憧れの小遣い制
TVニュースを見てたら「サラリーマンの小遣い」なる特集があった。
妻子持ちで住宅ローンを抱えている自分より少し上の歳のダンナが
毎月の小遣いを2〜3万を貰って日々やりくりする、という話だった。
その少ない小遣いの中から息子にサッカーのスパイク?を買ってやる
父親や、子供4人の教育費に圧迫されて小遣いが少ないと笑いながら
語るダンナがそこにいた。
自分のような人生裏街道驀進組から見れば、そんな彼らは、率直に、
正直に、「実に羨ましい存在」だと思う。なぜなら彼らは間違いなく
「幸せ」だから。
、
もし今の自分が同じような境遇だったらその小遣い制という厳しい
制限の中で持てる知恵をフルに働かせ…毎月少しずつヘソクリした
だろうな。 f(^^;)
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いや、そんな事はない、一人暮らしの方が自由になる金があって
いいだろ、という人も中にはいるだろう。でも、自由になる金がある
はずの一人暮らしは家計簿をつけてみたら、「自由になる金」なんて
一円も無い事に気付くはず、自分の買った物をすべて容赦なく記録、
集計してみるとそれが分かるはずだ。
金を使える事は使えるけど比較検討無しで使える「自由な金」は
無くてネコガム一個買うのすら「自分が生きてゆくための金が入った
サイフ」=「家計」から出ている事に。だから全然「自由」じゃない、
完全に管理された金なんだ。
このように一人暮らしで家計簿を始めると今まで漠然と使っていた
使途不明金たる「小遣い」という費目がいきなり消滅するはずだ。
もし無くならなければその家計簿は意味が無い、と断言してもいい。
一人暮らしの小遣いは、「逃げ」の費目だから。
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それに対し、通常サラリーマンの小遣いというのは家計中で毎月
定額出費される。そこからの支払いの内訳は一家の家計簿には
一切記録がされない・・はず。
例えば今日、小学生の子供に毎月の小遣いを500円やったり、
サラリーマンダンナに毎月の小遣い20000円を支給したりすると
その家庭での家計簿上はこう記録されるはず。
2004/07/28 子供小遣い: 500円
旦那小遣い:20000円
この金はこの後もらった者がどう使おうと一向にかまわないのだ。
しかも多くの場合、仮に余った場合でもそれを家計に返金したりは
しないだろう。
つまり、「家計管理から外れた、制御不能な固定の出費」、 それ
こそが「サラリーマンの小遣い」だ。その内訳を把握し、コントロール
出来ないから世の中の奥様方はそれを総額でしか見ない(見えない)、
それが仮にダンナにとって必要経費だとしても。
だから家計が苦しいと抑制対象となるのも無理はないわな。
そうされたくなければ、内訳をちゃんとカミさんに公開し、なぜ
必要なのかちゃんと説明すればいいのに,と思うのだが、主婦と
サラリーマンでは価値観が違うから、かえって削減されてしまうの
がオチだろうな(苦笑)
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ちょっと話がズレるが、人様の家計を診断するフィナンシャル
プランナー(FP)という職業がある。とあるその人が、とある所で
独身一人暮らしの理想的家計バランスを挙げていた。
そこを見たら不思議な事に気が付いた。自分のそれとは
えらく違う事に。いやいや違う違う、そんな事は分かっている。
そうじゃなくて、なぜか「小遣い」という費目があるのだ。
一人暮らししていると、収入を得るのも、管理するのも、使うのも
一人だから「小遣い」という自分以外の誰かに管理を任せる費目は
ありえないはずなのに。
家計簿をつける目的の一つが、そういった使途不明金を洗い出す事
だからそこに使途不明金としての「小遣い」を設定する自体が矛盾
している。どうしても費目訳したくなくて、家計簿に明細もつけたく
ない支出が、例えば「エロ雑誌 35円」とか「コンドーム1050円」
とかのえらく生々しい出費が記録されていても全然かまわない(笑)
何が何でもヤバいなら、本人だけが分かる隠語を使えばいいのだ。
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それに対しサラリーマンの旦那が小遣い制で家計はカミさんに
握られている、という「ジャパニーズスタイル」は、稼ぐ旦那が自由に
使える金が少なくて情けないようで、実は夫婦二人で運命共同体と
しての「共生関係」を作る
ためには良いと思う。
二人のベクトルが同じ方向を向いていれば、小遣いが少なくたって、
家計のやりくりが大変だって、夫婦で、家族で、協力しあえれば、
そんなものは全然苦にはならないだろう。逆にかえって共通の目的に
対する結束力を増すはず。
自分はそれらが築けなかった。だから、それが出来てるTVニュースで
出てきたような「小遣い制のサラリーマン」が羨ましい。自分程度の
男では不可能だった「夢の舞台」でトホホなサラリーマンを、実は
ただ演じているだけの正真正銘の「憧れのスター」だからね(^^)
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他にTVやNETを見ていて思うのは、そういう円満な家庭に居るダンナ
だけでなく暴力ダンナ、浮気ダンナ、連れ子虐待ダンナ、借金ダンナ、
マザコンダンナ、ヒモダンナ、ネットやゲームに没頭ダンナ…様々な
「ダメなダンナ」がいるって事だ。
あーあ、どうしようもねぇなコイツら、と思う反面、俺はダンナとして、
男として、というより一人の人間として、そういう連中以下の存在で
しか無いんだ、と気が付いて、己の不甲斐なさを思い知らされる。
なぜならば、彼らのような連中ですら、何らかの絆によって離婚
せずに「ダンナ」で居られるのだ。自分は彼らのような事は一切
しなかったが、仮にそうであっても総合的に判断して人として男と
して、そういった彼ら以下の存在価値しか無いから、こうやって
バツイチ男として一人で生きてるのだ。
よくある格言として、「終わり良ければ全て良し」ってのがある。
人生もそうだろう。そして、もしそれが成立するならば、転じて
「終わり悪ければ全てが悪い」も成り立つ。よって、結婚生活を、
前述のような男達ですら継続出来るのにそれが出来ずに終えた
バツイチ男の自分は、ダンナとして、男として、後者で確定済。
・・・ちっくしょう、三段論法が完全に成り立ってやがる(^^;)
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でも、これが自分という人間の「過去」と「現実」と「限界」なんだ。
もう自己弁護しないで、それらから逃げずにちゃんと直視しないとね。
それでも自分はまだ生きている。それには必ず何か意味が
あるはずなんだ。本当に何からも不要だったら、あの時に消えて
無くなっていたに違いない。でも、今もなお自分はここに「在る」。
・・・・なぜなんだろう?
今までの人生は自分が何者なのかを把握するために有ったような
気がする。そしてその結果は出た。そんな自分がなぜ今もなお
「在る」理由ってやつをいつかは見つけたいもんだ。
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