さよなら2018年
遠方の現場に飛ばされてそこに常駐モードのままで始まりそこに常駐モードのまま終わった2018年。人生の中では一番面白みのなかった年かもしれない(-_-;)。
仕事は充実してたと思う、というかそっちばっかり充実せざるを得ない状況に追い込まれていた、といった方がいい。仕事がこの世の何より好きな人なら恵まれた一年と思えただろう。でも(悪いけど)自分はそういうタイプじゃないので、自分がやりたい事が仕事にいいように蝕まれた年として記憶される年になる。仕事は趣味じゃないから、働けば一応それに見合う給料も出る。さすがにそれを公表はしないけど、このグラフから察してほしい。
青線は生活費+道楽費の全支出額(自宅購入費用は除いてある)。この通り四輪車の新車を買った年は出っ張るけど、実はほぼフラットで、つまり自分の生活レベルは以前から殆ど変わってない。それに対して所得税地方税健保厚生年金等々の給料から天引きされる社会負担費は数年前から生活費を越した。どんなに節約を頑張って一円単位で支出を削っても、暴力的に増え続ける社会負担費で全部帳消し_| ̄|○
…つくづく思う。仕事を減らして自由な時間を増やしたいな、と。自分が働くモチベーションは給料じゃない。だから給料を増やされてもやりがいは感じない。養う家族や子供も無い、家も買ったし大きな支出は当分ない。つまり給料が増えなければならない理由が自分にはもうない。強いて言えば老後の生活費を貯めるだけ。
もう若くないんだ、人生に残された時間は多くない。しかも元気に動ける、やりたいことがちゃんと思うように出来る時間は多分あと10年くらいしかない。この人生の最後のチャンスを仕事だけに使いたくない。
…と、思っていたはずなんだけど、自分が願う人生のベクトルと2018年の生き様は、ほぼ真逆だった。
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人は願う通りに生きたいと思うけど、でも誰もがそれを叶えられるわけじゃない。その⊿を埋めるための志向や行動が生きがいであり、働きがいだと思う。そう考えると生きがいを見失った2018年だったけど、それでも少しは頑張って人生の楽しみを感じたいし、それが叶わないと判っていても掴もうともがく、みっともないと思われても、そこはまだ諦めたくない。
せめて来年は、もう少し楽しい年でありますように(-人-)
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