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2022年9月

2022.09.26

そばにいてくれる幸せ(には面倒もあるしその先に悲しさもある)

久々にに生き物との暮らしを楽しんでる。とはいえ小さいザリガニだけど。

2cmくらいのミニミニなエビだった、ニューえびぞう君、昨夜さらに脱皮して、気が付けばこんなに大きくなった。

Yebi202209

脱皮の周期は、エアレーション(要はブクブクと水中にバブリングさせるアレ)の量によってかなり変わることが飼っていて判った。エアレーション殆どしないとその周期がやたら伸びるけど、エアレーションを沢山すると周期が短くなる。つまりあまり大きく育てたくない場合はエアレーションしない方がいいのかも。

でもちょっと苦しそうに横になって水面に浮いてる姿がなんだかちょっとかわいそうになってしまう…。それに水も抜気しないと汚れて臭くなるからザリガニ的にはいいのかもしれないけど人の感情としてはやりたくなってしまうんだよね。

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ザリガニは動きがユーモラスで見ていて飽きない。それだけで楽しいし、飼ってない人には理解しがたいだろうけど、多分思ってるよりもずっとカワイイ(^^)

帰宅して水槽に近寄ると。水中でも何かが近づいてくることがわかるんだろうな、両ハサミを持ち上げて威嚇のポーズをとる。でもそれが、両手を上げて「やぁ、お帰りY(^^)Y」って挨拶してるように見えるから不思議。

そして、自分が夕飯の支度をしながら、…これならオマエ食えるだろ?、と考えてちょっとした食材のカケラを差し出すと、真剣なまなざし(に見えるだけかも?)で、それをハサミで掴んで、ムシャムシャと喜んで(るように見えるだけかも?)、それをもくもくと食いだす。

そして食い終われば、足元の砂利を両ハサミで掴んで動かす水槽内リフォームの始まり。一心不乱に(見えるだけかも?)砂利を運んで、高低差3cmくらいの自分にお気に入りの地形を作るさまはまるで砂場遊びしてる子供のようだ。たまの水替えでそれらはフルリセットされてしまうんだけど、それでも文句を言わずに(と見えてるだけかも?)、また違う地形を作り始める。

それらを見てて思う、その存在がどんなであっても(それが人間や犬や猫や小鳥や小魚や昆虫であっても)自分に反応してくれる命ある者がいて、一緒にご飯を食って、無邪気に遊ぶ姿を眺めるのは、ホントに楽しいし癒しになるなと思う。いなかった時よりも余計に手間や面倒はかかるけど、そういうネガティブ面は得られるポジティブ面で帳消しされ、さらに多大なおつりがくる。人によって定義や感じ方は異なるだろうけど、それはきっと「幸せ」と言う感情にも繋がるんだろうな、と。そしてこれを失う時は、想像している以上に悲しい思いをするんだろうな、と。

たかがエビ相手に何言ってるんだよ、と言われるかもしれないけど(苦笑)、それでも純粋にそう思う(^^)。
何せ、いままでも目いっぱいそういう経験をしてきたからね。

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そいういえば最近や恋愛や結婚を必要ないというワカモノが増えてるらしい。クルマの免許も取らないワカモノも増えたらしい(共に実感する)

でも、色々なことにチャレンジして、実際にやってみたら、やる前にデメリットばかり見えてるかもしれないそれも、実は幸せや、楽しさの方が上回っている、なんてことはよくあることだ。100%のメリットやデメリットしかないことなんてこの世にはない。そして人によってそれは全然違う。他人にとってのデメリットがメリットになったり、感じ方の違いで圧倒的に幸せだったり、不幸を感じたりもする。

だから臆せずに、何でもまずやってみればいいと思う。良ければ儲けもの、ダメならそこで撤退すればいい、人生経験としてそのダメはきっと役に立つ。一度結婚して、挫折して、結局再婚することもなく、そういう人生を選んで、多分このまま死ぬ自分もそれをやってみた一人だけど、貴重な人生経験を積めたと思う。そして無謀だったとはいえ挑戦したことに後悔はしてない、反省は嫌と言うほど目いっぱいしたけどね。

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幸せな生活の後には、必ず別れが来る。幸せの積分値を積み上げれば積み上げるほど、その別れの悲しみは強く痛くなる。それを先の例でいう「デメリット」として避ける気持ちもわかる。でもそれ以上に、共に生きて感じた幸せは大きくて、代えがたい貴重なモノであるはず。

言い方を変えれば、必ず別れがあるからこそ、その有限の幸せは輝きを増すのだ。逆にいえば、人が幸せを得るとは、それの大きさや深さに比例した失う覚悟とそれを経験する事がセットになる、と言う事でもある。

たかが指先くらいの小エビ一匹ではあるが、自分もその覚悟をもって、今の些細なる幸せをしばらく感じさせてもらおうと思う(^^)
だけどこんなにかわいく思えてしまうと、いざという時に自ら命を奪って食ってその襷を受ける、という当初の決心が揺らぎそうなんだよなぁ(T。T)
 

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2022.09.11

失った信用は戻らないぞ

ちょっとネガティブな話をするけど、ごめんなさい。

つい先日、新コロナで在宅勤務優先の自分でも諸事情で連続で某所に出向く事が必要になり連日それを続けてた時期がある。

丁度その時に、朝は晴れてたけど午後から大雨になった日があった。自分は猛暑の夏に『男の日傘』に目覚めて、どんな天候でも常に長傘を持ち歩いてたので大雨が降っても何も問題が無い。でもその時に同じ場所に業務支援でやって来てたとある人(仲はよくはないが顔は知ってるというレベル)は朝が晴れたため折り畳み傘すら持ってない、どうしよう?、とブツブツ言ってた。

自分は基本的に「備える人」だ。消耗品だけでなく生活必需品はバックアップを常に用意する。なのでその場所にも2週間前に来たときにごく普通の安物のビニール傘を備えとして置いていた。そしてその人も自分も、明日も明後日も同じ場所にやってくる予定。なので

「じゃあ置き傘があるから、これを貸しますよ、明日晴れたら返してくださいね」

と言ってそれを渡した。その人はこれで濡れずに駅まで行ける、ありがとう明日持ってきます、と言って帰っていた。

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…で、翌日、天気は晴れた。そしてその人は出社してきた。朝に顔を合わせた時に傘が返ってくるのかと思ったら、挨拶だけしてそのまま素通りしてその後も近寄ってこない。ああ、忘れたのでバツが悪いのね、なのでその日は翌日帰ってくるんだろうと、不問にした。

ここまでくれば、もう判ると思うけど、結局その後その傘が返ってくることはなかった(-_-;)

さすがに数日たっておかしいだろ、と声をかけたら、こういう回答が返ってきた。

「は?、たかだかビニール傘を、返せっていうんですか?、セコイですね、あんなの帰りの駅でタクシー乗る前に捨てたに決まってるじゃないですか」

…あのなぁ、あのビニール傘は安物だよ?、たしか250円(税抜)だった、買ったのは2018年の11月、最果ての地に出張してたときに、買い物行ったときに大雪振って来てそのスーパーで買った安物だよ。だがな、その後もずっとメンテして使ってきたんだよ。使ったら必ず乾かして、フレーム可動部には水置換性グリス差してサビない様にして、強風に吹かれても折れない様に大事に使ってきたんだ。それをオマエが困ってるというから返すことを条件に貸したんだろうが!

「ハイハイ、じゃあ金で返せばいいんですね?、ホントセコイ人だ」

なんかもう、そいつと話す事関わることが人生の無駄使いと感じてそれ以上話すのを止めた。ロスで言えば275円を4年弱で減価償却計算すればごくわずかなものでしかない、だけど「借りたものを返す」という行為に金銭的な大小は関係が無い。1億円だろうが10円だろうが、自分を助けてくれて貸してくれた人には必ず返す。自分はそういう人間。だからこそ自分の中でそいつとの信頼関係は全て切れた。

もうそいつに何も貸すこともないし、困っていても助けることもないし、この出来事をきっかけとして今後公私ともに関わることは基本無いと思う。自分の中でそいつは「何もかも信用出来ない存在」になったから仕方がない。

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一旦壊れた信用は、もう二度と同じ形には戻らない。年月が経っても過去は無くならない。今の怒りを感じなくなることはあっても、もう元の状態に戻らない。だから、今後はるか遠い未来まで、仮にそいつが何かで死にかけていても、多分自分が助けることも声をかけることすらも無いと思う。

今回失った長年使ってきたビニール傘は非業の死を遂げさせてしまったけど、自分のわりかし近い所にこういうトンデモなヤツが居た、と言う事が早めに判って、そして今後の人生から完全に排除することが出来たという投資効果はあったんだと思おう…(-人-)スマン、許せ…
 

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