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2018年2月

2018.02.22

あの感動を、もう一度(ちょっと違うかも)

長期滞在しているビジネスホテルの洗面所の鏡に写る
自分は、どこをどうみても冴えない不細工なオッサンだ。

養う家族も居ないのに、自宅から遠く離れて、仕事仕事。
毎日自分の人生は消耗して短くなって行くというのに、
何も生み出せず、何も成せず、ただただ、ひたすら磨耗し
ひたすら疲労してゆくだけ。仕事では何かを成している
のかもしれないけど、それは自分一人の成果ではなくて
かつ自分でなくても誰かが成していただろう役割と結果。

そう考えると、自分の人生はきっとすでにもう詰んでいて、
なすすべもない滑り台のような枠にハメられて、決まった
方向にだけしか、もう生きられないんだと思う。

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今となってはそういう人間に成り果てた自分ではあるが
こう見えても昔は好奇心と発見に満ちていた少年時代を
生きていた事もある。

なんであんなに色々な事が楽しくて、面白くて、ワクワク
していたんだろうな。豪雪に閉じ込めらて職場とビジホの
往復しかしないこの数ヶ月間の間考えていた。

それは幼い短い人生経験ゆえに毎日が発見と挑戦と
その結果新しい知見知識、技能技量を積み重ねて行き
自分の世界を広げながら自分が成長して世界が広がる
事が体験出来たからだと思う。

それを重ねて行くうちに、積み重なったそれの方が多く
なって、新しい発見や成長がだんだん感じられなくなって
なのに新しいことにチャレンジする事がどんどん億劫に
なって、ますます一度出来上がってしまった生き様から
脱せなくなって、その悪い連鎖反応がどんどん分厚い

      『 自 分 の 殻 』

を自分で勝手に形と大きさを決めて固めていったから、
だと思うようになってきた。

その『自分の殻』は、自分自身を支えている外骨格でも
ある。考えようによっては、それ=自分自身、をじっくり
作り上げるのが人生そのものなのかもしれない。

でもその『殻』を突き破って開ける世界、それが自分の
成長でもあって、その瞬間の感情こそが、『感動』という
ものなんだろうな。そういえば『感動』する事が歳を
重ねる毎に減っている。でも本当は自分はそれを求め
それに飢えているんだろうな。抑圧されたビジホ生活の
果てにそんな感情を抱くようになってきた。

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…お前、何を言ってるのか判らないよ、という人だらけ
だと思う、なので判りやすい例えをしようか。

子供の頃に、自転車に乗れるようになった時のことを
思い出して考えてみて欲しい。それまで全然乗れなくて
絶対乗れるようになんてなれないよ、と思いつつ、でも
乗ってみたくて、練習して、失敗して、でもあきらめずに
練習して、練習して、フラフラしながら毎日練習を重ねて、
ある瞬間、何かが起きてついに乗れるようになる。

そうすると今までに感じた事のない未知の速度域や、
バランス感、今まで出来なかったことが出来るように
なった喜び、そういったワクワクや成功体験の感情が
爆発したかのような熱い想い。それが自分が表現して
いる所の『感動』というもの。

凡人ではたどり着けないけれど、例えば甲子園に
出られた高校球児や、メダルを手にしたアスリートは
きっとそういう感情の高ぶりを感じているのだと思う。

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今の自分には出来る事は少ない。でも今の環境で
やれることにチャレンジして、マスターして、自分の
世界を少しでも突き破って新しい世界に到達したい。

そこには以前は感じていて、今ではもう殆ど感じられ
なくなってしまった『感動』がきっとあるはず。
でも完全ゼロベースから難易度の高い物に挑戦して
みたり、手当たり次第に手を出してやってみるのは
失敗して挫折するのがオチだ(苦笑)。

下地があって、でも成し遂げていられなくて、自分が
今でもやりたいと思っていて、頑張れば成し遂げられ
そうで、雪に閉ざされたホテル住まいで可能なモノ。

考えて考えて、昔挫折したコレに挑戦してみる事に。

Ekey

何で?、何の役に立つのさ?、とは聞かないように。
少年の嗜みに一つや、サバイバル技能の一つとして、
この技能をマスターして使いこなしたい、と古くは
小学5年生のころからずっと思っていたんだよね。
これこそが無線通信だと思っていたし、何より暗号を
即座に解読するかのようなスタイルにカッコ良さを
感じていたしね(笑)

中学校~高校時代にハマっていたアマチュア無線、
電話級を取って中古のポータブル機で開局したけど
ステップアップしないまま局免は切れて今に至る。
だけどいつかは電信をやりたいと思っていたのだ。

今は不特定の同じ趣味人と会話する、という世界は
無線通話からネットにほぼ100%役割が置き換わって
いると思う。なので電信級あらため3級免許を取って
電信通信をしたい、という訳じゃない(チャンスが
あれば挑戦したいけどね)。まずちゃんとモールス
信号を聞いて内容を理解出来るようになりたい。

電鍵で打つことは(美しい周期で打つのはとても
難しいけれど)それほど難しくはないので、符号を
暗記して、そこからひたすら聴いて、聴いて聴いて、
耳に入る短音と長音のリズムが何を意味しているか
言葉のように脳に入るようになるまで鍛えてみる。

今は低速で筆記でなら大体コピー出来る。でも少し
速度を上げたり、暗記で理解しようとすると10文字
くらいで追いつかなくなる。もっと練習が必要だ。

そしていつかは、かつて自転車に乗れるように
なったあの時のような『感動』の瞬間が訪れる…
はずだ。それまでトン・ツーで遊んでみるよ(笑)
 

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2018.02.21

頑張れ、親友よ

自分には数名だけど、『親友』と呼べる友がいる。

普通の友達や仲が良い人はそれ以上にいるけど、
気心が知れていて、どれだけ間があいても再会
すれば、その瞬間に昔のままの関係でいられる、
それが数ヶ月、数年というレベルではなくて長いと
十年以上消息すらわからないような奴でもあいつ
ならそういう事もあるさ、と思っていて、また相手も
自分に連絡を取らなくても特に問題とは思わない
ので、途中の連絡が全く無くてもある日電話が
かかってきたら、

 ino:「おう、ひさしぶり、元気か?会うか?」

で、普通に再会して、メシ食って、じゃあな!、で
また5年以上会ってない、とか、それでも関係が
全く変わらない、それが自分一人がそう思って
いるのではなく、ほぼ同じ感性で互いが同じ事を
思っていて、時間に関係なくそいう関係を築けて
いる友人、それを自分は「親友」だと思っている(^^)

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雪深い現場で働く自分にそんな親友の一人から
久々にメールが届いた。高校生の頃からの仲間で、
一緒にバイクで北海道を何度も回った盟友だ。

いつもならメールで近状や用件を伝えてくるけど
このときだけ、電話で話したいことがある、とだけ
連絡してきた。なんだい、カミさんと喧嘩でもした?
離婚したいという相談なら全力で止めるぞ(^◇^)

子供二人を抱えた家庭だから、いつなら話せる?
と返信したら

 「今なら、いつでも大丈夫だ」

…ん?、どういう事?平日だぜ、仕事はどうした?

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こっちは仕事があるので、じゃあ宿に帰ったら
こっちから掛けるよ、とだけ返信して、数時間後。

ビジネスホテルについてから、電話をかけた。
3回ほどのコールの後に出たのは彼の子供。
小学校低学年と年長の男の子二人の上の子。
お父さんにかわって~、と話したら友人が出た。

 ino:「久しぶり、子供も元気そうだ、どうしたい?」

そしたら、なんと奥さんが急逝した、と告げられた。
…え?、冗談だろ?、奥さんまだ40代前半だろ?
病気なんて聞いてないぞ?交通事故?一体なにが
どうした?頭が猛烈に混乱する。何で何で・・・??
自宅で突然苦しみだして突発的に倒れて救急車を
読んで運ばれたが、助からなかったんだそうだ。

予兆が無かっただけになぜそんなことに、という
気持ちしか湧き上がってこない。なのに一番悲しい
であろう友人は淡々と状況とこれからの葬式の
準備を語る。大丈夫か?そうだ、子供、子供は?

悲しいんだろうけど思うより気丈にしているそうだ。
子供も友人も、泣こうと思えばいつまででも泣ける
でも今はそれどころじゃないし、これからを考えると
今は泣いてられない、という。

それを聞いて自分が電話しながら泣いてしまった。

友人夫婦は結婚する前に紹介されて、結婚後の
新居に遊びに行って、もう乗れないから、とバイクを
引き取って、子供が生まれたと連絡と年賀状が
届いて、自分も出張先から名産を送ったりしてた
ので、奥さんもよく知っている。そのレベルの自分が
これだけ悲しいのに、家族を失った父と子が悲しく
ないはずがないのに、それを圧しているのにね。

自分は何もしてやれないな、すまないな友よ。
とりあえず何のチカラも与えられない言葉だけの
慰めと励ましをして、電話を切った。

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数日後、どうにか調整して時間を作って、職場に
どうしても二日休むので!と伝えて、雪の線路を
走るローカルディーゼル車に飛び乗って自宅に
帰った。翌日友人宅に駆けつけると楽しかったで
あろう家に葬儀が終わってお骨になってしまった
奥さんが祭られていた、遺影に手を合わせた。

心身ともに大変だろうに、友人は快く自分を迎えて
くれた。久々に会う子供たちは大きくなっていた。
子供たちに、自分に時間が出来たら作って楽しもう
と思っていた、切り張りして作る紙飛行機の本を
持っていった。元気になったら、これをお父さんと
一緒に作って空に飛ばして遊びな(^◇^)

友人や子供たちは思ったよりも元気そうだった。
カラ元気なのはわかっていたけど、ならば自分も
付き合おう!、まるで悲劇が無かったかのように
子供たちと遊び、友人と語らい、奥さんが居ない
だけで、かつてと変わらぬ時間を過ごしてきた。

中々帰ってこれないけど、また機会を作って遊びに
くるから、それまで大変であろう新米父子家庭を
3人で、…いや4人だね、頑張ってくれよ、困ったり
悩んだら、またいつでもいいから連絡してこいよ、
非力だけどチカラになれる事があれば、また遠方
から吹っ飛んでくるからさ(^^)/
 

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