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2005年8月

2005.08.31

オレは拝火教の教徒(前編)

最初に言っておくが、ゾロアスター教とは無関係の話なのであしからず:-p

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LPガス屋と契約していない自分の日々の調理用火力の主力は
カセットコンロだ。もう十数年も昔に初めて一人暮らしを
始めた頃に、ワンルームマンションの備え付けの電熱コンロの
電気代にビビって購入したモノを今もずっと使用している。

でも、それだけでなく、天気の良い日や、気分によっては
庭先で七輪を使い、炭火を起こして、そこで魚や肉や芋を焼き、
湯を沸かしたりしている。

炭火で焼く魚は何よりも美味い事と、今はガスコンロのグリルが
使えないので魚を焼く術がこれしかない事と(カセットコンロで
室内で魚を焼き網で焼くと煙で家中が大変なことになるのだ)
木炭のコストパフォーマンスが実はカセットコンロに次ぐ物で
ある(近所の安い所だと3kgで198円で売っている)事が取って
つけたような理由である、のだが、そんな理由以前に自分が
何よりも裸火を扱い、操る緊張感が好きな事が一番の理由!
…だったりする(^◇^;)

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裸火は、一歩間違えば火事を招く大変危険なシロモノだ。
また太い薪や、木炭は慣れないと着火することすら出来ない
つまり電気やガス器具と比較すると格段に取扱いが難しい。

それを今まで自分の培った技を用い着火、火力を制御し、そして
利用する事は危険を嫌という程に理解していながら、そのリスクを
見極めてその中にある事の本質を求めつづける「単車乗り」の
本能と似通ったものがあるのだ。

おっと、勘違いしちゃいけないのは、わざと危険な行為を行っている
のではなく、危険な野生的本能を、人の英知と理性で押さえ込み
利用していると言う事。つまりこれは実は高度で知的な行為なのだ。
だから、たまに早く帰れた平日や休日の夕食などは、我が家では
七輪が大活躍する。それで焼いたサバやシャケの美味いこと(ToT)

…とはいえ、実は本当に自分が欲しているのは便利な七輪ではなく、
もっとワイルドな「焚火」、それも出来合いの台を使うようなものでなく
岩で竈を作り、直火を用いる一番原始的な焚火だったりする。

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カラスやチンパンジーがどれだけ賢くなり、様々な道具を使う
ようになっても、絶対に使わず人間だけが用いるもの、それは
「火」だ。つまり野で焚火を起こす、ということは動物と人間の
絶対的な違いであり、今まで脈々と受け継がれ累積されてきた
人類の文明、技術、文化、風習、習慣、知識、生活…、それら
全ての究極の原点、きっぱり断言してしまえばヒトとしての原点は
かつて我らの遠い祖先が一番最初に熾した焚火にあるのだ。

それはある意味でヒトが罪深き存在として歩み始めた原点でもあり、
いわば「パンドラの箱」でもあったのだが今回はその話は横に
置いといて話を先に進めよう(苦笑)

そんな焚火が人類に与えてくれたものはあまりに多い。そしてその
焚火が持つ『魔力』とも言うべき効能は、科学技術が進歩し人類が
宇宙に出て、生命体のDNAを弄る現代にもまだ十分通用するのだ。

例えば、人間はどんな極限状態に置かれても、例えば災害で家を
失ったり、無人島に漂着したりしても、そこで焚火を起こすだけで
野生生物としてではなく「人間」として生きて行くことが出来る。

焚火がもたらしてくれる明かりは恐怖を生む暗闇を追い払い、
暖かさは自然の温度とは違う空間を作り出してヒトの理性を保ち
身体を温め、チロチロと燃える炎は傷ついた心を癒すだけでなく、
様々な食材に熱を通す事で殺菌や調理する事が出来るので、
より安全で豊かな食をヒトに与えてくれるのだ。

自分はそんな焚火を愛してやまない。庭先で七輪で起こす炭火は
れっきとした裸火でありながら本物の焚火の疑似体験の域を出ない。
だから健全なる精神的健康状態を保つために、たまに焚火が必要だ。
これは「した方が良い」のではなくて「せねばならない」行為だ。

蛇足になるが自分の場合ステディな相手が居なければ「女断ち」
してても全然大丈夫だけど(自爆)、長期の「焚火断ち」はもしかしたら
耐えられないかもしれない(^◇^;;)
え?相思相愛の女がいたら?そりゃ男なんで(以下自主規制)<ばき

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先月と今月は先端科学技術の粋を集めた施設でスーパーハードな
業務をこなしてきたのでメンタル面ではまだ疲れてるし、ストレスも
そこそこ溜まっていた。えびぞ〜君にはけっこう癒されているけど(^^)

そこで現場から帰ってきたら久々に焚火を眺める「魂の洗濯」、
炎のヒーリングをするべく、週末を利用して焚火、具体的には
キャンプをする事にした。シュラフに入りテントで野宿する事は
自分にとってはストレッサーではなく、焚火と同様の「癒し」の
効果をもたらす行為なのでまさに一石二鳥なのだ(^^ゞ

現場仕事前には生傷を負うわけには行かなかったので「単車断ち」も
してたけど、それも解禁♪、久々に単車を出して没個性気味な
自分の数少ない得意分野であるキャンプツーリングを敢行だぜ!

何でも積み込んで運べてしまう四輪車でのオートキャンプと違って
あまり多くの荷物を積めない単車でのキャンプは、数多くの経験に
基づき吟味し尽くして厳選された必要最小限の愛用の道具類だけを
持参するので、経験を重ねれば重ねるほどに積み込む荷物が小さく、
軽く、少なくなって行く。人生と同じように、様々な修羅場をくぐり抜ける
度に物事の本質が見えてくるのだ。それを繰り返していると手元には
本当に使える優れた必要なモノだけが残る。

そんな使い込まれた愛用の道具を前日の夜にパッキングした。
手にとるのは実は一年くらいぶりなのだが、全て我が手になじんだ
絶対の信頼を寄せているものばかりなので何ら問題は無いのさ(^〜^)

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一週間前に、キャンプツーリングに多用する我が魂の器たるTW200を
久々に引っ張り出して点検してみたら、長期出張の間にバッテリーが
完全に干上がっていてキャブも詰まったらしくキックしてもエンジンが
かからなかった。それだけでなく、なんと自賠責保険も切れていた(^^;)
ちゃんと整備しないと、ツーリングには使えない。そこで今回は稼動
状態にありキャンプの荷物が詰めるキャパのあるXT600Zをチョイス。

当日の朝、クラウザーK2ソフトトップケースにキャンプ用品と食材を詰め、
テントとシュラフとドカシー、その他大物を別包の防水スタッフバッグに
詰めてそれをゴムひもでぎっちり車体に固縛、よっしゃ!出発すっか!

天気も快晴!クソ暑い真夏の空気も単車で走っていると気持ち良い〜♪

touring-xt

信号で停まり青信号で発進するたびに、600cc単気筒がもたらす
有り余る低速トルクをアクセルワーク一発で炸裂させフロントタイヤを
高々と跳ね上げて走り、久々の単車を満喫しつつ目的地を目指した。

                --- 後半へ続く ---


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2005.08.27

今夜は久々のキャンプ

今日は以前コメント欄で予告した通り、久々にキャンプツーリング♪
ここは富士五湖の一つ、精進湖の畔、いい天気だよ。

現着したけどあんな形の呼び掛け故に誰もいない(自爆)
ま、それが当然だわな(^^;20050827_1251_001.jpg

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2005.08.25

せめて生き物と一緒に暮らそう

かれこれ36年と6ヶ月チョイも生きているバツイチ男の自分は
何事もなければ大体二週間に一度くらいのペースで実家に帰る。
実家と言っても車で1時間くらいの距離だし、帰ると言っても
単に数時間寄るだけだが。

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いい年した、しかもバツイチ中年男の自分にとっての実家とは、
「親が住んでいる家」であり、「かつての自分の家」であり、
「きょうだいやその家族らが気楽に集える場所」に過ぎず、決して
自分が「帰るべき我が家」ではない。

一人暮らしを始めた頃には便利な「別宅」として使っていたけど、
結婚してからは1〜2ヶ月に一度くらい顔を見せる「よその家」に
なった。そして離婚後の今もそのスタンスは一切変わっていない。

この歳にもなって親を世話するならいざ知らず、自分一人で生活
出来ず親の世話になってるようじゃ「一人の自立した人間」とは
言えないし、お互い大家族の末っ子同士だった両親は良くある古い
「家制」の観念が全く無い人だから子供の家庭に干渉する事も、
依存することも無いので、今は両親やきょうだいらと程良い距離を
保った「大人」としての良い関係を保っている、と思っている。

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そんな自分が、なぜ今、二週間に一度と言うハイペースで実家に
行くのか?、それは実家に置きっぱなしのまま放置した車検切れの
TDM850のレストアのため。ようやくある程度のメドが立ったので
9月に入ったら、軽トラを借りてTDMを積み込み、車検に出す予定。

だが理由はそれだけでなく、それ以外にもっと大切な用事がある。
例えば「我が家」には無い風呂をちゃっかり利用したりとか<ばき!
・・・いやいや、確かにそれもあるが、それよりも何よりも大切なのは、
離婚後から実家に預けてある我が愛娘(猫)と遊ぶ事なのだ(^^)♪

両親の持ち家である実家には自分が暮らしていた頃から今に
至るまで、多くの生き物を飼っていた。虫、魚、鼠(ハムスター等)、
小鳥、鶏、猫、犬・・・生き物好きな両親と、生き物大好きな
きょうだいがワラワラいるのだ、だから常に何らかの小動物が
自分の周りにいた。

今でこそかなり数は減ったけど、今も実家には猫が7匹、犬が一匹、
小魚が多数…を飼っている。そこに自分の猫を預かってもらって
いるのだ。とは言え、もう2年半もそこで生活してるから、もう
自分の猫、と言うよりは「実家の猫」になっているけどね(^^;)

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元々我が愛猫「りょう」は離婚する寸前、現場出張先の会社の寮に
居着いた野良猫が産んだ子猫だった。それを現場から引き上げる
時に貰って帰ったのだ。だから名前が「寮」なのだ<ばき

結婚してた時に住んでいた家は猫を飼っても構わなかったので
子猫を連れて帰り、ギスギスした家庭内を少しでも夫婦共通の
笑みのある穏やかな空間にして(せめて子供がいたならそういう
雰囲気にもなったろうに)、お互いもう少し冷静になってもう一度
考える時間を持とう、と思っていたのだが、自分の事などとっくに
眼中に無くて、すぐにでも別れたくて仕方なかった元カミさんには
そんなミエミエの稚拙すぎる作戦が通じる訳もなかった(^_^;)

ニィ♪ニィ♪と良く鳴き、コロコロと転がるように可愛く走り回る
生後2ヶ月の可愛い盛りだったりょうは、離婚時のドタバタの現場
では飼うことが出来ず、猫がワラワラ居た実家に預けられ、結局
今に至るまで他の猫どもとドタバタしながら成長した。

当時はこんなだったのに、

ryobefore6

今ではこんな立派になって♪オトーサンはうれしいよぅ(ToT)

ryoryo

今の家では猫は飼えないし、ここ数年は長距離出張がちな自分は、
結局一緒に住んでもたびたび実家にりょうを預けに行かねばならない。
だから最初から彼女を実家で飼うことになったのは結果オーライだった。
両親も久々に加わった子猫が新鮮だったようだし、小さい甥や姪にも
大人気だったようだし、他の猫にも可愛がってもらえたようで、
りょうにとっても自分と暮らすよりは幸せだったに違いない(^^ゞ

そんなコイツや、自分が学生時代の頃からずっと生き残っている
愛すべき老描らと遊び、触れ合い、抱きしめたりするのは、今の
孤独でストレス過多な自分にはかけがえの無い、この上ない
効果のある「癒しの時間」なのだ(^◇^)

これからの人生、再婚はちょっと難しくなってきてしまったが<ばき
いつかは猫(ら)と一緒に暮らしたい。それが今の自分が描く将来の
ささやかなる夢の一つだ

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今の家では、残念ながら四足動物は飼えない事になっている。
また他の小動物も、出張がちなので面倒を見ることが難しい。
命を預かるって言う事は、ものすごく重い責任を負う事なのだ、
軽々しい事は絶対に出来ない

だが、ちょっと前の出張で、用水路に生きる小動物の姿を久々に見て
久々に何か生き物を飼いたくなってきた。幸か不幸か、しばらくハードな
現場出張も無いらしい。

そうなると簡単に飼えて、しかも何かあったときに簡単に(安全に)
手放せるような生き物がいい。そして何より、見た目が可愛くないと
癒しキャラにならない
。そこで、出張中に見つけた、アレを捕獲し、
期間を限定して飼う事にした。

天気の良い休日に、百均で買ったお子様タモ網を持って車で十分程の
近所にある某川に行き、コ汚い留水に網を数回入れ探る…いたいた♪
網に入ったのはこのアメリカザリガニの子供、全長約2cm。

ebizo

あ〜っ!、なんてぷりちーなつぶらな瞳なんざんしょ(T◇T)
さっそくこいつには「えびぞ〜君」という名前を授けた<ばき

ついつい楽しくなって、そんな事を何度か繰り返していたら、
他にモエビが十数匹と、なんとこんな所なのに泥鰌も採れた!
長さ5cm程の細っこい奴が2匹。よしよし、お前らにはino的に
由緒正しき泥鰌の名前を受け継ぎ、「ドン二世」と「ジョー二世」
という名を付けよう、どっちがどっちだか判別出来ないけど<ばき

・・・いい歳して何だが、こうやって水遊びを堪能して帰ってきた。
せっかく捕まえた彼らとしばらくの間一緒に暮らしてみようと思う。
そして10月頃には、またこの川に戻してやろう。

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採取後、そこにあった水草の束もバケツに入れて持ち帰った。
それを水槽に移す前に、ふとそこから突き出た枯れた茎に、
トンボのヤゴが登っているのに気がついた。しばらく様子を
見ていたが変化が無かったので、家事を一通り済ましてから、
ヤゴのところに戻ってみたら、その短い間に羽化してやがった。

tonbo

しばらく羽根を伸ばしていたが、その後ホロホロと飛んでいった。
命ある生き物って、それ自体が神秘で、なんて凄いんだろう(^^)


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2005.08.22

ここは太陽と闘う砦

ライフコスト削減の度が過ぎた結果、生活インフラからガスを無くして早2年超、
家に風呂場はあっても、浴槽に湯を張ったことは一度も無い。

この季節は毎朝黒く塗ったポリタンクに水を入れ、庭先に放置するだけで
帰宅する夜にそれを回収して、アウトドア用フットポンプシャワーに使う、
太陽熱シャワー」だけでほぼ毎日たっぷりとお湯を使って汗を流し、
垢を落とせるので、バツイチサラリーマンの日常生活にガスが無いことに
何ら不自由を感じてない。

・・・と、ここでも何度もUPしてるし、実生活でもあちこちで公言してるんだけど、
それをなかなか信じてもらえない(苦笑)。本当にこうやってるんだけどなあ。
                        ↓  ↓  ↓  ↓
solarhot

黒く塗った一斗缶の方が「圧倒的に早く沸く」んだけど、日没後に冷め易いし、
去年使ったそれは冬は使えないのでしまっておいて春に久々に引っ張り出して
見たら中がまっかっかに錆び錆び。踏み潰して引導を渡しリサイクルに出した(^^;)

今はスペアの黒マジックで塗りつぶしたポリタンクを使ってる。
これだとフットポンプシャワーの部品をそのまま装着して使えるし。
その周りにあるレフ板は集光用に配した車用ウィンドサンバイザー、
結構効くのだ、これが。

なおこうやって太陽熱を使えない季節は、カセットコンロでシャワー用の
温水を作るのは、繰り返しになるが以前UPした通りだ:-p

みっともなくても、野郎が一人で生きる「だけ」なら、これでいいんだよ(笑)
チーム-6%」なんて甘い甘い、こんな姑息な浅知恵を駆使して全員が
「チーム-20%」くらいを目標にしてないと、アベレージ-6%なんて出来っこない。

・・・おっとっと、今回の趣旨からずれたので話を元に戻そう。

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こうやって有り余るほどの真夏の太陽の恵みをちゃっかり利用しながらも、
エアコンの無い「チーム-20%」的な生活を送る自分には、この太陽が発する
莫大な熱線による火力は一種の暴力でもある。

自分は弱っちい人間だから、この暴力を全身に受けながら耐えて生きる事は
出来ない、そんなことしたら死んでまうわ!(T◇T)

だから、上記のような簡易太陽熱温水製造システムのように、わずかな
リソースと、ボケてる頭脳を利用して、一見するとビンボー臭いけどそれでも
最大限の効果を得るような方策を必要に迫られて必死になってやっている。
それがこれだ。
  ↓ ↓
tarp

幅2m、長さ5mの農業用遮光シート(日照75%カット)を軒先から2枚張り、
さらにそれ以外に2m*2mのアウトドア用70%遮光タープシートを張って
庭の約1/3を日陰にしているのだ。ちなみに下から見るとこんな感じになる。

tarp2

防空カモフラしたジャングルゲリラ戦の前哨基地のようだが単なる民家だ。

これにより、バイクカバーをかけてあるとはいえ殆ど無防備な単車たちを
強烈な直射日光の照射から守り、さらに庭先が太陽光で加熱されるのを
防いで朝方と日中の網戸から流れ込む風温を下げることに成功している。

庭仕事する場合やバイク弄りする時も広大な日陰を確保してあるので
大分楽になる。農業用遮光シートは風が抜けるので強風でもそこそこ安心
だし、1シーズンずっと張りっぱなしでも耐えるだけの耐久性も十分あるし、
大きめのホームセンターで容易に入手できるし、単価も200円/mと安いので
気楽に使えていい。一般的なブルーシートだと雨水も防げるようになるけど
ホームレスっぽくなるし風が抜けないから強風が吹くと大変なことに…(-_-;)

庭を全面このシートで覆ってしまえば、相当涼しくなるのだろうけど、
庭には日照を必要とするサツマイモや大豆やシソやイチゴ等があるので
彼らから太陽を奪うわけにはいかない。だから遮光シートでは午前中から
日中まではいいのだが、西日は防げない。西日と闘うために有効な防御は
よしずだ。こんな感じでいくつも使って極力西日の火力を殺ぎ落とすように
している。

yosizu

このよしずは、ロープで固縛してある遮光シートと違い軒から簡易的に
吊り下げていたりゴムひもで引っ張っているだけなので、いつもは
軒先を支える支柱に巻き付ける。このようによしずを展開したままだと
バイクが表に出せないので、こういう可変式にせざるを得ないのだが
よしずってのはその点でもとても便利なシロモノなのだ。

蛇足になるけど庭に植えてあるサツマイモは強烈な日差しをたっぷり
浴びて日に日にツルを伸ばしている。実はサツマイモってのは土中の
水分を葉っぱから蒸散させるので、土地の温度を下げる働きがあるのだ。

嘘のようだが、ビル屋上緑化にそういった理由でサツマイモも使われる。
自分が庭を耕して夏場に庭をイモヅルまみれにするのは、秋に得られる
食料のためだけでなくて、ちゃんとそのあたりも考えてあるのだ。

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今回の農業用遮光シート施工にかかった費用は約2000円、時間は30分。
たったこれだけで得られる単なる日陰と、放置しておくだけでガンガンと
勝手に育つ植物、そして自然風。これらと、室内の扇風機だけで今年の夏も
乗り切れそうだ。なにせ地面や建屋の加熱が防げているので日が沈むと
途端に涼しくなるのだ。寝るときはまだ少し暑いけど十分寝れるし、
起きる朝には爽やかな涼しさを感じるほどになる。

…思うに、加熱されて熱くなったコンクリートやアスファルトだらけの所で
暑いからとエネルギーをバカスカ使ってヒートポンプ回して冷気を得るのは
こうやってあえて相反する生き方をしてみると、もの凄く不毛な行為のような
気がしてならない。

夏が暑いのは当たり前。だからその暑さを全否定し逃避するように安直に
冷房を多用するんじゃなくて、この暑さを満喫しながらも自然の知恵を借りて
軽くあしらっている方が、よっぽど「クール」だよな、と自分は思うのだ。
 

 

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2005.08.17

サマージャンボの戦果

タバコと同じくらい生理的にギャンブルが大嫌いな自分ではあるが、
毎回「ジャンボ宝くじ」だけは買う。たまに忘れることもあるけど。

それは実利あるリターンを期待してるのではなくて、国民的お祭りへの
参加だと思ってることと、「宝くじを買っても一等なんて当らない」という事を
毎回自腹を切って確認して安心したい、という偏屈な意味もある。

買わねば当らない、でも買っても当らない。これを毎回経験することで、
そう簡単に突拍子も無いことは起こらないけど、起こる可能性は秘めている、
と言う統計学的に当たり前の事と、間違ってはいない事、両方を感じて
安心してるのだ。こう見えても理系の技術者なんでね(^◇^;)

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ちょっと前のグリーンのや、ドリームのジャンボは連番10枚、バラ10枚の
合計20枚を買った、これがいつもの自分の宝くじ購入スタイル。でもって
その結果は末等のみ300+300=600円回収という悲しい結果だった(苦笑)
つまり回収率10%。なんちゅーハイリスクローリターンな投資だ(-_-;)<ばき

そう、宝くじってのは実はハイリスクな株取引よりもっと損するシステムだ。
その詳細は以下のリンクを参照されたし。詳しく載っている。

  All about JAPAN:株式投資・宝くじ、激しいのは?

全てのギャンブルに適用する大法則「胴元が必ず一番儲かる」が成立つから
間違いなく「賭博」なんだよね、これって。

とはいえ、多数のみんながちょっとずつ損をする代わりに、一握りの誰かが
偶然でそれら全てを束ねた相当の幸運を大金という形で手にするのだから、
それはそれで納得出来るフェアなシステムだ。税金や年金と違ってさ(苦笑)

で、今回のサマージャンボは、また思い切って当社2.5倍の大投資!
15000円で50枚のそれを買ってみた。一ヶ月分の食費を越える額を
突っ込むのは悩んだけど、どうせアブク銭も入る事だし、と使ってみた。

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で、その結果。

    5等 3000円 × 2枚
    6等  300円 × 5枚
   --------------------
    合計 7500円

うーん、回収率50%まで上昇したじゃん、よしよし(笑)

6等は10枚に一枚入ってるので10枚買えば最低回収率は10%。
5等は100枚買えば一枚入ってるから、100枚購入時の回収率は
20%になる。だから50枚買って50%ってのは宝くじの勝率としては
けっこう良い方だろ、yoは満足ぢゃ、フォッフォッフォ(^o^)y

以前の年末ジャンボほどじゃないけど半分も返ってくれば十分じゃん(^^)♪
二十日間は食って生き続けられる食費に相当する7500円は
綺麗さっぱりと、散財しちゃったけどね(ToT)<ばき!

 

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2005.08.15

それならば嫌でも飲まねば<ばき

本業じゃなくて、あくまでも「パートタイム原発労働者」である自分の
7月と8月の通算被曝量は約3.2mSvだった。今回の現場は比較的線量が
低い所だったので、いつもよりは少ないな。

一応健康に害は無いレベルであるはずだが、例えばタバコを吸うよりも
はるかに健康に与える影響は少ないんだけども、でも一般民間人よりは
やっぱり多く被曝し、その量を着々と増やしていることに変わりはない。
いつか必ずガンになる自分としては、ちょっとだけ、その辺りが気になる。

でも、最近こんな吉報(?)が報道されていた。発見したソースはここ。
                        ↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050811-00000215-yom-soci

でも、すぐ消えちゃうだろうから以下全文引用(^^;)。

----ここから引用----

 ビールに放射線から体を守る効果…放射線医学総合研

  ビールに放射線から体を守る効果があることを確認したと、
  独立行政法人・放射線医学総合研究所(千葉市)が11日、
  発表した。

  放医研は、ビールに含まれているシュードウリジン、メラトニン、
  グリシンベタインと呼ばれる微量成分をそれぞれ血液と混ぜて
  エックス線や重粒子線(炭素イオン)を照射し、最大34%も
  血液細胞の染色体異常が減ることを突き止めた。

  放射線を浴びると、体内に遺伝子を傷つけるフリーラジカルと
  呼ばれる反応性の高い分子ができる。アルコールにはそれを
  捕捉する働きがあり、放射線防護効果がある。このため、
  ビール大瓶1本を飲んだ人の血液を採取してエックス線などを
  あてた場合、飲酒前の血液と比べて染色体異常が顕著に
  少なくなることも確認されている。ただ、ノンアルコールビールでは
  防護効果がなく、アルコール単独よりビールの方が効果が
  高いことから、ビールの微量成分が複合的に作用していると
  みられる。

  放医研の安藤興一グループリーダーは「作用のメカニズムを
  解明すれば放射線防護薬の開発につながる」という。

               (読売新聞) - 8月11日23時35分更新

----ここまで引用----

ちゅーことは、管理区域に突入する前にはビールを一杯飲んで
それから作業に掛かった方が「安全第一」なのかもなぁ<ばき

まぁそれは悪い冗談だとしても、このニュースを見たら飲兵衛な
現場の労働者達は高々とビールジョッキを掲げて乾杯するに違いない。
だって仕事後に堂々と飲むための大義名分が出来たんだもの(^^)/d□☆

でもこれって、やっぱり「本物のビール」じゃなきゃ効果は出ないのかな?
発泡酒や、「その他雑種」じゃ効果が無いのかな?一介の庶民としては
是非そのあたりを何よりも早急に検証して頂きたいんですケド(^^;)<ばき
 

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2005.08.07

「光と影の季節」 by 浜田省吾

過酷な労働を日々繰り広げる現場仕事に従事する出張中は
自分は自他共に認める「仕事人間」に変身しているようだ。

そのためにわざわざ会社は高い金を払って自分をここで生活
させているのだし、自分もそのためにここで生活しているのだ。
最近は寝ていても現場仕事をしている夢ばかりを見るようになった。
つまり、起きてても仕事、寝ていても仕事、という状態だ(苦笑)

自分の健康や時間や「らしさ」を切り売りしその代償として身分不相応な
収入を得てる自分はまるで身分不相応なモノを欲しがるあまり自分自身を
切り売りするように売春してハシタ金を得ている女子中高生…みたいな
もんなのかもしれないな。

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約一ヶ月前にここに来て、休みは三日あった。そのうち二日は直明けの
調整休日、ついでにそのうち一日は今日だ。だから実質は日勤時の
一日しか休みらしい休みは無かった。

こういう休みの時には世俗と切り離された世界にいる自分をその世俗と
結びつけている細い蜘蛛の糸を手繰り寄せるように(?)お買い物♪に
出かけるのだ(^^)

パチンコも飲み屋も風俗も嗜まない自分にとってはこれも立派な
「癒し」の行為だ。その行き先は地元のスーパーだったり、百均や、
古本屋や古CD屋、本屋やCD屋、ホームセンターな事が多い。

それに行ってみても、買いあさるような事はせず、ただ並ぶ商品を
眺めて回ったり、それらを買う人々を見たり、当たり前のようで
実は貴重な日常にある平和な時間を満喫している…だけなのだ(苦笑)

とは言え、もしメロンパンや可愛いカメのぬいぐるみがあったら
発作的に衝動買いしちゃうかもしれないけどさ<ばき

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その日は現場近くに以前来た時には無かった超巨大ホームセンターに
向かった。そのホームセンターは「SUPER CENTER PLANT5」と言う店。

端から中に入るととんでもなく長い長い直線通路があってドン突きが
よく見えないほど遠い。それが平行して何本も並んでおり、それらを
行き交う横の通路もある。

これだけデカいと「現代生活に関するモノが殆どここにある」だろう。
品揃えは凄まじく、生鮮食料から電化製品、生活用品、カー用品、
農業用品、仕事用品…ブランドやメーカー、グレードに拘らなければ
現代の文化レベルで生活するための一通りのものが全てあると言っても
過言ではない。きっちり見て回るには時間も体力も必要だ(^^;)

その日は長い回廊を一本眺めただけでギブアップし、その途中にあった
CD屋(CDコーナー?)に入った。

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以前もヘロヘロな過労状態でaikoのCDを買って癒されたネタ
UPした事があるが、この日も「魂の渇き」を潤す何かを求めていた。
ハゲかけた中年なのにゾッコンラブな(笑)aikoの自分が持ってない
CDは残念ながら無かった。そういや最近aikoが「好きなアーティスト」
という投票でNo.1になったらしい。当然ボクもそうさっ(*^^*)<ばき

そのままダラダラ商品棚を眺めながら物色して行く。

おお、キャロルのベスト盤があるじゃん、これ欲しかったんだよね。
こっちには最近売れてるらしい1000円のクラッシック入門CD三枚組が
これも欲しかったんよ…などと、この時だけは、日の当たらない放射線
管理区域で働くためだけに生きている労働者ではなく、日々の生活を
楽しめていた昔の自分に戻ったような錯覚を感じた。

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そうやって新譜のコーナーを眺めていたら、その中に自分には懐かしい
アーティストの名前を見つけた。それは浜田省吾

かつて自分は高校生の頃に尾崎豊や浜田省吾といった、日本語の
歌詞にちゃんとした意味のある「ジャパニーズ・ロックンロール」に
ズッポリと傾倒していた時期があるのだ。(その前はテクノだ<ばき)

今の高校生から見たら信じられないほど貧乏だっただろう当時の自分が
その時代に唯一購入した「LPレコード」は浜田省吾のたった一枚だけ。
当時人気だった尾崎豊は周りが持っていたのでいつでも借りられた。
でも浜田省吾だけは同好の志が回りにいなくて自力で買ったのだ。
…でもそれも、中古レコードだったりしたのだが(^^;)

自分にとって尾崎豊は死して今も26歳のままだ。彼の歌を聞く時は
自分も訃報を聞いた24歳以前に戻って聞いている気がする。だけど
浜田省吾は歳を重ね、大人や世間と闘っていた若者も今では50を
越している、のかな?

自分も尾崎のように24歳で立ち止まる事は出来ず、毎年歳を重ねて
浜田省吾が生きている「中年」という世代となった。何か感慨深いな。

そんな彼が新譜を出していた。題してMY FIRST LOVE
十数年ぶりに聞いてみたくなって、新品にもかかわらずそれを買って
車中で聞いてみた…うおおぉおぉお!浜田省吾はやっぱ最高!

かつて傾倒していたあの当時に引けを取らない、いやそれを上回り
成長してかつて闘っていた相手側となった、でも当時とちっとも変わらない
彼が歌っていた。

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一通り聞いてみて、この新譜の中にある次の三曲に強く惹かれた。

 01:光と影の季節
 07:I am a father
 09:初恋

「初恋」は、浜田省吾の人生の片鱗を語った歌だけど、普通に
聞いていても気持ちがいい(^^)、自分とは全然違う人生なんだけど、
自分の人生を思い返して歌詞にして思わず歌いたくなるような曲だ。

「I am a father」は、疲れたお父さん世代への応援ソング、と言うと
えらく下世話な感じになるけど、もっと深い曲だ。自分が恐らくはもう
なれないだろう、家族を有する子を持つ世の中の父親達に是非とも
聞いて欲しい曲だ。自分もこういう「かっこ悪いけどカッコイイ父親」に
なりたかったなぁ(^◇^ゞ

それら二曲よりも何よりも、一番ツボにはまった曲は「光と影の季節」

理屈抜きでこういうメロディとリズム、そして歌詞に込められた物語に
自分自身を同調させられるような楽曲に自分は弱いのだ。
以前の出張ではaikoの「赤いランプ」がそうだったように今回の出張中の
マイメインテーマはこの「光と影の季節」 by 浜田省吾、に決定♪

ルームミラーがサブウーハーでビリビリと振動する程の大音量で聞きながら
どこへ行くでもなく、ただ音楽を聴くためにB4を走らせていた<ばき

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この曲を聴くと、今までの自分の生き様=「旅」を思い返す。
その「旅」はまだ途中、そしてこれからもずっと続く。そして「旅」の中で
自分が遭遇した様々な出来事や風景、を思い返す。

そういう時に、この歌に歌われているような「逢いたい人」は自分には
もういない。そして「旅」で何かを悟っても、自分が帰れる場所ももう無い。

でもこの曲を聴いても不思議と、落ち込んだり、悲しくなったりしない。

もし一年前や、二年前にこの曲を聞いていたら耐えがたい感情の
荒波に成すすべも無く翻弄されていたに違いない。なにせ2年半前、今自分が
いる寮の、全く同じこの部屋で、仕事やその他で苦しめられ心も身体も悲鳴を
あげ、生まれて初めてかかった心療内科で処方されたマイナートランキライザーと
睡眠薬をかじりつつギリギリの綱渡り的に生きていた自分は、その綱が切れる
音を聞いて、そして今の生活へ向け底なしの闇に真っ逆さまに落ちたのだ。

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でも、自分が永久に失ったものを歌うこの曲を聴いても、ちっとも悲しく
なったりしないのは、あの頃の自分のみっともない生き様を、そうで
あってもあの当時自分に出来る事をやっていたんだな、と認められる
ようになったからかな?

ブザマなことを沢山していたけど、それでも医者から精神安定剤が
処方されるまで追い込まれていた自分は一生懸命頑張っていたじゃん。
当時の自身を許せはしなくても、当時の自分を、せめて今の自分くらいは
認めてやろう、…ってね。これは自分の大嫌いな「都合の良い自己の
正当化」かもしれないんだけどね。

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その後も「光と影の季節」を何度も何度も聞いてみた。そしてこう思うに至った。

今の自分にこの曲にある「旅の果てに絆を見つけた逢いたい人」はいない。
逢えるものなら逢いたい人は居るけど物理的にどこかに存在していても
その中に「逢いたい人」は入ってないしなぁ。

でも、いつか本当にそう思える人、そして自分に「逢いたい人」に出会い、
そしていつの日か「自分が帰っていい場所」が出来るといいな…ってね(^^)

それを一度やってみた結果、自分にはこういう生き方は無理なんだ、
オレはそんな人間じゃなかったんだ、と分かった事ではあるけれど、
それでもあと一度くらいは挑戦してみる価値があると思うのだ。

だって「叶わない夢」だって、それが無いよりはある方が
はるかにマシな生き方だと思うから(^◇^)。

 

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