このところ季節も季節だけど、とても冷え込みが厳しく、ボロい
自宅は朝の気温で言うと外気温で-5℃、室温も1℃くらいしかない
厳しい状態が続いている(-_-;)。
20代の頃は、こんな気温であっても暖房無しでどうにか凌いでいた
けど、さすがに四十も中頃に差し掛かってくるとこの寒さは骨身に
凍みてきて、不足する熱エネルギー補完のための暖房無しに暮らす
事は難しくなっている。
十数年前の自分がこの場にいたら、
若いino:「なんだよ、オッサン化してすっかり堕落したな。」
と思ったかもしれないな。だけどな、すまねぇ、若い頃のオレよ、
加齢とは、オマエをここまでヒヨらせてしまう程に身体に深刻な
ダメージを与えているんだよ。経験と知識は以前よりも、ずっと
分厚くなってるし、それにより鍛えられた精神は以前よりも強く
なっているとは思うけれど、これが俗に言う『寄る年波』って
ヤツなんだろうな_| ̄|○
その年齢ではまだ判らないだろうけど、あと十数年すれば嫌でも
判るよ。寒さ対応だけでなく、それと全く同じように、きっと若い
オマエが今、普通に出来てる事は10年後、20年後には思うように
出来ないか、もし出来てもそのレベルでは、出来ないんだよ。
だから、たった今、四十代の自分が出来ていることは、あと10年
したら、そして20年したら、きっと出来なくなってる。その対策を
今から考えて、今のうちに何が出来る事を手を尽くし、今出来る
ことを精一杯悔いなくやっておいて、今後それが出来なくなった
場合には、その時の自分を一体どうするか、今後の一生で、一番
若く元気な今のうちにまじめに考えなければならない。
そう考えると、生きること、そしてそれをマネージメントする事
とは、ダラダラと過ごしてしまいがちなんだけど、とても高度で
戦略的思考が必要なんだろうな、今までダラダラと無駄使いして
きた若さと時間が、今となってはとても勿体無かった!と感じる。
だがそれはこうやって失わなければその価値に気付けなかった。
…ま、人の人生とは、そして世の中の理は、きっとみんなそんな
もんだろうな(^^;)
…おっと、話が大きくそれた。元に戻そう。
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現時点で自分の寒さ対策は、以前紹介したのと、ほぼ同レベルだ。
大原則は
1)防護:部屋から外に逃げる熱を食い止め、人体から放熱を防ぐ。
2)攻撃:それでも失う熱は灯油を主とする暖房で最小限供給する。
3)集中:生活空間を出来るだけ狭くし、発熱源と生活動線を集約。
これを言い換えると
ⅰ)『出てゆくものを工夫を凝らして最小限に押さえ込む』
ⅱ)『入るものは必要とする最小限供給し、無駄なく有効に使う』
ⅲ)『inとoutをマネージメントして必要十分の枠内で生きる』
という事。もし貧乏生活における防寒生活に興味がある方が居たら
以前のネタをご参考あれ。真似する人は居ないだろうけどね(^^;)
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今回の主題は、この寒さ対策が、家計の管理に似ているという事。
人が生活するための家計を戦略として考えると、こんな感じだろう。
守り:節約により出費を極力抑える
攻め:一円でも多く収入を得る
この、キャッシュフロー制御が、ヒートフロー制御と本質的な所で
とても似ていると自分は考える。つまり、
A)支出が多くても収入が多ければ、節約をしなくても楽に暮らせる。
a)断熱が不十分でも暖房が強力なら、防寒や着込まず楽に暮らせる。
B)収入が少なければ、節約に努めて出費を抑え、生活は萎縮方向。
b)暖房が無いか弱ければ、防寒をがっちり固めて生活空間も縮小。
つまり生活を良くしたり楽にしたければ収入を(発熱を)多くするか
支出を(放熱を)抑制する方向にコントロールすれば叶う、という事。
逆に言えば、
寒いのなら(生活が苦しいなら)不足している熱を補う(足りない
収入を増やす)か、今よりも防寒対策を固める(さらに節約する)
必要がある、という事。
つまり、いくら暖房をガンガンかけても(収入が多くても)、窓を
開けてその熱を逃がしては(浪費が多かったり無計画すぎるならば)、
どんなに頑張っても、部屋は(懐は)ずっと寒いままだ、という事。
もし暖房が弱くても(収入が少なくても)がっちり対策を固めれば
(節約節制に努めて生活を引き締めれば)寒いなりに(貧乏なりに)
ある程度快適に人は生活出来る、と言う事でもある。
過剰に暖房を強化(収入を増加)しなくても、本人が快適、かつ
適切なレベルを満たす強さ(収入)に留めて、それと同時に防寒対策
(節約)をすれば、少ないエネルギー(少しの収入UP)で、今よりも
快適な生活が手に入る、という事。
…ね、なんとなくでも、これらって良く似てると思わない(^◇^)?
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さて、これを自分自身の生き方に当てはめて考えてみる。
今の自分の仕事は、いろいろあって責任は重く、ボリュームは分厚く、
そのために自身の私生活がその分だけ確実に犠牲となる、言わば
ワークとライフが完全にトレードオフの関係で成り立っている。
その犠牲に見合うかどうかはさておいて、労働の対価として得ている
収入は今の自分の生活レベルを維持するには若干過剰ぎみな感がある。
だからこそ車やバイクを沢山所有し、弄り、乗り、遊べるのだが(^^;)
だから、もしもそれにちゃんと釣り合う支出をして、生活レベルを
上げる事も実は可能だけど、残念ながら自分自身がそれを望んでない。
庭でイモを育てて収穫したり、暑さ対策、寒さ対策でカネではなく
知恵を使う今の暮らしは、貧しいけど実はとても楽しいから。
あまり自慢にはならないが、自分はたぶん世間一般の人よりも貧乏
節約暮らしが得意な方だと思う。だから本来なら、その生活を十二分に
満たすくらいの収入が得られる、時間に余裕のある仕事をすれば、
自分なりには一番楽に生きられると思う。
だから、もしかしたら自分の生き方としてはその生活に見合うような
『暖房を弱にする』事もアリなんだろうな、と思う。むしろ、今よりも
そっちのほうが自分に正直な生き方なんだと思う。
でもなぁ、今は過剰な熱エネルギー供給でも、それが将来(老後)も
保障されているわけじゃない。むしろ逆で、これからの未来はそれが
枯渇する一方なんだよね。日本はそういうベクトルに乗っている。
そうなると
「冷えて動けなくなる前に発熱が出来るうちにやれるだけやって
可能な限り今のうちに暖まって、来る寒い将来に備えるべき」
…だよな。となると、今の方向性は間違っていない事になる。
つまり今出来る事は、今のうちに精一杯やっておくべき…だって
後でそれが出来なくなるんだから、その前に頑張る…、おやおや?
僅か数十行前に、自分でそう書いていたような気がするな(苦笑)
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