何の役にも立たない技
自分が子供の頃は、TVゲームといえばテーブルテニスのような
簡単なモノしかなかったし、それも超高価なシロモノだったので
貧乏庶民の我が家にはそういう物が入ってきたのは小学校の
高学年頃だったような気がする。
それ以前は友達と沼にザリガニを釣りにいったり、雑木林で虫を
採ったり、海に釣りに行ったり、木に登ったり、自転車を乗り回して
外で遊んでいた。
そういう遊びのために必須だったのはボンナイフと切り出しナイフ。
小学校低学年に刃物を持たせるなんてのは、今の小学校や親から
すれば目くじらを立ていきり立つような話だろう、そしてイマドキの
子供だと、それで同級生を刺したり、切り付けたりしかねない。
でも自分らのころは刃物を使うのは当たり前だったし、毎週のように
指先を切ったりしてたから、刃物がいかに危ないものか、痛いものか
身をもって体感してた。だからそれを他人に使うなんて事は想像すら
しなかったし、取っ組み合いの喧嘩をしたって、お互い素手のみで、
しかも拳で顔面を殴ったり血を流す怪我はさせない、という暗黙の
ルールが徹底していた。
イマドキの子供にはそんな不文律はあるのだろうか?生物を素手で
触ったり採ったり、飼ったり、釣った魚を食ったりする事をやったり、
カッターやナイフで竹や笹、木の枝を削って様々なモノを作って
遊んだりするんだろうか?泥沼でドロンコになって遊んだり、高い
木の上に登る勇気を示す子供社会ならではの通過儀礼や、夜の
闇に怯えながら、懐中電灯片手に子供達だけでクヌギの樹液が
にじみ出る秘密の場所に行き、昼間にはとても見る事が出来ない
「昆虫達の夜の宴」を見て感動したりするんだろうか?
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そういう、今の子供より貧しいが、今の子供よりも豊かな少年時代を
多くのきょうだいや友人達と過ごしてきたので、その頃身に付けた
様々な事は今でも自分の記憶に深く刻み込まれている。最近その
一つをひょんな事から掘り返してみる機会があった。
最近実家に帰った時の事だ。妹が甥っ子達を連れ遊びにきていた。
妹一家は一番上が5歳、次が3歳、末が3ヶ月の3人兄弟だ。
一番下はまだ赤ん坊だけど、上の二人は既に暴れん坊で、いつも
ドタバタしているので、自分が実家に帰るといつも遊んでくれ!と
せがみまくられる(冷汗)
もし自分に子供がいれば、そういう楽しい毎日を過ごせたのかも
しれないが残念ながら自分にはそれをする資格も価値も無かった。
で、そいつらが輪ゴムで遊び始めたので、自分が子供時代に
作って遊んだ、こんなモノを即興で作ってみた。何年ぶりだろう?
そう、割り箸と輪ゴムで作る「輪ゴム鉄砲」だ。今までに何十個、
いや、ヘタすると何百個作ったかわからない程数多く作って、
自分なりに改良したりして、より大掛かりなモノや多段連発式を
作ったっけなぁ。懐かしいや。
とりあえず5歳児に触らせるモノなので、一番シンプルで威力も
弱い、ベーシックなモノを即興で二つ作って、二人に一つずつ
渡してみた。
するとお子様連中は予想以上に、大喜び&大はしゃぎ(^^;)
そこら辺中に輪ゴムをペシペシ打ちはじめたので取り上げて
叱った。「人と生き物には絶対に向けるな、打つな!」、と
きつく諭し、紙に的を書いて適当な所に吊るしてやった。
吊るした紙は輪ゴムが当たると派手な音がして、子供心に
射的心をそそるのを自分の経験上知っていたからだ(^^)
予想通りお子様は一心不乱に輪ゴムの射撃に夢中になってた。
エアガンや銀球鉄砲はまだ言語道断だけど、この輪ゴム鉄砲
ならば、割り箸の長さを調節すれば「強烈銃」にも「弱々銃」にも
自由自在に強度がコントロール出来るので小さいお子様でも安心
なのだ。当然今回渡したのは有効射程2m程の「弱々銃」だ(^^)。
そんな連中に気をよくして2連銃身に、ダブル輪ゴム装填式の、
4連発タイプを作ったら、これまた大ウケ(^◇^)
もう少ししたらTVゲーム買えだの、お年玉が少ないだの、ハゲた
オッサン、とか平気な顔して言うようにかもしれないけど(--;)、
このくらいの子供はこういう素朴なモノでも目をキラキラさせて
喜んでくれるから、相手していて楽しい飽きないねぇ(笑)
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こういう、自分が身に付けた素朴な遊びは、殆どが父親から
教わったものだ。それをベースに、子供なりに応用を重ねて
仲間内で切磋琢磨して、最終的に「自分の技」として完成
させていったものだ。
本来こういう「技」は、次の世代に伝承して行くべきなのかも
しれない。今回は甥っ子たちにその片鱗を見せてはみたが、
自分は彼らの父親じゃない、だから輪ゴム鉄砲の作り方を
義弟に託した。彼に父親としてそれをもう一度作ってやって
くれ、とメモと輪ゴム鉄砲の現物を妹に渡して頼んでおいた。
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こういう手作り玩具は子供の頃に夢中になって沢山試行錯誤
しながら遊んだから、まだ他にもいろいろ作れるし、素朴ながら
多くのノウハウが脳内に蓄積されているけど、そういう父親が
子供にやってみせる事で、子供に父親の存在を知らしめるような
「技」は…結局そういう方面では使えず役に立たなかった(自爆)
でも、今さら自分が独りでたまに遊んだり、こうやって子供を
相手に遊ぶときには発揮出来るんだから、まだいいか(^◇^ゞ
何の役にも立たないけど、決して無駄にもなってないからね
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