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2021年12月

2021.12.31

さらば2021年

ああ、今年も終わりか~、

…というのを、つけっぱなしにしてるAMラジオのNHK第一放送の紅白歌合戦で実感するのが大晦日の恒例行事。若いころはバイクで横浜港まで走って行って、ゼロ時の汽笛の音を聞くのが恒例だったんだけど、さすがに老化が進行すると寒さが厳しいので無理(冷汗)

今年は新コロ2年目ということで、新型コロナ対策に始まり、それで終わるようなイメージ。高校生や大学生がそのせいで思い描いていたような(ステレオタイプともいえる世間一般理想像の)青春が送れていない!、というクレームをつけてるとどこかのニュースで見た気がするけど、それを言えるのは学徒動員で戦火に散った世代だろうな、今はそれでもはるかにマシだよ、と冷たく思う自分どこかにいる。そう、意外に人類や日本は頑張ったと思う。オリンピックで壊滅状態になるんじゃ?、と思ったけどそうならなかった。結果オーライ上手くいった、そんな年だったかな(^^)

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個人的には、人生の変曲点を少し感じてる。色々な意味でピークを越してきている。つまりこれからの人生は下り坂、今まで通りのやり方や生き方ではうまく回らなかったり、失敗したり、という事がこれから増えてゆくような、そういうことをいくつも実感する事になった。そう考えれば今年を要約して要約して、最終的に一言で総括すると「失う年」または「失い始めた年」だったかなと。実際に不注意で物理的にモノを失くすことや、収入が人生のピークを越えた事や、体力や記憶力や食欲や毛髪(泣)といった生物としての活力も減ったな~、と思う。

ただそれでも幸せなのは、今でも新たに得られるものがあること、失ってもそれをリカバー出来る力がまだあること、そして失うベクトルが緩やかであるため、今後来る大喪失時代に向けた準備と覚悟がゆっくりやれる、ということ。そうこれは避けられない、言わば天災みたいなもの、だからそれと同じように、何が起きるかを予想して、それに対する(やりすぎともいえるような)備えをして、それでも避けられない老いという状況を認めて受け入れる覚悟をする時間が自分にはまだたっぷりある。

「今一瞬が、人生で一番若い」

という言葉を、これから噛み締めて生きてゆくよ、やれるうちにやれることをやっておく、そして若いうちに備えと覚悟を持つ。決して悲観的じゃない、前向きな覚悟をもっていくp(^^)q

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…と、言うことで活性が下がって更新頻度が落ちてるたこちらに今年いらしてくださった方々、そしてコメント寄せていただいた方々、今年もお世話になりました。ありがとうございます。来年は私的人間3大本能である「物欲」に切り込んでジワジワ抑え込んでゆく予定です。

これは老後資金である余剰金を生みだす稼力が数年後に確実に大幅低下することが判っているのでその事への対策と、あとまだ体が動く元気なうちにジワジワと「終活」をスタートさせるための段取りです。先日の革ジャンとのお別れも実はその一環。急激にやり始める事は出来ないからジワジワ舵をそちらにむけて行きます。人生の時間や資金といったリソースは有限ですし、一人暮らしなので全てを自分でやるしかないですからねp(^^)q
 

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2021.12.30

思い出はクローゼットではなく記憶の中に仕舞う

年末年始の片づけをしていた。

自分で言うのもなんだけど、自分はモノにこだわるタイプで、気に入ったものは一生手放すつもりなく色々なものが自宅にはある。まぁ厳選してるのでゴミ屋敷みたいにはなってないけど、減ることはないな、と片付けながら思ってた。

ふと、本当にこれはこうやって残しておかねばならないのかな?、と本当に突然思った。もし残しておいて、それをまた何かに使うのならば、残す意味はあるだろう。でも例えばこれは、もう使うことはない、そういうものを手に取って少し考え込んでいた。

使わないモノを大事に思ってそれでも持ち続けているのはなぜだろう?。

それはそのモノが自分の生きてきた記憶、思い出、それが生きてきた意味というか、証というか、そんなような、うまく言えないけど、そんな気がしていたからだ。人によってはそれは間違いだというかもしれない。でも自分的にはそれは間違いじゃないと思う。そういうモノも確かにある。でもそれはモノがそこに存在していないとダメなんだろうか?

そう考えていたら、…何だろう?、そのモノに対する様々な思いは溢れるものの、これを手放したくない、とう執着が霧が晴れるようにす~~っと晴れてゆくように何か憑き物が落ちるような、気持ちになった。

そうだよね、これが無くなっても、自分がこれと生きてきた過去や思い出は無くならないじゃんか(^^)

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なので、これを手放すことにした。無論価値などないから、手放すとは廃棄することを意味する。
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リアルな自分と冬に会った事がある人なら、自分がこれを着ている姿を見たことがきっとあるはず。だって、これは30年ほど前から去年まで、冬の外出時、出勤でも遊びでも、ほぼ必ず着ていた羊皮のジャンパー。もうズダボロで、あちこち擦り切れて、ポケットの底も抜けて、でも、不思議とすごく暖かくて、寒い季節に手放せなかった。でも擦り切れが激しくて、壁とかに当たると皮が削れて茶色いスジがまるでチョークで線を引いたように色が移る。自分はそれでもいいけど、人様に迷惑をかけてしまう。なので今年は使ってなかった。まぁ新型コロナの影響で外出機会が減ってたのもあるんだけどね。

これを買ったのは大学生のころ。バイクに乗り始めた頃だったのでブ厚い皮のジャンパーが欲しかった。でも高くて高くて(数万)、こんなの買ってもいいんだろうか?、と悩んでた時に店員のオバちゃんがこういった。

「これはいい物なので、高いですけど10年とか20年とか大事にしていれば使えますよ」

ハタチを過ぎた直後のワカゾーには、自身の人生と同じ長さも持つジャンパーなんてあり得ないよ、まぁ持って数年かな?、と思ってた。
でも本当に10年もったし、そして20年確かにもった。しかもそこからさらに10年使って、30年間くらい着てた。そう考えると本当にいい物だったんだな、あの時のオバちゃん、ありがとう(^^)。

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ズダボロだけど、それでもまだ着るとすごく暖かい。重たい服だけどその重さが身体に馴染んで心地いい。なのでまだ着ようと思えば着れる。でも、冬のアウターは他にもあるから、なくても困らない。いや、使い慣れたこれが無いとなんだか不安になるというか、それが考えられないから、手元に置いておきたい、という欲求が自分の中に頑固にこびりついてた。でもその欲求が晴れた。これが無くても自分は生きていける、

とりあえず最後の思い出作りで、これを着て自転車でお出かけ。色々な思い出が脳裏をめぐる。30年間自分の一部だったもんな。でもここでふんぎる。さあ、お別れだね(^^)

新品のゴミ袋にキレイにたたんで収める、そこで自分の一部を失う喪失感がリアルに襲ってきた。一瞬躊躇する。なので、第二ボタンだけハサミで切り取って、それだけを残すことにした。ボタン一個ならいいよね、残しておいてもさ。

Kawajyan202103

布製品ではないのでリサイクルには回せないので可燃のゴミに出す。ゴミ捨て場に置いた。その後やってきたごみ回収車に放り込まれ収納されて走り去るまでの様を最後まで見届けた。…ありがとう、さようなら、でも共に生きた過去はしっかり脳裏にあるし、そしてボタンは宝物箱にしまっておくから(^^)/
 


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2021.12.29

羽毛テロ(T◇T)

今日から年末年始休み♪

天気もいいので布団を干してたら、なんだか妙に周囲に細かい羽毛が飛んだ…おそるおそる羽毛の掛布団を見るとカバーのあちこちから羽毛生えてきてる。

    …ヤバい、これ間違いなくパンクしてる…

そのままそーっと、通気のために開け放ってた窓を全部閉めて、布団カバーのチャックをそろそろと開けると…その瞬間そっと風が吹いて、パンクして漏れて布団カバーの中に溜まってた羽毛がブワっと自分の上半身に…

きゃー!、タスケテ~!、おねがい誰か助けて~(T◇T)!

おりしも静電気の季節、上半身が白く細かい羽毛まみれになった、マスクしてなかったら結構吸い込んでたかも(マジで)。
それでは収まりきらない羽毛がそのまま周囲半径数メーターにブワっと舞って(以下自粛)白い地獄絵図に_| ̄|〇

とりあえずパンクした羽毛掛布団の中身はガムテでざっくり裂けた布地を止めてこれ以上の惨事を食い止めて、屋外とはいえそれなりに羽毛が散ったのでご近所迷惑にならないように掃除機で吸って吸って吸ってあっという間に目詰まりして紙パック換えて吸って吸って取って…。上半身羽毛まみれになった身体もガムテをべたべた張って取って取って取って…あぁああああ!無間地獄や!。

いやはや、画像なんて撮ってる余裕なかった。しかし漏れた量は掛布団の区切られた一室の、しかも一部だけ。たったこれだけ漏れただけでこんなになるということは、もしこの掛布団一枚が家の中でブチ捲かれたら…、もしかして取り返しつかないんじゃないのコレ(冷汗)
 
 

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2021.12.19

小銭は持ってるだけでリスク

子供の頃は貯金箱が大好きだった。

自分のサイフのお金を別に移しているだけなのに、なんだかすごく得したような気分にさせてくれるし、小銭がチャリチャリと溜ってゆくとずっしろ重たくなるそれに底知れぬパワーがあるように感じてた。無論子供の頃の話なので、一杯溜ってもせいぜい数千円でしかなかったんだけどね。

でもあるときから貯金箱という概念が全く楽しく亡くなってしまった。それは2003年に一円も漏らさない家計簿をつけ始めた時。家計簿は支出だけをカウントし続けるものじゃなくて、自身に対するインプット、アウトプット、その結果どれだけ手元に残っているか、を管理するシステムだ。だから残金が不明な貯金場というのは未集計資産に該当し、数千円や社会人なら数万といった単位まで貯められるんだけど、全資産集計という大義名分で額面不詳の缶切りで開けるタイプの500円玉貯金を開封して集計してから、貯金箱についても、今その中にいくら入っているか、を把握するようにしたため、ワクワク感が全く無くなってしまった。それなら銀行の口座やサイフと同じなんだよね。

そのため、2003年から小銭を貯金箱に貯める習性がほぼなくなってしまった。またその頃からクレカを100円未満でも使うようになったので、手元にやってくる小銭や使う小銭が激減したのもある。実際クレカを持っていてそれが使える店で買い物するのなら、現金で買うメリットはあまりない。自分がメインで使ってるクレカは1%がキャッシュバック、貯まるポイントをTポイントに換える事で0.5%分、合計1.5%が戻ってくる。現金会員特価というモノが無い限り、現金で買うことは損すること、という仕組みを作った。

なお、クレカを多用してる、というと借金まみれ、みたいなイメージが付きまとうが、自分はクレカだからといって無駄使いすることはなくて、現金の代わりにカードで払うだけ。カードに紐づけた口座は数カ月限度額を使い続けても枯渇しないようにしてあって現金で買ってもいいけどカード払いしたら得するからそっち、というだけで、家計簿もカードで買ったその日にいくら使った(カードで)という集計をするので、現時点でカード払い総額がいくら、という事を常に把握してる。おっと、今回はクレカの話じゃなかった、話を元に戻そう。

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小銭を使う(そして貯める)機会が激減したとはいえ、全くゼロには出来ない。自分はクレカとスイカ、テレホンカードと、現金代わりに使えるTポイントとPONTAは持ってるけどそれらが使えない所では小銭を使うし、札で支払えばおつりは小銭だ。だから必ず小銭は手元にある。
小銭はあくまでも「補助貨幣」なので、お札の補完をするだけ。でも溜ってくれば札に換えたり銀行に預金する事が出来た。そりゃ現金なんだもの出来ないはずはない。

でも、その小銭という社会システムに最近暗雲が立ち込めている。それは銀行で硬貨を取り扱う場合の手数料設定だ。
詳細は割愛するけど、両替するときに硬貨の枚数に応じて手数料支払いを求めらえる、という事。例えば10円玉を1000枚集めて1万円、と思うとそうではなく、硬貨1枚あたり1円程度の手数料がかかるので、10円玉1000枚は1万円ではなく消費税込みで1100円引かれて8900円の価値しかなくなる。

小銭のまま20枚以内で支払えば小銭でも等価のままだけど、ある程度小銭が貯まるとそれは正の(加算の)パワーではなく負の(減算の)パワーが発生するということ。色々な銀行がそういうシステムを導入し、小銭への両替や貯金箱の入金といった行為に手数料が発生し、資産をマイナスに押し下げるリスクが生じていた。唯一ゆうちょだけが手数料無料で硬貨のやり取りが出来たので、ある程度貯まった場合はゆうちょに吐き出してきた。

でもそのゆうちょも、ついに来年1月、つまりあと2週間もたたずに硬貨両替に手数料をとるようになるという。これで小銭を持つ事が完璧に負のリスクになってしまった。子供の夢の貯金箱、それは貯めれば貯めるほど損をするリスク箱、という事だ。こうなると、もう小銭は持ったら負けだ。なので以下の方策を徹底しなくてはならない。

・現金払いを可能な限り減らす
・手元に戻る小銭が極力少なくなるような支払い方をする(おつり末尾で5円単位とか10円単位とかにして支払う)
・避けようもなく手元に来た小銭は持つことがリスクそのものなので使い切る勢いで先に使う(ガンガン使うじゃないよ)

こうやって手元にある小銭を使い切って最小化する事をオススメする。いやホントに。今や小銭は持つ事自体がリスクだからね。

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なので、自分が日々心掛けている小銭消費術で特に有効なモノを一つだけ紹介するので試せてたら試してみて(^^)

それは、「小銭は小銭入れに集める事」。…いやそんなの当たり前だよ、っていう人多いよね、これには続きがあるのよ。
「そして、今自分がいくらの小銭を持っているのかをいつも把握しておくこと」。これが慣れないと難しいのよ。

小銭入れにいくらのジャラ銭が入っているかなんて普通の人は意識してないと思う。でもそれを意識することで、小銭を使い切るモチベーションが沸く。そして小銭で払えるものは小銭を先に使うようになる。これをしておかないと小銭入れをガサガサと漁る行き当たりばったり支払いが面倒になって小銭が減らず、小銭が増えてゆく。騙されたと思って朝に自分の小銭入れにいくらのジャラ銭があるかを把握して買い物なりをしてみて欲しい。使ったらそれを頭の中で減算して現時点でいくらの小銭を持っているかを常に把握し続ける。クレカ払い出来る所でもまず小銭使い切りを先に考えて常に最小額を持っていることを推奨。

そうしておけば万が一小銭入れを落としても、損害が最小限で済むしね…ぢつは先月500円玉1枚と100円玉とその他、総額700円くらい入った小銭入れ紛失してる…ああ勿体無い、絶対に繰り返さないぞチクショーめぇ(T◇T)!

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