13年かかったね
自分が今住んでいるボロい借家に引っ越して
きたのは、離婚した直後に精神的残骸と化した
当時住んでいた家には居たたまれなくなって
逃げ出した十数年前。
気が付けば干支が一回りするくらい、ここに
住んでいる。ボロさはハンパないけど、でも
お気に入りなんだな(^◇^)
今は庭にサツマイモのツルがのたくりまわり、
直径50cmくらいになったヒガンバナの巨大
球根群のある場所に鮮やかなヒガンバナが
立ち上がって咲いている。生き生きとした命、
それに触れられると自分も生きてる実感が
ある。今働いている職場が、ある意味で人の
業の最果てのような場所だから、癒される。
とはいえ、そこも夜になればコオロギが鳴き
夜間照明には螻蛄(オケラ)が飛んでくるし
木に生った実を食べに野鳥が大量に飛んで
やってくるくらい、自然は豊かなんだけどね。
…おっと、脱線脱線:-p
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ここに引っ越してきた当時の秋、会社に出入り
していた清掃パートのおばちゃんから貰った
柿を食って、そこから出た種をあまり深く考えず
隣の庭との境界にいくつか植えた。
そのうちひとつだけが芽吹いて、すくすくと成長
して、気が付けば幹の太さが直径5cmくらいの
立派な木に成長した。
春夏には成長し、秋冬には赤くなった落ち葉を
散らして枝だけになっちゃうけど、自分にとって
同じ場所で生きて、成長し続けている子供の
ようなもの。その成長を、たまに剪定してある
程度に抑えつつも、ずっと見守ってきた。
そしたら今年、その柿の木に実がついた(^▽^)
…何か感無量だな。自分に子供はいないけど、
もし子供がいたら、中学生くらいになって部活の
県大会に出場したりしたら、こんな気持ちになる
のかな?。一生経験することは無いとあきらめて
いた感情をまさか柿の木に味あわせてもらうとは
思わなかったよ。
出来るならば、頑張って成長した柿が成し遂げた
この成果を、ぜひ食ってやりたい。でもまだこの
柿の実は熟れてないし、自分はまた明日には
あの現場に戻らねばならない。
だから残念ながら、これを食す事は叶わない。
きっと以前イモの芽を攫っていったヒヨドリが
啄んでくれるだろう。自然は命を成して、命を
襷渡しして繋いでゆく。だから、それで良しと
しよう(^◇^ゞ
柿は食えないけど、サツマイモは庭土の中で
ガッツリ育ってくれるだろうから、自分はそっちを
食うよ。ほら、世に言う、こういうことさ。
『桃栗、3年、柿8年。九里より美味い十三里』
ってね♪。
でもきっとイマドキの若者はこれって全く理解が
できない言葉なんだろうな。最近しょちゅうそう
いうジェネレーションギャップを感じるんだよね。
…もう歳だな、オレも老いて来たって事か(^^;)
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