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2012.10.21

被災地は、まだ傷付いたままだ。

こっちの現場に来て、初めての休日。去年は足がなくて出来なかった
被災地追悼のために、走り出した。

海から離れた繁華街は、まるで地震や津波が無かったかのように
繁盛していて、人も多く、車も沢山走っている。でも海沿いに行くと
それまで住宅地だっただろう場所が、相変わらず広大な空間と、
一階が津波にブチ抜かれた廃墟が転々と残っていた。

Hisaichi01

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そのまま製紙工場の脇を抜けて海沿いに出て、海岸線を走る。

Seishikoujyou

去年は津波でやられた廃車の山があったが、今年もまだそれが
あった。台数は減ってはいるけど、それでも莫大な数の廃車が
一年間の時間を湧き出た赤錆で語りかける。

Haisha

…なんだよ、一年間でまだこれしか片付いてないのか…
そして去年は気が付かなかったけど、その横にバイクもあった。

Haibaiku

日和大橋を越えたところにある全国的に有名だった、巨大な
鯨の大和煮の缶詰を模したつぶれたタンクは無くなっていたが
巨大なガレキのピラミッドはあいかわらずだった。

Gareki

一年もたてば、もっと改善しているのかと勝手に思っていた。
でも、ここはあれからわずかしか変っていない。

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その近所にある中学校の跡地に行ってみた。

Minatodaini

この通り、一階を津波にブチ抜かれた、そのままの姿だった。
ここに一体どれだけの津波が来たのだろう?、ちょっと薄暗い
所に来たら、その壁にその爪あとがそのまま残っていた。

Tunamiato

一番高い所は、地面から4~5mくらいだ。つまりこの一帯は
すべてそれだけの水で水没した、って事だ。ジワジワじゃなく
猛烈な勢いを持った津波で、だ。想像しろったって、想像できる
シロモノじゃない。

その近所の石の森曼画館は11月末に再開するべく工事中だった。
ここは健在な頃に一度行ったことがある。…頑張れ!石巻!

Ishinomori

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牡鹿半島を金華山方面に向けて走る。

途中、津波で更地になってしまった集落の真ん中に
古い作りの蔵だけが残っていた。蔵って、強いんだな。

Tunamikura

しかし、蔵ほどの強度がない普通の家は何もかもが
流されてしまっている。津波って、本当に恐ろしいな。

Tunamishuuraku

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震災復興予算に、シーシェパード対策費が盛り込まれた
理由が、石巻にある捕鯨という産業を守る、と、ここの出身の
民主党の誰かが言っていた。なので、捕鯨で有名な鮎川に
寄ってみた。大昔、ここのホエールランドを見学したことがある。

でも、行ってみたら、ホエールランドは廃墟のまま放置されてた。
シーシェパード対策する前に、まずここの人たちの日常生活を
取り戻すために、その金を使えよ!!!!

Ayukawa13

Ayukawa2

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金華山が望める展望台に行ってみたが、ここも震災被害が
そのまま残っていた。駐車場はまだこの有様で、公衆便所も
つかえないままだ。震災復興のための予算を無関係な事に
無駄使いする民主党のやり方に、心底腹が立ってきた。

Kinnkatennbou

よくまぁこんな厚顔無恥なポスターを無神経にも被災地に
あちこちに嫌になるほど張りまくるもんだ。恥を知れ、恥を。

Minshutou

漁港から、高台に上る坂道にあるガードレールが、途中まで
へし折られている。津波がここまで押し寄せた、という証拠。
こんなのがそこかしこに残っている。被災直後の景色じゃなく
これは昨日の景色だ。

Guradrail

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色々な思い出がある、女川に入った。

津波にやられて、更地になった姿は一年前に見ていた。
今年は、去年残っていたマリンパルが無くなって、さらに
更地化していて、昔を思い出させるものが減っている事が
少し寂しかった。

更地になってしまった、おんまえやの跡地や、七十七銀行の
跡地には、遺族が沿えたのだろう、花束が…泣けた…

77bank

その横を、女川町のガレキを積んだコンテナを輸送する
トラックが通り抜けた。女川町だけでは処理できないそれを
東京に輸送するためのコンテナだ。自分は女川町民では
ないけれど、ありがとう東京。津波だけでなく、偏見と差別の
セカンドレイプで女川をさらに苦しめる地方自治体が多いのに
東京は女川を救ってくれた。

39tokyo

その後で、町立病院の高台に向かう坂道にこんな表示が。
DR-Zに跨ったまま、泣けて、泣けて、しかたなかった。

Onagawareborn

今後女川の町は、これだけ嵩上げされる計画があるらしい。
果たして何年かかるんだ?、やるなら本気でやれよ、政府。

Onagawakasaage

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その後、仮設の店舗を回ってみた。そこにかつて何度も
行ったことのある店があることを見てちょっと安心した。
かぐらも、おしか食堂も行ったことある。健在だった(^^)

Kasetu01

県立高校の校庭に作られた仮設商店街にも、なじみの
店が何店も入っていた。でも見つからない店もある。
廃業したのか、それとも…

Kasetu02

仮設のマリンパルに入って、以前良くサンマかりんとうを
買っていた店があったので、そこで色々な話を聞いた。
すると、自分が知ってる人が津波で何人も亡くなってた…

Marinpal7

…悔しいなぁ、悲しいなぁ。なんだか無性に泣けてきた。


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でも、生き残った人たちは、みんなここで頑張っている。
家や店が津波で流されても、こんな感じで頑張ってる。

Sobakasetu

今を生きているだけで、それには意味があるんだよな。

生きることを一生懸命頑張ろう、謙虚にそういう気持ちに
させてくれた一日だったよ。

009

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コメント

 それでも人は生きていく。前を見て、一歩進む。そして前を見る。先は長いかもしれないけれど、一歩進む。

投稿: 剣片喰 | 2012.10.22 20:41

剣片喰さん:

返信遅れてすみません、ちょっとドタバタしてました。

人って、というより命あるものはすべて、どんなにひどい目にあっても、
命ある限り立ち上がるんですよね。そしてそこから先に進もうとする。
どんなに突き落とされても、手を伸ばそうとする。それが命の本質のような
気がします。死ぬ瞬間までは、力の限り生きようとする、その尊い一歩を
被災地に見たような気がします。

これだけ苛烈な目にあった彼らに出来るのなら、それほどの目に
あっていない今の自分に出来ないはずはない。逆に彼らがどうしても
出来ないのなら、自分が何かを助ける事が出来るはず。

それが直接手を差し伸べることでなくても、間接的にであっても、
例えば被災地で缶ジュース一本を買うことだって、経済的効果が
わずかでもある。自分の住む所で被災地産のサンマを食うことが
積もり積もって被災地を助けることにつながってたりします(^^)

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で、ドタバタしてるというのは、実は急遽ここから離れる事に
なりました。来たばっかりなんですけど、やむにやまれる事情が…

こちらには、数ヶ月間の予定でやってきたのですが諸般の事情が
発生して、出張先であるここから、また別の現場に今週末から
約一ヶ月さらに出張する事に急遽決定しました。

その緊急対応が終わったら、またこの現場に戻ってくる予定です。

色々な事情によって本人の意思に関係なく吹き飛ばされ続ける
自分の生活ですが、どこに行こうともどっこい生きていますから、
その都度どれだけ後退しているか前進しているのか、今はまだ
わかりませんが、今居るその場からどうやったら先に進んで
行けるのか、改善出来るのか、つまりは「生きていけるのか」の
模索をこれからも、どこでもやっていきます。

それがドラマチック&エキサイティングであれば、カッコイイ
人生と言えるんでしょうけど、残念ながら自分がそれをやると
どうしても人生街道の珍道中になってしまうのがちと残念です。

そんな生き様を生ぬるく見守ってやってください(笑)


投稿: ino | 2012.10.24 23:38

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