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2005.10.22

えびぞ〜君、成長する

近所の川から孤独な中年バツイチ男に拉致され囚われの身となった
アメリカザリガニのえびぞ〜君とは、3日に一回くらいのペースで冷凍
生鮭の欠片をやりながらもうかれこれ二ヶ月程、一つ屋根の下で
一緒に暮らしている。

その当時は親指の第一関節+αくらいのシュリンプだったのに、
大してエサを食ってないのに約二ヶ月で、こんなサイズに変身!

ebiaft

ちょうど一ヶ月前にUPした画像がこれだから、
tenoriebi

…この一ヶ月間で倍以上にデカくなってやんの(^^;)

あと2〜3回脱皮したら、立派な「マッカチ」になるだろうな♪
そろそろ元の川にリリースしようかと思ってたけど、このまま冬を
一緒に過ごそう。えびぞ〜君からすればえらい迷惑かもしれんが、
・・・もう少し付き合ってもらおう(^◇^)

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ちなみに、この「えびぞ〜君」、もし何か天変地異が起こって、
食い物に困ったら、ためらう事なく自分はコイツを食う
おっと、そのために育てているのではないよ、念のため。

…飼ってる生き物を食うなんて残酷だ!と思うかい(^^)?
でもね、生き物を「飼う」って事自体が残酷な虐待なんよ。

確かに普通に生活してる状態で食おうとは自分も思わない。
でも「何が何でも生き延びる」ってのは、お上品な奇麗事じゃ
出来ない、食えるものは庭草だって木の皮だって食うのだ。

自分は何があっても食えるものを探して食って生き延びる確固たる
自信がある。すでに自然淘汰されている無意味な我が命にそこまで
して生き延びる必要と価値があるのか、という気もするけど<ばき

…ここを見てるあなたは、果たしてそれが出来るかな(^^)?
(がみさんなら、余裕だろうけど)

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コンビニがなければ生きられないとか、救援物資がこなければ
生活出来ない、とか、きっとだれかが助けてくれるだろう、なんて
他力本願だけで生きようとしてると・・・死んじゃうかもよ

自分だけならそれでもいいけど、家族を守る立場なら、家族も死ぬ。
そうならないためには、備えも必要だけど、いざという時に生き延びる
ための知識を得て、一度でもそんな経験をしておいた方がいいのだ。

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昔の農家は飼っていた鶏をシメて食っていた。当たり前の事だ。
だが今は日常生活で多くの家庭がそんな事を殆どしなくなっている。
魚だって丸々一匹を買ってきてさばかず、切り身の入ったパックを
スーパーで買うのが一般的だろう。野菜だって生っている実を手で
もいでくる、なんて殆どしない。だから肉も魚も野菜も米も、全ての
食品が生き物が死んだ結果の死骸で出来ている
という事を
実感する事は殆ど無いはずだ。

それどころか驚くべき事に小学校で鶏やウサギを飼うと、死んだときに
世話していた児童が悲しむから、という理解不能な理由で飼わないとか。

おいおい、それは「悲しむ子供を自分が見たくないから」、だろ?
自分が愛するものが死ぬのは悲しい、って事を可能な限り早くに教えず
育ったら、平気で人を殺すような人間になっちゃうかもしれないじゃん。

自分の命が他の命を奪って食う事で初めて成り立っているという事実を、
命あるものがいつかは死ぬ、という事を、そして「死」という絶対的現実に
向き合う事を教えず、それから逃げる教師や親は狂ってると思うのだ。

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そうそう、もし何か有ったときに、人によっては役に立つかも
しれない自分のお気に入りのHPをいい機会だから紹介しとこう。

 キャッチ&イート研究所

 

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「ペット」カテゴリの記事

コメント

 いやいやいや 相変わらず全く持って正論ですな。誠に同感です。ハイ
 
 ワタシは論点として、「残酷」という言葉は人間同士のエゴイズムが作り出した言葉である事、がそうであると思います。
 動物は本能とそれに追随する学習によってプログラムされており、その行動は生きる(或いはDNAの継承)という目的に対して実に無駄がありません。
 しかし人間はそのようなプログラム以外の部分で無駄をしている場合が多いような気がします。
 高度な社会性と知性が後押しして、プログラムに反する行動を同族他者に対して行う。或いは成長した文化が独自のルールを包括し、しかしそれが実はプログラムに反する行為であり、そしてプログラムに従った行動を取ったとき。
その時の行動が残酷なのだと思います。
興味深いのは後者はプログラムに従うことが反社会的行動である、という点です。
つまり、食べるために動物を殺す行為そのものが反社会的であり、教育が必要な子供達にはその様な残酷な行為は見せるべきではない。場合によってはその残酷な記憶の影響が後々の反プログラム行為であるところの猟奇犯罪につながる という実に矛盾した、かつ詭弁ともいえる理論が比較的安易に世論として通用してしまっている訳です。

 こうなると実にスパイラルな展開が進行する訳で、食物として死んでくれた動物達への哀悼の意などどこ吹く風、食卓のお肉は元は生きていた事すら脳裏にはないわけです。
 しかし捕食する生き物として、そして万物の霊長としては感謝の気持ちを忘れてはいけないと思うのです。
 知能高い人類であるからこそ感謝の気持ちを形にすべきです。でも実際には

  神殿で     供物を    天に還し    感謝の意を捧げる     と
   ↓       ↓      ↓          ↓
(庭に作った)(生きたニワトリ)(首を刎ね)(空を仰ぎ叫びながら激しく踊る)

 なぜか白黒パンダ車に連れて行かれちゃう訳です。
 全く持って理不尽な世の中ですなあ・・・・

投稿: がみ | 2005.10.23 00:43

本文を微修正&追加しました。

がみさん:

続けてコメントサンクスです(^^)
今のところ、ここを定期的に読んでくれてるのは
がみさんだけのようなので、飽きずによろしく(^^)<ばき

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買ってもらった外国産クワガタが死んだ後、今の子供はそれを
「壊れたオモチャ」と同じようにゴミ箱に捨てる、という話を
以前どこかで聞きました。

自分からすれば「血で汚れた現実」である屠殺現場を
子供に見せないように隠して子供の事ではなく親の
自己満足のためだけの「狂育」をする前に、身近な
命の意味を子供自身に教えて一緒に考えて、子供が
自分なりの答えを見つけさせられるような「共育」を
するべきなんだろうな、と思います。

ま、人の親にはなれないだろう自分がいくらこんな事を
ここでホザいても、何の意味も、説得力も無いですが(^^;)

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…思うに「常識」って言うものほど絶対と信じられていて
でも不確定な定義は無いんでしょうね。

自分の常識は他人の常識とイコールじゃない。
でも自分が含まれるグループの中で、それらが少しずつ
ダブる部位の最小公倍数、又はシックスΣで定義される
95%以上が、俗に言うところの「常識」としての錦の御旗を
得たような錯覚を持っているので、それが厄介なんです。

以前牛肉と鯨の話をしましたが、人と人は基本的に
互いの主張で突っ張ったら絶対相容れないもんです。

自分の主張や主義だけが正しいと主張し、それに
従わないからと、自分から譲る事なく決裂するのは
簡単です。でも互いが互いを認めて、互いが譲歩して、
それぞれのベクトルを少しづつ修正して「だいたい」
同じ方向に向けられれば、一緒に生きていけます(^^)。

結婚なんてそれの一番身近で最たる行為ですよ<ばき

 

投稿: ino | 2005.10.23 09:37

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