ガンよりも寄生虫でありたい
現在は関東の住まいを離れ、某原発の近くにある会社の寮で暮らしている。
留守宅である自宅の庭は、住宅地の中としては「プチ自然王国」だと思う。
野菜の葉っぱを噛るバッタは大型のショウリョウバッタ、チキチキバッタ、
小さいオンブバッタ、夜になると気持ち良い音色を奏でるエンマコオロギ、
もっと小さい蟋蟀(コオロギってこんな漢字なのか、読み書き出来ん(^^;))
その他の昆虫も多々存在し、脊椎動物もカエル、カナヘビ、ヤモリがいる。
土を掘り返せばミミズやら何かの幼虫やらがモロモロ出てくる。
だが、さすがに今居る所はもっと色々な生き物がいる。
ここでは上記のような昆虫や動物達はザラにいる。それ以外でも例えば
昔は良く見たが最近はあまり遭遇しなくなってしまったオオゾウムシや、
オニヤンマ、黒い羽根でハタハタと優雅に飛ぶ、ムカシトンボのような
大きなイトトンボも良く飛んでいる。寮の近くの小川にはウグイらしき
小魚がわらわら居るし、夜は蛙が大合唱だ。うーん、なんか和むな(^^)
いい意味で田舎は凄いな、と思ったけど、どちらかといえば都会が変で
こっちが本当の姿、いやこれも人の手がたっぷり入っているから本当の
自然ってのはもっともっと、人間の想像を越えた凄さがあるんだろうな。
いつかはそれをこの目で見てみたいもんだ。
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で、本題。広い寮の敷地には公衆電話ボックスが一つ屋外にある。そこは
夜間も照明が付いていてガラス張りのそこは暗闇でクラゲのように見える。
近所の街灯もそうだが、そこはガラス張りだからなのか?そこの光に引き
寄せられた羽虫や甲虫が沢山やってくる。すると夜になるとソレを狙って
アマガエルが電話ボックスのガラスにぺたぺた張り付くのだ。アマガエル
自体は光に寄る習性はない、・・はず。つまり集う虫どもを喰らうために
透明ガラスにへばりついているのだ。
おお、たしかにここなら入れ喰いだね、カエルも知恵を使うんだねぇ(^^)
…と、最初は単純に関心していたが、最近その電話ボックスにコカマキリが
数匹集ってカエルと同じように羽虫を補食しているのを発見してちょっと
考えた。
これって明らかにカエルやカマキリの習性とは違う行動だ。
つまり、こいつらは夜間照明がつく電話ボックスに食という本能を
依存させつつあるのだ。
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人工的な明かりに寄ってくる虫は、本来は月明かりをビーコンがわりに
自分の位置を把握して飛ぶのだという。つまり自分の左側に無限遠にある
光源だと仮定出来る月を見るように常に飛べばまっすぐ飛べる。
でも電灯は月明かりよりも強烈に明るく、しかもずっとずっと近くにある。
だから虫たちはその光源の回りをくるくる回るように飛んで、渦巻き的に
だんだん中心、つまり光源である明かりに引き寄せられるのだという。
そんな習性を明かりで狂わされた虫たちを狙ってそれを補食する生き物が
集う。つまり暗やみに明かりを一つ灯しただけで、立派な「環境破壊」が
起きている。
この状態が繰り返されたら、生き物は柔軟に徐々に姿を進化させるだろう。
例えば光に近寄ると捕食されるという危険性を察知すれば光には頼らない
航法を身につける虫が生き残って行くだろうし、明かりある所だけでしか
生きられない「デンワボックスガエル」や「デンワボックスカマキリ」が
出現、そしてそれらを喰う大きい生き物がその明かりに集う…(-_-;)
あ、その前に公衆電話ボックスが絶滅危惧種だった(^^;)<ばき
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小石や小枝を道具として使う動物は人間以外にもいる。猿とかカラスとか。
でも扱いを一歩間違えれば破滅する「火」を操る生き物は人間しかいない。
かつて猿から類人猿に進化する過程で危険極まりない火をリスクを承知で
道具として使う事で、我々の祖先は暗闇に明かりを灯し、暖を取り、肉を
焼き、煮炊きをし、土を焼き、鉄を得て、今に至る進化を遂げた。その
過程で数え切れない悲劇を生み出しながら、それでも乗り越えて今がある。
命の襷が一度も途絶えた事が無いように、無数に繰り返された大小様々な
挑戦と無限に思えただろう失敗の繰り返しを糧に、その中でたった一握の
成功を足がかりにさらに新しい挑戦が繰り返され、その発明改善が続いた
果てに、いや恐らくは今後もそれが続く過程に、我々は生きている。
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そうして生まれた闇を照らす明かり、それは焚火だったり、松明だったり、
ろうそくだったり、ランタンだったり、白熱球だったり、或いは白色LED
かもしれない、その明かりが、自然である暗闇の中でたった一つ人工的に
灯っただけで、その回りでは何かが少しずつだけど確実に変わってゆく。
これは人間のように他の生き物にも環境適応能力がある事を表しているの
かもしれない。つまり、カエルやカマキリもかつての人間のように時代と
共に新しいチャレンジを試みているのかもしれない。人間も自然の一部と
考えれば、人工物は実は自然環境そのものとも言えるからだ。
でも電話ボックスよりももっと大きい影響を自然に与えているであろう、
その明かりの源で働く者の一人としては、灯火に集うコカマキリたちを
見て、人の手によって捻り曲がってゆく自然の一端を垣間見た気がして、
複雑な心境だった。
「地球にとって、自然界にとって人類はガン細胞みたいなもんだ」、と
誰かが言っていた気がするが、それがなんとなくだが分かった気がした。
ガン細胞は明らかにその人の人体組織から生まれる。でもそれは無秩序に
増殖し、微妙なバランスの上で成り立つ秩序ある生態組織を破壊する事で
その生体の命を奪って、その結果ガン細胞自身をも死滅させ自滅するのだ。
多くの人間は自分はガンなんかじゃない、と思って生きているだろうが
現実はこんなもんだと思う。当然自分もそのガン細胞の一つだ。だけど
せめて自分くらいは宿主(=地球)を殺さないで共生関係を持続させる
寄生虫のような存在でいたいもんだ<ばき
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