私的、成人の定義
東日本各地が雪に見舞われた成人の日、今働いている
津波被災地でも10cmほど雪が積もった。今日は仕事が
休みだったので、スタッドレスを履いた4WDサンバーで
石巻まで出て、雪化粧されたかの地を見て回った。
去年再開が叶った石ノ森萬画館もすっかり雪化粧だ。
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成人の日というと、昔は共通一次試験の日だった。
そういや自分が受験生だった頃、共通一次試験と
いうと、大体毎年雪が降っていた気がする。
成人式も、雪で振袖が…というニュースを毎年どこかで
見ていたような気もする。
そこで、ふと自分の成人式のころを思い出した。
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成人式というと、高校を卒業し2年しかたってないので
地域の同年代が市の施設に集まる、まるで同窓会の
ようなイメージだった。女性は着飾ってくるのが通例で、
男も背広や礼服、紋付袴姿でやってくるのもいた。
自分はどういうわけだか、成人式にはジーパンと革の
ジャンパーで行く、と前から決めていた。成人式だから、
といって正装するのは何か違う気がしていたし、そういう
場所に着て行けるちゃんとした服は持っていなかったので
どこからか借りる事が必要で面倒だったし、そういう場所に
まさかそういうラフな格好をしてやってくる人間はそうそう
いないだろう、というスケベ根性も少しはあった(苦笑)
会場についたら外には高校卒業以来に会う友人が多数いて、
今の近状を聞いたりして過ごし、時間になったら会場に入り、
市長の挨拶と市営の管弦楽団か何かのオーケストラの演奏、
中身はすっかり忘れた(苦笑)
でも、今思う。あの場所で、成人になった、といわれたあの頃
まだ自分は子供だった、大人ではなかったな、と。
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子供と大人の境界とは、20歳という年齢だけで決まるのか?
…違う。
ちょっと前に良く見られたバカ騒ぎして式典をぶち壊す
連中を見ればあれが大人だとは誰も思わない。
それに、自分自身が中年と呼ばれる年齢になって、20歳
前後のワカモノを身近に見ると、彼らがお子様に見えて
仕方が無い。それは学生はもちろん、高卒で就職して
働いているワカモノもそうだ。
まぁ、その子らの親が、最近は自分より若かったりするので
自分にもしも子供が居たら、ちょうどそのくらいの年齢、と
考えればそれも無理ないのかな、と思ったり…(-_-;)<ばき
でも、中には自分らの世代でもハッとさせる20歳前後の
人間もいる。こいつ大人だな、と思わせる片鱗を持つ十代も
居る。そして、そんな自分は自分で大人だと自認するし、
自分の周りの大人もみんな『大人』だと思う。
(まぁ、たまに少年の部分が表に出ることはあるけどね)
この違いはなんだろうか?
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自分はそれを、『覚悟をしているか、出来ているかどうか』、の
差だと思っている。
つまり、覚悟をしていない人間はいくつになってもまだ子供で、
覚悟をしている人間は年齢にかかわらず大人だ、という事だ。
じゃあ、その覚悟ってなんだ?、と人は言うだろう。
辞書で引くと、覚悟とはこういう意味だ。
かくご[覚悟]( 名 ) スル
①危険な状態や好ましくない結果を予想し,それに対応できるよう
心構えをすること。 「決死の-」 「危険は-の上だ」 「 -はできている」
②仏 悟りを開くこと。
③知ること。 「郎従小庭に伺候の由,全く-仕らず/平家 1」
④覚えること。 「本歌を-す/徒然 238」
⑤観念すること。あきらめること。
「がつきめ,御意ぢや-せい/狂言・武悪」
以上大辞林 第三版 (三省堂)より抜粋。
この①から④に関しては、まさにその通りだ。大人と子供の差
として説明するまでも無いと思う。②の悟りとは、仏教における
解脱ではなくその人なりの人生観を経験を持って悟り、持って
いるかどうか、ということ。
でも多くの人は、この⑤に、違和感を覚えるかもしれない。
なんで観念することが、あきらめる事が大人なんだ?、ってね。
夢や希望を沢山もって、それをキラキラしたそれらを追い続ける
事は、素晴らしい事だ。それを失ってしまったら、それはそれで
大問題だから。そういうワカモノが増えているらしいけど、夢や
希望はいつでも持っていて欲しい。それが人が生きる原動力に
なるから。
でも、その夢や希望が必ず叶うか?、というと残念ながら
そんな事はない。叶うこともあるよ、でも夢が破れ、希望が
失望となる経験をした人は多くいると思う。
そう、人生には挫折や失敗が必ず付きまとう。
その挫折や失敗をして、断腸の思いをして夢や希望を諦める。
そんな経験しているか、そしてその経験をしながら、再び夢と
希望を持って立ち上がるプロセスを経験しているか?、それが
自分は人が子供か、大人かの大きな違いだと思う。
自分を含めた大人は生きる過程で必ずそれを経験している。
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子供が大人になりたくない、というのを一言で言うならば、
『覚悟なんてしたくない』
という事だと思う。でも、人は成長して、長く生きていると、
嫌でも色々な経験をして、この『覚悟』の意味がだんだんと
判ってくるはずだ。何せ、かくいう自分もそうだった。
…さあ、新成人となったワカモノよ、『覚悟はいいか?』
ここから、君たちのターンが始まる。そして今の大人が背負って
生きている、ありとあらゆるものを代わって背負うことになる。
好むと好まざるとそうなる。うそじゃないぞ。
進む先には何があるか判らない。明るい未来だけじゃなく、
暗く辛い未来もきっとある。運よくそういう目にあわないかも
しれない、でもそうなることもある。それを知り、そうなった
場合の心構えをして、そこに堕ちても、這い上がってこい。
その上で、自分なりの生き方や、人生観を自力で築くんだ。
他人の物差しや主義主張に簡単に左右されない、土台から
しっかりした、ゆるぎない自分のポリシーを築け。
今まで学んだ以上に、これから知ることは多い。判らないことは
謙虚に聞けばいい。それを知って自分自身の知識にするんだ。
そういう事を繰り返しながら、世の理を学んで覚えて生きろ。
夢や希望を持て、失敗は恐れなくていい。でも失敗は必ず
経験することになるだろう。辛く、悔しく、悲しく、絶望し、
何もかもが嫌になるかもしれない。…でもな、その失敗を
どうやって受け止めて、それをどう生かしてゆくのか、実は
それが一番大事なんだと、自分は思う。
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正直、ピンとこないと思う。こういう事を言ってもそれが
何を言っているのか判らない、それが二十歳の頃だと思う。
多くの場合、20代でそれらを構築して、経験して、30歳位で
この『覚悟』が出来てくる事が多いと思う。
つまりこれから嫌でも判るようになる。頑張れ、ワカモノ(^~^)
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コメント
真っ白なサンダーバード2号機かと・・・
覚悟・・・ 自分には無い気がするなあ・・・・・
投稿: 剣片喰 | 2013.01.18 18:55
剣片喰さん:
わははは、確かに雪山迷彩状態の2号に見えますね(^◇^)
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大人の状態を極限まで要約すると漢字二文字の『覚悟』になります。
そこに至るまでに色々一般的な項目もあるのですが、それをさらに
絞って究極の一言にまとめると、そうなるな、という事です(^^)
これは別に死地に赴く心構えじゃなくて、経験からする危険予知や
大人としての振舞い(をしないとどうなるかを考えている=覚悟)、
が出来ていることも包括しています。
極端な話し、寒い中、薄着をしてたら風邪をひく、だから
あったかくする、こういう日常も『覚悟』の一つです。
それを誰かに言われてなんとなくそう思うのが子供、それを
実体験として風邪を引いて、遠足に行く事が出来なかったり
すれば、今後対する備えを自発的に行うようになると思います。
この積み重ねが大人、という事です(^^)
基本的にずっとバイクに乗る人、バイクの怖さと楽しさを知る人は
はみんな『覚悟』をしてますから、自分としては全て大人の部類に
入ります(^◇^)
投稿: ino | 2013.01.20 23:24