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2013年1月

2013.01.27

計算する道具

今の世の中、コンピューターを使わない日は多分無い。
こうやってネットを見たり、書き込んだりするのは勿論、
仕事でも書類作成や各種計算をスプレッドシートで
するのはもはや日常といってもいい。

でもコンピューターって言うのは、日本語に約すと実は
電子計算機。計算する機械なわけだ。そうは見えない?
でも何時も我々は意識してないだけで、PCはこうやって
文字を打ち込むだけでも内部で必死に計算している。

自分が大昔に古いPCを弄っていた頃、色々なことを
BASICでプログラミングしてやろうとしてみた

画面の上にキャラクタを表示させ、それをキーボードを
押して、左右に動かすだけで、移動するもののデータと
そのキャラクターが上書きする場所のデータをV-RAMから
読み込み、それをバッファリングして、移動する方向となる
座標にそのデータを転送して書き込み、逆に移動して
空いた場所には元のデータを書き込んで元の情報を
復元する必要があった。8bitのPCではそれだけでも
結構大変だったっけ。

…おっと、話が横道にそれた。元に戻そう。

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仕事で使うPCは電子計算機というよりも文房具に近く
あまり計算を意識する事はない。当然だけどスプレッド
シートで計算させることはあるけど、こんなPC万能の
時代でも、不思議とPCの横にはかならず電卓がある。

ふと思い立ったときに、チョコチョコと計算するときには
わざわざPC上で電卓を開いて計算したり、表計算する
よりも、電卓を使った方が速いし、手軽だったりする。

そんな自分が職場で仕事に使っている電卓はこれ。

El509a

シャープの関数電卓、ピタゴラスEL-509A。

こう見えても、一応現役の技術者なんで、最低限の
関数計算が出来るこれがすごく便利。関数電卓と
しては小さい方で、ずっとこれを長く長く使っている。

どのくらい長くか、というと大学生の頃に学校の売店で
買った、というくらいだ(^^;)。1986年か1987年だと思う。

この電卓、驚くべき事に、今まで一度も電池を交換
していない。当然だけどソーラーじゃないよ、ボタン
電池が二個入っている・・・はずだけど、一度も裏蓋を
開けた事がないので詳細は不明。

おかしいおかしい、と思ってもう四半世紀使ってるけど
この電卓、ネットで調べると、どうも超々々々々電池が
持つ電卓らしい。他にも驚異的な電池寿命が報告されて
いる。例えばここ→ 27年間、動き続ける電卓

こんなに電池が持つのなら、世の中にソーラー電卓は
不要なんじゃないか?、と思ったりもするが(^^;)、
これはおそらくシャープの技術力なんだろうな。

今ではボロボロになった感のあるシャープだけど
間違いなく良いものを今まで作ってたよ。頑張れ!

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仕事では関数電卓を使うけど、自宅では関数は殆ど
使わない。その多くは職場と同じ、自宅のPCの脇で
家計簿や燃費の計算をするのにチョイチョイと使う。

それはこれ、カシオJ-30。大昔、産業廃棄物の仕事を
していた頃に某最終処分場で拾ったものだ<ばき

Casio_j30

これも古いよ、液晶じゃなく7セグ蛍光表示管だもの。
これはEL-509Aと真逆の燃費が悪い電卓。電源は
単三電池を二本使う。ウチでは他で使った使い古しの
電池を最後まで使い切る役割を担っていて、電圧が
かなり低下するまで使える。新品はなんと9800円も
したらしい。ここを参照

この電卓が、これまた使いやすいんだよね、しかも
まったく壊れないもんだから、これも長く使っている。
今では百均で売ってる電卓だけど電卓ってこのくらい
ガッシリしていた方が結構使いやすいと思う。

ゴミとして捨てられていたこいつ、まだまだ使うよ(^^)

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自分が思うに、これからPCが進化しても、電卓という
便利な道具はこれからもなくならないと思う。

逆に時代に流されて消えていってしまった計算する
道具もある。自分が持っているのは、例えばこれ、

Keisanjyaku

これはエンジニアだった自分の父が使っていたものを
EL-509Aを購入した学生の頃に譲り受けたものだ。

計算尺なんて今のワカモノはチンプンカンプンだろう。
自分もそうだった。でも使い方を教わって、その仕組みを
知ると、こんな物にこんな機能が!、と目玉が飛び出る
くらいに驚いた。この計算尺には人類の知恵と技能が
ぎっしり詰まっているのだ。

電卓と違って、最終的に得られる解は、目盛りから読み
取るおおよその値なんだけど、それでもほぼ合っている。
電卓ほど鋭い数値を出さなくても、このくらいでも十分な
科学技術計算は出来る。事実、電卓が普及するまでは
これでみんな技術計算をして、当時の技術者は今に
至るこの世の中を作ってきたのだから。

そう考えると、この計算尺、そして自分は持ってないけど
手動計算機たるソロバンも、そういうアナログな技術って
時代だから、と捨て去るには惜しい物だと思う。とはいえ
戻れるかというと戻れないから、このまま消えてゆく技術
なんだろうけど。

…あ、ソロバンは今でもバリバリの現役だった(^^;)

 Soroban

百均の電卓売り場にも、ソロバンが売ってたよ。
さすがに計算尺は売ってなかったけど<ばき!
 

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2013.01.14

私的、成人の定義

東日本各地が雪に見舞われた成人の日、今働いている
津波被災地でも10cmほど雪が積もった。今日は仕事が
休みだったので、スタッドレスを履いた4WDサンバーで
石巻まで出て、雪化粧されたかの地を見て回った。

Ichinomoriyuki

去年再開が叶った石ノ森萬画館もすっかり雪化粧だ。

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成人の日というと、昔は共通一次試験の日だった。
そういや自分が受験生だった頃、共通一次試験と
いうと、大体毎年雪が降っていた気がする。

成人式も、雪で振袖が…というニュースを毎年どこかで
見ていたような気もする。

そこで、ふと自分の成人式のころを思い出した。

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成人式というと、高校を卒業し2年しかたってないので
地域の同年代が市の施設に集まる、まるで同窓会の
ようなイメージだった。女性は着飾ってくるのが通例で、
男も背広や礼服、紋付袴姿でやってくるのもいた。

自分はどういうわけだか、成人式にはジーパンと革の
ジャンパーで行く、と前から決めていた。成人式だから、
といって正装するのは何か違う気がしていたし、そういう
場所に着て行けるちゃんとした服は持っていなかったので
どこからか借りる事が必要で面倒だったし、そういう場所に
まさかそういうラフな格好をしてやってくる人間はそうそう
いないだろう、というスケベ根性も少しはあった(苦笑)

会場についたら外には高校卒業以来に会う友人が多数いて、
今の近状を聞いたりして過ごし、時間になったら会場に入り、
市長の挨拶と市営の管弦楽団か何かのオーケストラの演奏、
中身はすっかり忘れた(苦笑)

でも、今思う。あの場所で、成人になった、といわれたあの頃
まだ自分は子供だった、大人ではなかったな、と。

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子供と大人の境界とは、20歳という年齢だけで決まるのか?

…違う。

ちょっと前に良く見られたバカ騒ぎして式典をぶち壊す
連中を見ればあれが大人だとは誰も思わない。

それに、自分自身が中年と呼ばれる年齢になって、20歳
前後のワカモノを身近に見ると、彼らがお子様に見えて
仕方が無い。それは学生はもちろん、高卒で就職して
働いているワカモノもそうだ。

まぁ、その子らの親が、最近は自分より若かったりするので
自分にもしも子供が居たら、ちょうどそのくらいの年齢、と
考えればそれも無理ないのかな、と思ったり…(-_-;)<ばき

でも、中には自分らの世代でもハッとさせる20歳前後の
人間もいる。こいつ大人だな、と思わせる片鱗を持つ十代も
居る。そして、そんな自分は自分で大人だと自認するし、
自分の周りの大人もみんな『大人』だと思う。
(まぁ、たまに少年の部分が表に出ることはあるけどね)

この違いはなんだろうか?

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自分はそれを、『覚悟をしているか、出来ているかどうか』、の
差だと思っている。

つまり、覚悟をしていない人間はいくつになってもまだ子供で、
覚悟をしている人間は年齢にかかわらず大人だ、という事だ。

じゃあ、その覚悟ってなんだ?、と人は言うだろう。
辞書で引くと、覚悟とはこういう意味だ。

かくご[覚悟]( 名 ) スル
 ①危険な状態や好ましくない結果を予想し,それに対応できるよう
  心構えをすること。 「決死の-」 「危険は-の上だ」 「 -はできている」
 ②仏 悟りを開くこと。
 ③知ること。 「郎従小庭に伺候の由,全く-仕らず/平家 1」
 ④覚えること。 「本歌を-す/徒然 238」
 ⑤観念すること。あきらめること。
   「がつきめ,御意ぢや-せい/狂言・武悪」

以上大辞林 第三版 (三省堂)より抜粋。


この①から④に関しては、まさにその通りだ。大人と子供の差
として説明するまでも無いと思う。②の悟りとは、仏教における
解脱ではなくその人なりの人生観を経験を持って悟り、持って
いるかどうか、ということ。

でも多くの人は、この⑤に、違和感を覚えるかもしれない。
なんで観念することが、あきらめる事が大人なんだ?、ってね。

夢や希望を沢山もって、それをキラキラしたそれらを追い続ける
事は、素晴らしい事だ。それを失ってしまったら、それはそれで
大問題だから。そういうワカモノが増えているらしいけど、夢や
希望はいつでも持っていて欲しい。それが人が生きる原動力に
なるから。

でも、その夢や希望が必ず叶うか?、というと残念ながら
そんな事はない。叶うこともあるよ、でも夢が破れ、希望が
失望となる経験をした人は多くいると思う。

そう、人生には挫折や失敗が必ず付きまとう。

その挫折や失敗をして、断腸の思いをして夢や希望を諦める。
そんな経験しているか、そしてその経験をしながら、再び夢と
希望を持って立ち上がるプロセスを経験しているか?、それが
自分は人が子供か、大人かの大きな違いだと思う。

自分を含めた大人は生きる過程で必ずそれを経験している。

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子供が大人になりたくない、というのを一言で言うならば、

 『覚悟なんてしたくない』

という事だと思う。でも、人は成長して、長く生きていると、
嫌でも色々な経験をして、この『覚悟』の意味がだんだんと
判ってくるはずだ。何せ、かくいう自分もそうだった。

…さあ、新成人となったワカモノよ、『覚悟はいいか?』

ここから、君たちのターンが始まる。そして今の大人が背負って
生きている、ありとあらゆるものを代わって背負うことになる。
好むと好まざるとそうなる。うそじゃないぞ。

進む先には何があるか判らない。明るい未来だけじゃなく、
暗く辛い未来もきっとある。運よくそういう目にあわないかも
しれない、でもそうなることもある。それを知り、そうなった
場合の心構えをして、そこに堕ちても、這い上がってこい。

その上で、自分なりの生き方や、人生観を自力で築くんだ。
他人の物差しや主義主張に簡単に左右されない、土台から
しっかりした、ゆるぎない自分のポリシーを築け。

今まで学んだ以上に、これから知ることは多い。判らないことは
謙虚に聞けばいい。それを知って自分自身の知識にするんだ。
そういう事を繰り返しながら、世の理を学んで覚えて生きろ。

夢や希望を持て、失敗は恐れなくていい。でも失敗は必ず
経験することになるだろう。辛く、悔しく、悲しく、絶望し、
何もかもが嫌になるかもしれない。…でもな、その失敗を
どうやって受け止めて、それをどう生かしてゆくのか、実は
それが一番大事なんだと、自分は思う。

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正直、ピンとこないと思う。こういう事を言ってもそれが
何を言っているのか判らない、それが二十歳の頃だと思う。
多くの場合、20代でそれらを構築して、経験して、30歳位で
この『覚悟』が出来てくる事が多いと思う。

つまりこれから嫌でも判るようになる。頑張れ、ワカモノ(^~^)
 

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2013.01.04

自称、スーパーテネレ250

長文ではなく、一発ネタをひとつ。

諸般の事情により昨年末ウチにカワサキのスーパーシェルパが入庫。

Super06

シェルパというバイクは複数台持ちにとって、とても恐ろしいバイクだ。
ウチのXT600Z、SX200R、TW200、DF125、そしてTY250ZSまでの用途を
かなり高いレベルで一台でこなしてしまう、バケモノのような万能性の
ある名車中の名車だ。

自分は免許を取った人間からバイクは何がいいですか?と尋ねられたら、
常にシェルパを一押しするくらい、何でも出来てしまう「お化けバイク」だ。

なので、もしもこのコをウチのファミリーに入れてしまったら他のバイクの
息の根がことごとく止まってしまう恐れがあるので、コイツは自分用には
使わず、そのまま他の人にスルーして回す予定。いいバイクという事も
あって欲しがる人も多く、既に行き先がほぼ決まっている。

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今朝、ふと思い立って、そのシェルパにウチのXT600Zの予備用として
持っている、それ用の30Lタンクを載せてみた。するとこんな感じに(苦笑)

Super01

タンクがデカすぎて、シートを置く空間がほとんど無いので、KSR80の
全長の短いシートをとりあえず置いたら…アラ!、いいバランス<ばき

いやいや、バイクが走ってるのか、タンクが走ってるのかよく判らない
すさまじい形になってしまったよ。しかしまぁ、こうやって見ると、テネレの
30Lタンクってとてつもないサイズなんだな。いつも見慣れているので
そんなに違和感無かったけどコンパクトなスーパーシェルパに載せると
こんなにもデカイのか…ビッグタンクすぎてデッサンがおかしい(^^;)

Super02

まぁそもそもシェルパに30Lのガソリンタンクを背負わせる意味が無いので、
万が一そんな事を考えている人がいたら、これを見て止めた方がいいよ。
スーパーシェルパにビッグタンクを乗せるのなら、どうやらSXやDF系の
13~15Lタンクが載るらしいので、そのくらいに留めておく事を推奨。

本日のタイトルは「スーパーシェルパに、テネレの30Lタンクを載せたら
もしかしてスーパーテネレ250と名乗ってもいいのかしら?」の略っす。

これはあくまでもお遊びに過ぎないので、あしからず(^^;)
 

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2013.01.01

今年はテネレという名のバイク、30周年

2013年の最初は、バイクネタから始めよう(^^)

このBlogのURLでも使っているtenereという名のバイク、
それは1983年にヤマハ発動機から出たXT600Zが最初。

それがウチのXT600Z tenere。ライト周りは同じ83年式の
RZ250Rの丸目ライトに変えているし、Fフェンダーは1994
年式のTT250Rのものだし、ホイルのリムはRK-EXCEL
特注品なので、外観的にはオリジナルじゃないんだけど、
2013年を迎え、ついに30周年となる年まで生き残った。

2013tenere01

バイクの年齢は3をかけると大体人間の年齢と同じくらい
になるような気がするので(つまり10年目位が一番脂が
乗ってる感じ)、その法則を当てはめるとコイツは90歳の
老人、という事になる。正真正銘のロートルだな(-_-;)

自分がバイクに乗り始めた1980年代の頃に30年前の
バイク、というとつまり1950年代、という事になるので、
国産だと1960年式のCB72よりも古いバイク、という事に。

そんなバイクは化石みたいなもんで、ワカモノだった
自分はまったくの興味外だった。新しいバイクが毎月
新発売される時代だったしね。

でも、その時代から同じ年月を経て、ウチのテネレは
21世紀の未だに自分の所で元気に走っている。

1983年にYSP限定300台が販売されたこのXT600Z、
果たして今では何台走っているのやら。自分の所に
コイツ用の中古CDIが4つあるので、少なくとも4台は
廃車になって解体されている。そして自分が知る限り
それとは別で2台が廃車になり、1台は錆だらけのまま
放置されているのを知ってるから、293台以下な事は
判っているんだけどね。

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と言う事で、この紅白カラーでめでたい感じのテネレで
30周年である今年の元旦に、走り初めをする事にした。

目指すのは明日と明後日に死闘が繰り広げられるで
あろう、箱根駅伝のコース。そこを走って、最終的には
箱根の中でもバイク乗りが多く集う、有名な大観山だ。

ちょっと遠いので午前中の早いうちから動く事にして
まず国道一号を目指して走り始めた。久々に乗るので
かなり減ってるガソリンを補給しに適当なセルフに入る。

2013tenere02_2

…26Lも入ったよ(^^;)。30Lタンクだから、4L残っていた。

このGSは20L以上給油するとボックスティッシュが5箱
もらえるキャンペーンをしていたのだが、まさかバイクで
こんなに入る奴はそうそう居まい。なのでツーリングの
途中なのに堂々と26Lのレシートを店員に突きつけて
正々堂々とボックスティッシュ5箱をゲッチュー。

ビックリしている若い店員が首をかしげながら寄ってきて
これって一体ナニですか?、と聞かれたのでテネレだよ
と言ってみたけど、さらに首を傾げていた(^^;;;)

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途中は端折るが、駅伝のコースを車と同じ遅いペースで
ゆっくり走った。明日はここで襷をつなぐ死闘が行われる。
その状況を思い浮かべながら、国道1号を延々下り、
そして海沿いの国道134号に乗ってとりあえず小田原を
目指した。

2013tenereodawara

コースの途中では明日のTV中継に備えてTV局が着々と
準備をしていた。襷をつなぐドラマが展開される中継所は
こんな感じで位置が示されていたけど、まだ姿はない。

箱根に近づくと道がどんどん渋滞してくる。それを我慢して
国道1号で箱根の坂を登り、箱根の芦ノ湖湖畔まで走った。
この高低差を明日ランナーは走って登る。頑張れワカモノ!

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その後、道路脇の気温表示が1℃とか0℃という恐ろしい
表示を見ながら、路面が凍っていないか慎重に走りながら
箱根ターンパイクのテッペンにある大観山までやってきた。

2013tenere03

天気が良く、空気は澄んで、空は青く高く、そして芦ノ湖と
その向うに見える雪化粧した富士山、何もかもが最高の
組み合わせだった(^◇^)/

…鼻水滴る寒ささえなければ、なんだけどね(-_-;)<ばき
スゲェ寒い~~~~、でも上下に着込んだYONOのウィンタ
ジャケット&パンツ
は優秀だ、こんな所まで来れちゃった。

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大観山レストハウスは、いつもはバイクが多いのだが、
さすがに元旦で、あまりにも寒い事もあって、バイクは
少なかった。車で来た人たちは景色の良さでたくさん
来るものの、車外に出るとみんな寒さにブルっていた。

かく言う自分も寒さに耐えながらサイレンサーを握って
冷え切った指先を暖めたりもしていたが、やっぱり寒く
レストハウス内に逃げ込んだ。

…そしたら、そこに長い付き合いのバイク仲間がいた。
メール等で連絡はとりあってはいるが、直にで会うのは
2年半ぶりくらいかな?

彼は震災後に被災地に入り、長くボランティアをしていた。
先日も陸前高田のあたりを回っていて、石巻に居る時に
自分に電話をくれた。その時に自分は現場で働いて
居たので、電話で会話しただけで会えなかったのだが
その彼がひょっこりそこに居たので、お互いビックリ(^^;)

その彼、ぢつはXT1200Z乗りだ。なのでウチのポンコツ
XT600Zと、最新鋭のXT1200Zを並べて記念撮影。

2013tenere04

左がスーパーテネレ、右がテネレ。

テネレという名のバイクが世にでて30周年の元旦に
30Lタンクを満タンにして走り、そして現行最新鋭の
テネレを名乗る(SUPERは付くけど)XT1200Zと出会う、
という出来すぎで楽しい元旦を過ごす事が出来た(^^)

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そうさ、今年はテネレの年だ。かつてXTZ750とXTZ660が
絶版になった事で絶滅したかに見えたtenereという血統は
ベルガルダヤマハのXT660Zが生まれて現代に蘇り、
そして本家ヤマハから究極とも言えるXT1200Zが出でて
今に至る。その30年間の歴史が上の画像には篭ってる。

30歳で年式相当に疲れているウチのXT600Zもまだまだ
往生しないで走れる間はズドドドドン!、と単気筒の鼓動を
響かせながら走るのだ。

とはいえ、ウチのXT600Z自体が超々マイナー車なので
これがテネレの元祖である事を知らない人が多いけどね。

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『一年の計は元旦にあり』、と古人は言う。

よし!今年も頑張ってこういう楽しい時間を過ごす!!

くれぐれも事故や交通違反などで捕まらないように
そして仕事で身体を壊さないように、仕事のし過ぎは
なかなかコントロール出来ないんだけど、でも頑張って
ある程度制御して、確実に、それをやろう!
 

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