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2004.09.19

心頭滅却したって火はやっぱり熱い

原発現場生活も一ヶ月を超えたが、結局この間一日も休みが無かった。くたびれた。

さて、放射線防護という観点で、通常原発労働者の許容被曝量は1mSv/dayだ。
実際はそこに達しないようにそれよりももっともっと低い価で管理されている。
例えば0.9mSv/dayで押さえましょう、とかね。

ほとんどの原発労働者は一日0.1mSv以下の被曝量だと思う。
放射線管理区域内とはいえ、線量レベルがかなり低いタービン建屋などは
最低単位である0.01mSv/dayを被曝しない人もいる。

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だが自分らのチームは原子炉建屋の、しかもRPVを納めたPCVの中で解列直後の
原子炉直結の一次系配管の仕事をしているので、被曝量はかなり多い方だろう。
だから、許容値である1mSv/day程度だと仕事の内容によっては半日で越えてしまう。
これでは仕事にならない。半日で一日分の仕事量がこなせれば良いがそれは無理だ。

通常、ごく一般的な作業は無敵武田騎馬軍団を織田軍が3列の鉄砲隊で撃破した
長篠の闘いのように、短時間で規定被曝量に達したらすぐに次の人が入るように
人海戦術を敷くのが常套手段だ。つまり被曝リスクを多人数で割り回避するわけだ。

だが、自分らの仕事は適性や能力の問題で慢性的に人員不足で仕事をこなすのに
最低限の人員しかいない。なにせ研究所の自分が業務支援の名の元に
現場に引っ張り出されて殺人的過労を強いられているくらいだ(^^;)

そうなると1mSv/Hという許容線量では仕事が出来ない。じゃあどうするのか?
・・・簡単だ、倍の時間働かねばならないのなら許容量を倍にすればいいのだ。

一見するとバカのようだが、実際今の自分は二倍被曝しても良い身体になっている。
じゃあどうすれば二倍被曝しても大丈夫なスーパーマンになるのか、と言うと
約30分の特別放射線管理教育なる座学を受けて登録すれば良い。たったこれだけ。
業務上どうしても線量オーバーする場合、作業を完結しないとかえって危険だ、
という観点から作業者に「おまじない」をするのだ。
(本当は制度上もっとちゃんとした物だが一作業員からすれば所詮そのレベルだ)

この座学に出席して、内容を理解致しました、とサインすれば「二倍マン」の誕生。
ちなみにもっと危険な作業の場合は「四倍マン」やそれ以上もあるらしい。

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でもこのおまじないがγ線を無害化してくれるのかといえばそんなことはないし、
人間の肉体を変えて放射線に対する耐性を高めてくれるわけでもない。
座学を聞いた人間も聞かなかった人間も同じ生き物だ。違うのはその作業のための
心構えが出来ました、というサインをするかどうか、そして年間許容被曝量は
越えないでね、という積算の年間管理をちゃんとするかどうか、だ。

その年間被曝量さえ管理していれば放射線防護的見地からみてそれで問題ない、と
されてはいるが(年間が管理できない場合は数年単位で、それすらダメならもっと
ロングスパンで管理するらしい)言い方は悪いが精神論的な意味合いのような気がする。
つまり、竹槍を振りかざし気合いでB29を落とす、に近いような(違)

まあ、ぶっちゃけた話、一日2mSv/Hくらいの被曝量なら全く問題はないだろう。
少なくとも職場で喰らう煙草の副流煙の方が間違いなく身体に悪く、寿命を縮める。
でも自分が気に入らないのはその精神論で放射線と戦え、という事だ。
座学で放射線防護管理の知識を授けられるとはいえ、それでは避けられっこない。

ただでさえ今は「月月火水木金金」の現場で、心身共にギリギリ(一部限界突破)の
仕事をしているだけに、ちっと(≒いつも)ひねくれた考え方をしてしまうなぁ(苦笑)

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ちなみにこういう現場だと宇宙服のような怪しい特殊スーツみたいなものを着て
仕事をしていると思っている人が多いのだが、着ているのはペラペラな布の作業服。
液体を扱うとかダストが舞う所とかだとビニールスーツや全面マスク、送気マスクは
装着するけど、それだけ。放射線を遮蔽するような機能のあるものは一つもない。

こんなので大丈夫なの?と聞かれるが、逆に作業者からすると軽くて動きやすい方が
重要だ。重たいと仕事にならないし、身動きとれない方がかえって危険なのだ。
どんな高線量エリアでもさっさと通り過ぎれは積算被曝量は少なくて済むからね。
クソ重たい服を着て時間と体力を消耗するくらいならとっとと逃げる、これが一番。
大昔のRPGで言えば、「ぼうぎょ」よりも「すばやさ」最重視だ。

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このサイトのこの号機での仕事も、ある程度の納得行く成果をあげて無事終了した。
今は「仮設の美学」の最難関である「痕跡無き迅速なる撤退」のために
今まで以上にハードな日々を送る。一連の仕事の中で作業数も物量も汚染も被曝も
一番多い。どんなに草臥れても忙しいから休めない。死ぬか倒れれば休めるはずだ(TT)

被曝して、過労で死ぬ思いで組んで使った装置はこれから一週間で跡形も無くなる。
γ線というオーラを放ち続けた配管も外観は変わらないが内面の放射能を落とされ
鎮まっている。この現場には我々が去った後に何も残らない。ただ線量計の
メーターだけが自分らの仕事の成果を示す。

つまり形有る物はなにも残せない。取り除いた核種も原子炉が立ち上がって運転したら
鎮まった配管内部に再び溜り、その配管は猛々しいオーラ(≒γ線)を再び身につけてしまう。

この砂上に楼閣を築くような今の仕事、何となく今の自分の生き方に似てるような気もする。

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自分は製品や作品や建造物といった有形無形の物を生み出せるクリエーターではない。
家庭を持つ資格もなく、子を成すこともない自分は、未来に残せる事は何一つ無い。
そんな無駄に命の浪費するだけの自分も、何かしらの理由があって生かされている

こんな自分も、何かに、誰かに、ごく僅か、ほんの一瞬であっても、何かしらの
プラスの波紋(時と場合によってはマイナスでも可)を与える事が出来れば、
その瞬間だけでも何かの役に立っていたり、誰かの反面教師になれていたりすれば、
それだけでこの世に生まれた価値が、そして今を生きている意味がある気がするのだ。

この「生まれた価値、生きる意味」ってのは、ぶっちゃけて言えば
何かや誰かに必要とされているかどうか、だと、「不要となった男」としては思うが
もっともっと拡大解釈すればそれであっても十分だと思うのだ。

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でも拡大解釈し過ぎて、「だから俺は毎日2mSv浴びても大丈夫な人間なんだ」ってな
具合にならないようにしなきゃならんよな(^^;)

幾ら都合良く言い訳しても、自分の積算許容被曝量と
人としての器の大きさは結局変わらないんだから(^^;)


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