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2004.06.02

貧乏はなるものではなく楽しむもの

…などと書くと本当に貧乏な方からは怒られそうだが、それが本質だろう。

でも「貧乏」はどういう定義で規定されるのか実にあいまいな言葉だ。
逆に誰でも宣言さえすれば「貧乏」という肩書きを手に入れられる。
つまり「自分は貧乏だ」と思った瞬間に、その人は「貧乏」って事だ。

理由もバラバラ。コンビニが捨てた賞味期限切れのゴミを漁る人もいるし
最近流行りの薄型TVやDVDレコーダーが今すぐ買えないから、と言う人も
いるだろう。つまり、自分の理想とする生活から乖離した生活を送らねば
ならない理由が経済的な事情である場合に「貧乏」という表現を使っている。
(この事情が経済的欠乏ではなく心理的充足欠乏の場合は「不幸」という)

これはある意味で、気の持ち様でどうにでもなる、という事でもある。
貧乏を脱したいと思ったら、「自分は貧乏じゃない」と思えばそれで終わり。
つまり「貧乏」という言葉を何らかのネガティブな意味合いで使ってるのなら、
ポジティブシンキングで一発で解決できてしまう。

なぜなら、今の日本で「本当に貧乏」な人は多くないからだ。

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日本で生活保護を受ける人間の一ヶ月の支給額は十数万円だと聞いた。
自分の実体験に基き断言するが今の日本で人一人が健康で文化的に
生きる為には毎月10万円もあれば古くても清潔な住まいを借りて、太る
ほどに腹一杯食えて、その上で貯金だって出来る。

もし、それらが出来ないからウチは貧乏だ、と言う奴がいたら
それは「貧乏」じゃない。「現実を直視しない単なる愚か者」だ。

収入が30万円で暮らしていた人間が事情で10万円しか収入が得られ
なければ、10万円で暮らせる生活をすればいい、これで全てが解決。
それなのに30万の収入で暮らしていた時と同じ生活をしようとして、
でもそれが出来ないから貧乏だと言うのは根本が間違っている。
無論いつも10万で暮らしている奴が30万の暮らしを羨んで自分自身を
「貧乏人」と卑下するのもおかしな話だ。

30万円の暮らしには30万円なりの生き方がある。
10万円の暮らしには10万円なりの生き方がある。

こんな簡単な事が理解も実行も出来ないから収入が低くなり苦しいと
言いつつ、今までの家に住み続け、燃費の悪い大きい車のローンを払い、
外食とか海外旅行とかもしたい、と矛盾極まりない行動しながら愚痴が
出てくるのだ。

自分の収入に対して見合った以下の暮らしをしていれば裕福だし、
自分の収入に対して見合った以上の暮らしをしていれば貧乏なんだ。

たしかに、生活している場所によってコレ以下はどんなに生活レベルを
下げても暮らせないという限界点はある。例えばホームレスの人達は
空き缶拾いなどで月収1〜3万という話を何かで見聞きしたことが有る。
でもそれでも彼らは生きている。限界点とはそれ以下だともう食えない、
ここまで落ちたらもう回復できない、つまりあとは飢えて死ぬしかない、
という下限値、それを下回ってから飢えて死ぬまでの時間、その状況が
本当の意味での「貧乏」だと思うのだ。

幸か不幸か、自分は現代の日本で生まれ育ち、その下限値を体験した
事が無いから、その悲惨さが分からないが、でも「お前は毎月1万円の
収入で生きていけるか?」と問われたら即座にこう答えられる。

 ino :「飢え死にだけはしないで生きてみせてやるよ」

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だが現代用語の「貧乏」が意味するものはそれと違いかなり軽い意味だ。
仕方なく(または自ら率先して)何れかの理由でカネを使えずに(使わずに)
暮らす事だと認識している。つまり、もう絶対に浮上できない、死ぬ寸前、
ではなく、継続しうる生活レベルだ、って事だ。

だからこそ、これを悲観するようなネガティブシンキングじゃダメだ。
自分に課せられたシチュエーションを、生きる為のレギュレーションとして
その枠内で如何に楽しく生きれるかに挑戦して楽しまなきゃ損なのだ(^^)。

これは生活を掛けた真剣勝負、こんな高度に知的で、実益を生み出し、
自分の生き様をこれほどまでに表現できる「ゲーム」は他にめったに無い。

バカいうな、ゲームなんかじゃない、ふざけるな!という人もいると思う。
養うべき家族がいる、払わなければいけない住宅ローンがある、とかね。
…でもそういう人はやっぱりまだ全然現状把握をしきれていないよ。

本当に苦しかったら家財を手放し、狭いボロアパートにでも引越して、
車を手放して自転車に買い換え、夫は終業後に深夜までバイトして、
妻はフルタイムで働き、子供は公立校、そして義務教育終了後は
高校に行かず、一家総出でその生活費を稼げよ。

それをしなくても生活できるのなら、まだ本当に苦しんでなんていないよ。

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実際,自分の周りにも一見すると貧乏暮らしをしている人たちは多い。
だがそれは単に裕福そうな暮らしをしていない、というだけであって、
飢えて死にそうなまでになっているわけじゃない。逆に裕福そうな
暮らしをしていても実は借金の塊のような人だっている。

つまり、生活して、食っていけて、生きていけるなら「貧乏」じゃない。
低収入にトントンで見合った暮らしをしている人は決して「貧しく」ない。
逆に無計画に借金やローンを組み、必死に背伸びしながら実力以上の
ハリボテを作りそれをどうにかして保とうとしている人は外観はどうあれ、
間違いなく「貧しい」と思うのだ。

おっと、ちゃんと自分の実力と未来を計算して、借金出来て、それを
完済できる人は、それとは違うよ、「貧乏」という知的ゲームを上回る
リスキーで高度なゲームのプレイヤーにして、勝者だ。

結局のところ、見た目では貧乏か裕福か、幸せなのか不幸せなのか
なんて分からない。サイフに金があっても、心が貧しい人があまりに
多いからね、今の日本は。

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今の自分は俗に言う「貧乏生活」をしているが、これは本来やる
必要の無い「貧乏」だ。だって専業主婦と子供二人くらいと住宅
ローンを払って暮らせる位の収入が独り暮らしなのにあるからね。

だけど自分はそういう暮らしを目指していながら途中でそれを失い
暗中模索の結果、それまでに無い新しい生き方、「真の豊かな
暮らし」を求める過程で流れ着いた生き方としての「貧乏」を、
試して、楽しんでいるだけに過ぎないのだ。

でも、やってみたからこそ思う。貧乏は卑下することじゃない。
逆に誇ってもいいくらいだ。

最近知った「貧乏真髄」の著者のHPを見ると面白い。

彼の日々の生活は自分と似たような思想で行われておりその
生き様が面白い。その彼の月収は大体8万円らしい。その*倍の
給料を得ている自分は彼と比べてその倍数だけ豊かだとはとても
言えない。明らかに彼の方が豊かに生きている。実生活も、心もね。

まだまだ修行がたりない。貧乏道は底無しのように奥が深いのだ。

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・・などと分かったような事を言いながら自分は以前の自分の立場と、
最近の自分の立場の落差が自分の中でまだ完全に認め切れない。
だから、今の自分を過去のと比べてしまい、「ああ俺は不幸だ」と思う
事がある。

でもこれは上記のような「貧乏」「裕福」を「不幸」幸福」と置き換えて
同じ発想で考えれば大きな間違いだと気が付くのだ。

独身者には独身者の、夫婦者には夫婦者の、家族持ちには家族
持ちの、そして中年バツイチ男には中年バツイチ男なりの、つまり
俺には俺なりの、…ふさわしい生き方が、充実感が得られるだろう
生き方が、きっとあるはずだ。

貧乏生活とそれによって得られる心の豊かさ、生活技能の向上には
そのためのヒントがあるような気がして、仕方ないのだ。

 

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「節約生活(家計)」カテゴリの記事

コメント

大変感心しながら読みました。頭のいい方だと思います。同感する点が多く、今後ともよろしくお願いします。リンクさせて頂きますのでご了解をお願いします。ちなみに、私は57歳で例のバクチ(株・為替)で貯蓄の全部をアッという間にさらわれたアホな貧乏まがいです。心の支えをありがとう。

投稿: y-iki | 2006.07.08 21:59

y-ikiさん:

2年以上前に書いて今まで誰にも見向きされなかった
古いネタにコメントを頂けてちょっと驚いてます、
どうもありがとうございます(^^ゞ

ネットにおけるリンクは基本的に自由なモノと思って
いますので当方が了解するもないもないですよ(^^)

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残念ながら自分は頭は良くないし(良かったら離婚せずに
済んだでしょう)、ここで展開しているような単なる俗物の
域を出ない「偏屈な人間」ですが(笑)、そのみっともない
ボヤキで良かったら、たまに覗いてみてください(^^ゞ

 

投稿: ino | 2006.07.09 02:44

リンク許可をありがとうございました。

リンクページは建設中の下記です。

http://homepage2.nifty.com/pop/index.htm
http://popstory.cocolog-nifty.com/dode/

私も25年間の結婚生活でのバツイチで、家族崩壊、子供達にも見捨てられ、当時の商売で500万、その後の嫁のサラ金で500万、そして今度のバクチで500万を捨ててしまったバカな貧乏を運命的に背負った57歳です。

死も検討しましたが、生まれたばかりの小さな捨て猫を二年前に拾ってしまった関係で、その黒猫と二人で会話をしながら晩ご飯を食べている今の私には、子供のように優しくて体温が暖かいこの黒猫を見捨てて逝く訳にもいかないのです。

貧乏というものに正面から対峙しようかなと思っていてあなたのブログに出会い、嬉しく励ましを受けました。私のココログのタイトルは「どうで死ぬならひと踊り」です。のぞいて見て下さい。ありがとうございました。気が向いたらまた便りします。

投稿: y-iki | 2006.07.09 20:56

y-ikiさん:

色々とご苦労されたようですね、でもその経験は
きっとy-ikiさんというお人を形作るかけがえの無い
誰にも真似出来ない貴重なモノだと思います。

自分も知り合いを数人自殺で亡くしていますので
その重みはよく判ります、でもその理由が貧乏なら
それで自殺するほどバカらしい事はありません。

だって、死のうとしている人はどんなにカネを積んでも
カネでは買えない「命」とそれが生み出す「時間」を
持っているんですから。

これはどんな大富豪でも自分のような庶民でも全く
同じ命ですし、その一秒の長さは同じです。彼らが
もう一つ命が欲しい、もう少し時間が欲しい、と
財産を全て投げ捨てても絶対に買えないものをその人は
持っているのに、たかがカネ程度でそれを失うのは
本当にバカらしいです。

カネなんて無くても堂々と生きてやればいいんです(^^)
それだけで無限の可能性と、無上の価値がありますよ。
そこらへんの土で野菜を育ててみると、それがもっと
リアルに実感ますよ♪、食費も浮きますし(^^ゞ<ばき

そんな命あるものと暮らすのは気持ち的にも生き甲斐
的にも、とてもいいことだと思います(^^)。

自分にも愛猫がいるのですが、今の家では一緒に
暮らせないので、実家に預けて、今は近所の川で
取ってきたザリガニと家の前で拾ったザリガニと
一緒に煮干しを齧りながら暮らしています(笑)

…自分の持論なんですが、人生にやり直しって無いと
思うんです、目前にある、進むべき道は常に新天地、
過去とダブるようなデジャブーはあっても、そこは
以前のそれとは違う、新らたな道なんだと思うのです。

そこに進んで行くために必要なのは命と、先に行こう、
もう一歩進んでみよう、という気持ちだけです。
それに、カネは殆どいりません(^^)/

以前目指していた方向と違ったって新天地だと言う
事に変わりはありません、さあ!ワクワクしながら
「先」に進みましょう!

 

投稿: ino | 2006.07.10 20:25

たかさんことわたしも同感です。たかさんも一度は日本という国の普通の暮らしというものをせっせとやっておりましたが、とある事情で社会から転落し、貧乏暮らしをやっております。
日々感じることがあります。人として本当の幸せを求めるにはお金じゃないってことです。人生は一度しかありません。そのかけがえのない1分1秒を意味のない喜びのないことに使うのはなんて愚かなのでしょう?人生の1/2を過ぎたころにやっと気づきました。今の時代お金は随分と幅をきかせておりますが、あんな紙切れ生きていくのに何の役にもたちません。せいぜい鼻をかむ程度には使えるが・・・しかし、文明社会に生きるたかさんにとってやはりお金はなくてはなりません。でも必要以上に集める必要などないんです。明日生きているのかもわからないのに・・・今日一日が無事に過ぎ、明日を期待して眠ることができばそれで十分ではないでしょうか?皆が早くそのことに気づいて実践していけば、本当に豊かな社会が訪れることでしょう。

投稿: たかさん | 2008.06.25 13:30

このところドタバタしていてコメント返しが遅れました(^^;)

たかさん:

コメントありがとうございます(^^)

もう四年も前に書いたネタですが、今、自分はこの真逆に
近い自分の人生や時間を会社に切り売りするような生活を
送っているので、反省にも似たしみじみとした物すら感じます。

チャランポランでスチャラカなサラリーマンだった自分が
気が付けば現場の第一線で過労死に怯えながら働いている、
と言うのは傍から見れば人間的成長なのかもしれませんが、
自分的には退化というか…劣化というか…、成す術もなく
転がり落ちて、流れ着いた、という感覚かもしれません(T_T)

------------

重責を担ってる仕事は確かにやり甲斐もあり、それに対する
リターンもそこそこ?のものがありますが、それで失って
行くものの方が、この頃の2倍以上になった銀行口座に
振り込まれる給料で贖いきれない程、沢山あるような
気がします。

------------

ただ、今思うのは、かつて自分がスチャラカでいられたのは
その当時にこうやって命を削って働いていた人が自分の上に
いたって事なんですよね。

どうやらそれが廻り回って今自分がこのポジションに
着いた
、という事なのかな?、と。

例えるならば、「かもめのジョナサン」の最終ページにおける
フレッチャーの心境に近いかもしれません。

幸か不幸か、今の自分にはそれで失うものが自分個人の
シアワセしかありません。…そう、悲しいかな自分以外
誰も困らないんですよ(^^;)

ならば今までの恩返し(+これからの老後の生活のため)に
身体と心が壊れない範疇で、今しばらくは今のペースで
働いてみようと思っています。

きっと今の自分の仕事で出た稼ぎで今はヒヨッコである
若手の中にかつての自分と同じように生き方を暗中模索
&試行錯誤するような第二、第三のinoがいるだろう、と
信じて(^^)
 
以下、かもめのジョナサン最終頁から抜粋

無限なんですね、ジョナサン、そうでしょう?

そんな今の役目を終えたら自分も「次のステージ」へ
行って、この頃に培った感覚や技能と、現在の過労の糧と、
そしてその頃にしか出来ない「何か」を使ってゆっくりと
シアワセを探してみましょうp(^^)q

それは意外と遠くない未来かもしれませんし(^^)<ばき

 

投稿: ino | 2008.06.29 12:34

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