死の道(そして還る)
今は仕事に出るために、街中にあるビジネスホテルから
そのまま郊外に続く国道をライトバンで走って通っている。
真っ暗な早朝に片道50km超のロングドライブをしているが
ここ最近、緑の多い郊外のあたりで、ほぼ毎日、何匹かの
狸が車に轢かれて轢死体となって転がっているを目にする。
丸々肥えた大きいのから、ちょっと小さい狸まで、毎日
新たな轢死体が…きっと冬篭りの前に少しでも養分を
蓄えようと山から低地に出てきているんだろうな。
でも、不思議に思っていた。その狸の死骸が、翌日には
大体無くなっているのだ。都市部なら保健所なり清掃局が
片付けるのかもしれないが、ここは帰宅困(以下自主規制)
そうしょっちゅう清掃がされているとも思えない。
でも、休みの日にちょっとした理由で出勤して、すぐ帰った
時に、その理由が判った。
暗いうちに目撃するため、わからなかったけど、朝になると
山からカラスの集団が国道に集い、夜間に新たに生じた
狸やその他の動物の轢死体を集団で啄ばみ、食っていた。
飛び散った内臓や毛皮が裂けて露出した肉をガツガツと
突いては食し、何羽も一緒になって啄ばんでその死体を
車が行きかう危険な道のど真ん中からその脇によせると、
付近の電線に待機していた数十羽のカラスが次から
次へと舞い降りて狸の骸を喰らう様はグロテスクでは
あるが、実は自然の摂理に基づいている。
つまり狸は理不尽な人間によって命を絶たれているが、
命は決して無駄にならず、カラスに襷渡しされている。
肝や肉をカラスに食われて、骨をしゃぶられた狸は
その後は毛皮だけになって道路脇で干からびてゆく。
狸が狸としての命を繋ぐことは出来なかったけれど、
オマエの無念の死によって他者に託された命の襷は
形を変えて繋がれてゆく…
そんな様をライトバンのガラス越しに見やりながら
今日もライトバンを走らせる。
自分の命は子をなす事で未来に繋ぐことは出来ない。
だからせめていつかはこの狸たちのように何かの命の
糧として役に立てるかな?、なんて事を考えながらね。
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