「十三里」の前に、まずはコレ
自分は自称拝火教徒だが、基本的には人知を超えた偉大なる大自然を敬う。
だから、乗り物以外の生活は、極力抑えて無駄なエネルギーを使わずに、
自然の偉大さを実感しつつ生活出来たらいいな、と思う。その究極の姿は
恐らく「ほぼ自給自足」だろう。だからそれを気取って庭で野菜を育てて
それを育てた自然に感謝しつつ、それを食ったりしてる。
だが、そんな自分はある意味で目指すそれとは完全に相反した存在である
「中年サラリーマン」という職を持ち、そこで得たカネで日々生活している。
完全にベクトルが異なるそれと「自然人」として生きる事を兼ねるのは
とても難しい。だから自分は電化電子製品に囲まれた都市生活者としての
生き方も望むし、また趣味人として乗り物を満喫したいとも思う。
今の自分の暮らしは完全に相反するその二つの生き様の交点なんだと思う。
でも、出来る事なら極力前者側になるように踏ん張って生きていたいな。
そんな暮らししてたら農家の長男より嫁探しが難しいけど(T ◇T)<ばき
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そんなこんなで、自分は普通の現代人よりは「食料」に敏感だと思う。
それは「グルメな料理」じゃなくてあくまでも「生きるための食料」の事。
以前UPしたようにヒガンバナが食える、ということに感動するような人間は
世の中にそう多くないだろう(自爆)
でも、あらゆる人間がそれをせずには居られない三大本能の一つである所の
「食う」って事はその意味や連鎖を考えるだけで一生瞑想し続けられるだろう、
奥の深い事なのだ。人はなぜ食うのか、なぜ生きるのか、そもそも命は何か、
自分の命が他の命を奪うことで成り立っているのはなぜか、そんな自分の命は
これからどう使えばいいのか、未来に命を繋げないイビツな存在の自分は
どう自然に貢献して、最期にどうやって自然にこの命を返すべきなのか…
自分が敬愛して止まない大自然は、人間が生きて行くために必要な食料を
あちこちにちゃんとちりばめて用意していてくれる。人間だって動物だから
本能的に死なないために何かを食わねばならない。もし小奇麗で衛生的な
調理済みの食材が無ければ食えない、とても生きられない、というのなら
残酷なようだが、そいつは死なねばならない。
自分自身が生き残るための闘いを放棄したら、他の生き物が生きるために
命を提供して「命の襷」を渡すのが「大自然の原理原則」だから。
ハイソで上品な料理や、レトルト食材、スナック菓子ばかり食ってる人や、
加工することで動物の肉を食っているというイメージを抱かせない食材、
例えばフィレオフィッシュバーガーや、チキンナゲット、魚肉ソーセージを
食う人は、こういう事を考えながら食っている…訳無いだろうな(^^;)
残念ながらそんな事を考えながら生きている人を自分はそう多く知らない。
おっとっと、前フリが長くなりすぎた、本題に入ろうか。
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暴力的な暑さを鼓舞し続けた熱帯夜も9月の秋の声を聞きおとなしくなり
柔らかで澄んだ虫の音を聞きながらスヤスヤと眠る自分の枕元に我が家の
生活には欠かせない(貧乏)神がまた立って、そして自分に告げた。
(貧乏)神:「…ino、久しぶりじゃ、相変わらずみみっちく生きてるのぅ」
ino :「おおカミよ、先日はむかごを賜りありがとうございます(-人-)」
(貧乏)神:「よいよい、さてinoよ、そろそろあの季節がやってきたのぅ」
ino :「イモですね♪、でもイモはもう少したってからの方が…」
(貧乏)神:「いや、イモの前に食う物があるのじゃ、ほれ、アレじゃよ」
ino :「庭には今食えるのはシソくらいしかありませんが…?」
(貧乏)神:「オヌシの庭だけが食材を得る場でない、さあ外に出よ!」
ino :「外っていったい何処ですか?いったい何の事ですか?」
(貧乏)神:「それはイモ畑から16km手前にある…トゲには気をつけよ…」
ino :「あぁっ、神様ちょっと待った!せめて何か一つヒントを!」
(貧乏)神:「…柿は8年じゃが、それは3年じゃ、検討を祈る…サラバじゃ」
ino :「16km手前?トゲ?柿は8年?・・・ハッ!それはまさか・・・!!」
BGM:「Let it be」 by The Beatles
・・・と、言うのは以前同様たった今、適当に考えたウソだ:-p<ばき
ある日、秋ならではの無料でget出来る食材を求め自分は某所にくり出した。
ここは「大地の恵み」が豊富にある穴場なのだ。だから場所はナイショ♪
当然だけど、立ち入ってはいけない人の土地じゃないのでご安心を。
太陽光をいっぱいに吸収するために大きく枝を伸ばし葉を茂らせたその木の
下には、ハリネズミの死体がゴロゴロ(ToT)、じゃなくて「毬」が落ちていた。
その「毬」は裂けていてその隙間からそこに収まりきらないくらいパンパンに
膨れ上がった茶色い木の実が見え隠れしている。これが今回のターゲットだ。
そう、それは秋刀魚に匹敵する秋の味覚、栗だ(^^)♪
落ちている毬栗(イガグリ)を踏んづけて裂き、中から丸々と肥えた栗を拾う。
その作業中にも風にあおられた枝から、巨大なイガグリがボロボロと落ちる。
頭に直撃を受けるとタマラナイので、愛用のドカヘルを被らねば危険な程だ。
そんな作業を15分ほど続けただけで大量の栗を拾うことが出来た(^^)/
一人が堪能出来る量があればいいのであまり欲張る必要はないのだが
でも栗拾いはやっぱ楽しい♪、しかもどんなに拾っても無料だと思うと(^^;)
もう一個、あと一個、と拾ってしまう欲が出た。あ〜〜!楽し〜〜〜ぃ♪
その時の栗がこれ。この栗丸々と肥えていて一粒一粒がスゲェ大きいのだ。
↓ ↓
右画像の右上の小さい丸は100円玉。携帯電話とも要比較(^^;)
これだけ栗があったらそりゃもう「栗ごはん」を炊くしかないっしょ(^^ゞ
いつもパスタやらジャガイモやらを入れる代用食も今夜はクリクリぃ♪
自分の炊き方は手間をかけないチョー適当な方法だけど、一応UPしとこう。
1)栗をまず煮る。弱火で2時間ほど煮込むと鬼皮も渋皮も手で剥けるのだ。
2)茹でた剥き栗をオーブントースターで軽く炙り粉っぽい表面を固める。
3)もち米と白米を適当にブレンドして研ぎ、炊飯器の規定水量にする。
4)その中にオーブンから取り出した栗を投じ適当に料理酒と塩を加える。
5)炊飯器で当たり前のように普通に炊く。
・・・こ、これで完成(^^;)
ちなみに2)で焼いた栗は、当日使わず、翌日栗ご飯に使うことも可能。
ここ数日そんなこんなで帰宅後栗ご飯を炊きながら栗を茹でて、食後は
翌日用に茹で栗を寝るまで毎日毟っていたのでBlogの更新が滞っ<ばき
さあ栗ご飯は堪能したから、これからは別メニューに挑戦するべ。
とりあえず簡単な渋皮煮あたりから始めよう。栗の皮を剥くのは得意だし
重曹の在庫はあるし、ヨーグルトに付いてきた砂糖も沢山あるしね(^◇^ゞ
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自分はこうやって、季節感のある食材を自力で育てたり、自然に生えてる
それを取って当たり前のように食す。だがこういう話をたまに人にすると、
他人:「なんてあなたは貧乏ったらしい暮らしをしているの!」
と驚かれたりすることがあり、逆にそれを見てこっちが驚く(苦笑)
どうも「道で落ちているゴミを拾って食っている」というイメージらしい。
こうやって自然に生っていたり、生息しているものを取ってきて食う、
という風習は大昔からごく当たり前にあったはずなんだがなぁ(._.)?
例えば春にそこら辺に生えるツクシを取ってきて煮付けて食べるとか、
ヨモギを取ってきて草もち作って食うとか、初夏に海岸に行ってアサリを
取る潮干狩りとか、秋に木に生るアケビを取って食うとか…それ不思議?
確かに地面に落ちた木の実を拾って食うのは縄文時代の食生活と同じだし
庭でイモを栽培してそれを収穫して食うのは弥生時代の食生活と同じかも。
でもそれとほぼ同じ行為を今やって何が悪いのさ、同じ人間じゃん(^^;)
お上品な貴女らが食うモンブランやマロングラッセのように加工されてる
栗もこうやって山で太陽を浴びて大地から水分を吸い成長した木の実だよ?
それを育てた木を見ずに、落ちたイガ栗を自分で割らず、自分で調理もせず、
最終加工されたブラックボックスを食うだけ方が、長い人類の歴史でみたら
よっぽど奇妙キテレツな風習だと思うぞ。
…こんな事ばっかり言ってるとますます再婚が遠のくな(T◇ T)<ばき
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さて、栗の後はこれよりウマいと称される「十三里」の収穫が控えてる。
でも蔓はまだまだ元気に葉っぱを出してるからもう少し様子を見て、
10月中頃に掘り出してみよう。今年はどれだけ取れるかな?わくわくするな♪
しかしホント、秋って(食材が沢山無料get出来て)いい季節だなぁ(^^)<ばき
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