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2007.03.14

「モノ」に篭る魂

たまに某巨大エネルギープラントでの作業現場に作業員や現場監督、
運転管理といった業務に携わる事もあるけど、一応の本職は某社の
研究所に在籍する研究開発職だったりする。

自分の専門は一応化学系だが、フラスコ実験レベルの基礎研究から、
各種の手分析、機器分析といった分析屋みたいな事もするし、アイ
デアをガンガンひねり出しては実験してはトラブルシューティング
をして改造改良を施して最終的に特許だって殆ど自力で作成するし、
時には設計屋の様に図面を書く真似事もする。他にも仕様書を書き、
見積を取り、手配して、納品された部品の加工や組立、装置の運転
調整だってやるし、それをフォークリフトに載せて実験場まで運び
試運転や実験といった肉体労働系だって一通り自力でやる。
…単なる「何でも屋」じゃん(^^;)<ばき

この職歴も長いのだが、未だに大ヒット♪、となるような「我が子
はまだ生まれていない。いいところまで行くのは沢山関わってきた
のだが、そう考えればダメダメ社員なのかもしれない(;_;)<ばき

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そんな自分は幼少の頃から「なんでだろう?」「どうなってるんだ
ろう?」「どうやって作っているんだろう?」といったような知的
好奇心だけは人一倍あって、昔っから色々なものをバラしてみたり
したもんだ。

単車に乗り始めた時にも、一番最初に入手した錆だらけのミニトレ
(GT50)も、一週間たたずしてシリンダを外してピストンを手に取り
こんな小さいモノが俺を走らせているんだ!って感動したっけなぁ。

三つ子の魂百まで、じゃないけどそれは今も殆ど変わりが無くて、
チョイ前の日曜にも軒下でこんな事をやっていた(笑)

Head

mixiではゲロ済みだけど、事の詳細は追って後日別ネタにて。

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で、本題。

チョイ前に会社の一服コーナーで休憩していたとき、灰皿の上に
ガスの切れた使い捨てライターが投棄されているのに気付いた。
そこでZIPPO用に発火石でも回収しようと、遮熱板を取り外して
みて、ふと前述の「分解熱」がメラメラと燃え上がってきた。

 ino:「よし、ちょっくらバラせる所までバラしてみっか

そしたら、以下のようなところまでバラせた。ちなみにこれ工具は
使用せず、素手でバラせる範疇。プラスチックのボディは透明部の
タンクと、黒いバルブホルダー部に分けられるはずだがこう見えて
これは高圧ガスを封入してある圧力容器なのでガッチリ溶着されて
素手で分解することは出来なかった。

これを使い捨てにしてるのか(^^;)

しかしこうやって見るとたかが百円以下で買える使い捨てライターに、
こんな小さい部品がこんな沢山も使われて組みあがっているという
事に感動してしまうのは自分だけだろうか?

真鍮製の弁体には小さいOリングが付いていてこれでガスをシール
していたり、ホースなのか、と思っていた透明ボディから見えた
白い長いものは単管ではなくて多孔体の長いフィルターだったり、
点火石を擦るドラムも横溝が刻まれたワイヤを巻きつけてあったり。

思うにこれら一個一個の部品だって、とても合計で100円以内で
作れるようなモノには思えないし、第一これらを全て組み立てて
元の形にする作業だけで十分100円以上の価値があると思うのだ。

今でこそこれらは人件費の安い諸外国で作られているのだろうが、
それでもこんな小さいながらも、安全性を求められるガスライター
としての基本性能を維持したまま格安で作り出した、日本という
国の技術には感動すら覚えるよ(^^)♪

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どんなモノだって、作り出した人がいる。そこにはそれを作った
人や、送り出した人の、沢山の想いが積み重なっている。それは
モノだけじゃなくて食品や生き物といったもそうだし、思想や
概念、といった形になってない無形のものもそうだ。

でもそれらはそんな作り手の想いを強硬に主張しまくるような事
はなく、ただひっそりと想いを内包した(たまにその外観や機能
でそんな主張をすることもあるが)ままで静かに存在している。

でも、それが例えば格安だったり、時にはタダで入手可能である
こんな使い捨てライターであったとしても、どうやれば少しでも
安くて、どうやって安全を保ったまま実現するか、という事柄を
それこそ寝食忘れて情熱をもって作り上げた人が必ずいるはず。

少なくともバラした結果、光を浴びた内部構造や部品は、それが
単なる物体ではなくて、そういった「作り手の想い」が、いや、
「作り手の魂」が篭められている、自分にはそう感じられるのだ。
それはもう、単なる無機質な物体や物質、道具や機械ではない。
一種の「命」が篭っていると言ってもいい。

その「命」が感じられるようになると、モノに対する敬意や、
モノ自体を大切にしよう、と思う様になってゆくはず。そして
それをそうやって大切にすればする程、そのモノ自体に大切に
思っている自分自身の魂もそこに段々植え付けられて行く。

そうやっていると単なる物なのに、段々と自分の手足の一部
であるかのような、そんな錯覚を感じるようになってゆくのだ。
そうやって自分自身の魂も篭ったモノには、絶対に「命」がある、
そして想いを込めた分だけ、きっと信頼に答えてくれる、自分が
窮地に陥った時はきっと助けてくれる、と思っている(^^ゞ

一応企業で研究開発を生業としている自分も、そういった自分
自身の切なる想いや、熱い執念を込めた「生きたモノ」を世に
送り出して行きたいと切に願う。そうしないと、せっかくこの
仕事をしてる意義が無いし、自分自身だってそんな沢山の想い
を背負ってこの世に生まれてきた、命の襷を次の命に託せない
自分の命が、何か無意味であるかのような、そうなってしまう
ような…そんな気がするのだ。

 

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