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2007年9月

2007.09.29

ミコシ効果

8月までは某社で化学系エンジニアとして研究開発を生業としていた
自分だが、その最中から業務支援と称して長く関わり続けていた、某
地方に点在する某巨大エネルギープラントで行われる特殊処理工事を
担当する部署に9月付けで異動となった。

本拠地に一日出向いただけで一週間の出張に出て、帰ってきて二日間
席に座って異動に伴う諸手続きを行ったかと思ったら、先週とは別の
現場に今度は責任者として行ってこい、という非情な出張指令が出た。
今も某プラントの近所で旅館暮らしの日々。今後暫くの間こういった
腰の座らない現場行脚が続きそうだ。あ~あ、単車に乗りたい(T_T)

そこでの仕事は専門知識を要するために他者では困難な「現場施工に
伴う工事の管理業務」と、その工事によって完成させた装置を使った
「プラント保守エンジニアリング」、…とでも言えば何となく実態に
近い表現になるのかもしれない。

ま、諸般の事情により詳細を語ることは出来ないので悪しからず:-p

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こういった現場で仕事をする場合は、プロパーの社員だけで行う事は
まず無く、数多くの仕事、特に実際に現場で身体を使って働く仕事は、
その多くが下請け、孫請けといった多段構造の中で行われている。
客先からは一業者に過ぎない自分も、実はその中の一つだ(^^;)<ばき

なので社内は無論、社外の様々な立場の人々と接して、交渉し、共に
働かねばならない。その際にはお互いの利害が一致することもあれば、
激しく相反する場合もある。こういった複雑に絡み合った人間関係を
ある一つの仕事をこなすためにどうにか整えて形にした上で運営する、
今の自分の仕事(の一面)はそんなイメージがある。

もう少し詳しく表現するならば、そこに集う人は立場や職能、年齢と
いったパラメータがバラバラであり、基本的にはバラバラな存在だが、
それをある目的のためにどうにかかき集めて一つに束ね、なんとなく
でもいいから同じ方向を向くベクトルを発生させて、それが滞らない
ように、バラけないように上手く誘導したり、引き締めたり緩めたり
する事が「現場監督」としての職能として求められている。

実際はもっともっと複雑だし、想像以上に事務仕事も多いんだけどね。

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そんな所でそういった仕事し始めたのは元カミさんと結婚する寸前、
だったからもう6年くらい前になるのかな?その頃は気付かなかった
けど、しばらくしてから気付いたことがある。

おおざっばな例で申し訳ないが、何名かのパラメーターやベクトルが
バラバラなチームを率いて仕事をする時に、それがまとまらずに苦労
しているような場合、一人や二人では運べない凄く重たい荷物を全員
で一緒に声を掛け合いながら力をあわせて動かしたり、持ち上げたり
するだけで、その作業をした者同士に「一つの事を一緒に成し遂げた」
という声に出さずとも全員体感出来る連帯感、一体感が一瞬生まれる
事に。

何故そう思うか?、というとそんな作業に大体いつも自分も参加して、
終える度にそれをしみじみ感じていたからなのだが、そういったイベ
ントを経験したチームは、その後で様々な過酷な仕事を一緒にしても、
「あの時あの重たい荷物を一緒に運んだ仲じゃないか」という感じの
仲間意識が残っていて初顔合わせのメンバーが揃った時点の仕事ぶり
よりも万事がテキパキ進んで、予想していたよりも仕事が速く進んで、
そしてきっちりと終わるのだ。

当然、重たいものを一緒に運んだ、という単純な事だけでなくもっと
激しい無理難題を乗り越えたりしたチームも、それを越す前と越した
後とで雰囲気が全く違って、より良い方向に進んでいる事が多い。

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これは仕事の世界だけでなく、例えばロミオとジュリエットのように、
障壁の多い恋愛は激しく燃え上がる、とか、死線を乗り越えた戦友は
一生の友達、とか、子育てを共に行った夫婦は絆が深まる、とか…
この手の話は例を挙げればキリが無いのだが、こういった事象の事を
自分は勝手に「ミコシ効果」と名づけて呼んでいる。

それはつまり祭りの御輿を担ぐ集団心理とでもいうか群集心理とでも
言うか…見ず知らずの町人たちが、祭りという非日常的な雰囲気の
中で、御輿を担いで練り歩く、という一見したら非生産的で非合理的
な行動ではあるが、それでもそのたった一つの目的のために全員が力
をあわせて、集い、行動を起こし、そして同じ御輿を担いだ、という
連帯感を共有する事で、地域社会に一体感を持たせる、という一連の
プロセスが、前述した「重たい荷物を一緒に運んだ仲間」という心境
と同じでないのかな、と思う。もしも悪い方向に働けば狂信的集団に
なってしまう事もあるけどね。

これって、実は人間社会の中でとても重要な働きをしていて、人間が
「個の動物」ではなく「集団の社会を作る知的生命体の『人間』」で
ある、原点にして、原理のような、そんな気もするのだ。

汗を流して御輿を担いでいる集団を外から見ているだけじゃこの一体
感は共有出来ない。自分から飛び込んで、一緒に御輿を担いで、同じ
ように汗を流すとそこに言葉なんか要らない、皮膚感覚だけで十分だ。

だから自分は管理監督する「現場監督」でありながら、多くの作業を
作業者と一緒になって行う「プレイングマネージャー」でありたいと
思うし、実際にそうやって現場では働いている…つもりだ<ばき

熟練の職人から見れば、まだまだヘッピリ腰なんだろうけどさ(^^;;)

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ちなみにこの「ミコシ効果」、これは例えば同じ時空間で同じ行動を
してなくても、過去に似たような経験をした人間が今を感じて思い出
して、その人の言動や行動に共感出来る、といった行動も同様に説明
出来ると思う。つまりそれは「同じ波長を感じ取り、同じように鳴る
音叉を持つ」って事だ。

多くの「音叉」を持っている人は自分のように愚直に中に飛び込んで
御輿を担がなくても、立派にその集団の中に入っていける。とはいえ
その「音叉」は過去に一緒に御輿を担がなければ、または同じ思いや
経験をしなければ得られない。これは今の自分にはまだ無いモノだ。

長年関わってきた研究開発の場でなく、今の現場では38歳の中年男も
まだまだ若ゾー、オールドルーキーとして人一倍頑張ってその集団に
揉まれて、小突かれながらであっても、これから数多くの新しい御輿
を臆さずに担いでみようと思うのだ p(^◇^)q

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以下蛇足:

 こういった「同じ心の音叉」を持った人同士は、全くの赤の他人より
 早くに判り合えるし、理解しあえる。人は生きて、学んで、成長する
 事で、この「心の音叉」を数多く持つようになる。だから知識と経験
 を重ねた、人ととしての器の深く大きい人は、様々な事象やそれに纏
 わる心境を理解や共感が出来るのだ。

 自分は残念ながらその「音叉」の保有数が人一倍少ないようで、人の
 器は小さくて、そして悲しい程に浅い。それを見事に証明してくれた、
 心の音叉が共鳴した、と自分は思っていた元カミさんとも、最終的に
 聞くに堪えない不協和音を鳴らしたし、例えば子供を産み、育てると
 いった夫婦二人で担ぐべき「重たい御輿」を一緒に担ぐ事もなかった。

 「軽い御輿」はそれでもたくさんあったが、二人で一緒に同じ御輿を
 担いでいるつもりが、実は自分一人で担いで騒いでいただけ、という
 ホント情けない状態だったもんなぁ、あの頃は_| ̄|○<ばき

 

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2007.09.22

子泣きジジィにはなりたくない

支給はまだだけど9月の給料明細だけは出た。それに今後一年間の
健康保険料と厚生年金保険料の改定のお知らせが記載されていた。

この二つの社会負担費は、毎年4月、5月、6月に支給された給料の
総額を元に算定され、9月の給料から適用になるのだ。

その期間に現場出張に出て、給料にハイパワーブーストがかかって
しまうと引っくり返るような値上げをされてしまうのだが、今年は
その3ヶ月の間には現場労働の成果は支給されていなかったので
今後数年かけサラリーマンの首を真綿で絞め上げるようにジワジワ
値上がってゆく厚生年金の増額分を考慮しても、今年は大した額に
なるまい、と思っていた。

・・・だが受け取ったその通知には信じがたい内容が記載されていた!

     |    去年     |    今年
 --------+----------------------+---------------------
 健康保険| 28等級 12320円/月 | 33等級 16520円/月
 厚生年金| 24等級 32212円/月 | 29等級 43193円/月

コラ!ちょっとマテ!、何で突然に伍階級特進しとんや!
何の因果で1.5万円/月も突然社会負担費が増えなあかんのや?、
この増額分は、よく見りゃ最近の月の食費と大差無い額やんけ!
まさか、もう俺にメシを食うな!って事なのかよ(T◇T)<ばき

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これはどうやら7月にサラリーマン人生最高額をマークした給料が
支給され、8月にもそれ程ではないにしろ、それなりにブーストが
掛かった額の給料が支給されたために、どうも4,5,6月の平均から
著しく外れたその額が計算に入ってきてしまったようなのだ。
事実その5ヶ月間のボーナスを除いた額面上の給料支給額の平均は
この等級の元となった標準報酬月額を超えないけど限りなく近い。

…しかし!、しかしだ!、それはあくまでスポットで参戦した現場
出張の成果、つまり突発的なモノであって、常時それだけ稼いでる
訳じゃないんだぞ、オラぁ(T◇T)!

実際、9月の給料額は38歳のサラリーマンとしておおっぴらに表に
出せない程に少ない(…3*万とは _| ̄|○ )。なのに!そこから
所得税、地方税、健保、年金、失業保険、その総額で約11万円も
引かれてしまっている!。自分に支払われた手取は…今年の新入
社員と殆ど同じくらいじゃないのかしら…(;_;)?

まぁ8月は長大な夏休みを取ったので実労働が12日間だけだったし、
転勤を控えていたので、やった仕事も引継ぎや残務処理、片付けと
ロクな事してないし、残業も特殊勤務による手当も皆無だったから
しゃーないと言えばしゃーないのかもしれないけどさ:-p<ばき

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所得税と地方税の課税割合が変動してるから一概に比較する事は
できないが、一年程前の自分の社会負担額と比較するとおおよそ
毎月2万円UPしてる。38歳の一介のバツイチ中年サラリーマンと
しての偽らざる正直な心情として、この社会負担はすごく重いし、
かなり痛い。

健保や年金は半額会社が持っているじゃん、と言う人間もいるが
会社からみれば自分に支払おうが国に入れようが、自分を雇って
いる限り、発生する人件費は同じであるから、もしもこの制度が
無ければ、本来その見えてない半額は自分の労働の対価の給料と
して支払われてるはずの額だ。サラリーマンよ、ダマされるなよ!

じゃあ、日々の生活が本当に立ち行かなくなる程に重いか?、と
言われれば、さすがにそこまでではない。だが、少なくともQOLを
強力に、強制的にグイグイと押し下げるだけでなく、毎日の生活、
一人の人間としての活動の幅、人生の選択肢を抑制、萎縮、減衰
させる強烈な影響力があることに間違いはない。

事実、今回増額された1.5万/月があれば、毎日毎日好物のメロン
パンやサバ缶を合わせて5個も食えるのに…畜生め(;◇;)<ばき

今の借金まみれでありながら、その赤字体質から脱しようとしない
社会構造の日本で生きている限り、毎年ずっしり重くなるこれらの
各種社会負担のアリ地獄からは逃れる事が出来ない仕組みになって
いる。そこから脱するため、少しでもいい暮らしをしようと頑張り
収入が増えると、その個人の努力をあざ笑って、踏みにじるように
国が罰金を科して搾取してしまうからだ。

生活費をギリギリまで切り詰めて、庭や会社の裏庭にイモを植えて
食費を節約をしたりする努力を重ね、エアコンやLPガスを使わない
前時代的な生活をして、やっと一万円くらい生活費を浮かせても、
現場で死にそうになって働いてやっと人並み程度に稼げたとしても
その費やした努力に見合った分は決して報われない。

とても残念だがこれは事実だ。

…そう考えると何だか空しくなってくる。こんな事ならガンガン!
エネルギーを使ってCO2を吐きまくって、こんな地球を(厳密には
それに巣食っている人間社会を)滅ぼした方が、とっとと早く楽に
なれるんじゃないの?<ばき
#当然ウソっす:-p

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まぁそういった冗談はさておくけど、でも、こうやってジワジワと
重みを増し、圧し掛かってくる(のに、決してそれが報われる事が
ない)社会負担費とは、例えるならば国から無理やり背負わされた
妖怪、子泣きジジィのようなもののような気がするのだ。

一度背負わされてしまったら、自分がその重みに潰されるまで続く。

でもそんな今の社会保障システムでは、重い重いと愚痴を言ってる
自分もこれからの若い世代に背負われる(しかも今自分が背負って
いる子泣きジジィよりも遥かに重たい)子泣きジジィだったりする
のだ。このシステムを開始した連中が一番得して、それ以後の世代
はだんだん一番最初の胴元や自分の上の世代よりは損をしながら、
つまり少しずつ重たくなる子泣きジジィを次の世代、その次の世代
に背負わせてる。言い換えれば自分が引き受けた借金に自分の分を
上乗せして後の世代に金利を載せてツケ回し続けてるようなものだ。

それを続けていたらこの国の将来は疲弊し、搾取され、貧困に喘ぐ
国民だけになってしまうような気もする。これ、正に「ネズミ講」
そのものじゃん。この『不幸の連鎖反応』は極力早いうちに断って
おかないと…(-_-;)

まずは今の「子泣きジジィシステム」の頂点に存在している「真の
子泣きジジィ」に少しでも自分自身の足で立たせ、歩かせて、自分
自身の財布を開かせる事から始めたいものだ<ばき

そうすればそいつらに生き血を吸いたいだけ吸われてしまい生きる
活力や、子を産み育てる気力や財力、機会すらも奪われてしまった
今の若い世代にも少しは希望の薄日が差してくるんじゃないかな?

自分もこれからの世代に嫌々背負われるだけの存在にならないよう
注意したいもんだ。その為に今の自分にナニが出来るのだろうか?

まずは今の自分が出来る事を正々堂々と果たす事だな。

それは今まで継続してきた日々の貧乏節約生活だったり仕事を一生
懸命する事だったり、その他全ての「自分の力で先に進もう」
という努力を絶やさない事
なんだろう。

そしてまやかしかもしれないけど、その努力を挫けさせている要因
の一つである、自分が背負わされてる重たい社会負担費を、豊かな
老人をさらに贅沢させる為や国の無駄使いの為でなく、次の世代の
未来にツケを全て回さないで守る為の先行投資、実際の所は単なる
捨て金に過ぎないけど、それでもそう考える事にしようと思う。

そうすれば実際は何の役に立たずにただ無駄に使われている自分の
負担した社会負担費も、もしかしたら未来のためには役立っている
のかもしれない、と思えるからね。正直、そうとでも思ってないと
これだけ重荷を背負わされてるにもかかわらず、まだまだ幾らでも
引っ張れば出させ続けられる「便利なサイフ」「カネ蔓」呼ばわり
されて馬鹿にされ、一片の感謝もされずに徹底的に足蹴にされてる
この現実に…とても耐えられないもんなぁ(^_^;)<ばき

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そういやそろそろ9月25日だ。この日は自分の「家計簿付け記念日」。
2003年9月25日から始めた一円も漏らさぬ家計簿ももう丸四年間も
続いてる。…よし、いい機会だから、これらの社会負担費を含めて、
この4年間の歳出額を総括してみようかな(^^)?

自分自身の生き様そのものでもあるから、見てみたいような、でも
あまり見たくないような、そんな不思議な感覚があるけど、怖い物
見たさで集計してみよっと(^^;)<ばき

 

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