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2004.10.27

食卓は「囲む」もの

昨日は会社の後輩らをびっくりさせようとアフターファイヴに夕食に誘ってみた。

目指すは行き着けの大盛り飯屋、「ジャンボ入澤」。後輩はさほど腹ペコでは
ないようで、あまり沢山食えないというので、残念ながら軍艦マーチとともに
運ばれてくる看板料理の「ジャンボカツカレー」を発注させ損なった<ばき

後輩は普通の定食系を発注したが、せっかくだからここの大盛り具合を見せたくて
自分はいつも食ってるジャンボハンバーグ定食を発注してみた。
これはハンバーグだけで800g、しかもこのご時世で千キャベツが山盛り!(T▽T)
いやー、その量にびっくりする後輩と一緒に飯を食うのは楽しかったし、
定食自体美味かったし、何より腹いっぱい食えた。ちょっと幸せ(^^)♪

そう、出来る事なら、飯はいつでも楽しく食いたいよな。

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ちょっと前に現場出張していた時に泊まっていた下宿屋の朝飯は早かった。
06:00に起きて、06:20にはは「頂きます」となる。06:50には「行って来ます」、だ。

準備工事中はそこに泊まっているチーム全員が朝に疲れた顔で集まり
TVで朝のニュースなんぞを見ながらそろって朝飯を食っていた。
また宿からえらく遠い現場のため、帰宅はチーム全員でそろって帰るので
夕飯も全員そろって「頂きます」となる。時間が合えば、下宿屋の家族も
すぐ隣にいるので、なかなかにぎやかな夕飯になる。

それが工事が進み、交代制勤務となると、同じ所に泊まっているチームで
朝飯を食うのは自分を含め2名しかいなくなった。残りは夜勤だ。
12畳もの広間でたった二人でメシを食うのはそれまでがにぎやかだった反動か
えらく寂しいもんだね、とそれでも語りながら食っていた。

そのうちその一人とも時間が会わなくなった。すると今までにぎやかだった
広い場所でたった一人で朝飯を食うようになった。ちょっと、いやかなり寂しい。
正直言ってあまり飯が美味しい!とは思わなかった。

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いつも思うが一人で食うメシは「食事」ではなく「給餌」のような気がするのだ。
全く同じ物を食っても「味」や「楽しさ」が全然違うと思うのは自分だけだろうか?

人間という社会性のある生物が集まってコミュニケーションを取りながら
和気藹々とメシを食う事によって、生きるために必要な養分を取るという
義務的本能的な行為を超えた「食事」となるのだと思う。

だからと言って会社の寮の混雑する食堂のように、いてもいなくても
あまり意味の無い他人と広い場所でお互い視線を合わせないようにしながら
相席でメシを食っても楽しくない。同じ理由で一人ではマックや吉野家などの
店内では食えないし、食いたいとも思わない。落ち着かないのだ。
そう言う場合はテイクアウトして持って帰って家や公園や車の中で食ったりする。

やっぱり出来るなら気心知れた親しい人とコミュニケーションを取りながら
同じテーブルや食卓を囲んで、和気藹々と楽しく食いたい。
なにせ死ぬまでに食えるメシの数ってのは無限のようで実は有限だからね。

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長期出張から自宅に帰ってきて、今の自分に許されたこの日常生活に戻り、
毎朝毎夜一人で生きるために必要最小限の「餌」を食いながら生きていて、
昨日は久々に楽しい夕飯を食ったからそれをより強く思うのかもしれない。

確かにカミさんがいた時は今よりメシは美味かったし、何よりずっと楽しかった(^^ゞ
料理の量や、質は今と比べ物にならないほど良かったのは当然言うまでも無いが
それらは金と時間をかければ同じレベルの物が食えるけど、それを差し引いても
誰かと一緒、しかもそれが自分の家族であればなおさら、一緒の食卓に座って
食事が出来るってのは何事にも替え難い、貴重なモノだったんだな・・・、と
今更ながら思う。

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メシに限らず、仕事も、遊びも、趣味も、つまり人の営みに関するモノ全ては
大方一人でするよりも、二人で、又はより複数人でやるほうが、ずっと楽しい。
一人で居ることが楽しいという事もよく聞く話しだが、それはいつもにぎやかな
場所に居る人が、ふっ、と一人になる空間を持つと「楽」になれる、という事であり
常に孤独である事が「楽しい」…わけがない。つまり「楽」と「楽しい」を都合よく
混同しているわけだ。

この「楽」と「楽しい」と言う言葉は同じ漢字を使っていも意味が全然違う。
例えば「楽になる」はダウン系、「楽しくなる」はアップ系、ほら、まったく逆だ。

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言い尽くされた言葉になるけど人は一人で生きる生き物じゃないんだよ。
でも俺は愛する人を幸せにすることが出来なかった「人非人」だから
一人で生きていても全然不思議じゃないんだよな(自爆)

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そんな自分の今夜の夕食(≒餌)は「変わり果てた親と子の丼」

米:麦:角切ジャガイモ=2:2:1のご飯を炊く間に見切品の鳥肉団子8個(^^;)と
切ったタマネギ一個を緬汁とヨーグルト付属の砂糖と醤油と水を合わせた物で
弱火で煮込み、味が染み込んだ頃に玉子2個分の溶き玉子を上から入れ、
その具を、炊いてドンブリに盛った「麦イモ飯」の上に盛って完成。
ミツバがあれば、もっとそれっぽくなったかもしれないが、まあいいや。

イモとタマネギを切るだけで後は調理らしい調理をしてないから楽チンな料理だ。
「いきなり黄金伝説!」風に言えば、100円はしてない・・だろう。よし、頂きます!
フ~フ~、ハグハグ、うん、いいかげんに作った割に結構味は美味いな(笑)

・・・でも食ってても、ちっとも楽しくないや。


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