家族
事故から数日が経った。
顔面の生傷は徐々にカサブタとなり内出血は黄色に変わり癒える傾向にあるが
数日後に手術を控えた手の骨折は担ぎ込まれた直後から10cm程の添え木を
包帯で巻いただけの応急処置のみで軽く何かに触れるだけで悲鳴が出るほど
痛いし、両膝関節は内出血が収まっていないのか段々血か水が溜まってギシるのが
判る。
さほど痛みを感じずに動けるコツが判ってきたので台所に立ったり便所に行ったり、
庭に出て洗濯物を干したりはどうにかできるようになったけど、5分連続で動けない。
それに家事一般は健全な右腕で松葉杖を持ってるのでなかなか辛い(^^;)
実は右手も無傷じゃない。PETボトルの蓋をあけるのがやっとの握力しかないが
これで右手の使用が禁止されると生活が出来ないので医者にはナイショ(苦笑)
また咳き込んだら左肋骨あたりに激痛が走り消える気配が無いので、
もしかするとそっちもヒビが入っているのかもしれない。
肉体的な痛みには強いつもりだったが、さすがにちょっとダウン気味。
頑張れ、オレ!
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・・・しっかし、つくづく一人暮らしはこういう時には大変だな。
でも例えばここで自分が家族や家庭が欲しい、って言ったら
自分が大変な時(だけ)のヘルパーが欲しい、と勘違いされかねない(^^;)
でも、「家族」ってそういう単純なもんじゃないんだよね。
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自分には健在な両親と、姉、兄、妹、妹、計4人の「きょうだい」がいる。
つまり近年の都会暮らしには珍しい7人家族で育った。
父が今の自分の歳のころにはもう末っ子が生まれていたから、
5人の子持ちだったわけだ。しかも4LDKの団地を買っていた。
7人もいると狭い家では暮らせないからね。
子無しバツイチ世捨て人暮らしの次男坊から見ると。
自分の親という身贔屓をさっぴいても尊敬に値する。
当然だが、身贔屓がたっぷり入っていても尊敬しているけど(笑)
一学年飛び飛びで5人もの育ち盛りの子供を育てる専業主婦の母と、
出張に行けば必ず土産を買ってきて、休日はちゃんと子供と遊んでくれる父、
そんなエンジニアだった父と英語教師だった母は実は中学校の同級生で、
今に至るまで子供の前では喧嘩してる姿を見たことがない。
そんな両親を見ながら5人の「きょうだい」は育った。
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エンジニアだった父の給料は推定だが決して悪い方ではなかったと思う。
だが家のローンを払いながら5人の子供と、さすがに専業とならざるを得ない
主婦を抱えて生活するのは、今から思えばムチャクチャ大変だったと思う。
実際、自分も同じ団地の子供のお下がりの服ばかり着ていた。
パンツにすら「田中」と近所の兄ちゃんの名前が入っていたこともあった(笑)
「一人一袋限り」のパンの耳が食パン2斤分くらい詰まってる20円のそれを
5人の子供全員で100円玉一個持ってパン屋の前に並んで買ったこともあった。
珍しく焼肉バイキングの店に行き、何でも食べ放題だと、知った時、
「きょうだい」が大皿を手に飛びついて山盛りにしたのは肉でもデザートでもなく、
「白いご飯」だったし、自分が幼い時には、とあるレストランでハンバーグを食って、
「このハンバーグ、お肉の味がする!」と店中に聞こえる声で絶叫したらしい(苦笑)
最新のオモチャも買ってもらわなかったけど雑木林や沼で遊べてたし、
雨が降れば家の中で「きょうだい」でワーワーギャーギャーと遊んでたよ。
一応言っておくが、コレは昭和50年前後の日本の話、全て脚色無しの実話。
これらは、今も自分の家族にとって笑顔で語れる「楽しい思い出」の一部だ。
…え?傍から見たら貧しくて惨めったらしい暮らしにしか見えないって?(^^;;;)
でも自分らはこれで家族は仲良く、毎日が楽しく、とても幸せだったよ(^^)
膝のあたりがつぎはぎだらけになったズボンだって、母の手作りだと
思って誇らしげに履いてたし。
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そんな日々の暮らしがやっとなのに、5人中4人が大学に行った、いや行かせて
もらえた。優秀な姉や兄は国立大学の医学部や、日本一有名な大学で学費は
安かったが、自分は名も無い3流私立大学に行ったので学費の工面などで
迷惑をかけた。
私立の工学部だったので学費も年100万を越えていた。実際、間に合わず
学費滞納者として全校掲示板に名前を張り出されたこともある。でも今は、
そこの学校に通えてよかったと思う。
子供とはいえ5人の人間は徐々に育つ。それぞれはそれぞれの育ち方をする。
そのうち色々な衝突を繰り返すようになる時もあったな。10代の若い自分は
そんな中で妹の一人と大喧嘩し、思わず投げた時計で妹の生え際の額を割り
大流血の怪我をさせた。それ以来女性に、いや性別問わず人に手を上げた
事は無い。何度か殴られたことはあったけど、殴り返さなかった、殴り返せ
なかった。
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そんな自分の家族も、月日がたって子供は全員巣立って独立した。
父は定年となり、母と仲良く二人で実家で、犬や猫たちと暮らしている。
勤務医となった姉は老人福祉施設を経営する義兄と地方にいる。
忙しいエリートサラリーマンの兄は義姉と三人の子供とにぎやかに暮らし、
妹その1は共稼ぎしながら義弟その1と二人の子供とマンションのローンに
追われ、妹その2は悲劇的な死産を乗り越え再び子に恵まれ義弟その2と
頑張り家を買った。
・・・こうやって並べると自分だけ人の道を外れた暮らしをしてるな(^^;)
でもコレだけ頼りがいのある「きょうだい」が居れば、一人くらいこんな奴が
いても大丈夫だ<ばき
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おっとっと、話がアサッテの方向に行きかけた、戻そう。
昨日怪我で身動き取れない自分を見舞いに兄貴が一人でやってきた。
甥っ子達が来たら多分泣き出すような顔をしてるから助かった(^^;)<ばき
ここには一度も来たことが無いのに、携帯も持ってないし、カーナビもないのに、
住所とネット地図で場所を割り出し様子を見にきたのだという。
ここの地図だと最大倍率で住んでいる家が一軒一軒判別できるように出てくる。
これから実家に行くというのでついでに載せてもらうことに。風呂に入れる♪<べき
その道中、車中で兄貴がこんなことを言い出した。
兄貴:「・・・そういやこうやってinoを乗せるのは、これで3回目くらいだな」
今までも事故で怪我して動けなくなった時に例えばアパートや、事故現場
まで何回か迎えにきてくれた事があるのだ。
ino :「・・今回も迷惑かけちゃったね、ごめん。ありがとう」
兄貴:「でもまぁ、こんな程度でよかったな、あんまり家族に心配かけんな」
ino :「そうだね、お互いもう若くは無いしね」
兄貴:「若くないは余計だ(-_-;)」
ino :「たしかにそうだ(^◇^)」
実家に到着すると両親と犬と猫たちが迎えてくれた。・・・ただいま(^^)
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色々世話を焼きたがる母に、いいから座ってって、というと母は笑ってこう答えた。
母 :「自分が動けなくなったら出来ないから、今はやりたいようにさせてよ(^^)」
ino :「・・ありがとう、じゃあお願い」
こんな形でしか「親孝行」出来ない自分が悲しく情けなくなった。
出来ることなら大人になりきれない怪我した中年息子の世話でなく、孫の
世話、出来れば自分の子供の、をさせてあげるほうが親孝行だろうに。
#母は「育児のプロ」なんで毎週多くの甥っ子や姪がきても動じないのだ
片手片足片ツラで苦労しつつ一週間ぶりに風呂に入ると体臭が獣から
人間に戻った。その後のんびりと犬や猫どもと沢山触れ合って癒されて、
両親と兄貴と自分とでワイワイと夕飯を食い、また兄貴の車で自宅に
送られてきた。帰りの車中でも兄貴と色々語ってすごした。こういう
機会がないと滅多に語れないもんな、なぁ兄貴(笑)
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過去に自分の家庭は壊れて無くなってしまったけど、
自分にはまだこんなに「家族」がいる。それがこんな時はとても心強い。
そして思った。互いに助け合って、互いに成長出来るような、そんな
「自分の家庭、自分の守るべき家族、自分が居ていい場所」が
・・やっぱり欲しいな、ってね。
子供が居れば楽しそうだけど、居なくても共生する相方と
ずっと仲が良ければそれだけで十分。高望みはしない。
幸せってのは自分の手が全く届かない高い所にあるんじゃなく、
辿り着けない遥か彼方にあるんでもなく、実は自分の足元にあるものだと、
・・・もう判っているからね(^^)
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自分に再びそれにチャレンジする資格はあるのか、まだ判らない。
現実にはそんな未来は妄想の域を出ないかもしれない。
でも失敗から逃げるんじゃなく学んで、再び挑戦しないと「逃げた」ままになる。
挑戦すればまた失敗するかもしれないけど、それは「負け」であって「逃げ」
じゃない。逃げて卑屈になって背中が痒いままで生きるより、納得が
出来るまで負け続けた方が痛いけど気持ちいい。
それに勝敗は時の運、闘い続けていれば、
マグレで勝つこともあるかもしれないし:-p<ばき
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コメント
身体の痛み、想像を絶するもののようですね。。。
でも、痛いって感じるから患部をかばおうとするし、
無理しないし、っていうかできないし、生きてる証と思って!
本当にやばかったら、痛み感じないもの。
脊髄?神経?とかやられてたら、まったく痛くないもの。
痛いケガは、いつか治るよ!
inoさんが、幸せになるために前向きになれたこと、嬉しい。
幸せになる権利、幸せになる資格を放棄するような発言が、
とても悲しかったから。
身体はケガしちゃったけど、心の傷はほんの少しでも癒えたのかな。
投稿: なお | 2004.11.29 19:24
なおさん、また来てくれてありがとう、とても嬉しいです(^^)/
ついさっき左手の手術を受けてきました。
切ってボルト止めするのかと思ったら、なんと(以下自主規制)
今はぶっといハリガネが2本手を貫通してます(^^;)
まだ効いている麻酔が切れたらどうなることやら(^_^;)
でも痛いってのはリアルに「生きている」ってのを感じますね。
…痛いと感じられるだけ、自分は幸せモノだと思います(^^ゞ
これからさらに幸せになれるかどうかは、正直判りません(苦笑)
でも今回の件で、自分が少し変われそうな気がするんです。
離婚してから今までで、こんなにポジティブな精神状態に
なれたことは無いです。
そのきっかけをくれたなおさんに、深く感謝します。
また良かったら来てください、待ってます(^^ゞ
投稿: ino | 2004.11.30 13:11