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2006.09.01

加速してゆく時の流れの中で

気がつけばもう9月に入った。先月が始まったのがほんのちょっと
前だったような気がするんだけど、もう夜風に虫の音が混じってる
から、間違いないんだよね(^^;)

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人生も壮年期に入ると、月日の流れる速度がまるでそれまで生きて
きた結果発生した大量の排気ガスに比例した量に応じて過給をする
排気タービンの働きで、今までよりもっと凄い勢いで加速して行く
ような感じがする。

今まではその速度はとても遅く、道中にある出来事や人との出会い
というような事にも沢山気が付いて、足を止めてたような気がする。
でも今ではそんな事に見向きもしないか、気が付いても加速してる
最中なので一旦足を止める余裕が無かったり、それを言い訳として
行動を億劫がり、「ま、いっか」とそのまま通り過ぎてしまってる、
…そんな気がする。

速度を増しつつある、という事は、どんどん余裕を失っていると
いう事だ。でも加齢現象は重力加速度のように止められない。

だったらどうする?諦めるのかい?いやや、若い頃以上に努力して
動体視力と反射神経を鍛え上げて、全ての感覚を鋭敏に研ぎ澄まし、
加速する時の流れの中に出現する、把握可能な数少ないチャンスを
機敏に察知し、即断即決で瞬時に判断して老体に鞭打って何らかの
行動を起こすようにしないとならないのさ(^◇^)♪

『砂時計』はもう半分以上流れ落ちてしまっている。残りが少なく
なってきたそれを、これからは大切に使わなきゃ「もったいない」
もんな、頑張らないとp(^◇^)q

 

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

そうですね、時の流れは早いもので、
知人や友人がまるで別人のように見えたとき
それを強く感じます。

自分は変わってるのだろうかと・・・

それでも客観的には?でも
は以前の自分とは確実に違う中身というのは大切だと思いました。

外見があまり成長しないときは
中身の成長が大切な時期ではないのかと思います。

外見はふとしたきっかけで急激に変わることはあっても
中身の方はちょっとやそっとでは変わってくれるものでは
ないですよね。

私も日々中身の進化をいろんな意味で怠らないように
しないといけないなと思います。

余談ですが
例のダイエー猫、子ども生んでしまいました(笑)
四匹生き残りましたが、

まだ子猫みたいなお母さん猫の一人(猫)前な姿に
かなり衝撃を受けました。

人間である自分が猫に生き物の生き方というものを
教えられている感じです(^^;;;

子猫どうしよう???
猫好きなinoさん、どうでしょう?

投稿: ぱにる | 2006.09.03 01:11

パニラさん:

そうですね、人間って、肉体というハードウェアと
精神というソフトウェアから成り立っていると思います。
ハードは動くためにエネルギーが必要ですし、使う
うちに増設されたり、経年劣化したりするので日常の
メンテナンスが必要です。大きなトラブルがあれば
大手術する事だってあるでしょう。

その精神には根幹となるBIOS(民族や文化といった地域
的なモノと無意識と称される行動パターンの根幹)と、
その影響から逃れられない状態で上に乗るOS(性格、思考、
能力、人格)、そしてそれらを元にして実生活を
送るためや充実させるための各種アプリケーションが
(友人は知人といった人間関係、仕事や趣味や食い物の
好みといった人格の補完等)が、その時々の要望や
必然性によってインストールされて今があります。

アプリはハードウェアの状況や、BIOSやOSの経年変化
(向上も劣化もする)やオンデマンドによってインストールと
アンインストールを繰り返しています。

…そう考えるとソフトもハードも変わらない物なんて
無い
んですよ、逆に現状が変わらないためには
そこに踏ん張り続けるために変わる(≒流されない)
よりもエネルギーが必要だったりします。

つまり、より良い方向に向けて『変わる』というのは
流れのある川の中で上流に向かって歩こうとするのと
似ています。『変わらない』というのはそこに止まる
努力をしないといけません、一番楽なのは『流される』
事ですが、その結果辿り着くのは「下流」…決して
先に進めません。

お互い今立っている場所や受けている流れのベクトルは
違いますが、一歩でも先に進むように、踏ん張れるように、
仮にコケたり、流されてしまっても、流れが緩やかな
場所で一旦体制を改め、準備を整えてから、何故自分が
流されたのかを把握し、落ち着いたら…再び上流に向け
進みましょうp(^^)q

一度頑張って流された結果そこが絶対に超えられない
難所だと気付いたら、別に迂回したっていいんですよ。
最終的に目指すのは、その難所越え、じゃなくて、
「もっと先に行く」事なんですから。

------------

生き物はたくさん色々な事を教えてくれますね、
雑草や野菜といった植物も、アリやダンゴムシ、
バッタや蟷螂といった虫ですらも。命って凄いです。

子猫かぁ、いいなぁ、可愛いでしょう(^^)

結婚生活という難所を越えられなくて、流され、
家族を持ち、家庭を築く、という「上流」に行く
事が出来なかった自分が現在目指している所は、
実は「猫と一緒に暮らせる老後生活」なんです。

でも、現場で貰い受けた自分の猫とも一緒に暮らせず
実家に預けている現状では、とても子猫は貰えません(TT)

生まれ出でた子猫という「命」がどうすれば幸せに
なれるのか、ぜひそれを考えてみて下さい。
「命に教えられる」とは終わる事のない、それの
繰り返しですから(^^)

 

投稿: ino | 2006.09.03 08:55

>『砂時計』はもう半分以上流れ落ちてしまっている。残りが少なく
なってきたそれを、これからは大切に使わなきゃ「もったいない」
もんな、頑張らないとp(^◇^)q

大変共感を覚えます。
私も30超えて、子供が出来、全く新しい局面に突入したとの
実感が日々沸いてきております。
(「上流」だとは思いませんよ。ただの結果です。)
することすることに何かしら意義を見出しながら生きる事に、充実感を覚えます。
命までは賭けない程度に仕事を適度に頑張り、
週末の家族サービス、趣味のオートバイ、
健康維持のためのスポーツ、あるいは完全な休養と、
なにかしらで忙しくしないと「残り時間がもったいない」
と思うようになりました。

仕事で心底そう思えれば出世もするんでしょうけどねぇ。
7割5分ぐらいはそう思いますけど。

投稿: やさぐれ | 2006.09.04 15:16

 人間の体感時間はどんどん加速するという話を聞いたことがあります。子供のときは時間はゆっくり流れていて、色々なことをする時間があり、他から見るとちょこまかちょこまか色々なことをやっているように見える。歳を取るにつれて時間はどんどん加速していき、他から見ると同じことをいつまでもやっているように見えるらしいです。
 あまり時間を無駄にはしたくは無いですが、無駄の無い人生って言うのも味気ないかなとも思うこともあったりします。

投稿: 剣片喰 | 2006.09.04 19:00

やさぐれさん:

コメントありがとうございます(^^)

そうですね、そろそろ「残り時間」を意識しても良い
年頃になってきました。若い頃と比べると、時間という
単位では同じでもその積分値はかなり小さいとは思い
ます。でも、それでも確実に存在する実数、これからの
可能性はその中にしかありません。だから大事にしたい
ですよね(^^)

自分とやさぐれさんがこれからの残り時間で目指す
(≒辿り着ける)場所は全然違うと思いますがお互い
ベストを尽くしましょうp(^^)q


----

剣片喰さん:

いつもコメントありがとうございます(^^)

10歳の少年が感じる一年間は人生の1/10ですけど
40歳の中年が感じる一年間は人生の1/40、という
事なんでしょうね。あとはたくさんの事が記憶
経験された年老いた脳みそより、全ての事象が新鮮に
感じられる若い方が単位時間中に起こった出来事に
対する感度が高いのがその原因だと思います。
だから中年になっても今まで経験したことの無いような
充実感や新鮮さ、非日常的な出来事があれば、きっと
一年間の密度が少年時代のそれのように高まって長く
感じられるようになりますよ(^^)

何となく、ですが、人生(の時間)ってサラサラ落ちる
砂時計のようでもあるのですが、もう一つ、天井から
吊るされたゴムひもやバネのような物に日に日に何かを
引っ掛けて、その重さで収縮を繰り返しながら段々と
伸びて行くようなモノなんじゃないのか?、とも思ったり
しています。

最初はたっぷり余裕があるのに、年月とともにどんどん
背負う物や経験したモノがぶら下がって伸びて行き、
どんどん伸びシロが少なくなってゆき、突然重たい物を
吊るされると瞬間的に余裕が無くってしまい吸収できずに
切れちゃったり…最後は伸び切って、そして切れて終わり、
というような

…自分が具体的に何をイメージしているのかこの文章じゃ
他の人は判らないかもしれませんね(^^;)

無駄な時間、っていうのはその「伸びシロ」がどれだけあるのか
を再確認し、常に張力を掛けつづけることで早く劣化するその
ゴムorバネをリフレッシュさせるために絶対に必要だと思います。

眼を瞑って、秋の虫の音のオーケストラに聞き惚れる
なんて、能率主義的には無駄な時間の極致だと思うの
ですが、自分にとってそれはこの季節にしか味わえない
ご馳走みたいなものなので「無駄」とは思いません(^^)

これからもっと伸ばす柔軟性を保つために一旦荷重を
抜いてやる、そう思えばそれはとても大切なモノになる
はずです。つまり人の寿命における睡眠時間のような
モノ
ですよ(^^)

 

投稿: ino | 2006.09.05 01:22

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