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2020年6月

2020.06.30

ゴルフは一生やらない

職場の職位が上がって現職に社内転職をしてから、ある圧力が自分にかかり続けていた。新型コロナウィルス騒動が起こった事で最近はあまりないけど、感染が収まってきたら必ず再発するので、いい機会なのでUPしておく。

それは社内のゴルフコンペへの参加を(ほぼ)強制する力。管理職たるもの社内ゴルフぐらいして当たり前で、土日祝日の余暇の時間を会社のメンバーと過ごす事でより濃密な業務コミュニケーションが取れて会社運営に有益、というどこにも書かれていない不文律がどうも社内(の上層部)が感染しているらしい。

自分は若い頃、父親に連れられて打ちっぱなしに何度か行ったことがあるだけで、ごくたまにストレス解消でバッティングセンター替わりに練習場で最低玉数だけ打つ以外にゴルフクラブを振った事がない。それを知った社内ゴルフをやる連中が、イジメと嘲笑の対象が表れた!、とばかりにほぼ暴力的なゴルフイベントへの参加要請が定期的に入る。大変申し訳ない話だけど、自分は残りの人生でゴルフに人生のリソースを1分1円たりとも割り振るつもりが無いので、お誘い頂いた事に対する礼儀として全てのお誘いに一度だけ無下に断りを入れて、そのあとに続く追加の要請は全て無視している。

この行動に対して上役からは良くない評価が自分にされているようだ。でも自分は自分の残り少ない人生のリソースを自分自身の判断と責任で決める権利を有しているし、上役に気に入られて今以上に出世したいとかいうスケベ心を全く持ってない。なのでこれが自分の社内的立場を悪化させる要因となったとしても何も問題も感じない。給料が下がると言うならとっとと下げればいい、だって今の給料で何も生活に困ってないんだもの、下がったって今の生活やもっと下のレベルの生活も普通に出来るから小銭欲しさに自分の大切な時間や人生のリソースを無駄使いしたくない、絶対に。なのでそれでいい。

そういう自分ではあるが、ゴルフに対するスポーツとしての面白さに対しては実は異論はない。真面目に根詰めてやってみたらきっと面白さも感じるんだと思う。でもその楽しさを全て台無しにするイビツな社内力学が作用したゴルフコンペを、少なくとも末端要員の自分はきっと楽しめない。会社という要素が100%排除されるのなら今からでもやってみてもいいかもしれないけど、サラリーマンである限りやる意味は無い。そんな時間とカネがあればそういう連中は興味が無い、バイクや、車や、アウトドアといった今の趣味にもっと費やしたい。その方が自分の人生にとって間違いなく有益だからね。

そういう主張を社内ですると、「お前は間違っている!」、「社内のメンバーとゴルフしないとやる意味が無いだろ!」という偏ったカルト宗教的な価値観の押し付けをされる。そのモチベーションがどこから出てくるのかさっぱり理解できないくらいの強力さをもって、自分に何が何でもゴルフをさせようと圧力をかけつづけてくる。それをいつまでたっても諦めようとしない事に心底ウンザリしていて、加速度的にどんどんゴルフが嫌いになっている(-o-;)

そんな時間があったらバイクに乗って、そしてガソリン代を使うよ。その方が自分の人生にとっての有益度が、心底いやいやゴルフをするよりも何万倍も有益だから。なので自分は絶対に(会社関係者と)ゴルフはしない。他人はどう判断するのかは自分は感知しないのでやりたい人はやるべきだし、やりたくない人に醜いハラスメントをしかけてまでやらせるべきではないと思う。なのに今も世の中にはゴルフハラスメントが蔓延している。本当に残念だけど、いつか会社組織内のゴルフ同調圧力が違法なハラスメントとして認識されて世のサラリーマンが嫌々でゴルフをしなくても済むような社会になる時代が来る事を心の底から願ってやまない…(-人-;)

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泉佐野市の勝訴に思うこと

ふるさと納税をめぐるドタバタの裁判で、今日泉佐野市が国に対して最高裁で勝訴するというニュースが流れた。

これは国が後出しジャンケンで法的には問題が無かった泉佐野市を後から決めたルールで過去の行いを適用させてシステムからリジェクトさせたというある意味トンデモない方策に対する、正義の判決。

泉佐野市のふるさと納税制度を使った寄付金集めに対して、色々言う人たちは居るけど、モラル的にはともかく法的には問題が無かったやり方で、それを一般庶民が非難するならともかく、国が後から決めたルールで、ただ感情をもってその過去の行いを違法とした、という無茶苦茶な事例を最高裁が国に付託せずにちゃんと裁いたという画期的な判例で、日本に法治と社会正義はあったんだなぁ、感情で無罪を有罪にする韓国みたいな無法がまかり通る国ではなかった、という「過ちがあっても正せる良識がある国」である事を公に示せた良好事例だと思う。

確かに泉佐野市の過去のやり方は感情的には非難されるかもしれない方法だったけど、実は違法ではなかった。それに元々国策を押し付けられて財政が悪化して苦しんでいたので、窮鼠猫を噛む的な起死回生を狙った奇策だった。なのにそれを国が暴力的で全体主義的な国家権力をもってイジメるという前代未聞の愚行を自分はおかしいとずっと思ってた。国がまるで醜いジャイアン的いじめっ子のように一方的に弱者を見せしめにして叩いて、それに逆らえない手下のスネ夫的な自治体と一緒になって泉佐野市やその他いくつかの犠牲者をスケープゴートとして吊し上げて殴りつけながら喜んでいるようにしか見えなかった。

これを持ってこれからふるさと納税制度に泉佐野市が復活したら、「おめでとう」の意味を込めて、自分が可能なふるさと納税をいくらかしようと思う。昔みたいな高返還率の返戻品目当てじゃなく、傍若無人な暴力的なふるまいをした国家権力に、正義と法の秩序を持って戦って見事勝利を収めた泉佐野市に対する「お祝い」として、ほんのちょっとだけでも寄付をすることで応援したいと思う、自分には何の関係もない自治体なんだけどね。

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2020.06.29

在宅勤務の悪影響

ここ一か月くらいここをUP出来ない状態が続いてた。

時間はあった。在宅勤務だから通勤時間分の自由時間が増えているし、残業時間も出勤するよりも減っているのでなおさらだ。

でも更新は難しい。自分の趣味に近いレベルに達している家計簿付も、以前は1~2日単位で記録していたけど、今は2~3週間に一度の周期でしかつけれていない。それはなぜかというと、在宅勤務でPC仕事を自宅でやることによる目の疲れが尋常じゃないから。

どのくらい尋常じゃないか、というと、視力がこの2か月チョイで1.5から0.7に落ちた、といえば何となくわかってもらえるだろうか?。ケイタイやタブレットの小さい液晶をみるのは寝起きの朝ならまだ耐えられるけど、夕方にはもうカネを払ってでも見たくないし、仕事でノートPCを使っている関係でそのモニター距離の私物ノートPCも目が疲れて痛くてもう使いたくない。仕事が終わった夕方は視界がボヤけて、自転車やバイクに乗る事がはばかられるくらい。久々にこれを記載しているPCは、わざわざ中古の古いデスクトップPCを貰ってきて、仕事PCの距離とあえて変えた(遠くにした)液晶モニターで目をこすりながらやっと書いている状態。まさかこんなに目が短時間に劣化するとは思わなかったよ…

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昔から、他はメタメタでも、歯と目だけはいい状態を保ってきた。なので3か月前まで視力に不安を感じたことはなった(ちょっと老眼が進んできたような気はしてたけどそれは歳相当の劣化)。でもこの在宅モードが始まってから、色々工夫はしたけど、それでも目の疲れは猛烈で、仕事でPCを使わないわけにはいかないので、プライベート時間は目を休めることに徹してた。土日は仕事が休みなのでクルマやバイクに乗るために目のパワーをそちらに割り振って私物PCを長く使うニュース閲覧とか家計簿エクセル使用を出来るだけ避けてた。それでも平日に8~10Hの在宅PCワークによる目へのダメージは正直深刻なレベル。歯と目は一生モノだから大事にしてきたのになぁ、こんな事でこんなに痛めつけてしまうようになるとは完全に想定外。肉体的老化もあるんだろうけど、それを加速しまくってる気がする。

今日は天気が良かったので、1H毎に10分ずつ庭に出て、じりじりとした日差しを麦わら帽子で防ぎつつ庭木と青空を眺めて目を休めていたのでこの時間に私物PCで長文を打てる気がしてこれを打ってるけど、それでも目の疲れはある。うーんどうやったらいいんだろう?手元証明は確保してるし、頭上の照明も明るくしている。それでも目の疲れは事務所に出勤したときより大きい。こう考えると出勤した方が身体は付かれるけど目にはまだ優しい。ああ早く新型コロナウィルス騒動終わって出社解禁にならないかなぁ、明らかに運動不足で、体重も2kgぐらい増えて、ウエストも1インチ増えたし_| ̄|〇
 


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