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2021年7月

2021.07.29

この歳になって初めて知る日本語

ちょっと前に、ネットのとある記載でこういう文字を見た。

 「喧しい」

ごく普通に見かける表記だ。難しくとも何ともない。今まで自分はこれをこう読んでいた。

 「やかましい」

つまり、うるさい、騒がしい、という意味だ。これは正しい理解…と思っていた。だがこの時見かけた表記を、こう読んだ人がいた。

 「かまびすしい」

…え?、今何て言ったの?、思わず聞き返した。そしたら上記を繰り返した。初めて聞くひらがなの羅列。最初は理解が出来なかった。

 「かま」と「ビス」と状態をあらす「しい」?
 「かまび」と「す」と同上?
 「か」と「まびす」と同上??

今まで生きてきた経験から、知っている言葉を繋げて何となく理解する(している)ような気になる術を身に着けたつもりだったが、自分のボキャブラリーにこれら「か」と「ま」と「び」と「す」、そして「しい」を結びつけられる知識が無い。なので日本語でありながら日本語として脳ミソが理解できないのだ、ちょっと焦った。

半信半疑でネットで検索してみる。するとちゃんと出る。

 かまびすしい:「喧しい」(囂しい)

なんと!、方丈記にある表記なのか…知らなんだ。

でも意味は「やかましい」と同じで合っている。つまり、自分は今まで同じ意味だけど二つの表音表記がある言葉を知らぬまま、片方しかないと決めつけて「喧しい」という文字を見るだけで脳ミソは「やかましい」=「うるさい」と反芻し続けて生きてきた、という事か。

それでも意味は通じているから何不自由なく生きてこれた。確かに困らない。でも日本語を母国語としていながら、様々な表現力を勝手に省略短縮してもう一つある表音を勝手に無いモノと認定してた。

日本語をワカモノが色々な形に変えてゆくのは今に始まったことじゃない。自分がワカモノだったころにもあったし、今もある。自分が小学生の頃には国語のテストで「全然大丈夫」は間違いであると×を食らったことを今でも思い出す。「全然」は否定を強調する言葉だから肯定を洗わず大丈夫の前に来てそれを強調しようとするのは誤りだ、という事だったと思う。

でも今は「全然」という言葉は良きも悪くも関係なくそのあとの言葉を強調するために使われている。時代がそれを求めて時代がそれを認めた結果、言葉の意味は変わるし、使われなくなった言葉は死語として葬り去られる。

そう考えると「かまびすしい」という表音も正直あまり聞かない(自分だけ?)、だから今後メジャーな存在になる事は無いのかもしれない、でも確かにそういう言葉が存在していたという事を今回認識することが出来たよ。自分が不勉強なだけだったかもしれないけどね(冷汗)
 


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2021.07.14

賞味期限は自己判断と自己責任

先日自分がUPした納税通知と納税現金の画像に、支払える能力を見せつけているとのコメントを頂いた。

確かに支払える現金を用意してた。それはこの時期にこのくらいの税負担が発生する、と事前にわかっているからそれをコツコツと一年かけて計画的に貯めておいた、そしてその努力が一瞬にして無駄になる不条理を自分に刻み付けるために、これから失われる蓄財に別れを告げる一種のセレモニーなんだけど、そうではなくそのくらいの金額をポンと払える経済力があることを自慢してる、と取られてしまったみたいで反省。

実際の自分の生活は、日々どれだけ生活コストを削って行けるかの探求を繰り返している、フグ刺しのように向こうが透けて見えるようなうすっぺたいモノなんだけどね。

例えばこれ、節約生活の手段の一つだけど何やっているか判るかな?、これは朝食時にコーヒーメーカーでコーヒーを落としている所に、凍らせて保管してる業務スーパーのペッパーウィンナー(400gで税抜198円)を置いて、調理前に解凍してるところ。なお三洋電機製のコーヒーメーカーのポットはガラスが割れて(亀裂が大きく入って)いるのでそれを外からテープ貼って止めて仮処置して早2年くらい。そのまままだまだ使うよ、砕け散るまではね。

Kaitoucafe

こうやって、カチコチのウィンナーを直接フライパンで焼くより、捨ててしまう熱を使ってプレヒートしてやると、カセットコンロガス消費量がほんの少し減らせる、時間もちょっと減る、という節約術。そしてある程度解凍されたこのウィンナーは包丁が通りやすくなっているのでサクッと縦に半分にして、厚さ2~3mmの半月状にしてから火にかける。そうすると食材への熱の入りが早くてガス消費量を減らせる(調理時間も短くなる)し、ウィンナに含まれる油脂が早く多く出てくるのでフライパンに油をひく必要がなくなるから食材も節約できる。…ああっ!、セコイ!と石を投げないでぇ(T◇T)!

この一つ一つははっきり言ってどれも-1円の効果もない低レベルの削減幅しかない。でもそれを全て億劫がらずにコツコツ拾い集めて、そういったことを毎日毎月毎年、何重にも積み重ねて自分はずっと生活している。この積み重ねをツライとかメンドクサイと思ったらそこで負け。生活の全てにこういう、例えるならフライドチキンの軟骨とか骨髄までしゃぶった後のガラをさらに煮込んでラーメンスープ作る時の出汁にして、脂でベタベタになった手を拭いたペーパーを含油燃料としてその工程に使うような、そういう膨大な節約活動を寄せ集めて積んだ砂の城の中で自分は暮らしている。一つ一つは殆ど意味のないものも多い、でもそれを意識して繰り返し実践することでそういうマインドを維持し続けている、と言えば何となく判ってもらえるかも。

…というこの手の話はその詳細をUPすると殆ど全ての人がドン引きしちゃうのでホントはやらない方がいいんだけど(苦笑)、もうちょっと続けてみる。

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そういう暮らしをしている自分の元にもサラリーマンと言う身分である限りボーナスと言うモノが出る(ただし所属組織の業績と自分の人事考査の結果がよければ、だけどね)

昨年は新型コロナや不景気の波をかぶったのか、新米管理職としての評価が低かったからか、一昨年からかなり減った。今年は若干盛り返して、おおよそで言うと、昨年削減された分を-100とすると、今年はその底から+60くらいは取り戻した。トータルでは以前の水準に戻ってないけど、でも出るだけありがたい、ありがとう仏様(-人-)南無阿弥陀仏。

今までの水準に達していなくても頑張った結果少し取り戻したので、頑張った自分に、自身が出来る贅沢&ご褒美ということで、今年も恒例にしているボーナス支給日に好物のサバ缶を開けた。それがこれ、知ってる人は知っているちょっと高いサバ缶(^^ゞ

Saba2021k01

マルハニチロの花月シリーズ。これは一缶200円くらいの高級サバ缶なのよね(^^)♪。でも今はこれが買えるほどボーナスの水準が戻ってない。なので今年は恒例の「夏のボーナスでサバ缶」を買わなかった。じゃあこれはなに?って?、これは実は2017年に某僻地にトバされていた時に買ったもの。なので賞味期限は2018年9月で切れてる。ほらね。

Saba2021k02Saba2021k03

賞味期限が切れて3年もたってるモノなんて食えたもんじゃないって?、いやいや、サバ缶はこの期限が切れてから2~3年くらい寝かせたモノが一番美味いのよ。だからこれは経済的余裕があった当時に買って、ずっと寝かせてた貴重品。そろそろ食い頃なので思い切ってそれを開けてしまうのさっ、頂きまーす(^◇^)/

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缶詰は賞味期限が切れた先に味が熟成して上手くなるパワーバンドがある。だからそれを狙って自分はあえて賞味期限を切らして保持する。
賞味期限というのはメーカーが一定基準で保存した場合に「ここまでなら美味しく頂けると思いますよ」という指針を示しているだけにすぎない。賞味期限信者は切れたら即廃棄という話も聞いたことあるけどなんてもったいない!、食えるか食えないかを決めるのはメーカーじゃない、買って食う権利を有している自分自身だ。それを自分の判断力と責任を使って食う事は誰にも止められない。そしてそれでもし不利益を被ったとしてもそれに対する責任は自分自身にある。それを判った上で自分は賞味期限を切らしたものを大丈夫&美味しく頂いている。そうすることで食費も少し安くなるしね。

そういう食材は昔と比べると結構増えている。驚いたのは、最近スーパーのパック豆腐の持ちが極めていいこと。普通豆腐なんて賞味期限が切れたら酸っぱくなってオェ~!、喰えたモンじゃなくなるはず。なのに最近のスーパーの豆腐は、賞味期限が一週間くらい切れていても味はほぼ変わらず、甘みすらうっすら感じる美味さ(注:売ってる全てではなく特定銘柄(ドンキの2個60円の一番安い木綿豆腐なんだけどこれが意外とウマイ)しか食ってないのでそれだけなのかもしれないけど。

ヨーグルトは1カ月切らせても問題ないし、納豆は3カ月くらい切らしても味は変わるけど食える。最近の食品製造の衛生管理って相当スゴイんだろうなと思う。当然だけど、肉や魚、野菜、総菜等々はそれなりしか持たない。最後は食えなくなるくらい劣化する。だから絶対食い残しをせず、冷蔵庫に入れたものは全て廃棄せず食いつくす。結果としてそれが食費を抑えてくれるから自分としてはwin-winの関係。

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…で、本題。実はちょっと前に冷蔵庫を片付けていたら、奥底からレトルトミートボールが出てきた。いつ買ったっけ?とふと賞味期限を見ると最近?じゃん、いや絶対買ってないぞ?、こんなの家計簿に付けた記憶無い!、と思ってよく見たら賞味期限約1年前に切れてた(冷汗)。一年前の家計簿には春に買った事が記録されてた。他の長期保存可能な食材の裏に隠れて忘れてた、失敗。

あららこの手の透明ポリに入って遮光してないレトルトをここまで切らしたことなかったな、でも未開封で冷蔵庫の奥底だから、これ多分食えるだろ、大丈夫だな。…と、それを食ってみることにした。判断するのは自分の仕事で自分の権利で、自分の責任を果たす事でもあるから。なおカレンダーを表示してるアイホン7は会社から管理職に支給された業務用のもので私物ではないのであしからず。自分の私物ケイタイ電話はまだガラケー、生活コストを削るにはスマホの存在は害悪でしかないからね。

Overnikudan01

とはいえ、封切っていきなり腐臭が漂ったら嫌なので、開封は屋外で実施。某北欧製缶詰のような危険性は無いけど悪臭が住環境に付くのは嫌なので。でも開けたら普通に美味そうな香りしかしなかった。なので昨年から導入している電子レンジで加熱し、食パンの上に盛って食ってみた。

Overnikudan2

…普通の市販のこの手の肉団子の味しかしない。何の違和感もない。ごくフツー。食える。今までほったらかしで悪かった、ごちそうさまでした(-人-)

…よし、これで一つ新しい経験を積んで自分は賢くなった、この手の遮光性の弱いレトルト食品は賞味期限が1年くらい切れても食える…と…メモっとこ(._.)φ

これで半額見切りされてるようなこの手の食材があったら安心して買って、そこからさらに長期保存して、細々と長く食いつなげる。こういう事を積み重ねることで節約という地獄の賽の河原の石積みが一つ増えた。「チリも積もれば山となる」、と古人は言ったそうだけど、チリって本当に小さくて薄くて、しかもどれだけ積んでも一瞬のクシャミで全て吹っ飛んでムダになる。費用帯効果はすごく悪い。その節約で産みだす費用は多分本業なり副業なりで頑張って働いた方が身入りは絶対いいはず。でもそのムダに思える日々の発見や経験をを掻き集めて積むことを続けないと節約生活っていうのは辛いだけで成り立たない。

でもそこにもしも本人が「面白さ」や「幸せ」を感じることが出来たらか?それこそが趣味とか道楽と言うモノに繋がってくる。コレクター系オタク趣味なんて、やってる本人は楽しくて幸せを感じるだろうけど傍から見たら賽の河原の石積みそのものの行為を現世でしてるようなもんだしね(苦笑)


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2021.07.02

独居中年男の生活にも花は必要

自分で言うのも何だが、自分はバツイチの孤独な中年男で、無機質な自分が好むモノを集めて積み上げて、いわば自分だけの砦を築いてその中で暮らしている、と客観的に見れば言っていいだろう。

ふわふわした暖かい命ある生き物に触れながら生活したいのはやまやまだが、諸事情がありその夢はまだかなわない。なので狭い庭先に植わっている木々や、狭い平地に植えた色々な植物の若芽や季節に応じて咲く花々、土中で育つイモ、地表に実を成すイチゴやその他に癒されながら日々を生きている。植物も輝かしい命を見せてくれるんだよね。あ~お前ら、大好きだ~(^◇^)

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そんな感じで、咲く花々は根を張ってい成長し生き続ける様を見せてくれる場で愛でるのが好きなんだけど、ここ最近家の中にも花を生けるようになってきた。なんでだろう?、やっぱりどこかで「寂しい」と思ってるからなのかもなぁ。

Hanadaidokoro2021

花屋さんで有償で買ってきてもいいんだけど、そういうきらびやかな花々よりも、野に生きる生命力ある地味目な花の方が何となく自分の生活の場には合ってる気がして、季節に応じてご近所さんがやられている家庭菜園の片隅に咲く花をお声がけして、ちょっとだけ頂いてきて、それをこんな感じで生活の片隅に置いている。

本来なら野で命の輝きを見せてくれる花を切り飛ばして生首を晒すようにしてしまう事に抵抗がないわけじゃない。でもこういう命に自分が少し助けられているのも事実。花を花瓶(空き缶だけど)に差して、その花やツボミが日々変化してゆく様を生活銅線ので見るのはちょっと嬉しいからね(^^)

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薄汚いオッサンだから、柄にもない事をしてるなぁとは自分でも思う。実生活で今の新型コロナ禍もあって自宅を訪ねてくる友人もいないから、こういう事が恥ずかしげもなく出来ているのかもしれない。

でもなんて表現するればいいかな?、日々の生活にこういうモノがある事で、それが無いとどんどんすさんで行ってしまうメンタルが命綱で繋がれて墜落を免れているように、自分を救ってくれている気がする。言い方はなんだけど、花がキレイでカワイイ、と思っていられるうちは自分は絶対大丈夫、という、そんなまるでインジケーターのような働きもしてくれている…気もする。

花がしおれて枯れてきたら、このコらは残念ながら生ごみになってしまうけど、感謝の念をもって庭の片隅にある毟った雑草を集めている場所に置いて弔っている。ここにおいておけばダンゴムシやナメクジが喰って土に還る。せっかく生まれたのに、自分のわがままで実をつけることなく枯れてゆくことは申し訳ないと思うけど、その命を自分が襷渡しされて自分の生きる気力を蓄えさせてもらっているんだよね。

ありがとう。
 

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