友よ、静かに眠れ
単車乗りというのは因果なもので、自分がどれだけの危険に晒されて
いるのかを嫌と言うほど身体や心の痛みでわかっていても、それでも
そのリスクの「波」をいかに上手く乗りこなすか、に挑戦する人種だ。
そのリスクが単車でなくても、同様の魂を持つ人間を、自分は敬意を
表して「単車乗り」と呼ぶ事にしている。その定義に従うと、例えば
冒険家や、ベンチャー企業の経営者等も、その集団に属する事になる。
危険と承知して付き合うとは言ってもそれは蛮勇ではない。危ない物、
危ない事を恐れ、それから逃げようとするのは生命の本能だからその
本能を知識と経験と、その情報を元に生き残る判断をする理性で制御
するのが『単車乗り』の真骨頂だ。
だから、些細な見落しや判断ミスが重大な結果を産む事にもなる。
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まだ時代が20世紀だった頃、自分の単車仲間が事故で散った。
中央分離帯に茂る灌木の剪定がなされずに視界が悪い「く」の字状の
変曲点に細い路地が交わる交差点で、一時停止せずに突っ込んできた
右折のタクシーとそこを直進していた仲間が衝突し、十メーターほど
飛ばされ歩道上の構築物に叩き付けられた彼は、その後意識を一度も
取り戻す事無く、家族に見取られながら数時間に天に召された。
彼が命を落とし、残った我らに伝えてくれた「こういう場所は危ない」
という、とても貴重な情報を、我々は生かして行かねばならない。
例えば、猛毒のフグを食えるようになるまでに何人もの犠牲があって
その情報が蓄積されて、解析された結果、今の我々がフグを安心して
食えるようになったように。
そうだ、犠牲というのは決して「無駄死に」なんかじゃないのだ、
無駄な命が一つも無いように、無駄な死なんて一つも無い。
ただ、命さえあればありとあらゆる様々な未来が開ける可能性があるが
死はそこで全てをシャットアウトして、先が無い。だから無駄ではない
けど、辛く悲しいものなのだ。
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最近いじめられて自殺する若者が増えているが、その命はどんな大富豪
でも買えないし、宿る命は一つたりとも同じ物はないし、この星に生命
が誕生した瞬間から一度とも途切れる事なく続いてきた命の襷を繋いだ
結果なんだ、ということを安直に死を選ぶ前に、判って欲しいと思う。
死にたい程辛いのはよく判る、自分も中学生の頃に同じ様な目にあって
いた人間だからね。自分はそれをバネに強く生きてやる!と、そこから
頑張れたけど、あそこから頑張れない人だっていて不思議じゃないよね。
でも、その辛い、って感情こそが、命があって生きているって事なんだ。
死にたいほど辛い、って事はあっても死ぬより辛い、って事は無いんだ。
生きたい生きたい、と願って頑張ってもそれでも死ぬ人や突然理不尽に
命を奪われてしまう人は数え切れない程に沢山いる。そういう人たちの
方が、今のあなたたちの何倍も、いや何千倍も辛いだろう、でも生きて、
最後の最期まで生きて生きて、生き抜いて、それでも命が尽きてしまう。
「命」とは一言で言えば「奇跡」だ。だから数年後には笑い話のネタに
なるくらいの些細なしがらみや失敗、金銭トラブル、狭い世界での人間
関係やたった数年間の苦悩、等であっさり放棄してしまうにはあまりに
惜しい。
様々な夢を語り、でもそれを叶える事を無く散った友の写真を見ると、
そんな事を深く考え、そして思わずにはいられない。
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早いものでその彼が亡くなってからもう7年もの月日が流れた。
彼より1歳若かった自分は、当時の彼の年齢をとっくに追い越してて
そこからさらなる加齢を加えて37歳にもなっている。彼が生きていた
ならば、その7年間はどういうように生きたんだろう?どういう付き
合いをしつつ自分らは過ごしていたんだろう、なんて事を考えたりも
する。
こういう心境が判って貰えるかもしれない、と思って元カミさんを
彼の墓前に連れていって紹介した事もあったっけ(苦笑)、ちゃんと
離婚した後にもそれを報告しに行って墓石の上に座っているだろう、
目には見えない彼に語り掛けて謝ったのも、もう3年以上も前の事だ。
彼の死後、遺族から譲り受けた彼がよく着ていたrenomaのフリースと
イエローコーンのジャケット、もうあちこちヤレていてかなりボロに
なっているし、ジャケットなんて紫外線ですっかり脱色して上と下で
完全に色が違うが、それでも何ら恥じることなく堂々と今でもそれを
着て彼と共に生き、そして走っている。
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そんな彼の命日には、彼や仲間と一緒に毎週のように通っていた所に
単車で行って、あのときのように過ごし、そこからの帰路に彼が越え
られなかった、あの交差点を無事に通過して帰宅するのが自分の年中
行事となった。
実は先週が、その命日だった。なので、彼のジャケットを着て、TDMを
起動し「通っていた所」に夜走りして辿り着き、そこで夕飯を食った。
その日は残念ながら当時の仲間は集まらなかったが各々が可能な形で
彼を弔っていた。例えば墓参りとか、別の日に事故現場に、とかでね。
そして食い終わった後、気合いを入れ走り始める、彼が命を落とした
あの交差点に向けて。彼が命を掛けて残してくれた教訓を何度も脳内
で反芻しながら。
その交差点はあの当時と周りが様変わりしていたが、やっぱり灌木が
繁り視界は悪かった。そして夜の酔客を捕まえようと彼を殺したのと
同じ会社のタクシーが彼の教訓を生かす事なく何台もノーブレーキで
右折していた。
それを見やり、何度も安全を確認しながら、その交差点を駆け抜けた。
瞬間、クラッチを握り、アクセルを瞬間的に大きく開け、彼から部品
を譲り受け組み上げたOVER管を共鳴させ、鎮魂の咆哮を奏でた。
「ブォン!」
友よ、俺は君が辿り着けなかった未来、先に向かって「単車乗り」と
してこれからも走り(≒生き)続けるよ、俺が辿り着ける所まで…ね。
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