最近更新頻度が落ちてるけど、自分がここで展開してる生き様の一つに貧乏節約生活がある。
その源泉は、離婚して一人暮らしに戻った時に、ああもう普通の暮らしは自分には出来ないのだ、死ぬまで一人で生きるんだな、と理解したのがきっかけといえばきっかけだった。まぁ元々裕福とは言えない子だくさん家庭で育ったこともあり、貧乏節約生活に対する耐性は多分多くの人よりもあったし、結婚するまでに子だくさんで教育費等々で借金してた親を支援するため5万/月の送金を10年間続けながら、結婚した32歳の時点で1000万くらいの蓄えまでこさえられるくらい、それが性に合っていたってのもある(苦笑)
それでも離婚後に落ち着いてからは修行僧もかくやと思われるような節約生活と、それに合わせて人に話したらドン引きされるくらいの細かい家計管理を始めた。それが離婚して4か月後くらい。それを始める前には引っ越しやらレガシィB4を買ったりで散財したけど、まぁそういう人生経験もあっていいよね。
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家計簿は2003年の9月から欠かさず、ずっとつけ続けてる。若干の漏れはあるかもしれないけど、それでも何月何日に何を何円で買った、という記録はずっと残り続けてて、人生のいい備忘録になってる。記録をつけて傾向をしり、どこに無駄があり(自分の弱み)、どこに余裕があるか(自分の強みか)を知って対策をし続けてかれこれ21年弱、さすがに慣れた。なので24年度を始めるときに今年はちょっと遊んでみようと思った。
その結果がこれ。リアルな金額は明かさないけど毎日の支出や各種明細を1円も間違わず全て積んだ結果から出てるデータ。どういうスケール感なのかは各位の想像にお任せ。

自分はサラリーマンなので、給料から税金や社会負担がガンガン天引きされる。その天引きされる金額をリアルに支払う金額の総額が超えないように、生きてみた。その結果はこの通り。6月末までの天引き総額よりも、実生活費の方が無事下回った。本当はドンピシャの50:50にコントロールしてみたかったんだけど、さすがに針の穴を通すような家計管理は無理だった。
なお「全支出合計」とは食費やら住宅関連費やら乗り物道楽やら雑費やら光熱費やら通信費やら付き合い由来の交際費とかなんだけど、この中で住宅関連と乗り物道楽の支出の中には、固定資産税と自動車税が合算されてる。これは自分の意思で所有し維持してるものだから支出側にしてて財布から支払った、ということで天引きではない。だけど国民市民として国や行政に収入から没収されて無駄になった(何も価値を生み出さなかった無駄金である)ことに間違いはないので、それを天引き側に合算して再計算すると、なんとこうなる。数字が嘘のようだけど本当にこのパーセンテージになった。

中年サラリーマンが半年間生きるための諸費用の2倍の金が、個人では使えずに巻き上げられ奪われて喪失してるという恐ろしい事実_| ̄|〇
人が見たらドン引きするレベルの節約をしていくら頑張っても、税金や社会負担の方が重すぎてつらい。もはや節約生活は自分の生活のためではなく全部召し上げられてる気すらしてくる(/_;)
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ちなみに察しがいい人ならわかると思うけど、これは天引きと支出だけなので、もらってる給料の総額じゃない。天引きは手取りより少ないので、この節約生活では家計管理は常時黒字だ。そういう点では日々の生活に余力がないわけじゃない。後先考えずにそれを使えば吉野家の牛丼でもかつ丼でも宅配ピザだって、上級階級の人だけが食えるウナギの蒲焼なんかもも食えるのかもしれない(ここ数年そんな高額な食材食ってない)。そう後先を一切考えなければ、ね。
でもね、自分は最初に言った通り、一人で生きて一人の老後を迎える独居中年だ。今は仕事があって給料が出て家計は黒字だけど、これから給料が上がることはないだろうし、役定だ、再雇用だ、年金生活だ、と下がる一方なのに物価は上がる一方。兄弟は多いけどそっちや甥や姪になんて老後生活で頼る事は出来ない。そうなるといわゆる老後2000万問題ってやつで今後足りなくなる生活費は自力でどうにかしないとならないわけで、結局毎月余る金額は老後のために積んでおくことが求められるので、結局今は使えない。
家計管理はそういう観点からも常に生活費を逆算して生きるためと、道楽に使用可能な残額を意識して生きている。バイクをたくさん持ってるから大金持ちとかいう人もいるかもだけど、そうやって乾いたぞうきんを絞りに絞って捻出した分を道楽に回してる。無駄使いだって?、確かにそう見えることは解ってる。でもこれが今の自分にとっての生きがいそのものだから、それがないと無人島への島流しに近い状態になっちゃって何のために働いて、というよりも生きているかわからなくなってしまうから、そのための経費なんだよ。家族持ちの人に家族を養うのは無駄金だろ、って言わないでしょ、つまりそういう事。
まぁ国や自治体からすれば、彼らが鵜飼いだとすれば自分は間違いなく常時首に縄をまかれた鵜なわけで、自分が実施に食うよりも多くを得るために働いてそれを無理やり吐き出させられて、飼われて死なない程度に生かされてる。奴隷は奴隷なりの幸せを見つけ出してそこに生きている意味を無理やり見出す必要があるんだな、とも思う。
…と、少し不満を漏らしてはみたが、だが日本という国はその点世界的にもまだマシ、いや相当に恵まれている国だ。今の生活が出来ている事が幸せだろ!、と思う人たちが世界中にかなりたくさんいるのも事実だと思う。自分よりもっとひどい目に合ってる人たちからすれば、自分の泣き言なんてふざけんな!、と思うだろう、よくわかる。でも地下牢でも座敷牢でも牢屋は牢屋である、ということ。国とか地域、ではなく人間社会の仕組みそのものが個人が100%幸せを追求するようには出来ていなくて、個人のそういうところを吸い取って集めてそれが出来なくするかわりに個人ではどうやっても出来ない社会システムを成り立たせて仕組みを作って、その中に入る事により負担を強いられつつその中でしかないメリット、恩恵を得られるようになってる。つまり社会という牢屋に入って守られてその中で懲役労務を義務として背負ってる、という事だと思うのだ。
自分が稼いだのに、一円も使えなかった金額も、もしこれがなかったら今の社会が成り立たなかったのだ、と思えば(高すぎるけど)飲み込むしかない。少額とはいえそのスポンサーである国民に、それを実感させてくれよ、せめてそれくらいは求めてもいいだろ、と自分は思う。…ホント頼むから、税金も社会負担も、『ああ払ってよかった、これなら毎月生活より多く払う価値あるわ』と思わせてほしい、そしたら半額の食パンを一週間かけて食うサラリーマンの昼飯、老後の生活費を捻出するための節約生活をしながら生きてる事にもう少し良い意味を持たせられるからさ。

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