« 縦方向に圧縮?される爆縮戦隊 | トップページ | 「実弾」回収時期迫る »

2005.06.03

ゴミ拾いに思うこと

前回のティッシュ配りに引き続き、ふと思い立ってゴミ拾いの
ボランティアに参加してみた。場所は某川の河原、行楽シーズンになると
いたるところでバーベーキューをする集団が出てくるようなところだ。

ボランティアはティッシュ配りの時と同様に市が主催するもので、
朝方一時間ほどゴミを拾い集め、回収し、ついでに川に魚を放流する、
という、本当の意味でのゴミ拾いキャンペーンではなく、ちょっとした
イベントがかった意味合いが強い。

当日、天気も良かったのもあるだろうし、そんなイベントがかってる
事もあいまって、朝の集合時間には数百人が集まった。小さな子供を
連れた家族連れから、ビール片手に出来上がりつつあるおっちゃんまで
多種多様な人々がいた。

偉いらしい人の「ご挨拶」が拡声器で行われた後、ゴミ拾いは始まった。
受け付けは無い。ただ市の係員からゴミ袋をと軍手を受け取り、集合場所から
放射線状に一斉に散ってゴミを拾うというシンプルなものだ。

kawaragomi

沢山の人が狭い範囲で拾い集めるので目に付くようなゴミはあっというまに
無くなった。でも、多くの人は人が普通に歩いてゆける川砂利の上だけを行く。
ふと思い立って自分の目線以上に茂った雑草の中を掻き分けるように入って
足元をよく見たら、あるわあるわ、ゴミだらけだった。

そりゃそうだ、吹きっさらしの平地ではゴミだって飛んでゆくけど
その飛んだゴミはこういう場所に引っかかって留まるんだから。

多くの人が渡されたゴミ袋を満たすことなく受け付けに帰ってゆく中、
一人黙々と雑草の中を歩いてゴミ袋をそこそこ膨らますまで拾い集めた。
雑草の密林を見飽きた頃、目前に突然赤い花が咲いているのを見つけた。
自然に咲いているのであろうが、あまりにも不自然なその赤い花は
どうもポピーらしい。外来種であるそれが、こんなところに自生している。

kawarahana

うーん、これはこれで、厳密には回収すべきゴミのような気もするな。
雑草の定義とゴミの定義ってのは結構似たり寄ったりだから。
でも、結局それはそのままにしてゴミ拾いを終えた。

------------

平均化すれは一人あたり1kgも拾っていないと思うが、それでも沢山の
人がゴミを拾い集めたので市のゴミ回収車とコンテナはそこそこに
満たされた。何の見返りも無いイベントだったけど、まあこれで少しは
善良なる市民によってゴミも回収されたし、それなりに意味があったな、
と思い、現場を後にした。

午後になって、買い物に出たついでに、ふと思い立ってゴミ拾いの現場に
戻ってみた。あれだけ人がいたから分からなかったけど人が少なくなれば
そこそこキレイになった河原が見れるかな、と思ったのだ。

だがそこは、天気の良い休日という事もあり、あちこちでバーベキューの
煙が上がる一大レクレーション空間と化していた。

ぱっと見ただけでゴミは散らかし放題、残し放題で、目も当てられない
ひどい状態になっていて、どう贔屓目に見ても朝方やったゴミ拾いの
キャンペーンで集まった以上のゴミがそこに散乱していた。
そこには生ゴミを啄ばむカラスまで集っていた。

・・・あーあ、なんだかなぁ(-_-;)。

思うに、ゴミ拾いのボランティアってのは、朝イチにやるんじゃなくて、
夕方にやったほうがいいんじゃないのか?そして当然バーベーキューして
そこで楽しんだ連中に強制的に身を呈してやらせる方がいいんじゃないの?

でも、そういう荒らし放題の連中は、ゴミなんて拾わないわな。
誰かが片付けるだろう、という無責任な判断で、ガンガン!ゴミを
放置して帰ってしまうのだから。そしてそれを、税金で給料を得ている
市の清掃局の作業員が片したり、ゴミを直接出したわけではない人が
ボランティアでそれを拾い集めるわけだ。

つまり、誰か一部の無責任を全員の支出や全く別の誰かの善意で
辛うじて補っている
のが、今の現状なわけだな。
要は荒らした人間だけが一方的に得をするイビツなシステムな訳だ。
それを黙って支えている側の人間もいつかは堪え切れずこう思うだろう。

 誰か:「そっか、じゃあ自分も『荒らす側』になったほうが得じゃん」

今の日本、その道徳崩壊臨界点にはまだ達していないようだけど、
このまま無法な連中が世の中に増えつづけたら、いつかはそんな臨界点に
・・・到達しちゃうんだろうな。

今の大人はなんで自分の尻を拭くことすら、出来なくなっちゃったんだろう。
なぜ自分の利益と権利ばっかり口うるさく主張して、黙って果たすべき
責任と義務を果たさなくなったんだろう?

河原を見下ろす土手の上に単車を止めて、そのシートの上に横すわりして
真昼の宴を眺め、そこまで漂う香ばしい焼肉の香りを嗅ぎつつ、
そんな事を考えていた。

この場の中でそんなことを思ってる自分は、河原に散らったゴミのように、
雑草の中に咲く真っ赤なポピーのように、異質で排除されるべき存在、
…なんだろうな、と感じながら。
 

|

« 縦方向に圧縮?される爆縮戦隊 | トップページ | 「実弾」回収時期迫る »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

inoさん。

ボランティアだなんて、inoさん偉いですね。
お恥ずかしい話ですが、
私はその類のものに参加したことがありません。
だから自分の時間を犠牲にして
他人のために尽くせる人って、
心底、すごいなあと思います。

募金も公言できるほどしたことありませんし。
せいぜい、チャリンって程度です。

そろそろ、自分のためだけでなく
誰かのために何かできることをしないとなあ。
しょっちゅう、いろんな人に助けられてるのにね。
返してないよー。。。

投稿: なお | 2005.06.04 17:20

なおさん、土曜にもコメントありがとう(^^)。

あ、いえ、自分はちっとも偉くなんて無いですよ(汗)

子を産み、育て、命を未来に繋ぐ数多の親達に比べれば
今の自分のように日々無駄に命を浪費する放蕩モノが
出来る社会貢献、労働奉仕なんて本当に微々たるもんです。

自分は所詮俗物なんで全財産を投げうって仕事も辞めてまで
慈善活動は出来ないので、自分に出来ることからやってみてます。

思うにボランティアって、「やれる者が、やれる事を、やれる範囲内で」で
十分なんだと思います。そして重要なのはそれに何の見返りも求めない事。
もし奉仕を受ける側になった場合は提供した側にそれ以上の要求をしたり
不平不満を示さず、その奉仕の見返りに金品の提供もすることなく、
心からの感謝と尊敬の念を惜しみなく表する。それで万事OKOK。

それらの何かが一つでも欠けるとシステムとして美しくなくなってしまいますね。


 

投稿: ino | 2005.06.04 23:29

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/32094/4393172

この記事へのトラックバック一覧です: ゴミ拾いに思うこと:

« 縦方向に圧縮?される爆縮戦隊 | トップページ | 「実弾」回収時期迫る »