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2024年9月

2024.09.24

今日で満21年間(7670日間)

自分が離婚後の生活を切り開くに至った手法の一つに、家計管理がある。

小学生の頃の小遣い帳とかがめんどくさ過ぎて一週間続いたことがなかったくらい、こういうのが苦手で仕方なかった。小遣い支給が無くなった高校生からバイトを始めて収入を得るようになったものの、それでも多分脳内で1万単位くらいのおおざっぱなIN/OUTしか把握してなかったと思う。今思い出しても夏のバイトで何万、冬のバイトとお年玉で何万、その年に欲しくて買ったものは何万、くらいしか記憶に残ってない。

社会人になって実家に毎月5万仕送りという名目だったが、実質は親の年収の関係で奨学金が組めず親が教育ローンを借りて大学行かせてくれたのでそれの返済だったが、それを10年間しながら安アパートで暮らしてた時も、いくら使ってたかなんて把握せず、ただひたすら節約して支出を詰切り詰めながらその枠内で道楽を細々楽しみながらも一円でも多く残すことしか考えてなくて、収支記録なんて全く残ってない。その成果は結婚するときに自分がいくら持ってたか、という預金残高でしか把握出来なかったからね。

でも離婚して、今後の自分の将来を考えた時に、一人で老後を生きるという現実を突きつけられ、色々な事を計画して実行せねばならない状況にあると判った時に、自分は嫌で嫌で仕方が無かった小遣い帳らしいものをつけ始めた。最初はMS-DOS機の表計算ソフト、そして早々にEXCEL97に乗り換えて、PCでそれをつけ始めた。それが2003年の9月25日だ。思い立ったが吉日ということで脈絡もないこんな日付から始めたのでその日が自分にとっての家計集計の原点日でもある。今日で丸21年目。明日から22年目の1日がカウントされる、と言う事になる。

…最初は本当に面倒だった、苦痛そのものといってもいい、絶対長続きなんてしないと思った。でも一カ月やって、1年続けて、それを数回繰り返すと、集まるデータとその傾向、何をすればいいのか、何を絞れば何にいくら使ってもイケる、といったPDCAサイクルが回せることの面白さ、日記のように自分の生きてきた生活そのものの途切れがない記録、といったRPGの経験値積み&装備拡充みたいな要素にすっかり面白さを感じてしまい…そして結局恐らく1円の誤差もないような記録を継続して集計し続け、今に至ってる。家計簿は楽しいよホント、これは間違いないと思う(^^)/

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今までの累計は過去の毎年の家計簿ファイルから串刺し演算されて自動で集計出来るようにしてあるので、さっきそれを開いて2024年度の今日までの集計データを呼び込んで、丸21年間の集計をしてみた。…うわ、オレが一人で生きるだけで、こんなに膨大な費用が発生してるのかよ…冷汗かいた。

21年間ということは超ザックリでいえば人生の約2/5くらいでしかない。まぁ人の生き様としてとても色濃い充実した時期でもあるから、他の時期に比べれば確かに費用は掛かるとは思う。でも短い短い結婚生活は一人暮らしの時より確かにイニシャルコストもかかり、毎月の支出がドカンと増えたけど僅か17か月間だったし、その結果育てる子供もいない自分が、たった一人で生きるのにこんなにカネを使ってきたんだ、ということにちょっとビックリを通り越してしまう(そりゃ21年間の総額だからね)。たった一つのデータで全体の傾向を破綻させてしまう特異点の高額な自宅購入費用をあえて抜いて、借家時代の家賃や今の維持費等と見合うような形で若干データトリートメントしないと傾向を掴む事が難しいのでちょっとデータを弄るけど、そうすると大体自分が今までに公表してるような年間支出傾向とほぼ同じ傾向が見えてくる。あ、それでもこの総額を見てビックリしないでね。誰よりも自分がビックリしてるので_| ̄|〇

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ザックリ年間350万くらいの支出だけどそのほぼ半額は道楽関連費用と言う事がわかる。それを除いた実生活費としては179万/年、毎月に直せば14.9万/月だ。もっと少ないと思ってたけど、数字はどこまでもウソをつかない、つまり自分はこんなにカネを使ってタラフク食って生きてた。…情けない限りだ。

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自分の現時点での年金定期便による支給見込みはこれを手取りベースでもそこそこ上回るから、年金支給レベルが下がらない限り、自分は老後も年金だけで生きていけるという事がわかる。無論今のような生活費とほぼ同額の道楽なんて出来っこないのは理解してるし、今の支給レベルがそのまま変わらないなんてファンタジーを信じるほどウブでもない、そんなのは絶対に無理だ、つまり年金だけで生きていくことなど逆立ちしても出来ないと思ってないとダメ。そういう未来分析と今後の覚悟も出来るのが家計管理の良い所だ。

しっかし「ちりも積もれば山となる」とはホント言ったもんだよなぁ…ホントにこんなに使ってきたのかな???

ここではあえて集計データを出さないけど、給料から天引きされた所得税地方税健保厚生年金失業保険介護保険で失ってしまった総額の大きさには、ただただ絶望しかない。老後生活が始まったら今まで奪われ続けたそれをどれだけ取り戻せるかの命をかけた勝負が国と始まるけど、多分奪われ続けた総額を取り戻すことは生きてるうちは無理だと思う(ホントそのくらい引かれてるのよ!)。

なので、少なくとも支払った厚生年金(自腹+会社負担分)は満額取り戻すくらいはしてもバチは当たらないと思う。余計に得たいとは思わない、だけど元を取らないと(損失を取り戻さないと)死ぬに死ねないよこんなの悔しすぎる。だから、そこまでは生きてやる!、という目標を立ててみよう、そんなに長生き出来る気がしないけど、夢は大きくてもいいでしょ、目指せ満額取戻し!、ってね(^^ゞ
 

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2024.09.23

その境地には19年前に到達済み

ふとyoutubeをみてたら、こんな動画があったので通してみてしまった(苦笑)

「なぜ老後は異性と関わってはいけないのか?ブッダが語った3つの教え」

自分はもういい歳したオッサンだ。この歳になるともう色恋沙汰は正直ごめんだ。年齢を重ねてしまうと、新しい男女関係や夫婦関係というモノをゼロから構築するのは無理だと思っててる。もっとライトでカジュアルな恋愛関係っていうのも多分難しい。どうしても利害関係と今の生き方に対する影響が生じてしまうからね。一番注意しなくてはならないのは、自分より若くキレイな女性が接近してきたら、それは最大限の警戒信号を発して、人生から徹底排除しなくてはならない、ということ。オッサンが若い子に惚れられるなんてことはファンタジーではあるかもしれないけど現実には起こりえない、もしそれが起こったらそれは自分を金ヅルとしてしゃぶりつくそうとしてるとしてる時だけ。奇跡的にそうではないピュアな話がある可能性はゼロじゃないけど、悪意ある接触である可能性の方が極めて高い。リスク管理はこういう時に危険を排除するように行わないとほぼ大体死ぬ。悪いけどそんなのはこの年齢になれば嫌でも理解してるのよね。

そういう危険性を排除して、相互にメリットが得られるような親しげな人間関係を構築し、共に生きる「共生する仲間」ならある程度信用信頼が出来そう。その場合、それは別に性別関係ないし、ある程度の年齢差も関係ない、生命体としての人と人との関係構築なんだと思う。例えば本当に気の置けない友人らと時と空間をある程度共有する共同生活なら楽しい老後もあるかと思うけど、実際の所は、まぁ付かず離れずの距離感を持って、個人の自由をガッチリ確保しながら、たまに遊ぶような、細く長く切れない交友関係が死ぬまで継続出来ればそれが一番幸せだと思ってる。

オッサンのザレ言だけど、男女の色恋沙汰はその悪影響や打算を一切排除してでもいいから一緒にいたい!、という動物の本能である性衝動に突き動かされて爆発的に制御不能で出来上がってしまった舞台の上で維持し続ける関係性だと思うので、その若さゆえの勢いがないと、色々難しいと思う、閑話休題(苦笑)

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この動画を見ると判るんだけど、チョンガー老人が煩悩に苦しみブッダ様に相談すると欲望と執着を捨ててココロの静寂を得なさい、途中でブレてもそれが収まるまで待てる精神力を持ちなさい、という事を説いている。これを見て自分は2005年の5月30日に書いたこれを思い出した。というか、ここで引用いしていた離婚後のココロの苦しさから脱するきっかけとなった、とあるエピソードを思い出した。もう19年も前話なんだけど、やたら鮮明に脳内に蘇ったのだ。

命日であり誕生日でもある

この中の引用記事にある一言「愛するものを手放しなさい」これはクリスチャンの言葉らしい、つまりキリスト教の教え。でもさっきのブッダの説話は仏教の話。つまりこれは宗教と言う矮小な枠内ではなく、人としての生き方の本質なんだな、と、そう思い返したのだ。

欲望も、執着も、人が生きることの原動力の一つになりえるパワーがある。それに本格的に捕らわれてしまうと、再起不法になるくらい墜ちて這い上がれなくなり、映画もののけ姫の中で高潔な神々が祟り神に墜ちる原因の一つにもなっているように思う(まああれは怒りとか憎しみとかそういうネガティブ感情の方が大きいとは思うけどそれをいさめられない本質は執着だと思う)。その弱さそのものが人が人でありうる意味でもあると思うけど、それを乗り越えたところに確かにある意味の到達点があるのだと、あのとき墜ちかけていたけど戻ってくることが出来た自分は思う。

とはいえ欲望にまだまだまみれた自分は仏教における「解脱」の領域になんて全然達してない。濡れ手に粟粒がつくように、日々強い欲望やしつこい執着にまみれて生きてる。でもそれをあの時に理解して叩き落とす事が出来た経験は間違いなく自分をそれ以前よりも強く変えてくれている。だからこのyoutubeの動画を結構アッサリ受け入れる事が出来た。そしてまとわりついた欲望と執着を叩き落としながら生きていけると確信してる。

…あ、老いらくの恋がイカンと言ってる訳じゃないよ、人の幸せは千差万別だから何が正解で何が失敗なのかを決めるのはその人が死ぬ間際に思い返した時まで誰にもわからないからね。やりたいと思うなら死ぬまでトライするのもまた人生、そこは死ぬ間際にやらなかった事を後悔するくらいならやってみて、仮に失敗したっていいじゃない、と思う。そういうトライ以外にも人生でまだやって無いことは沢山あるから、そういう挑戦は自分もやるよ~!、ただし動画みたいな話はもうある程度の境地に達しちゃってますんで…、という、ただそれだけの話なので、そこは悪しからずです(^^ゞ
 

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2024.09.10

令和コメ騒動に思うこと

最近はかなり改善したと思うけど、少し前までどこに行っても米粒が品切れていて無かった。

生米が無くなって、しばらくしたら、いわゆるレンチンするパックご飯まで全部なくなってた。廃れてた米需要が最近の物価高のせいで割安になって売れるようになったのかなと思ってたら、地震と台風といった天災の後で在庫が減っていたところにご老人のパニック買いが発生して売り切れちゃったらしい、という話をあちこちで聞いた。

これ、新型コロナの頃のマスク騒動や、トイレットペーパー騒動と全くロジックが同じじゃないか…(-_-;)

某ドン・キホーテでは、タイ米だけが売り場にあるという、なんだかデジャブを感じる状態になってた。

Komesoudou2024a

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米は精米してから3か月くらいが美味いという下馬評がある。実際そうだと思う。でも自分はそんないい状態のコメなんてロクに食ったことがない生活をしてるので、以前標準価格米が売ってた頃は古米や古古米ブレンドの安いそればかり食ってたし、長い時間かけてどのくらい古い米でも自分は美味いと感じてモリモリ食えるのかを実生活をベースに検討し続けた結果、ある程度の時間が空いてもちゃんと保管すれば気にせず美味しく頂けて大丈夫という結論に至ってる。

よって自分の生活では生米は主食であり、また災害対応の備蓄食材として扱っていて、常に在庫を持ってる。今現在で、未開封で保管庫に積んであるだけで70kgあるし、画像はないけど非常用兼突発的に食いたい時用で少しパックご飯も持ってるし、乾燥アルファ米とかもあるから、ご飯粒だけでそこそこある。本格的に物流などが壊滅して食料供給が途絶えても、しばらくは生きていける分はあるということだ。

Komesoudou2024

またこれはどう考えても中年独身男一人が災害などで生きてゆくには多めなのだけど、これは自分一人で延々食い続けるための備蓄じゃなくて、自分の身内や知り合いなどの有事用の分も含めて持ってるという事だったりする。助ける義理が無い、全く見ず知らずは悪いけど助けられないけど、自分が助ける甲斐や恩義や義理があるところには、いざという時に喜んでもらえる差し入れくらいは出来るようにしてあるのよね。今回は身内はみんな十分な備蓄があったので配布しなかったけど、コメ不足で困ってたご近所の老夫婦世帯とカイシャの同僚に5kgずつ配ったよ。

米だけじゃなく、それ以外にも長期保管可能な非常食用パンの缶詰とかも少し在庫を持ってるし、

Bichikupannkan

比較的日持ちがする(賞味期限が過ぎててもちゃんと食える)フルーツグラノーラとかも併せて少し備蓄してる。
Guranora2024

今回は映さないけど、前回紹介したように飲み水や、オカズ系食材もそれなりの備蓄はしてるので、その点はご安心を。750mlくらいのPETボトルの100%野菜ジュースも常時段ボール箱単位で在庫を持つようにして不足しがちな野菜成分も代用品とはいえ確保してる。気休めにしかならないかもだけど、無いよりは有った方がいいだろう。

なお、生米もそうだけど、こういった備蓄食材は日常生活の中で少しずつ食って消費しているので備蓄と言うより自分の中では食材レパートリーの一種と言う感覚。そうやってローリングストックすることで極端に古い在庫を作らず劣化させたり捨てたりしないですむように、また非常事態であっても日常食として喰い慣れておくために、定期的にこういった食材だけで数日過ごすとかをしてたりもする。ご飯は飯盒やコッヘルで炊いて炊飯技術の再確認もしてる。とはいえこれらは、いわゆる保険契約と同じで、発動せず全てが無駄な努力になってくれるのが一番幸せなんだけど、発動した時に役に立たなかったら本当の無駄になるから油断はしない。

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そういう生活行動を長年して習慣化しちゃってるので、今回の米騒動は始まり時点で十分な備蓄があったので全く影響を受けなかった。

むしろ5kg+5kgのおすそ分けをして備蓄を減らしながら困ってた知り合いを助けられてよかった。お代もお返しも要らないよ、と言ったのにお返しに美味しい返礼品を貰ってしまったのでかえって生活が潤った感ある役得もあったし(笑)

だけど、そんな令和の米騒動も新米収穫の季節がやってきたのでこれで収束するだろう。家の近所の水田はもう稲穂が色づいて稲刈り寸前になってる。農家の皆様ありがとう、おかげで毎年(一年前のだけど)お米が美味しく頂けます。感謝感謝(^^)/

Komesoudou2024b

こういった実生活に影響するくだらないハプニングが、いつぞやのマスク騒動とかトイペ不足騒動とかと同じように、過去の笑い話しになって、二度と再発しませんように…(-人-)

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