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2004.08.03

飼う≠買う

かつてアフリカが暗黒大陸と呼ばれていた頃、西洋人たちはそこに
住む人々を狩り、鎖で繋ぎ、劣悪なる条件で運び、全く別の大陸に
つれて行き、奴隷として市場で売り、金で買った労働力を自分の家や
農園で財産として使った。彼らは解放運動と内戦を経てその土地で
開放され、その祖先は今もそこで暮らしている。

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奴隷制度は今でこそ唾棄されるべき行為だが、実は21世紀になった
日本でそれと殆ど同じ事が行われているという事に、皆気が付いて
いるだろうか?

その対象は人間ではない、それは本来なら日本には居ないはずの
野生生物たちだ。それが金の為に、住んでいた自然から狩られて、
海を越えて自力では戻れっこない極東の地に連れてこられ、単なる
物珍しさやそれを飼う事によるステイタス、「かわいい」という空虚な
価値観のために高額で売買され、多くはその異国の地で子孫を残す
事無くその一生を終えるのだ。

その一部は逃げたり、人為的に捨てられて野生化していたりする。
アライグマやミシシッピーアカミミガメ(ミドリガメ)は、餌や食料として
持ち込まれたアメリカザリガニやブラックバスのような他の外来種と
違って、明らかにそういった理由で日本に居るのだ。

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これは全て無責任な人間の所業だ。害獣と呼ばれ駆除される彼らが
も葉を話せたらこんな理不尽な話は無い、と涙ながらに訴えるだろう。
当然、その外来種に追われるハメになった在来種らだってこう思う
はずだ。

「なぜ飽きて飼うのを止めたなら、それを殺さず日本の野に放つのだ」

…あぁ?殺すのはかわいそうだ?命は大切にしなきゃ?だと!
おい!、安っぽいヒューマニズムや勘違いに浸るなよ。こんな異国の
地に連れてこられて、無責任に放たれる方がよっぽど可哀想だろが!
放たれた事で生態系が狂ってしまう土着の生物の命の方が、もっと
もっと可哀想だろうが!!

お前らは自分の欲望を満たすためだけの為に「命」を商品として扱い、
金で買い、弄んだんだ。ならは、最後まで面倒を見るか、責任をもって
その命を、有るべき所に返すか、それが出来ないのならば、ちゃんと
管理された所で面倒見てもえるように手配するか、それすらも出来ない
なら、その命を自らの手で断ち、それを一生自分の罪として背負えよ。

甘えるな、それだけの事をしてるんだ。事の重大さを分かっているか?

かつての奴隷制と異なるのは、連れてこられたのが人間ではなくて
「野生生物」って事だ。「愛玩動物」なんて都合の良い生物は存在
しない、猫だってインコだってハムスターだって「野生生物」なんだぞ。

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自分はこの極悪非道の行為を、ただ金を儲ける為だけにやっている
連中が大嫌いだ。当然、そういう動物を買う連中も、そしてそういう
ブームをあおるマスコミも同罪だ。援助交際では身体を売る少女より
買う大人の男の方が悪いというが、これもそれと同じ構図。売るほうが
悪いのは当然、買うほうもその罪は逃れられない。

植物にしろ、昆虫にしろ、動物にしろ、「食わない命」を売買するという
行為は本質的に前述の奴隷売買と何ら変わらないからだ。

子犬や子猫が欲しいなら保健所で薬殺される野良の子を引き取れば
いいだろ。何十万も使って、ブームだからとチワワやアメショを誰もが
欲しがるのはどう考えてもおかしい。

同じ犬なのに、同じ猫なのに、片や薬殺され、片やブームだからと
近親交配を配慮せずただ増産され、ブームが去って売れ残ったら
薬殺され、飽きたと捨てられ・・・もう完全に狂っているよ、ペット業者も
そこから大枚はたいて歪んだ命を飼う人たちも。

ブランド品種でなければ、流行りの品種でなければダメ、という時点で
何かが根本的におかしいのだ。以前も書いたが流行りには
廃りがセットだ。生き物を飼うというのは、子供を産み育てるのと同じ
覚悟が必要なのに、ただ流行りだからとカネで買うのだ・・・そういう
連中がブームが廃れたら何も考えずポイポイ捨てるんだろうな、多分。

せめて、飼い始めたら、その命の最期まで責任を持って飼ってくれ。
それが何十年生きようとも、生き続けてる限り、その命を守ってくれ。
守れないならば、せめてどうにかして守れるよう最善を尽くしてくれ。
彼らが住むべきでない「日本の自然」の中に頼むから捨てないでくれ。

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最近ホームセンターで東南アジア産の大きなクワガタが売られてた。
オスメスペアで3000円だそうだ。かつて体格のいい黒人をアフリカから
つれてきた奴隷売買と全く同じ事がここでも行われていた。

自分が子供の頃、山に昆虫採集によく行ったもんだ。捕れるのは
カナブンやコクワガタ、シロスジカミキリ、あとは蝶が多かったっけ。
カブトムシはたまに、ノコギリクワガタは本命中の本命。ごくたまに
アカアシやミヤマには逢えた。だがヒラタクワガタ、オオクワガタには
結局一度も出会えなかった。

当然だがこれらの昆虫を金で買ってもらうような愚行をした事は無い。
欲しければ自分で探して、図鑑で生態を調べて、クヌギに傷を付けて
砂糖水を塗り、友達同士子供だけで夜の闇に怯えガチガチ震えながら
まだ見ぬ彼らを求め懐中電灯片手に山に入り、日中には見られない
そこに集う虫達の饗宴に感動したもんだ。

虫が集まるクヌギを発見すれば、そこは子供にとっての宝島だ、仲の
良い同士で場所を秘密として、共通の宝箱、秘密を知りうる者同士の
連携感を感じたっけ。

今の子供たちはホームセンターやスーパーで東南アジアのクワガタを
金で買えばそれで満足なんだろうか?当時自分らがとったクワガタは
確かにそこで売っている奴よりも小さかった。でも自分なりに苦労して
得たそいつを、夏休みの間飼育ケースで育て、毎日飽きもせず観察して
いたのは、その虫たちが「オモチャ」ではなく「戦果」で有ると同時に
「戦友」だったからだ。

故に自分なりにベストを尽くし戦ってもヒラタやオオクワに逢えなかった
事で彼らが如何に少なく貴重な存在かという事を身を持って知っている。
もし今でも山で彼らに出会えたら、心だけは少年に戻ってはしゃぐぜ(^^)

今それが安っぽい虫かごに入れられ、レジの横で数千円で売られてる。
そんなヒラタやオオクワに前述の憧れはない。ただ…哀れでならない。
自分が戦って、結果得たものならばそんな値段では絶対に売らない。
というより、命ある「戦友」をカネに換える「裏切り行為」は絶対しないよ。

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そういえば自分は今まで飼うための生き物を金で買った事が殆ど無いな。
記憶に有るのはメダカとか、ヤマトヌマエビくらいだろうか?
そういった連中も大体は川や用水路などのありふれた場所で自分で捕る。

かつて四本足や鳥等は捨てられてるのや迷ってるのを拾う事が多かった。
犬、猫、ヒヨドリ、インコ、文鳥・・九官鳥や鶏すら拾った。当然その2羽は
交番に届けたが、持ち主は現れず半年後に家族として迎え入れられた。

自分はミィ~♪と泣く捨て猫の前を黙って素通り出来ない様な弱い男だ(^^;)
自分だけでなく、自分の親兄妹もみんなそんな感じだから、実家は一時期
7人家族の食費よりも動物の餌代のほうが高かった時期があったらしい。

その時は犬を2匹、猫を15匹、鶏を1羽、インコや文鳥、ハムスターや小魚も
飼っていた。元々大家族なんで、動物がこれだけいても、楽しいと思っても
辛いとは思わなかったな。ちなみに、これだけいても全部、一円たりとも金を
払って買ってはいない。全部捨てられていたのを拾ったり、生まれたからと
貰ったり、川や湖で捕ってきたものばかりだった。犬や猫は雑種だったけど、
可愛いかったよ。

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一年チョイ前に某原発の仕事をしてた時に自分は付近にの寮で生活していた。
そこで居ついた野良猫が子猫を生んだ。自分が見た時は片手で握れるくらい
ちっこい子猫だった。寮では飼うわけにもいかず、かといって捨てるのも…と
寮長は困っていた。

すぐに捨てずにしばらく可愛さに負けて面倒みていたようだがニィニィと泣く
そいつがテケテケと歩けるようになった頃にちょうど仕事が終わって帰還する
事になった自分はその中の一匹を貰ってゆく事にした。寮長は喜んでいた。

それがコイツだ。半年前くらいの可愛い盛りの頃のだけど(^^;)

chica3.jpg

キジトラのメス。名前は「りょう」と授けた。なぜ?寮で拾ったから<ばき

当時は猫を飼っていい家に住んでたが、その後2ヶ月もせずに出る羽目
なってコイツとは一緒に暮らせなくなってしまい、泣く泣く他の猫が沢山
いる実家に預けた。結果オーライ、今では元々いた猫たちや犬とすっかり
仲良くなっている(^^)

今住んでいる所は離婚後に緊急避難した仮住まいで動物が飼えず一緒に
暮らせない。でもここから引っ越す時は出来ればコイツと暮らしたい(^^)

今のように植物に囲まれて暮らすのも楽しいけれど、やっぱり自分を慕って
くれる、つまり自分を必要としてくれている者と一緒に暮らしたいから。
たとえそれが猫でもね。

長期出張連発の仕事が落ち着き、毎日「我が家」に帰れるようになったら、
このりょうだけでなく他の動物とも一緒に暮らし、彼らが成長する様を
ずっとずっと見ていたい。世話が面倒だとは思わない。そんな些細な義務は
共に生きる、と言う喜びがあれば喜んで引き受けよう。そして
そいつらが最期に天寿を全うするのを見取りたいと思う。

それだけが今の自分に実現可能な将来の夢・・・かな(^^;)?
これならば今の自分でさえも頑張れば成し遂げられるはずだぜp(^^)q

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残念ながら、相方やその相方と自分の子供と暮らすような普通の生活は
自分には許されていなかったけど、命有るものと共生関係を結ぶってのは、
人間が生きてゆくためにはぜひ欲しい、と言うより重要、必要な事だと思う。

ただ、その共生関係を築くのにわざわざ遠く海外から野生生物を攫ってきて
金持ちに売りつけて儲けたり、遠くの野生生物を買う、という事を自分自身の
ステイタスの一環として利用するために飼うのは間違いだ、と強く言いたい。

生き物を飼うのはその生き物の命、そしてその意味も含め全ての責任を負う。
そんな覚悟が無い連中が、ブームで命を弄び、そして平気で捨てる。

野良犬だってチワワだってミニチュアダックスだって同じ「犬」、同じ「」。
その「命」を好みや流行りだけで選択し、金で売買しないでくれ、頼むから。

 

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ペット」カテゴリの記事

コメント

私も’ペット’が好きではないです。’生き物’は好きですが。だって世界には食べられないで死んでいく子らが毎日いるから。ペットを溺愛するのに費やされる費用、頭にきます。
さてうちの猫は自由に生きています。たまにねずみを狩ってきて、人に見せ、おいしいのか頭だけ食べて、下半身は放置するのです。しかし、生き物は本当に面白いですね。ま、人間が一番面白いですが。

投稿: さくさくさ | 2004.08.04 00:29

確かに生き物は面白い、ムチャクチャ面白いです(^^)
りょうも最近、実家の庭デビューをして、カナヘビとかを取ってくるそうです。

自分は貧しい国で取った漁民すら口に出来ない魚を缶詰にして犬猫に食わす
感覚が苦手ですね。「グルメな猫のための舌ビラメの猫缶」が一個200円以上で
売ってますが、たまに自分が食ってる鯖味噌煮缶は一個90円(苦笑)

また見た目や好みで選んで金で買って飼っている動物を「この子は家族です」と
抜け抜けと言う人々が理解不能です。「家族」ってのは選んで金で売買して
得るもんじゃないと思うので。

上記には飼っている本来自然界に存在しない生き物を無責任に逃がす連中に
激しい記述をしてますが、そう言う自分自身も過去に償えない罪を犯し、
それを背負って生きています。

己の恥を晒すようですが、ここの「にんぴにんのうた」をご参照あれ。

投稿: ino | 2004.08.04 19:52

他の命をいただき自分自身も生きていられるわけで
動物を飼うことはとっても贅沢なことだと思っています
若く健康な時は誰でも深く考えもせず育てられますが
いつまでも元気なまま、そんな都合のよいことは有り得ませんよね
病気になると病院に連れていかず
都合よく寿命だとか餌さえ与えていればいいと勘違いしている人もたくさんいます
最後まで責任を持てる人がどれだけいるんでしょうか。
高齢猫を立て続けに看取っています
徘徊する猫、尿垂れ流し、寝たきり、ガンになり顔面崩壊、壊死して腐敗臭漂わせても必死に生きようとする猫もいました
高い缶詰がグルメなんて考えることもなくなります
食べられる物を必死に探すだけ
食べてくれるだけで幸せ

必ず老いはきます
あるがまま受け入れ死と向き合う日々
自分の意思で引き受けた命、当たり前のことすら苦しむ日々もあります
全部、保護野良猫です

誰にも望まれず野たれ死にする猫を見
賛否あるでしょうが避妊手術しています

主さんに選ばれなかった兄弟猫達が
今どうしているのか
そっちの方が気になります


投稿: 独30代♂ | 2012.03.25 12:28

独30代♂さん:

コメントありがとうございます(^^)

自分が実家で暮らしていた頃の実家も、似たようなものでした。
虐待で片目を失った奴とか、車ではねられた怪我が治ったあとに
糞尿垂れ流しになってしまった子とか、健康なのも当然いましたが
家族全員そういう生き物を見て素通りできず拾ってきて育てて
ピーク時には18匹くらいの猫が実家にいました。

だから、様々な死に方を見てきました。

静かに息を引き取るもの、家の前で車にはねられ、流血しながら
玄関まで這ってきてそこで息絶えていたもの、先ほどの垂れ流しの
猫は、最期は自分の腕の中で息を引き取りました。

拾い上げて助かることを祈りつつ獣医に駆け込み、手の施しようが
なくて、泣いて泣いて泣いて自分の決断で安楽死させてものもいます。
それらを全て背負って自分は今を生きています。だから、少しだけ
お気持ちは判るつもりです。

今は両親も年老いて、自分も責任をもって命を預かれる環境にはなく
そこまでのパワーはありませんが、実家では愛猫りょうを含め、今も
両親が4匹の猫と静かに暮らしています。

その中にはもう20歳を越した、仙人のような老猫もいます。
もうヨボヨボでフラフラなのに、食欲だけはすごく旺盛ですよ(^^;)

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りょうは4匹の兄弟猫でした。

自分がりょうを引き取り、一匹は別の人が引き取り、
残った二匹は寮長とそのまま寮で暮らしていました。
うち一匹は数年後目の前の道で交通事故で、もう一匹は
ある日突然帰ってこくなって、それっきりだそうです。
 
そこは今となってはそこは立ち入り制限区域ですが、
どこかで元気にしているか、その子孫が元気で生きて
いてくれることを祈るばかりです。
 
 

投稿: ino | 2012.03.25 14:07

追記:

>その中にはもう20歳を越した、仙人のような老猫もいます。
>もうヨボヨボでフラフラなのに、食欲だけはすごく旺盛ですよ(^^;)

この老描、今朝方に亡くなった、と実家から連絡がありました。

20年とチョイの間、一度も獣医にかからない健康体で今日大往生するまで
元気に過ごしてました。自分が就職した時にやってきたという、人生の
半分近くとかかわった猫との別れですが、実家に帰っても、もうその
猫とは会えないんだな、という寂しさはありますが、不思議と悲しくは
ありません。この20年間楽しかったです、生きてくれてありがとう(^^)

自分が死んだ後で、この猫や、今まで死に別れた連中と、あっちでまた
会えればいいなぁ。

投稿: ino | 2012.04.04 21:47

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