原始レンジ
このBlogを始めてから今に至るまで、自分はずっと電子レンジを所有していない。
あれば便利な事は判っているけど、不便を承知の上で無いなりに創意工夫することを楽しみとしていたら、気が付いたら無くても全然困らない事に気が付いてしまって、必要性を感じないまま今に至っている。昔住んでいた愛すべきボロ屋と違って電源がしっかりしている今の家なら遠慮なく電力をバンバン使えるんだけど、出張生活ばかりということもあって結局買ってない。
でも、ここに引っ越してきてから連続居住記録をやっと更新出来そうなくらい今は自宅生活を続けているので、そろそろ買ってもいいかな、と思ったり。結婚する前に色々やっていたパン焼きも久々にチャレンジしてみたいから、パンが焼けるオーブンレンジを買ってみようかな(^▽^)?
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思えば以前の家での暮らしはある意味で挑戦の連続だった。それが設備が整った今の家だとその挑戦をしなくてもそこそこ快適に暮らせてしまう。これが技術の勝利で、人類の進化だろうか?、いや、何となくだけど考えて手を動かして失敗して成功して、を繰り返していた昔の方が自分の脳みそはブンブンとブン回って働いていた気がする。そう考えると自分は退化していっているのかもしれない、と今の暮らしでたまに思ったりしていた。
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盆休みに入って、いつものようにバイクに乗ったりしながら、夏の暑さにウンザリしていた。ふと昔色々太陽で遊んでいたことを思い出して、久々に太陽と戯れてみようと思った。
まずは太陽熱で昼飯のオカズを温める。ウチには電子レンジがないから、この「原始レンジ」でどれだけオカズは温まるのか?
…5分ばかりおいておいたら透明パックの内側に水滴が付き始め、8分ほどで人肌以上になった。十分暖かく食える状態。太陽はやっぱりハイパーだった(^^;)
調子にのって、昔使っていたアレを引っ張り出してみた。そう、引っ越しの際にも捨てられずそのまま新居に持ってきていた、でも一度も使わないまま寝ていた、あの幻の貧乏生活アイテムだ。
こうやって、タンクを直射日光にしっかり当てて5時間ほどたったら、真夏の日差しは20Lの水道水を50℃くらいに加熱してくれる。これをエッチラオッチラと風呂場に運んで、タンクに専用キャップ、ホース、ヘッド、そして加圧ポンプ(注:以前使っていたのはさすがに壊れていたので百均で買ってきた)。これが「太陽熱貧乏シャワーシステム」、これを使って自分は4年間も暮らしていた(冬はヤカンでお湯を沸かす貧乏シャワーだったけど)
数年ぶりにポンプを踏みしめてタンクを加圧すると太陽熱で加熱された熱水がシャワーヘッドから流れ出す。熱い!、そうそう、こういう感じだったよ、懐かしい、そして今でもまだまだこれ現役だ、十分実用になる(^▽^)
とはいえ、全てを巻き戻してその生活に戻る、ということではないよ、自分はいつでも当時のレベルの生活に戻れる、という事の再確認。
例えば電子レンジが無くても今も生きていけている。でもそれがあっても自分は生きていける、より便利に。それは研鑽の生活から堕落した、日和った、という事じゃない。だってもしもそれが突然無くなっても自分は全然大丈夫だから。仮に生活インフラが無くなっても貧乏シャワーで生活し続けられるようにね(^^ゞ
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