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2006.06.10

一人で生きるとは一人で死ぬ事

今自分が住んでいるのは、築3*の平屋で3DKの間取りを持つ
2軒長屋だ。つまりお隣さんと庭と建屋が繋がっている形状だ。

その接線上にはスタッドレスタイヤとかを入れておける物置空間が
あるので生活音は全く聞こえず、庭も分厚い生垣で区切られて
いるので、住んでいる感じはほぼ一戸建て感覚と言ってもいい。

とはいっても生垣だから隣人が庭仕事をしていれば、そういう音は
聞こえるし、庭でタバコを吸われると、臭いタバコ臭がウチの庭に
漂ってきて、そういう点では共同住宅だなぁ、と思う事がある。

まあお隣さんも、キャブを弄る度に漂うガソリン臭や、七輪で
サバやサンマを焼く
臭いをそう思っていたに違いない<ばき

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今日は休日なので、贅沢に目覚ましを切って大寝坊を決め込んだ。
09:00頃になったら妙な物音が聞こえたので起きた。どうも家の前に
トラックが数台止まっていて、どやどやとした人と作業中の気配が
するのだ。

おやおや、ご近所で引越しでもあるのかな(^^)?と思ったがどうも
雰囲気が違う。聞こえてくるのは荷台に何かを乱暴に投げ込む
ドカン!ガン!という衝突音ばかり。

往々にしてこう言うシチュエーションは、住んでいる本人や身内
引越し業者ではなく、家主や市の職員、業者などが家財道具を
撤去してる音だ。おかしいな、お隣さんは60過ぎの年金暮らしの
おっちゃんが一人で住んでいるはずなのだが…

そういう理由は二つ考えられる。一つは住んでいる人が家賃を
踏み倒して夜逃げした場合。もう一つは、身寄りの無い住んでいる
人が突然死んだ場合だ。実は過去に住んでいたアパートで、隣人と
上の階の人がそれらをやった事があり、それに立ち会った経験が
自分にはあるのだ。

一人は夜の仕事をしてた上の階に住んでいたおっちゃん。ある日
大家がやってきて、上の部屋の家財道具を自分の部屋の前に投げ
下ろし始めた。びっくりして出たら、半年も家賃を貯めて逃げやがった!
と怒り狂う大家がまるで憂さを晴らすようにそれをしていた。自分から
するといい迷惑だったな。

もう一人は隣に夜中に息子夫婦にまるで姥捨てされるように引っ越して
きた80超のじぃちゃん。週に2回の福祉施設行きのミニバスが迎えに
着てたくらい、一人では身動きできないような状態だったのに、家族に
捨てられたようだった.数日見かけないな、と思っていたら、ある日、
市の職員と産廃業者のコンテナがやってきて、全てを投げ込んで捨て、
部屋を空っぽにしていったっけ。

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表に出てみると、明らかに産廃処分業者のようなトラックにタンスや
テレビやらの家財道具と、ポリ袋に入れられた服やゴミが無造作に
ぼんぼんと投げ込まれていた。これは明らかに引越しではないな。
どう考えても「後片付け」だ。

Sagyou

その傍にはおっちゃんが先週の日曜まで元気に乗り回していた
スクーターもあるが、よく見るとナンバーが外されている。これは…
黙々と片付け作業をしてる人に声をかけて聞いてみた。もしも
間違ってたらえらく失礼な、でもまず間違いではないだろうという
確信をもって。

 ino  :「・・・お隣さん、亡くなったんですか?」
 作業者:「え?えぇ、きゅ、急に・・・・・」

先週までピンピンしてたのに、と話を繋ぎながら隣に住んでる
者です、と自己紹介したら、目玉を丸く開いて驚き、それ以降
目を伏せて口ごもるばかりになった。そういえば木曜の夜に
帰宅した時、パトカーとすれ違ったっけ。

それでもうこれ以上何も聞かなくても、事の全てを悟った。
・・・そっか、あのおっちゃん、孤独死(or自殺)したのか(TT)

お隣さんだったけど、顔をみかけた時に挨拶するくらいで
あまり接点は無かった。孤独な男の老後の年金一人暮らしを
満喫したような気がしてたし、庭で植物を弄る様が、自分と
似ていて、ちょっとだけ自分の将来像を見ているような気も
していた。おっちゃんのスクーターが動かないで困っていた
ときにはそれを直してあげたりしたっけ。

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人が死ぬのは当たり前の事だ。だから隣で別に死者が出ても
自殺者が出ても、自分はそれをいやだな、とは思わない。殺人
事件や腐乱死体はちょっと勘弁して欲しいが。

どんな人でも自ら死を選ぶにはそれなりの理由があるはずだ。
もしも怨念を持ってそのおっちゃんがウチに化けて出てきたら、
まったくの見ず知らずじゃないし、独居の中年(老人)仲間、と
いうより、明らかにその道では自分の先輩にあたる人だから
そこに至った心境を酒でも酌み交わして聞いてみたいと思う。

自分は自らの命を絶つことはたぶん無いと思う。命の意味
自分なりに理解しているからね。

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でも男の一人暮らしの末路は、結局こういうもんなんだよね。

これは、結婚してれば回避できることか、といえば決してそんな
事ではないだろう、夫婦二人が一緒に元気なままで、同時に
死なない限りは、必ず死に別れるのだし、それ以前に今の
自分のように離婚して一人暮らしする事だって十分ありえる。

それでも子供がいれば違うだろうなぁ、介護しろ、面倒みろ、と
いう事じゃなく、孤独死してても、連絡してくる身内や、尋ねて
くれる人がいるのと、全く居ないのとでは、全然違うって事。

隣の片付けを指揮しているのも、どうも息子夫婦らしかった。
そういえば、おっちゃんが乗ってたスクーターは息子が置いて
いった物だ、と以前おっちゃんが笑いながら言っていたっけ。
自分には子供はいないけど、甥っこ達がいるから、そっちと
仲良くしておこう<ばき

なにせこのままだと間違いなく20~30年後には自分の家財
道具もこうやって廃棄物として業者や身内が片付けることに
なるのだ。そう考えると黙々と作業する人たちの姿が、自分の
甥っ子の姿にダブった。今は小さい彼等に、将来こういう作業を
させてしまう事が確約されていることを、とても申し訳なく思う。

せめてそういう後片付けと、葬式代くらいは身内に迷惑かけない
ように、今からちゃんと準備しておこう。一応そのくらいの蓄財は
あるから、それを使って業者に全部やらせてくれぃ>甥姪軍団よ

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実はこれ、何年後かの将来の話ではなく、例えば今日の午後に、
単車で出かけたときに事故ってあっさりと死んでしまったら、明日
明後日には全く同じ事がウチで行われる事になるのだ。

そう考えると、気楽な中年男の一人暮らしも、そしてその延長上に
存在している老人男の一人暮らしっていうのも、虚しくて、悲しく、
嫌なもんだね。おっちゃんが孤独死?したその理由は判らないけど、
そんな陰惨たる気持ちがもしかしたらあったのかもなぁ…

あー!とっとと脱したい!(苦笑)

だけど、これは惚れた女を幸せにする事が出来なかった罪に対して
食らったバツだから、その罪が許されるまでは仕方ない(^^;)<ばき
自分のような奴の所には「蜘蛛の糸」は降りてこないだろうし。

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陰惨たる気持ちで、その作業を背にして庭に回った。するとそこには
生き生きと成長するイモや大豆、雑草の若々しい緑色に溢れていた。
足元にはアリやダンゴムシが歩き、草陰にはカナヘビがチョロチョロと
歩いている。小さいながらも立派な大自然がそこにあり、命が溢れて
いた。自ら死を選んだかもしれない人の傍には、小さくて短い命を
精一杯輝かせて闘っている場があった。

将来の事は判らないから、いつか自分も死にたいと思うようになる
かもしれない。実際、結婚していた時期の最後の頃は当時の様々な
辛さに耐え切れずこっそり心療内科に通ってパキシルとホリゾンを
齧りながら踏ん張っていた、「誰よりも弱い男」だからね。

正直な話、自分は化学系技術者だから、死のうと思えば簡単に死を
自分にもたらす事が可能だ。台所にも、庭先にも、百均の店先にでも
致死量を超える化学物質を見つけることが出来るから。

でも自らの意思で己の命を絶つ生き物は多分人間だけだと思う。
それ以外のどんな命も、最後の一瞬まで諦めずに生きようとする。
例え腰から下をすり潰されるような致命傷を負って、あと数分しか
生きられないような状態でも。

せめて自分も天命が尽きる前に自らの意思でスマートにギブアップ
してとっとと楽になろうとはせず、命ある限り最後までみっともなく
闘って、力を出し尽くしてから死にたいと思う。それが自分に命と
いう貴重な襷を託してきた無数の命を無駄なモノにしないための
義務にして、自分の命を自らの意思でコントロールする権利だと
思うから(^^)

 

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「心と体」カテゴリの記事

コメント

 唐突ですが、inoさんは来世とか魂って物についてどう考えられていますか? 私は、それらについては、今のところ無いと考えています。生き物は死んだらそこまでって。名前が残ったり、他の人の記憶に残ったりすることはあるでしょうが、それは本人とは関係が無いなと。
 だから「今」が大事なんだなと。
人は、基本的に、死ぬときは一人だと思います。誰かを連れて行ったり、何かを持って行ったりする事は出来ませんから。
まあ、一人もんの強がりかもしれませんが。
とりあえず、いきてます。いけるところまではいきます。

投稿: 剣片喰 | 2006.06.11 13:28

剣片喰さん:

コメントありがとうございます(^^)

そうですね、自分自身は理系技術者として死後の世界や
霊魂は存在しないと思います。でもそれ以前の一人の
人間としては、…無いよりはあってもいいかな、いた
方がいいかな、とも思ってます。

例えが悪いですがネッシーやUFOと同じ扱いですね、
存在はしないと思うけど、もしあったらロマンだね、
というレベルですね(^◇^)

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神、霊魂、来世,という宗教概念は、現実や現世で
超えることの出来ない障壁により挫折したままで
報われず生きる人々に対する慰め…この一文で全て
表される程度のものでしかありません。

でも、科学や人工のものでは説明できないことや
人知を超えた存在をあがめて敬う、という事は
人間が傲岸不遜にならず常に謙虚に物事を考える
ために必要な概念だと思います。

本来はそういうことをおのおの個人の意識レベルで
構築しておかねばならないのでしょうけど、それを
画一化、規格化して大衆迎合的に判り易く共通化した
ものが俗に言う「宗教」なんだと思います(^^ゞ

これに関してはココを始めるはるか以前にやっていた
今では廃止した自分のHPで以前こんな事を書いたことが
あります。古いネタですがHDDの片隅に残っていたので
一部加筆改行修正して再UPしてみます。ご参考までに。

------------

2000/8/26 「その下にあるもの」
  
今朝方、またも猫に死なれた。上記URLの奴。

死に立ち会う事は数をこなしても慣れない。
人にしろ、猫にしろ、「死」を目にするたび
生と死の持つ意味を深く考えさせられる。

・・命とは?

我々は自我や意識、知識や経験があって生きている。
だから命は文明や文化、社会学や文学で表される。

その自我が宿る命とは肉体を持つ生命体であり、
だから命は医学や生物学で表される。

生物をミクロ的に見れば有機物や無機物の集合で、
複雑ながら絶妙なバランスの化学反応で成り立つ。
だから命は化学で表される。

化学とは分子や原子の反応であって、それを
ミクロ的に見ると原子は電子軌道にある電子と
中心の陽子と中性子のある原子核からなり、
量子力学の世界で計算される、その反応も実は
様々な物理法則によって行われる。
だから命は物理学で表される。

計算されるという事は、そこに数学が存在する。
つまるところ命とは気の遠くなるような高次の
方程式による無限に近い数の連立方程式のような
物で表される。

もしそうやって数学で表されるのならば、それを
人為的にプログラミングする事が出来るはず。
もし仮にその「生命方程式」が解けるのならば
命は、自我は、…何度でも再生できるはずだ。

だが同じ物質を同じ形で全く同じように配しても、
今の「自分」と同じ意識を持つ生命体になるのか?
それは疑問、というより無理だろう。

すなわちその「生命方程式」にはまだ我々が理解
できない「何か」があるのだ。未だに解明出来ない
それはもしかしたら「神の意志」なのかもしれない。

そういうと非科学的だ、という科学者もいるだろう。
だがその科学的な方程式はなぜそうなっているのか、
と問えば多分答えは「長い進化で」「生命の神秘」
「自然現象」としか答えられまい。

…それでは根拠が無くあまりに非科学的ではないか。

その「何か」とは、実は命の儚さ、理解しがたい
自然の偉大さ、それらに出会うたびに太古から
人類が本能や皮膚感覚で感じているものと同じだろう。

この漠然とした「何か」を説明するために人類は
哲学や神学、宗教なども生み出した。だが、それを
説明する手段であるはずの哲学や宗教がいくつも
存在し、それらの間で争いすら起きる。

となると哲学や宗教では説明できない、全ての
元となる、未だに辿り着かない「何か」があるのだ。
…残念ながら自分はそれが何なのか分からない。

だが、もしそれが分かれば、何故生きてるのか、
そして何故死ぬのか、それが意味するものや、
それが永遠無限に繰り返されている、その意義が、
…分かるような、そんな気がするのだ。


 

投稿: ino | 2006.06.11 21:00

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