単なる4ドアセダンだが、水平対抗4気筒DOHC4バルブ
ツインターボから捻り出される280馬力を5速マニュアルシフトを介し
フルタイム4WDシステムでアスファルトに叩きつけて走ると下手な
スポーティーカーよりも速い!…が日本の公道を走るには過剰過ぎる
乗り物だ(^^;)

よってその伝家の宝刀たるツインターボをヒュンヒュン唸らせ飛ばす
事よりも、MT車ならではのコマめなシフトでエコラン(低燃費走行)
する方が多い。最近は街乗りで9.5km/Lほど走る。ハイオク車なので
もうちょっと走って欲しいが頑張っても10km/L台がどうしても出せない。
高速道路なら余裕で12km/Lで走るんだけどね。

その車は腰痛予防のために、運転席をレカロシート(SR2)に交換済み。
先日、そのシートの背もたれがガタ付き始めたので一度車から降ろし
点検してみた。

調査の結果…これはレカロには良くありがちな現象らしい(^^;)、
でも我慢出来なくて助手席用に入手してあったが装着せずに
部屋で座椅子になっていた全く同じレカロシートと入れ替えた。
そちらはガタつきもなく快適な座り心地なのだ♪

その際、シートの取付位置を調整し車の中心寄りに2cm寄せて、
そして5mm上げた。なんでそんなことを?それは運転中の視界を
少しでも広く確保したかった
から。

基本的にバイク乗りである自分が車に乗って走ると、気になって
仕方ないのが右前方にあるAピラー(フロントガラスとドアの間にあり
屋根を支える柱)だ。バイクの運転では視界にこんな邪魔モノはない。

右ハンドルの四輪車は左側の視界は良いのに、右側は目前に
Aピラーがあり一般道の交差点右折時はもちろん、夜の山道を走る
右コーナーリング中にはそれは危険なまでに視界を遮る邪魔な
存在として立ちはだかる。

だから今回シートを外したついでに、社外シートレールの調整幅を
ギリギリまで使ってシートを車体中央に寄せて、さらにワッシャーを
カマしてシートの位置を上げた。微々たる移動量だったがそれにより
得られた視界は当初の予想を裏切るほど広くなっていた。よしよし(^^)

ん?そんな移動量では大した効果は無さそうだって?

仮に座席の位置を変えずに頭をそれだけ動かしてみてもたった
数cmの調整で得られた視界の広がり感は体感出来ないと思う。
だが、交差点で右折するときに、右の横断歩道を渡る人を目視で
確認する時に自身の身体が動かせるギリギリまで頭の位置を
中央に寄せて目視確認した時に、さらに2cm視点を左に寄せる事が
出来る、とすればどうかな?

そう考えればこれにより得られた視界の広がり感が想像出来る
…かもしれない。

この調整の結果シートに座った体の中心とステアリング軸の中心が
微妙にズレた。だが言われて初めて気が付く、というレベルであり
実用上何も困らない。一般的に四輪でスポーツ走行をするような人は
ハンドルの軸とペダル類の中心とシートの中央が一致するように
シートを調整するのが普通だろう。そしてシートの座面も下げる事で、
低重心化するのがセオリーだと聞く。

でも自分はこの車を使ってコースでレースをするわけじゃない。
もっと過酷で危険が一杯の「一般公道」を走るのだ。
だからそんなことより視界を確保するほうが優先順位は高い。

公道走行ではサーキットでコンマ何秒のタイムを削るような改造は
全く必要無い。何よりも大切なのは規定空気圧に調整され山のある
正規サイズのタイヤ、良く効くブレーキ、綺麗なフロントガラスと
水捌けの良いワイパー、、明るいライト、道路交通法で定められた
正しい色のテールランプやウィンカー類、そして突然故障しない為の
日頃のメンテナンス・・・だ。

職業レーサーではなく、趣味として乗り物を楽しむ場合に一番大切な
事は、公道や峠道や林道、サーキットやMXコース等のクローズドの
コースであっても「速く走る」ことじゃなくて、「楽しく走る」、
…これに尽きると思うのだ。

どんなに遅く走っても、本人が楽しめれば走る意味があるが、
どんなに速く走れても、本人が楽しくないなら何の意味も無い。

交通事故は、乗り物に乗っていて、最も楽しくない出来事だ。
何度も経験して、痛い目にもあったし、自身が救急車で病院に
運ばれた事も、友を失い、泣きじゃくった事もある。だからこそ、
事故だけはしたくない。

少しでも視界が広がる事で、僅かでも確実に安全性が高まるので
あるならばジャストフィットするポジションより、低重心化より、
と言うか、何よりも、そっちの方が最優先に決まってるじゃん(^^ゞ

…それに、それとは別に副産物的な別の効能もある。それは
車でデートする時には隣にいる彼女の肩を2cm近い位置で抱<ばき

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.09

モノの価値と人の価値観

ライフコストをギリギリまで削る自分も乗り物にはコストをかける。
その結果,この数ヶ月は車検&レストア&自動車税で貧乏だ(^^;)

その莫大な出費の、少しでも足しになるようにと、最近手持ちの
物品をヤフオクで売却している。どれも大した品ではないので
数千円になればだいぶ助かる。

だが、最近出品したバイクパーツは、既に絶版で入手が困難という
かなりレアな品だったので、ちょっと高めのスタート価格にしてみた。
そのまま一週間が過ぎ、終了寸前になったとき、様子を見てみた。
するとそれは自分の想定していた価格をちょっと超えてた。ラッキー!

目標を達したので、その後PCを立ち下げ、別の用事をこなしてから
再びPCを立ち上げて、オークション終了の案内メールを受信して
それを見てみた…その終了価格は、さっき見た額の3倍近かった!

うわっ、たった数十分で、こんなことになっているとは!
新品当時の価格を遥かに超えた凄い額になってるじゃん。
もう入手出来ないデッドストックだからプレミア分が乗ったようだが、
一見すれば単なる鉄の塊にしか見えないそれが*万円になるとは、
ちょっと、いや、かなり驚いた。

需要と供給の関係ってのは不思議な、そして恐ろしい物で、
どうしても欲しい、と思う人がいればその値段はどんどん上がる。
またその逆もある、最高級の材料を使って、最上の技術を持って
作られても誰も欲しがらなければ値段はつかない。

例えば、単なる不便そうなハンドバッグに怪しいマークがついて、
どこにでもありそうな模様が付くだけでブランドというプレミアがつく。

そして中学生が体操服を入れるスポーツバッグと大差ない機能の
ダセェかばんが数万、十数万、はては数十万のプライスタグをつけ、
綺麗に飾られ売られる。

それを目指し、目を血走らさせたOLらが道に落ちてる飴玉に群がる
黒アリのようにその店にきて、正気を失い熱病にうなされたように
カウンターに札束を叩き付けてそのカバンを手に入れ満足げにしてる。

果たしてそのカバンに一体どんな何を入れるというのだろう?
少なくとも、そのカバンの値段以上の物を入れることはないのだろう。

それでも、その模様の付いた、独自マークの留め金付きの学生カバン
程度の代物に何らかの価値を見出す(植え付けられてる)人がいるから
こそ、そういう商売は成り立つ。その異様さは完成度の高い美少女
フィギアが数十万で取引されるのに良く似ている。
そう、特殊なマニアの領域が理解出来る人だけはそんなモンに
大枚を注ぎ込む価値を見出し、そしてそれを実際にやってしまうのだ。

俺が売ったパーツは、そういった人種からしたら単なる金属片にしか
見えないだろう。それを数万円で売買する、という事が恐らくは全く
信じられないに違いない。

でも、俺は同様にブランド品のカバンや靴を買い漁るオタクなOLが
理解できないし有名作家が作ったHな美少女フィギアを高額で売買する
マニアの心境がわからない。

このように相互理解ってのは極めて難しい行為だ。大体それが出来ずに
争いが起こる。でも相互『相似』理解っていうのは、実はそんなに難しい
ことじゃない。気に食わない相手の行為を、似たような自分の何かの
行為に冷静に置き換えてみれば、それで気付くことは少なくない、

…な?そうだろ?(笑)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.08

本当の贅沢とは?

一応35歳の中堅サラリーマンともなれば、金が無いわけではない。
バツイチとはいえ、残念ながら子供もいないから養育費の支払いの
義務も無い。車もバイクも全て即金で買ってるから借金も一切無い。

だけど、無駄使いが嫌いだ。いや、嫌いじゃないな、使うときはは
ドカン!と使うから。

じゃあ何か?それは俺の職業でもある研究開発の蟲、技術開発魂、
とでもいうか、日常でも知恵を使って、創意工夫をして、遊びたい、
・・平たく言えばそういうことだ。

幸か不幸か、いや間違いなく不幸だが、一人暮らしを余儀なくされて
はや一年、誰にも遠慮なく、自分が思うように生きてみれる貴重な
チャンスを俺は得た。だから普通の人から見たら不可解と思えるような
生活をしてみてる。

例えば庭を耕し、芽吹いたジャガイモを植えてイモ畑を作ってみたり
太陽が燦々と照っているときに黒く塗った一斗缶でシャワー用のお湯を
作り、太陽電池パネルでバッテリに充電して夜の電力の補助としたり・・
こういう「遊び」は所帯を持ってたら連れ合いが納得しない限りとても
できっこない。

そして最近非常用に買っておいた(本当はY2K問題時に起こった
ブームで買ってしまった)七輪を使って夕飯を作るチャレンジを始めた。

七輪の燃料は木炭だ。木炭は一番安いところで3kg180円。
これは今のメインの調理熱源たるカセットコンロ3本195円よりも安い。
火力としては比較にならないほど木炭のほうが高い。
・・・ただし手間も比較にならないほど面倒だが(^^;)

だがアウトドアを一通り嗜んだおかげで木炭の取り扱いには慣れてる。
着火するまでが大変だが着火してからも吹き竹で火力を調整して調理、
昨日はホッケを焼いてみたが、ガス焼きより遥かに美味い!たまらん(^^)

そしてそれが終わった後の残り火にヤカンをかけお湯を沸かし、茶を飲む。
ついでにその時アルミホイルで包んだサツマイモを七輪に入れておけば、
お湯が沸く頃に電子レンジで蒸したのとは比べ物にならないほどに
芯まで熱が通り、甘くなった最高のデザートも出来る。

ちなみにあまり知られていないが、木炭は二酸化炭素を排出しない。
いや、これは嘘だが、厳密には正解だ。薪を燃やしたり、木炭を使うのは
自然の木々がここ数十年の大気中の二酸化炭素を固定したものを、
また放出しているだけ、だから実は二酸化炭素バランス上は±ゼロだ。

今、二酸化炭素を増やしてるのは石油や石炭といった化石燃料の燃焼。
これは太古に固定された二酸化炭素を今の時代に放出している。

今は、ツマミをひねればガスに点火したり電磁調理器具がonになる。
無茶苦茶便利な生活だと思う、でもその便利さは過去の貯金を小出しに
使ってる状態。つまり「赤字」だってことに、多くの人は気が付いていない。

大昔の人たちは薪をくべたかまどや囲炉裏で生活していた。
ちょっと前の人たちは七輪に煉炭を入れて煮炊きしていた。
今と比べればたしかに不便だがこれでも人は生きてきた。
当時の彼らは今と比べて不幸だったのか?心も貧しかったのか?
・・それは違うな、絶対に。

今だって、人は薪や七輪で生活する事だって出来るんだよね。
問題はそれを面倒がるかどうか、と言う心の壁だけだと思う。
ウチワで火の点いた木炭を扇ぎながら魚の焼ける香ばしい香りを
満喫しながら七輪の炭火で焼いた魚の美味さは、その心の壁を
破壊するだけの力がある、・・・と、昨夜炊きたてのご飯とその
ホッケを頬張りながら思った。

「贅沢」ってのは、ただ大金をはたきブランド品や宝石を買ったり、
フォアグラやキャビアや霜降り牛をカネを払って買えば得られる
もんじゃない、こんな些細な事で心置きなく満喫できる事なんよ(^^)
#ちなみにかかった光熱費(木炭代)はたった十数円♪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.06

とりあえず作ってみた

元々自前のHPで既存のBBSを使って日記みたいな物をつけていた。

で、新しいシステムを使ってみようか、という事で試しに登録してみた。
こっちのシステムがいいのか、それとも既存のでも十分なのか・・

まあやってみないと分からんから、とりあえず一歩進んでみよう(^^)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

トップページ | 2004年6月 »