8回目の記念日に思うこと
現場から一時上がってきて、持ち出していた生活用品を片付け、
次の現場に旅立つために荷造りをやり直したりしていたこの休日、
ひさびさにかつて行きつけとしていた格安銭湯に出向いた。
一回数十円で入れるこの廃熱再生利用の公営銭湯は以前と
あいかわらずむさくるしいホームレス風のオッちゃんばっかり
だったが、その中に、子連れの若い父親がいた。
子供は5~6歳と2~3歳くらいに見えた。幼く甲高い声でわめく
上の子と、身体と比較すると大きく見える洗面器を抱えて湯船の
お湯を汲んでは父親の元に運ぶ下の子のしぐさがかわいくて、
湯船に漬かりつつそのほのぼのとした風景をみて、ふと思った。
もしかしたら自分もこんな生活が出来ていたかもしれない、ってね
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そんな今日は、5/30。この日は横浜市ではゴミゼロの日だが、
自分にとっては元カミさんとの離婚記念日だ。
2003年の今日、自分と元カミさんと二人で一緒に役所に緑の紙を
提出して夫婦だった二人は一生二度と会う事のない他人になった。
もし、そうならず、元カミさんと一緒にこの7年間を過ごしていたら、
もしかしたら、ちょうどこのくらいの子供が生まれて、自分もこんな
風に、子供をあやしながら風呂につれてゆくような、普通の暮らしが
出来ていたのかもしれないな…
どんなに望んでも、それが許されなかった男だから、万が一戸籍の
上では夫婦のままでいたとしても、きっとそういう家族を作って暮らす
楽しく明るい未来にはたどり着けなかったと思うけどね(^^;;)<ばき
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あれから何年もかけて、自分はそれまでの過去に築き上げたものの
破壊と新たなる生まれ変わりを目指した再生を繰り返して今に至る。
発作的に死すら願ったくらい苦しかったのは最初の半年間くらいか、
そこから一年半くらいは一日も欠かさず元カミさんを思い出して、その
記憶が夢となって現われていたっけ。今から思えばとても懐かしい。
そこからさらに数年間たって、自分の心の傷は醜い引きつれと固い
しこりを残して塞がり、やっと流血を止めた事で先に進む気力を得た。
とはいえ、以前のようには歩けないし、以前目指した世界には到底
たどり着けない変わり果てた姿での復活ではあったが。
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長期地方出張に明け暮れるウダツのあがらない疲れ果てた41歳
サラリーマンの自分には今から再婚して子供をなして、家族と共に
成長する、といった以前あこがれたような暮らしは実現不可能だ。
可能だったら、とっくにそれをしているはずなんだが、未だにそれが
出来てないのがなによりもその証拠ってこと。さらにこれから老いる
一方だ、つまりそういった可能性を日々確実にリアルに失いながら
自分はこれからも生きてゆくのだ。
だから銭湯で子供をあやす、この若い父親の姿が眩しく見えた。
うらやましいぜ、楽しそうだね、ガンバレよ、お父さん(^^)
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未来は不定形だから、まだどうなるのかは誰にもわからない。
でも、年齢だけは確実に刻まれてゆくから、その結果得るもの、
そして失うものは万物不変のものだ。
あこがれた未来へ至る可能性を捨てたことで自分は別の何かの
可能性を代わりに得ている。だから喪失が確定したとしても決して
悲観はしないよ、今の自分にしか出来ない何かが、lこんな自分に
まだきっとあるからさ。
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とりあえず、いつもやってる新しい可能性追求の一つとして台所で
芽吹かせといたムラサキイモを庭にインストールしよう(^◇^)<ばき
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