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2011年9月

2011.09.25

塵は積もると山に…なるもんだ

9月25日は、自分にとって家計簿記念日。2003年9月25日に、
ふと思い立ってそれを記録し始めた。

家計簿はこの8年間、一日も一円も途切れることなく記録が
継続していてその8年間の〆日である昨日9月24日をもって
実に2921日間にも及ぶ。

…我ながら、よくまぁこんなに長く続いたもんだ(^^;)

で、その丸8年間の集計してみる。中年バツイチ男の全支出、
それはこんな感じになった。


大分類| 費目等| 合計 |一年で| 一月で|一日で
------+-------+--------+------+-------+------
   | 家賃類| 7030547| 87.8| 7.3 | 2406
   | 食 費| 1373444| 17.2| 1.4 | 470
   | 光熱水| 475254|  5.9| 0.5 | 163
   | 交通費| 1392925| 17.4| 1.4 | 477
生活費| 通信費| 1278366| 16.9| 1.3 | 437
   | 医療費| 236422|  3.0| 0.2 |  81
   | 生活費| 786353|  9.8| 0.8 | 269
   | 保険費| 588650|  7.4| 0.6 | 201
   | 交際費| 2359514| 29.5| 2.5 | 807
------+-------+--------+------+-------+------
   | 二輪費| 3820275| 47.7| 4.0 | 1307
趣味費| 四輪費| 7427510| 92.8| 7.7 | 2542
   | 趣味費| 1344187| 16.8| 1.4 | 460
======+=======+========+======+=======+======
 A | 支出計|28113447| 351.2| 29.2 | 9621
------+-------+--------+------+-------+------
   | 所得税| 5710265| 71.3| 5.9 | 1954
   | 地方税| 3888590| 48.6| 4.0 | 1331
社会 | 年 金| 5411516| 67.6| 5.6 | 1852
負担 | 健 保| 2124091| 26.5| 2.2 | 727
   | 失業保| 472406|  5.9| 0.5 | 162
   | 介護保| 139360|  1.7| 0.1 |  48
   | 組合等| 473100|  5.9| 0.5 | 162
======+=======+========+======+=======+======
 B | 天引計|18219328| 227.8| 19.0 | 6235
======+=======+========+======+=======+======
A+B| 総支出|46332775| 578.8| 48.2 |15856


うーむ、この8年間でオレは2811万も消費してるのか(^^;;;)


もし8年間、ホームレス生活をして、河原に生える野草と、川で
釣った魚とかだけ食ってたら、フェラーリ買えたのにな<ばき

でも、30代~40代の8年間に、年間351万の消費で済んでいれば
それはそれでまぁ許容範囲かなとも思う。なにせこれには車を
2台新車で購入した額が全部入っているし、この8年間の生活を
成り立たせるために一度も、一円たりとも借金をしていないし、
今も借金は一円も無い。

そう、自分が唯一誇れるのは「借金が無い」たったこれだけ。

出費としては、その四輪費がやっぱり一番かかっている。その
総額、742万。レガシィサンバーの購入費だけを見れば400万
くらいだから、残りの342万はランニングコストということ。
年間にならせば約43万くらい。普通車と軽を2台維持するって
リアルにこういうコストがかかるって事なんだよね。

二番目に高かったのは家賃類。総額703万。内訳は約570万が
家賃で、130万が駐車場代。毎月の額はともかく、それが8年
降り積もると、やっぱり山になるねぇ(^^;)

賃貸住宅だから、この家賃は丸々消費。引っ越せば手元には
何も残らない。でも家って財産でもあり負債でもあるから、
家を買って住宅ローンに当てていたらそれが正解なのか?と
言えばそんなことはないのさ、少なくとも自分は8年間の
ライフコストとして、この703万は正当な出費だったと思う。
何の後悔もないよ(^◇^)

出費に関しては、なんだかんだ言っても一日あたりで9621円、
つまり1万/日を下回っているから、まぁいいか。これからも
それを常に下回るよう、頑張るべ~p(^^)q

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出費に対して、給料から天引きされる社会負担費類は、その
総額が1822万。 _| ̄|○…重い

四輪費の742万、二輪費の382万、家賃類の703万は支払うに
値する、価値ある出費だったけど、これはどうだろうか?、

申し訳ないがドブに捨てたり札束を焼却炉で燃やしたのと、
いったい何が違うのかな、オレにはよく理解が出来ないや。

少なくとも誰かや何かの役に立った、という連絡や報告は
これだけ負担をしているのに全く無いから、残念ながら
きっと死に金で、無駄金だったんだと思う。

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しっかし消費と天引きの合計が、総額4633万とはね…。
カレラGTが39万ユーロだから、今のレートでなら買えるのか。

これがオレという人間が8年間生きるためにかかった経費と
なるんだけど、オレにそれだけの価値が本当にあったのか?

下手な生命保険の死亡保険金よりも多いけどね(^^;)<ばき
 
 
 
 

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2011.09.17

仮設の街の中で

前回投稿してからすぐに、また現場に出張に出た。

今度の現場は津波の被災地。それ以前に定宿にしてた
港町はすべて津波で流され、地域で更地と化していた。

震災から半年たっているから、すこしは復興したのかと
勝手に思っていた。でも被災地は、ガレキが整理された
だけで、人々の暮らしは避難所と仮設でやっと成り立つ
状態で、震災以後はじめてその場に立って、あまりの
惨状に、ただただ呆然とするしかなかった。

報道されて細切れに目にする被害と、その場に立って
見た被害は、多分100倍くらい違うと思う。出来る事なら
あらゆる人が、この場に立ってそれを見るべきだと思う。

あまりにも痛々しくて、軽々しくカメラで撮影なんてとても
出来なかった。…本当にここにあの町があったのだろうか?
何かの間違いじゃないだろうか?

宿泊したことのある旅館の建物は鉄筋だったので、まだ
残っていた。でも破壊の限りをつくされた状態でボロボロ。
4階建てのこのビルが、津波で完全に水没したそうだ。

何も無くなってしまった街だった場所で、目をつぶると
脳内ではかつてここにあった風景がよみがえる。ここには
いつもBGMに演歌が流れている古びたスーパーがあって、
こっちにはレーベルが日光で脱色しまくったCDが並んで
いたレコード屋、隣は文房具屋、その正面は本屋だった。
あっちには居酒屋があって、少し離れたところに小さい
焼き鳥屋があって、そこには陽気な店主と女将さんが…

でも、目を開けたとたん、そこにあるはずの町並みは無く、
ただコンクリートの土台だけがある。これがバーチャル
リアリティだったよかったのに、正真正銘のリアルなんだ。

かつての戦争で、空襲で焼け野原になった町を見た人は、
多分自分が感じているのと同じ感情をもったんだろうな、と
思う。

しかも、まだ町はまだガレキが片付いているからいいが、
そこから遠く離れた小さい漁村の状態は、まだ津波で
流されたときのままの家が傾いてそのままの姿で残って
いたりする生々しさだ。

今回の出張ではさすがに、そこに宿を確保することは
出来ず、かなり離れた市街地にある仮設の寮に入る
事になった。

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その市街地でも、湾岸部は津波にやられていて、道を
走ると信じられないくらい大量に積まれたガレキの山…
何百台あるのかわからないくらいたくさんの廃車の山…

更地化した住宅街の奥には、一階をすべて津波に
ブチ抜かれてしまっている、全壊といってもいい被害を
受けた町並がずっと続いている。昼はまだいいが夜に
なるとそこに灯る明かりはわずかで、町並みが真っ暗で
そこに人がほとんどいないことがわかる。寂しい。

目指す宿は、潮を被って塩を噴いた、磯臭い田んぼを
埋め立てたところに急造されたプレハブの建物。
その周りには、仮設住宅がたくさん並んでいた。

本来ここにいるはずの無い人たちが、津波で被害を
受けて、自分を含めて集まっている。あれだけ激しい
被害の中で、命を永らえた事だけでも、奇跡に近い
事なのかもしれない。でもそんな生き残った人たちも
残り2年間で仮設住宅を出て行かねばならないという
砂時計が突きつけられている。

一瞬で完全に何もかも流されて失ってしまった人が
たった2年で自立を果たすのはすごく難しいと思う。
もっともっと、手厚く息の長いアテンドが必要だろう。

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自分にあてがわれたのはプレバフの建物の一室。
新築なんだけど、歩くだけでギシギシ音が出る。

広さは4.5畳で、備品は布団だけしかないこの部屋、
でも、この場でそれがあるだけでも、幸せなこと。

屋根があって、壁があって、畳があって、布団があって
電気がついて、水道が出て、PCがあり、PHS経由で
だけど、ネットにも繋げられる。

半年前に当たり前の日常生活や、町並みを津波に
根こそぎ奪われた場所で、ヨソモノの自分にそれらが
与えられている事だけでも幸せだよね(^^)

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この場で自分が行う仕事は、この地域の震災復興の
一翼を担う。ここの人はみんながまた立ち上がるべく
だれもが頑張っている。だから自分も出来る事をやる。
 

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2011.09.02

立場が変わると、見え方も変わる

盆休み前から8月末まで出ていた久々の現場生活を
無事に終えて、一旦帰ってきた。この肩慣らしラウンドで
特に問題が無かったので、来週からそろそろ本気出して
フルパワーモードで行く事にした。

職務は震災以降さらに重くのしかかっているが・・・、
仕方が無いよね、今は何かを出来る人間が、その
「何か」を一つ一つ確実にこなして、みんなで一緒に
未来に向かう時だからさ。

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またフルパワーで働くと、年老いて衰えてゆく一方の
自分はまた過労で倒れかねない、と産業医は忠告する。

ただ以前とはちょっと違う立場で行くので、多分大丈夫。

震災以前までは誰かから「どこへ行け、何をしろ、コレを
ココまでに成し遂げろ」、と指示をされて、それを受けて
仕事を計画し、現場に出向いてそれを遂行していた。

でも今、自分は当時自分に指示を出していた人とほぼ
同じポジションにいる。当時の上司は、震災対応隊長と
して、苛烈な現場で水を得た魚のように活躍している。

そのためにぽっかり空いた立場に、まだ実力不足では
あるが、自分が立ったのだ。

過去の自分が背負っていた職責は自分が指示して
配した人が主に背負うため、事前にその人を選任して、
手配して、仕事の計画を立てて、現場でその人と共に
仕事をしつつ、同時に他の現場、次の仕事のための
計画や調整を現場仕事と平行して行う。

…仕事の質は変化したけど量はあまり変わらないや。

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この立場になって、今までの仕事を振り返ってみると
ああ、あの時上司がこういう仕事をして、ああいう物の
言い方をして、我々をどう思い描いてコントロールして
いたのか、その時に彼が見ていた風景が、今更だが
良く判る。

例えるならば、今まではガレー船の船倉の中でみんなで
オールを握って死に物狂いで艪を漕ぐ奴隷みたいな
感じだったが、

今はその船倉を出て、その船が進む先を舳先で眺め
速度と方向を制御して、船員のための食糧補給計画を
立てるけど、たまに船倉に戻って一緒に汗を流して
艪を握って漕ぐ、…そんなイメージだな(^^;;)<ばき

ここまで行くと、俗に言う「管理職」のような気がする。
実際ヒトモノカネをある程度コントロールする立場だ。

でも、組織とは面白いことに、そんな立場の我々を、
さらに管理する本当の管理職が上にいて、てっきり
自分らは鵜飼として鵜を使っていると思っていたら、
実は自分自身も鵜だった、というイメージだな(^^;)

だから自分は何も変化はない。職位は変わらないし、
給料も変化が無い_| ̄|○

それでいて背負う職責はずっしりと重くなっているから
コストパフォーマンス的には損してるような気もする。
でも、今までそうやって働いてきた上の人の下で
コスト以下の仕事で養われていたって事なんだ。

だから次は、「オレのターン」なんだな。

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一つステップアップしただけで、だいぶ違う風景が
見えてきたけど、そんな自分を管理する上司は
昔は今の自分と同じ風景を見ていた立場にいて、
そこからさらにステップアップして今は全然違う
風景の中にいるはず。

そしてその管理職を管理する、さらに上の職では
きっとまた別世界が広がっているんだろう。
その上には、さらなる上の立場からみえる景色が
きっとある。

自分は人生において「仕事が第一」ではないので、
全てをかなぐり捨ててそこに上がりたい、登りたいと
願いはしないが、「自分の知らない場所から見える
世界や風景」がどんななのかは、少し興味あるな。

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…と、言うことで、今は長期出張の準備の真っ最中。
立場は違えど、忙しいという事実に変わりはない。

今から秋が始まり、バイク乗りにはいいシーズンだが
今は日本国民全員が、出来ることを頑張る時代!!

しばらくそっちで、頑張ってきます(^^ゞ
 


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