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2019年2月

2019.02.19

暗闇の中に光が見える?

短文失礼。

もしかすると、今の抑留生活から解放されるかもしれないという怪情報が出回ってきた。流刑左遷に改元で恩赦があるのか、それとも更なる最果てへのハイパージャンプなのか…

あぁ、その昔、「ドルアーガの塔」で出てきたあの文字が脳内に浮かぶよ(T_T)

 『YOU ZAP TO ・・・』

どうなることやら。
 

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2019.02.03

ストレス一定の法則

自宅をはるか離れた地方の現場で働き始めてかれこれもう1年半。慣れぬ場所と職種職位に四苦八苦しつつ、気が付いたらもうそんなに経ってる、と言う感じ。

色々明かせないけど、ここでの生活や仕事には沢山のストレッサーがあって、それを受けつつどう流していなして行き、どうやって減らして行こうか、という事をずっと意識無意識問わずやっているような状態。

色々あって、もう1年くらい悩んでいた、とある重たいストレスがもう少しで解決しそうな流れになってきた。やっと少し楽になる♪、と思ったら、それを見透かしたかのように新しい同じくらい嫌なストレスが持ち上がってきた(-_-;)

ここでふと思った、「…もしかして、ストレスって減らないんじゃないの?」、という事に。

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定量的、定性的、学術的な話ではなくて、単なる個人的な感覚なんだけど、ある環境で感じているストレスの総量というのは、一つ一つの総和というよりも、そのストレスを感じるバックポーンでもうある程度決まっていて、一つが解決しても、今までストレスと感じていなかったものがその総和を満たすために新たなストレスとして捉えてしまうんじゃないかな、という事。

つまりこれを解決するためには、迫りくる一つ一つを解決してもまるで樹の葉っぱを毟るくらいしか意味がなくほぼ無意味で、その根本となっている今の現状を、根底から覆さないと(つまり樹を引っこ抜かないと)、逃れられないんじゃないかな。そんな気がする。

そんなことはない、そんなの気持ちの持ちようだ!、と言えばそうなのかもしれない。でもこういうひらめきにも似た根拠のない直観というのは、今までの経験上、ドンピシャではないにしろ、方向性がそんなに大きく外れていないんだよね。

…となると、ストレスは努力して解決してノーダメージ化するんじゃなく、それをうまくコントロールしてダメージをより少なくなるよう慣れてゆく方がいいな、終わった!、というぬか喜びから新しいストレス出現のメンタル落差が大きくなるし、新しいストレスと真正面に向き合う瞬間が一番苦しいからね(^^;;;)
 

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