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2004年8月

2004.08.16

ガンよりも寄生虫でありたい

現在は関東の住まいを離れ、某原発の近くにある会社の寮で暮らしている。

留守宅である自宅の庭は、住宅地の中としては「プチ自然王国」だと思う。
野菜の葉っぱを噛るバッタは大型のショウリョウバッタ、チキチキバッタ、
小さいオンブバッタ、夜になると気持ち良い音色を奏でるエンマコオロギ、
もっと小さい蟋蟀(コオロギってこんな漢字なのか、読み書き出来ん(^^;))
その他の昆虫も多々存在し、脊椎動物もカエル、カナヘビ、ヤモリがいる。
土を掘り返せばミミズやら何かの幼虫やらがモロモロ出てくる。

だが、さすがに今居る所はもっと色々な生き物がいる。

ここでは上記のような昆虫や動物達はザラにいる。それ以外でも例えば
昔は良く見たが最近はあまり遭遇しなくなってしまったオオゾウムシや、
オニヤンマ、黒い羽根でハタハタと優雅に飛ぶ、ムカシトンボのような
大きなイトトンボも良く飛んでいる。寮の近くの小川にはウグイらしき
小魚がわらわら居るし、夜は蛙が大合唱だ。うーん、なんか和むな(^^)

いい意味で田舎は凄いな、と思ったけど、どちらかといえば都会が変で
こっちが本当の姿、いやこれも人の手がたっぷり入っているから本当の
自然ってのはもっともっと、人間の想像を越えた凄さがあるんだろうな。
いつかはそれをこの目で見てみたいもんだ。

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で、本題。広い寮の敷地には公衆電話ボックスが一つ屋外にある。そこは
夜間も照明が付いていてガラス張りのそこは暗闇でクラゲのように見える。

近所の街灯もそうだが、そこはガラス張りだからなのか?そこの光に引き
寄せられた羽虫や甲虫が沢山やってくる。すると夜になるとソレを狙って
アマガエルが電話ボックスのガラスにぺたぺた張り付くのだ。アマガエル
自体は光に寄る習性はない、・・はず。つまり集う虫どもを喰らうために
透明ガラスにへばりついているのだ。

おお、たしかにここなら入れ喰いだね、カエルも知恵を使うんだねぇ(^^)
…と、最初は単純に関心していたが、最近その電話ボックスにコカマキリが
数匹集ってカエルと同じように羽虫を補食しているのを発見してちょっと
考えた。

これって明らかにカエルやカマキリの習性とは違う行動だ。
つまり、こいつらは夜間照明がつく電話ボックスに食という本能を
依存させつつあるのだ。

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人工的な明かりに寄ってくる虫は、本来は月明かりをビーコンがわりに
自分の位置を把握して飛ぶのだという。つまり自分の左側に無限遠にある
光源だと仮定出来る月を見るように常に飛べばまっすぐ飛べる。

でも電灯は月明かりよりも強烈に明るく、しかもずっとずっと近くにある。
だから虫たちはその光源の回りをくるくる回るように飛んで、渦巻き的に
だんだん中心、つまり光源である明かりに引き寄せられるのだという。

そんな習性を明かりで狂わされた虫たちを狙ってそれを補食する生き物が
集う。つまり暗やみに明かりを一つ灯しただけで、立派な「環境破壊」が
起きている。

この状態が繰り返されたら、生き物は柔軟に徐々に姿を進化させるだろう。
例えば光に近寄ると捕食されるという危険性を察知すれば光には頼らない
航法を身につける虫が生き残って行くだろうし、明かりある所だけでしか
生きられない「デンワボックスガエル」や「デンワボックスカマキリ」が
出現、そしてそれらを喰う大きい生き物がその明かりに集う…(-_-;)

あ、その前に公衆電話ボックスが絶滅危惧種だった(^^;)<ばき

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小石や小枝を道具として使う動物は人間以外にもいる。猿とかカラスとか。
でも扱いを一歩間違えれば破滅する「火」を操る生き物は人間しかいない。

かつて猿から類人猿に進化する過程で危険極まりない火をリスクを承知で
道具として使う事で、我々の祖先は暗闇に明かりを灯し、暖を取り、肉を
焼き、煮炊きをし、土を焼き、鉄を得て、今に至る進化を遂げた。その
過程で数え切れない悲劇を生み出しながら、それでも乗り越えて今がある。

命の襷が一度も途絶えた事が無いように、無数に繰り返された大小様々な
挑戦と無限に思えただろう失敗の繰り返しを糧に、その中でたった一握の
成功を足がかりにさらに新しい挑戦が繰り返され、その発明改善が続いた
果てに、いや恐らくは今後もそれが続く過程に、我々は生きている。

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そうして生まれた闇を照らす明かり、それは焚火だったり、松明だったり、
ろうそくだったり、ランタンだったり、白熱球だったり、或いは白色LED
かもしれない、その明かりが、自然である暗闇の中でたった一つ人工的に
灯っただけで、その回りでは何かが少しずつだけど確実に変わってゆく。

これは人間のように他の生き物にも環境適応能力がある事を表しているの
かもしれない。つまり、カエルやカマキリもかつての人間のように時代と
共に新しいチャレンジを試みているのかもしれない。人間も自然の一部と
考えれば、人工物は実は自然環境そのものとも言えるからだ。

でも電話ボックスよりももっと大きい影響を自然に与えているであろう、
その明かりの源で働く者の一人としては、灯火に集うコカマキリたちを
見て、人の手によって捻り曲がってゆく自然の一端を垣間見た気がして、
複雑な心境だった。

「地球にとって、自然界にとって人類はガン細胞みたいなもんだ」、と
誰かが言っていた気がするが、それがなんとなくだが分かった気がした。
ガン細胞は明らかにその人の人体組織から生まれる。でもそれは無秩序に
増殖し、微妙なバランスの上で成り立つ秩序ある生態組織を破壊する事で
その生体の命を奪って、その結果ガン細胞自身をも死滅させ自滅するのだ。

多くの人間は自分はガンなんかじゃない、と思って生きているだろうが
現実はこんなもんだと思う。当然自分もそのガン細胞の一つだ。だけど
せめて自分くらいは宿主(=地球)を殺さないで共生関係を持続させる
寄生虫のような存在でいたいもんだ<ばき

 

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2004.08.15

だからスバルってやつは

我がセカンドカーの富士重工製のレガシィB4-RSK(GF-BE5A(5MT))は
マイナーな「スバル」ブランドだけあって絶好調!の時もあれば、
ベルトやリヤサス、果てはクランクメタルあたりから異音を立てて
みたりして、これはクレームで無償修理だろ、とか欠陥じゃねぇの?
と思う程にひでぇ事象に見舞われる事がある。

少なくともトヨタ車だったらば絶対に無いだろうというような事が、
「いやぁ、スバルですからねぇ」という台詞が出た途端に許されて
(収められて)しまうのだ。

単車乗りならこう比喩すればわかりやすいだろうか?

  「トヨタ=ホンダ」、「スバル=カワサキ」

つまり極論するならば可も不可もないのがトヨタ=ホンダとすれば
尖がっていて個性的だがダメダメな所もあるのがスバル=カワサキ

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単車のカワサキもマイナートラブルが信じられない程出てくるし、
「初期型は買うな」、とスバルと同じ格言で語られるメーカーだ。
確かに癖はある、でもそれを補って余りある個性がある製品がある。
自分も以前、そんな色々な「カワサキらしさ」がある単車に乗って
いた。

AR80、KLX292SR、GPX750R、再びAR80。これらは全部売れセンじゃ
なかった。つまりマイナー車。それらの全部で痛い目にあってるし、
どれも「すっ、すげぇ!」と唸らされた。

スバルは…それに勝るとも劣らないよ(苦笑)

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B4という車はハイパワーターボ&フルタイム4WDの4ドアセダンだ。
インプレッサWRXやランエボのようなお子様っ毛のある若者が乗る
車とは違ってちょっと大人の(つまり大人しい)車だけど、ちょっと
だけ大人気ない中年男が乗るにベストマッチ!と勝手に思ってる。
そういう大藪春彦が存命だったら小説の中で出てくるだろう車は
今は他の国内メーカーでは無い。

強いてライバルを挙げるならアウディかボルボのセダンくらいだ。
でもアウディやボルボは年食ったおっちゃんが乗るイメー<ばき

しかもデロデロデロと排気干渉ブリバリの排気音を響かせるのは
一世代前の型であるこのBE5型まで、現行のBL型はブーーンという
ごく普通の4発音がする。

技術的には革新されて良くなっているが固有の個性は無くなった。
しかも3ナンバーになってしまった。それはそれなりの理由がある
ので良い事だけど、自分が旧型のB4を好きな理由のその一つは、
「全てがレギュレーションいっぱいに作られている」からだ。

ボディサイズは5ナンバー枠、エンジンも5ナンバーの2000ccだけ、
でも自主規制値いっぱいの280PS、車重も重量税1.5ton枠ぎりぎり
いっぱい。おまけで付いてる全部のタイヤをドライブする4WD(笑)
当時としては頑張った17インチ45扁平タイヤは…過剰だね<ばき

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そんなお気に入りのB4にはやっぱり「スバルらしさいっぱい」の
マイナートラブルがよく出る。以前は高速道路走行中にウィンド
ウォッシャーが噴射したまま止まらなくなったりした事もある。
どうもワイパースイッチの接触不良らしいのだが結局原因不明の
まま復旧して今に至る。

今回はそれに近い場所で出た。…ワイパーだ。

雨が降っていたのでワイパーを普通に使っていた。だが何かが
おかしい。動作音がいつもより大きいのだ。でもそのまま走って
いた。で、ふと後方確認でドアミラーを見やった時に、嫌な物を
見てしまった。ミラーの上の方になぜかワイパーの端っこが常に
見え隠れしているのだ。

つ・ま・り、ワイパーがフロントガラスだけでなくAピラーまで
拭いて、さらに数センチも飛び出しているのだ(^◇^;)

 ino :「なっ、なんじゃこりゃぁあ!」

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とりあえず来た道を引き返して、行き着けのスバルディーラーに
向かった。すると、ディーラーは盆休みで閉っていた(爆)

こらこらこらあ!すぐ近所のトヨタはやってるぞ!ダイハツすら
やってるじゃん!!。盆休みってのは一年で日本中で一番車が使
われる時期だろ?。当然トラブルが出たら困るだろ?。その際の
サポートを全国ディーラー網を使ってしようって気は…スバルは
無いんだな。つまり売りっぱなしって事かよ(苦笑)

以前先輩のトヨタ車で地方でトラブった時はトヨタの凄さを見せ
つけられた。その車を買った地元ディーラーに困って電話したら、
そのディーラが所在地の近所にあるディーラーを探して、そこに
行くように言うのだ。近所のディーラーに地元のから連絡が入り、
あらかじめ修理の段取りをしておいてくれると言うのた。しかも
地元ディーラはリアルタイムで電話を繋いだままそこへの道案内
までしてくれた。到着したディーラーではもう修理の準備が出来
ていて、入庫即修理、そして完了後即出発。これで無料だもんな。

でも自分が今乗ってるのはそんな「トヨタ」じゃなく悲しいかな
「スバル」だ。そんなきめ細かいサービスは期待してはいけない。
でもこのままだと壊れそうなので近所にあったイエローハットに
飛び込んで現状を説明し相談してみたが「うちでは出来ません」
とのこと。ま、しゃーないよな。

仕方ないのでそのままで走った。ワイパーは視界が悪くなったら
手動で一発、雨が強くなったら往年のVP70+ストックよろしく
「3発バースト」で全手動制御に勤めた。

このまま無料BP、有料道路、首都高速、そして最終的に常磐道に
乗って、目指す目的地までずっと凌いだ。

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会社の現地の寮に付いてからワイパーを詳しく調べてみたら静止
状態ですでに5~7cm程の大きなガタが出ていた。どうやら何か
の固定ねじが緩んでいるらしい。こんなならディーラーの工場が
開いていればすぐ対応出来ただろうになぁ。

つまり、こういう所がトヨタが一流で、スバルが三流の理由
なんだろうな。

カネを惜しんでリコール隠しや欠陥隠しをする車メーカーはこれ
以前の問題、論外中の論外だ。またバイクは四輪車と違って100%
趣味の製品だから、カワサキやビューエルは「アバタもエクボ」
と言うことで許されるのかもしれない。だが四輪車の場合は趣味
性の前に実用性が多々絡んでるから、ちゃんとした所のがいいな、
乗り物としては面白くなくてもね。

逆に言えばスバル車には単車に匹敵する趣味性がある。良くも
悪くも、ね。だから今はこのB4以上に欲しい車が無いのだ。まだ
まだ付き合うよ。ぶーぶー文句言っていても、結局はそれ自体が
「惚れた弱み」ってやつだろうからね(苦笑)

自分は裏切られるのは大嫌いだ。だけど機械なら修理さえすれば
ちゃんと元に戻って信頼に足るように戻ってくれるからね(謎)


 

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2004.08.06

複数台持ってる単車乗りの引越し

バイクを沢山持つと、維持するのもそれなりに大変だが、一番大変なのは引越しだ。

通常、バイクを持っていると引越しがしにくい。たった一台だって置き場所が無くて
泣く泣く手放す、という友人もいた。それはバイクの社会的な立場の弱さが効いている。
暴走族等によるダーティーイメージ、事故などによる「危ない」代名詞にもなってるし。

交通事故のニュースや、身体障害を負った人の紹介などで、「バイクで事故に…」
という表現は良く見聞きするが「四輪車で事故に…」や「4トン車で事故に…」と
紹介される例は皆無だ。大体は「交通事故で…」となるはずだ。
バイクだけがいつもネガティブなイメージの時にだけ特別にクローズアップされる。

でも、これがすでに出来上がっているイメージだから、それは変えられないだろう。
それに、かれこれ20年近く乗り続けて、散々痛い目にあった自分も分かる。
バイクは、五月蝿くて、排ガスが汚くて、不安定で、とても危ない乗り物だ。
危ない乗り物を知恵と技を駆使して操るからこそ、その面白さは抜群なのだ(^~^)

だがそういった言葉は同じ単車乗りには通じる共通語だが、他の人種には通じない。
そして往々にして自分の大家や隣家は単車乗りでない事が多い。だからバイクを持って
しかも複数台を持って引っ越すには、それなりのノウハウが必要になる。

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自分は実家を出て今に至るまで、4回引越しをしているが、それによってバイクは
どうなったか、と言うと大体こんな感じで推移している。

   実家   → 独身寮   引越し時:バイク3台
   独身寮  → アパート  引越し時:バイク4台
   アパート → 一軒家   引越し時:バイク8台+車1台
   一軒家  → 今の家   引越し時:バイク9台+車2台

ドンドン増えてるじゃねぇか(^^;)<ばき!

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独身寮に行った時は、空いている置けそうな場所に置けたので不自由はなかった。
年齢制限で寮を追い出された時にはバイクが4台あったので、バイクを置ける事を
最優先で探したら、駅から徒歩45秒のアパートの1階の角部屋、しかも駐車場付きを
借りれた。最初駐車場にバイクを並べていたが、車を入手したのでバイクは部屋の
周りに置いた。最終的には南のガラス戸のタタキに3台、東側の階段下に2台、
北側の玄関側には3台のバイクを置いた。

大家は農家の老人で、アパートの駐車場で平気で立ちションをする人だったが(^^;)
「おめぇよっぽどオートバイ好きなんだなぁ」と笑って許してくれていた。感謝。

そこから結婚して引っ越した先は庭付き一軒家、敷地に対し、「コ」の字状の庭があり
玄関前には軽自動車一台分くらいのコンクリートの敷地もあった。ここに夫婦あわせて
最大で12台のバイクを置いていた。当然入居する際には事前に「庭にバイクを置くよ」
と断り、了承を得ていたが、まさかここまで置くとは思って居なかったのだろうか?
ある日大家が直接電話してきて、「息子がバイクに乗らなくなったのでお宅で引き取って」
と言われた。・・・・バイク屋だと間違われていたのだ(笑)

離婚して引っ越す際には時間もなく沢山のバイクを抱えてどうするか迷ったが、
2週間ほど探しまくったら偶然出物の物件があって、バイクを殆ど手放す事無く引っ越せた。
ただ仕事が忙しいのに一人で10台あっても乗れないので一台だけ引越し前に手放した。
車は近所の月極駐車場を2台分並べて借りた。

…こうやって振り返ってみると、ある意味で「奇跡の引越し」を繰り返したのか?(大笑)

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じゃあ自分なりのバイクを持って引っ越すためのノウハウを少しだけ紹介しようか。
こんな悩みと、ノウハウを必要としてる人間はあまり居ないと思うけど(自爆)

部屋探し編
 1)他の条件をあまり重視しない
   自分の場合駅から歩いて行ければそれでいい、ただバスを使うのは嫌だったので、
   「徒歩30分以内」で探した。便所も水洗とか、風呂は追炊きがなきゃ、とか、
   部屋はフローリングとかには全然こだわらなかった。結果そんなに劣悪な条件の
   (便所が汲み取りとか)部屋には当たらなかった。家賃も安めを狙った。
   ただし、風通しと日当たりだけは絶対譲れない条件として最初から宣言していた。

 2)部屋の周りにバイクが置ける所を選ぶ
   広大な屋内ガレージがあればそれに越した事はないがそんなところはまずない。
   あってもべらぼうに家賃が高い。それならボロい一軒家を借りたほうが安い。
   一軒家だったら駐車場か庭があって、道路から高低差なくアクセス出来る事が必須。
   アパートだったら部屋は1階で、バイクを部屋のすぐ脇に置ける事が望ましい。
   もし置けなければ最低でも敷地内に置ける事。そのためには敷地内の月極駐車場を
   借りてもいい。敷地外の月極駐車場や、敷地内に置けても二階の部屋は眼中無しだ。

 3)人口密度があまり高くないところを選ぶ
   周りがアパートだらけだったり幼稚園があったりすると、その中の一人が
   クレーム付けるだけで敷地内でエンジンすら掛けるのが難しくなる可能性が有る。
   そこそこ広くて人がそれほど高密度で住んでいない所がいい。

不動産屋編
 4)最初からバカ正直にバイクの台数を言うな
   自分の場合、アパート探しの際に4台ある、と言ったら門前払いされた事が有る。
   次の不動産屋で同じ物件を見つけ「バイクを持っている」とだけ言ったら
   ちゃんと現地に連れて行ってくれた。バイクは前述のようにネガティブイメージが
   付きまとうから、正直にカミングアウトすると仰天して部屋を探してくれない事も有る。
   間取図やその他の情報では置けそうになくても現地に行けば置ける場所が有ったり
   交渉次第で置けるようになる事があるから、ともかく現地を見ないと始まらないのだ。
   ちなみに1台だけとか嘘は言ってはいけない。後でトラブルになる可能性があるからだ。
   つまり最初から全てをさらけ出す必要はない。少しずつ、カードを切って行くのだ。

 5)現地でバイクを置ける場所を探して必ず確認しろ
   不動産屋や場合によっては大家と共に現地に行って、バイクが置けそうな場所があれば
   躊躇わず「こことか、こことかってバイクを置いてもいいですかね?」と聞いてみる事。
   その時に置いてはダメだといわれたら絶対に置かない事。置いてもいい、と言われたら
   その場所には置いていい。自分の場合、アパートの契約時に、こことか、こことか、
   ・・を繰り返して指差して了承を得た場所に、最終的には全てバイクを置いたぜ(笑)
   不動産屋や大家は普通「ここか、またはここ」だと思っていたかもしれんが、
   こっちは最初から「ここ&ここ&あそこ&あっち&…」のつもりだったのさ:-p


契約編
 6)契約書にはバイクを置いていい事を明記させろ
   口約束だけだと後になってウダウダ言われる可能性もあるから、可能であれば
   契約時には「バイクを持っているんですけどそれを置いてもいいですか」と
   聞いて、大家に確認を入れてもらい、了承してもらったらそれを契約書に一筆
   入れてもらおう。そうすれば安心だ。ただし、台数は書かせない方がいい(笑)
   そのために駐輪代が必要とかになれば、正々堂々と払い、その権利を得よう。
   必要経費はケチってはいけない。

 7)「普通の人」である事をアピールしろ(たとえ実際は奇人変人だとしても)
   バイク=暴走族というイメージがある不動産屋や大家の場合は自分がいかに
   普通の人で、あくまで趣味としてバイクを楽しんでいる、という事をアピールする。
   ツーリング話や、スポーツとしての楽しみ方などを話せればしめたものだ。


引越し編
 8)引越し中に出会った近隣住民には必ず大きな声で挨拶をしろ
   そして引っ越し後には面倒でも必ず周りの家に行き、一言挨拶をする事。
   そしてその会話で仕事を持った一般人であること、バイクが好きであること、
   極力配慮するけどもし五月蝿かったら遠慮なく直接言って下さい、と頭を下げる事。
   …大家や不動産屋や警察に苦情を言われたらたまったもんじゃないから<ばき

 9)バイクは目立たないように運べ
   しょっぱなからブイブイと音を立てながら乗り付けたり家の前に並べたりすると
   第一印象が悪くなる。マフラーはノーマルのままか、変えても極力静かなのを選ぼう。
   そして常時近隣に配慮する事、それが廻り回って自分の為になる。極力静かにしよう。
   そして運び込んだらそそくさとカバーをかけて目立たないようにするのだ。
   些細な事ではあるが、バイク盗難防止の観点からしてもそのほうがいい。


日々の生活編
 10)近隣住民や大家と常に良好な関係を保て
   お隣さんは見かけたら必ず挨拶をしよう。気楽に立ち話が出来るような関係が
   築ければしめたもんだ。大家にも一歩譲った立場で対応しよう。家賃の滞納は論外、
   近隣からの苦情とかが出なければ、大家対策は大丈夫だ。・・・増車Goゥ!<ばき
   台数が増えている事に気が付かれたら、「いや~道楽者なもんでして」とかわす。
   人から預かっているとか、その場しのぎの嘘はつかない方がいいぞ。

近隣の人々と仲良くなっておけばバイクの盗難対策や家の防犯対策にもなる。
中年バツイチ男が偏屈生活や半裸で庭先農作業をしていたり、毎日違うバイクに
乗っていても、人となりがちゃんと知れていれば大丈夫だ。つまり、そういう人間関係を
作る事が、バイクを沢山持つのには一番重要だと思う。

と、言うよりそれを考慮するのが、単車乗りとして、いや一社会人としての、
当然にして最低限の「マナー」だと思うのだ。でもバイクが関わらずとも、
「近所付き合い」ってのは普通こういうもんだろ?

実家にいるときからバイクを弄りながら近所のおばちゃんと世間話をしてたし
寮にいるときは会社の同期の連中と一緒にバイクを弄ってたし、アパートにいる時は
同じアパートのおじさんや隣の敷地に住むご夫婦と良く話したし、一軒家にいた時も
隣のご主人と植物談義をしたり、町内会のゴミ当番のおばさんとゴミを荒らす
カラス対策を相談したりしてた。それが当たり前だと思って疑った事はない。

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家庭内のそれは壊してしまった身の上だからこんな事を言うのもなんだけど、
やっぱり 人と人との関係は常に円滑で良好でありたい。その方が万事上手く行く。
今はそのために庭で取れた農作物をおすそ分けしたり、子供と仲良くなったり
おじさんの自転車が壊れて困ってたら直したり、と地道な「ご近所付き合い」を
欠かさない。そのおかげかどうか分からないが庭でCRキャブのセッティングを
していても大丈夫だ。

当然、極力騒音は静かにするように工夫しているし、最短で作業を終わるように
努力しているけどね。つまり、他人同士が同じ地域で気持ちよく生活するためには
お互いが相手に配慮しつつ暮らせばいいのだ。似たような事を以前も書いたけど
夫婦関係を保てなかったダメ男でも、そんなご近所付き合いはわりかし得意なんよ(^^ゞ


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2004.08.03

飼う≠買う

かつてアフリカが暗黒大陸と呼ばれていた頃、西洋人たちはそこに
住む人々を狩り、鎖で繋ぎ、劣悪なる条件で運び、全く別の大陸に
つれて行き、奴隷として市場で売り、金で買った労働力を自分の家や
農園で財産として使った。彼らは解放運動と内戦を経てその土地で
開放され、その祖先は今もそこで暮らしている。

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奴隷制度は今でこそ唾棄されるべき行為だが、実は21世紀になった
日本でそれと殆ど同じ事が行われているという事に、皆気が付いて
いるだろうか?

その対象は人間ではない、それは本来なら日本には居ないはずの
野生生物たちだ。それが金の為に、住んでいた自然から狩られて、
海を越えて自力では戻れっこない極東の地に連れてこられ、単なる
物珍しさやそれを飼う事によるステイタス、「かわいい」という空虚な
価値観のために高額で売買され、多くはその異国の地で子孫を残す
事無くその一生を終えるのだ。

その一部は逃げたり、人為的に捨てられて野生化していたりする。
アライグマやミシシッピーアカミミガメ(ミドリガメ)は、餌や食料として
持ち込まれたアメリカザリガニやブラックバスのような他の外来種と
違って、明らかにそういった理由で日本に居るのだ。

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これは全て無責任な人間の所業だ。害獣と呼ばれ駆除される彼らが
も葉を話せたらこんな理不尽な話は無い、と涙ながらに訴えるだろう。
当然、その外来種に追われるハメになった在来種らだってこう思う
はずだ。

「なぜ飽きて飼うのを止めたなら、それを殺さず日本の野に放つのだ」

…あぁ?殺すのはかわいそうだ?命は大切にしなきゃ?だと!
おい!、安っぽいヒューマニズムや勘違いに浸るなよ。こんな異国の
地に連れてこられて、無責任に放たれる方がよっぽど可哀想だろが!
放たれた事で生態系が狂ってしまう土着の生物の命の方が、もっと
もっと可哀想だろうが!!

お前らは自分の欲望を満たすためだけの為に「命」を商品として扱い、
金で買い、弄んだんだ。ならは、最後まで面倒を見るか、責任をもって
その命を、有るべき所に返すか、それが出来ないのならば、ちゃんと
管理された所で面倒見てもえるように手配するか、それすらも出来ない
なら、その命を自らの手で断ち、それを一生自分の罪として背負えよ。

甘えるな、それだけの事をしてるんだ。事の重大さを分かっているか?

かつての奴隷制と異なるのは、連れてこられたのが人間ではなくて
「野生生物」って事だ。「愛玩動物」なんて都合の良い生物は存在
しない、猫だってインコだってハムスターだって「野生生物」なんだぞ。

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自分はこの極悪非道の行為を、ただ金を儲ける為だけにやっている
連中が大嫌いだ。当然、そういう動物を買う連中も、そしてそういう
ブームをあおるマスコミも同罪だ。援助交際では身体を売る少女より
買う大人の男の方が悪いというが、これもそれと同じ構図。売るほうが
悪いのは当然、買うほうもその罪は逃れられない。

植物にしろ、昆虫にしろ、動物にしろ、「食わない命」を売買するという
行為は本質的に前述の奴隷売買と何ら変わらないからだ。

子犬や子猫が欲しいなら保健所で薬殺される野良の子を引き取れば
いいだろ。何十万も使って、ブームだからとチワワやアメショを誰もが
欲しがるのはどう考えてもおかしい。

同じ犬なのに、同じ猫なのに、片や薬殺され、片やブームだからと
近親交配を配慮せずただ増産され、ブームが去って売れ残ったら
薬殺され、飽きたと捨てられ・・・もう完全に狂っているよ、ペット業者も
そこから大枚はたいて歪んだ命を飼う人たちも。

ブランド品種でなければ、流行りの品種でなければダメ、という時点で
何かが根本的におかしいのだ。以前も書いたが流行りには
廃りがセットだ。生き物を飼うというのは、子供を産み育てるのと同じ
覚悟が必要なのに、ただ流行りだからとカネで買うのだ・・・そういう
連中がブームが廃れたら何も考えずポイポイ捨てるんだろうな、多分。

せめて、飼い始めたら、その命の最期まで責任を持って飼ってくれ。
それが何十年生きようとも、生き続けてる限り、その命を守ってくれ。
守れないならば、せめてどうにかして守れるよう最善を尽くしてくれ。
彼らが住むべきでない「日本の自然」の中に頼むから捨てないでくれ。

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最近ホームセンターで東南アジア産の大きなクワガタが売られてた。
オスメスペアで3000円だそうだ。かつて体格のいい黒人をアフリカから
つれてきた奴隷売買と全く同じ事がここでも行われていた。

自分が子供の頃、山に昆虫採集によく行ったもんだ。捕れるのは
カナブンやコクワガタ、シロスジカミキリ、あとは蝶が多かったっけ。
カブトムシはたまに、ノコギリクワガタは本命中の本命。ごくたまに
アカアシやミヤマには逢えた。だがヒラタクワガタ、オオクワガタには
結局一度も出会えなかった。

当然だがこれらの昆虫を金で買ってもらうような愚行をした事は無い。
欲しければ自分で探して、図鑑で生態を調べて、クヌギに傷を付けて
砂糖水を塗り、友達同士子供だけで夜の闇に怯えガチガチ震えながら
まだ見ぬ彼らを求め懐中電灯片手に山に入り、日中には見られない
そこに集う虫達の饗宴に感動したもんだ。

虫が集まるクヌギを発見すれば、そこは子供にとっての宝島だ、仲の
良い同士で場所を秘密として、共通の宝箱、秘密を知りうる者同士の
連携感を感じたっけ。

今の子供たちはホームセンターやスーパーで東南アジアのクワガタを
金で買えばそれで満足なんだろうか?当時自分らがとったクワガタは
確かにそこで売っている奴よりも小さかった。でも自分なりに苦労して
得たそいつを、夏休みの間飼育ケースで育て、毎日飽きもせず観察して
いたのは、その虫たちが「オモチャ」ではなく「戦果」で有ると同時に
「戦友」だったからだ。

故に自分なりにベストを尽くし戦ってもヒラタやオオクワに逢えなかった
事で彼らが如何に少なく貴重な存在かという事を身を持って知っている。
もし今でも山で彼らに出会えたら、心だけは少年に戻ってはしゃぐぜ(^^)

今それが安っぽい虫かごに入れられ、レジの横で数千円で売られてる。
そんなヒラタやオオクワに前述の憧れはない。ただ…哀れでならない。
自分が戦って、結果得たものならばそんな値段では絶対に売らない。
というより、命ある「戦友」をカネに換える「裏切り行為」は絶対しないよ。

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そういえば自分は今まで飼うための生き物を金で買った事が殆ど無いな。
記憶に有るのはメダカとか、ヤマトヌマエビくらいだろうか?
そういった連中も大体は川や用水路などのありふれた場所で自分で捕る。

かつて四本足や鳥等は捨てられてるのや迷ってるのを拾う事が多かった。
犬、猫、ヒヨドリ、インコ、文鳥・・九官鳥や鶏すら拾った。当然その2羽は
交番に届けたが、持ち主は現れず半年後に家族として迎え入れられた。

自分はミィ~♪と泣く捨て猫の前を黙って素通り出来ない様な弱い男だ(^^;)
自分だけでなく、自分の親兄妹もみんなそんな感じだから、実家は一時期
7人家族の食費よりも動物の餌代のほうが高かった時期があったらしい。

その時は犬を2匹、猫を15匹、鶏を1羽、インコや文鳥、ハムスターや小魚も
飼っていた。元々大家族なんで、動物がこれだけいても、楽しいと思っても
辛いとは思わなかったな。ちなみに、これだけいても全部、一円たりとも金を
払って買ってはいない。全部捨てられていたのを拾ったり、生まれたからと
貰ったり、川や湖で捕ってきたものばかりだった。犬や猫は雑種だったけど、
可愛いかったよ。

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一年チョイ前に某原発の仕事をしてた時に自分は付近にの寮で生活していた。
そこで居ついた野良猫が子猫を生んだ。自分が見た時は片手で握れるくらい
ちっこい子猫だった。寮では飼うわけにもいかず、かといって捨てるのも…と
寮長は困っていた。

すぐに捨てずにしばらく可愛さに負けて面倒みていたようだがニィニィと泣く
そいつがテケテケと歩けるようになった頃にちょうど仕事が終わって帰還する
事になった自分はその中の一匹を貰ってゆく事にした。寮長は喜んでいた。

それがコイツだ。半年前くらいの可愛い盛りの頃のだけど(^^;)

chica3.jpg

キジトラのメス。名前は「りょう」と授けた。なぜ?寮で拾ったから<ばき

当時は猫を飼っていい家に住んでたが、その後2ヶ月もせずに出る羽目
なってコイツとは一緒に暮らせなくなってしまい、泣く泣く他の猫が沢山
いる実家に預けた。結果オーライ、今では元々いた猫たちや犬とすっかり
仲良くなっている(^^)

今住んでいる所は離婚後に緊急避難した仮住まいで動物が飼えず一緒に
暮らせない。でもここから引っ越す時は出来ればコイツと暮らしたい(^^)

今のように植物に囲まれて暮らすのも楽しいけれど、やっぱり自分を慕って
くれる、つまり自分を必要としてくれている者と一緒に暮らしたいから。
たとえそれが猫でもね。

長期出張連発の仕事が落ち着き、毎日「我が家」に帰れるようになったら、
このりょうだけでなく他の動物とも一緒に暮らし、彼らが成長する様を
ずっとずっと見ていたい。世話が面倒だとは思わない。そんな些細な義務は
共に生きる、と言う喜びがあれば喜んで引き受けよう。そして
そいつらが最期に天寿を全うするのを見取りたいと思う。

それだけが今の自分に実現可能な将来の夢・・・かな(^^;)?
これならば今の自分でさえも頑張れば成し遂げられるはずだぜp(^^)q

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残念ながら、相方やその相方と自分の子供と暮らすような普通の生活は
自分には許されていなかったけど、命有るものと共生関係を結ぶってのは、
人間が生きてゆくためにはぜひ欲しい、と言うより重要、必要な事だと思う。

ただ、その共生関係を築くのにわざわざ遠く海外から野生生物を攫ってきて
金持ちに売りつけて儲けたり、遠くの野生生物を買う、という事を自分自身の
ステイタスの一環として利用するために飼うのは間違いだ、と強く言いたい。

生き物を飼うのはその生き物の命、そしてその意味も含め全ての責任を負う。
そんな覚悟が無い連中が、ブームで命を弄び、そして平気で捨てる。

野良犬だってチワワだってミニチュアダックスだって同じ「犬」、同じ「」。
その「命」を好みや流行りだけで選択し、金で売買しないでくれ、頼むから。

 

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