鯨と、牛と、人間と
日本は古来から沿岸捕鯨をしてきた。
浜で沖を見張る者が沖合に鯨を発見すると、小さな手漕ぎ和船で漕ぎ出し、
巨大な鯨相手に手にした銛で挑みかかり、命懸けで闘った。一頭取れると
3つの村が潤うと言われ、肉は無論、ヒゲから骨から皮まですべて利用した。
それに対し欧米諸国は産業革命後にランプの燃料としての油脂を欲し、
機械動力船で船団を組んで鯨を大量に狩り始めた。目的は鯨油のみで
油を搾り取られた巨大な鯨の亡骸は、他の肉や臓器が残ったまま海に
投棄された。
戦後の日本は不足しがちな動物性蛋白源として大船団方式で効率良く
大量の鯨を狩り始めた。獲った鯨は古来同様、肉、脂、骨、皮…隈なく利用した。
そうして鯨は一時絶滅寸前まで追い込まれていった、とされる。
原因は間違いなく欧米日問わず人間が自然に生きる野生生物の鯨を
乱獲したからに他ならない。そこは全人類が謙虚に反省すべき事だ。
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現在、世界的に保護された結果、一部の種類の鯨は増えた、とされる。
絶滅の危機が回避されたのなら過去の反省を踏まえ、計画的に天然資源を
利用しよう、としたら今度は欧米諸国がこう言い出した
「鯨は賢い生き物だから『殺す』のはかわいそうだ」
科学的調査に基づき鯨の存在数を割り出し、絶滅しない範疇で狩る事を
主張する日本や、捕鯨が産業であるノルウェー、アイスランドはそんな
感情論を展開する他の国から目の敵にされている。
だがそれは明らかにおかしな話だ。捕鯨反対を唱える彼らが食す牛と鯨、
それは共に貴重な「命」に変わりはない。なのに鯨だけが(イルカも含む)
大切な命とされるのはどう考えてもおかしい。
つまり彼らは、牛や豚や鶏は神が人間に与え賜った愚かな生き物であって、
人間がそれを人為的に繁殖させているのだから大量殺戮および食肉を許し、
鯨や海豚はそういう対象ではない「神聖ニシテ侵スベカラズ」な野生生物、
だから狩らずに保護して見守ろう、と言うのだ。
本来なら野に生きる牛や豚や鶏を人間の都合の良い品種とするべく
人為的交配を重ねて種を歪め、生まれてから死ぬまで一度も自由を知らず
ただ人間に食われるために狭い所で飼育され、最期は信頼していた人間に
トラックに乗せられ屠殺場に運ばれて殺されて加工されるのと、
自然の中で生まれ、自由の海を泳ぎ、自然の中で闘って生き延びて鯨を、
自然の一部である人間が知恵と工夫で作った装置を使い、闘って狩る行為、
…極論すれば前者はナチスドイツのユダヤ人強制収容所みたいなもんで
後者は雑木林に生えてるアケビや桑の実を取って食うのと本質的に同じだ。
そのどちらが「非道行為」なのかは、ここで語るまでもないだろう。
このように冷静な判断や客観的事実や科学的数値的正確な情報ではなく、
単に感情論で物事を言うアメリカは、今や正常な判断が出来てない。
嘘じゃない、なにせアメリカ自身が科学的根拠で判断すべきだ、と
BSE問題における日本の牛肉輸入規制に対して言っているのだから。
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日本は「食の安全第一」を掲げ、安全が確保されない限り輸入しない、
現時点でその安全の確保が出来るのは全頭検査以外に無い、と主張する。
それに対しアメリカは「利益第一」、全頭検査はコストがかかるので
ランダムにサンプリングして統計学的に判断すればいいではないか、
こだわり過ぎるあまりに全頭検査を声高に叫ぶのは非科学的で間違ってる、
(=だからアメリカの言うことを聞いて日本は輸入を認めろ)、と主張。
これはつまり、調査捕鯨をして鯨の全体量を統計学的に推察するという
IWCにおける日本の主張が科学的であり合理的であり、良い方法だと
アメリカ自らが認めているに等しい。
もしアメリカが「調査捕鯨は意味が無い、捕鯨は認めない」と言うなら
統計学的な抜き取り検査のデータにだって意味が無いからBSE全頭検査に
いくらコストがかかろうがそれを実施するはずだ。
つまり捕鯨とBSE牛に関してのアメリカの主張には「完全・完璧なる矛盾」が
成立している。もし中国の故事が無ければ「矛盾」という言葉は「米的鯨牛」
という言葉になったかもしれないほど、パーフェクトに近いパラドックスだ。
そんなアメリカはイヌイットの沿岸捕鯨は認めている。日本はダメなのに。
理由は捕鯨と鯨食は彼ら(=アメリカ市民)の伝統文化だからなんだそうだ。
つまりアメリカの言う捕鯨反対はエコロジストではなくエゴイストの主張で、
しかも自分らの価値観だけが正しい、という極めて明快な人種差別を展開。
日本向け牛肉に対するBSE全頭検査を行わないのは、どうせこれは日本人が
食う肉だから、奴らがどうなろうと自分らは知ったこっちゃないんだ、
という思惑すら、彼らの主張から見えなくも無い、それほどに傲慢なのだ。
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…と、捕鯨推進論者&最近のNHK問題で拉致事件に対する北朝鮮同様の
逆ギレ開き直り論理を展開する某左翼A日新聞のような事を言いつつも、
自分は今の日本で無理に捕鯨をする必要は無い、と思っていたりする。
逆にアメリカ産の牛肉は安くて美味くて、輸入規制がかかる前は自分でも
たまに購入することが許されていた「庶民のご馳走」だったし、
高価ゆえに半年に一度くらいしか食えなかった吉野屋の牛丼も美味かった。
鯨肉と牛肉のどちらを取るか、と言われたら…やっぱ牛肉だろう<ばき
個人的に鯨肉は好きだし、食える選択肢として是非とも残して欲しいが、
今の日本は鯨を食わなくても動物性蛋白質の摂取が可能な世の中であるし、
逆に鯨は超高級食材になっていて、毎月一万円位の食費で暮らす人間には
とても手が出ないので無理してまで買って食いたいとも思わない。
人は今の自身の回りを把握して、そこにあるものを食えばそれでいいのだ。
戦後当時や高度成長期は確かにそれが鯨だった、でも今はそうじゃない。
もし牛が少なくなって鯨が増えたら、その時は鯨を食えばいいのだ。
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昨今の捕鯨問題に関しては牛食の欧米に鯨食の日本の食文化を侵略された、
という民族的自尊心もあるだろうが文化ってのは頑なに守るだけの物でなく、
既存のものをベースに今の世代が改良発展創造すべきだから、それに固執は
しなくて良いと思う。だがそれは外圧でむりやり止めさせられる物でもない。
古代エジプトで神の化身、近代の欧米が人の永遠の友と言う犬を食す韓国には
韓国なりの食文化があり、それは誰からも尊重されなければならない。
同様に海豚より人間に近い知性を持つ猿を食う中国には中国の食文化があり、
鯨より先に絶滅が危惧されるキャビアを食うロシアにはロシアの食文化がある。
他にもガチョウに強制的に食料を口から詰め込み脂肪肝を人為発症させる残虐な
飼育方法をとるフランスのフォアグラ、狩った直後のセイウチの腹を切り裂いて
生きた腸をそのまま生で食うイヌイット、生きたまま切り刻まれ、それでもなお
生きようとする命の最期の努力を面白おかしく見るためだけの日本の活き作りも
見方によっては断固として許されざる行為に違いない。
例えば葉っぱを細かく切り刻む千キャベツや、生きながら煮込まれるカブ、
オロシ金ですりおろされる大根、生皮を剥かれてから切断されるジャガイモ、
灼熱の炭火で焼かれるサツマイモ、圧搾機で潰され脂を搾れられるナタネ、
これらも「擬人化」すればどれだけ残酷な行為な事か・・(-◇-;)<ばき
でもそんなことを言い出したらキリが無い。何も食えなくなってしまう。
つまるところ、捕鯨絶対反対、と言う活動の論理はこの一言に集約される。
「身 勝 手 な 価 値 観 に 基 づ く 自 己 満 足」
つまり、昆虫の幼虫を食う原住民の食生活を自分の文化のものさしだけで
測って「気持ち悪い」「そんなもの食べられない」と思うのと同じだ。
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そういや生き物に対する保護運動が盛んな欧米諸国から多くの鯨の犠牲となる
オキアミの命を守れ!とかカタクチイワシは高等な脊椎動物だから保護すべき!
大きなダイオウイカは絶滅寸前だからそれを食うマッコウクジラを駆除しろ、
…と言ってるのを聞いたことがない。
まあ「毛皮は野蛮だ」、と言ってデモ行進する連中が、牛や羊の皮膚を剥いで
なめして縫い合わせて作ったジャンパーや靴を堂々と身につけてる有り様だ。
自己満足が満たされれば、後は知ったこっちゃないと堂々と晒せる人達だから
自分がかわいいと思うもの(例:鯨)は世界中の誰もが守らねばならなくて、
自分が殺していいと思う生物(例:牛)は強制収容所で飼育し屠殺してもいい、
それに何の疑問も感じないのだろう。
#そんな牛は、ヒンズー教徒にとっては神が乗る神聖な生物なんだけど(苦笑)
思うにこれは西洋人だけでなく「人間」の自己正当化本能のなせる技なんよ。
自分を正当化するためだったら、他人を切り捨ても、貶めても、騙しても、
裏切っても、搾取しても、何しても許されるんだ、自分だけは悪くないんだ!
・・・っていうそんな人を、悲しいかな実際に今まで何人も見てきたからね。
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