爆縮戦隊、小動物と戯る
それはニ週間前のことだった。例の現場出張の件で一本の電話が
入ったのだ。なんでも今回の仕事には、とある資格が必要なので
急きょそれを受験して欲しい、そのために必要な講習を来週には
必ず受けてね♪、というモノだった。
ちょっと待てや!、タイトなスケジュールを必死にやりくりして、
夏休みすら放棄し頑張ってるのに、突然そんな予定を突っ込まれ
たって、対応出来っこないじゃんかよ(T◇T)
だが、冷静になりその仕事の工程を逆算すると、確かに今回この
タイミングしかチャンスが無いのだ。ちっくしょう・・・いいよ、
やってやろうじゃんかよ(^^;)
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話さえ決まれば「動作クロック」が研究所の数倍はあるそっちの
連中の仕事は早い、なんと翌日には受講申込み完了の連絡が入り、
翌々日には必要な受講票やテキスト類が宅配便で届いた。もしや
とっくの昔に申込みは終わっていたんじゃないのか?(苦笑)
数日後、またも数ヶ月ぶりとなる耐圧防護服、じゃなかった背広
を着込んだ。…これさえ装着すれば、社会の底辺で生きる地蟲の
ような自分も、企業戦士、爆縮戦隊サラリーマンに変身するのだ!
てくてく歩いて駅まで出向いて、そこから地獄の人体圧搾装置、
爆縮点に向かって進行する通勤電車に乗り込んで、一路講習会の
会場を目指した。その目的地に到達するまでには実に電車を3本
乗り継がねばならない。
その電車が少しずつ中心に向かう度に、電車を乗り換える度に、
まるでラヴェルの「ボレロ」のように、自分の周りにはじわじわ
人が少しずつ、だが確実に増えて、どんどん密度が面白いように
高まってゆく。…うう、憂鬱だ(TT)
三本目に乗り換える電車は、日本国内でも有数の最高レベル車内
圧力をマークする、まさに「サラリーマン圧搾マシーン」と呼ぶ
のにふさわしい有名な路線だ。自分も過去にこの路線では何度も
痛い目にあっている。
だが自分がまたそれに乗るのは、そして誰もかれもがそれに乗り
たがるのにはちゃんと理由があって、そっち方面のビジネス街に
通勤する為にはこれがもっとも早い列車なのだ。その隣を走る、
同じ区間を走る他の列車に乗ると最低でも10分は到着が遅れる。
高々10分、されど10分、この僅かな時間を稼ぐためだけに、
その列車でサラリーマンは加圧されるのだ。
イナカモノの自分も、目も眩むような大都会に設けられた会場に
設定された時間までに到着するためにはそこそこ早く家を出ねば
ならない。だから「殺人列車」だと判っていても、それに乗って
稼げるその10分がとても貴重だったりするのだ。
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沢山の人が押し合いヘシ合いしているそのホームの上で技術立国
日本が世界に誇る殺人マシーンが到着するのを、死刑執行を待つ
死刑囚のような心境で脂汗を流しながら身動きせず待っていた。
・・・今思えば、恐らくこのタイミングだったんだと思う。
シルバーの車体に緑とオレンジのラインが入ってる、その列車が
ホームに滑り込んできて、そして地獄の扉が開いた。するとそこ
から内部で圧縮されていた人々が迸り落ち…て、こないぞ(^^;;)
今日は何らかの事情で空いていたらしい。夏休みだから学生君が
居ないのが原因なのかもしれない。お陰で乗り込んだその車内は
拍子抜けするほど人の密度が少なかった。とはいえ、その駅から
乗り込んだ乗客も沢山いたので、結局肩が回せない普通の路線の
ラッシュアワーくらいの人口密度はあった。
何にせよ、命が身体から無理矢理搾り出されちゃうほどではない。
助かった…どうせ次の駅では沢山の人が流れ込んでくるのだろう
けど今の所はラクラクだ(^^)
そうなると余裕が出てきて、視線を車内に回して、自分が掴まる
吊り革のあたりにあった醜悪なる週刊誌の吊り広告に気分を悪く
したり、窓の外に流れてゆく景色をぼーっと眺めたりしていた。
その後で、何げなく足元に視線を落とした。そこには想定外の
光景があった。
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自分の靴の上に、大きい茶色の、とても立派なスズメガが一匹
掴まってて、そこで羽根をフルフルと小刻みに震わせていたのだ。
スズメガは三角翼の戦闘機のようなシャープな体形、大きく黒い
円らな瞳が印象的なとても可愛い蛾だ(^^)。
だが実はあまりに種類が多すぎ、自分も遭遇した奴の正式名が
判断出来ない。まあこの中のどれか、と思ってくれぃ。
陽光の下を煌びやかに舞う美しさの化身のような蝶に対して常に
日陰者のイメージが付きまとう「蛾」はイメージは良くないけど、
実は蝶と比べても何ら引けを取らない美しい虫だ。
全てが人間の害となるチャドクガのような奴は論外だが、例えば
うっとりするような美しさと優雅さを併せ持つオオミズオアオや
誰もが蛾だとは思わないオオスカシバは、自分のお気に入りの蛾
だけど、他にも並みの蝶を蹴散らす程に美しくて可愛い蛾は沢山
いるのさ(^◇^)/
しかし、そんな蛾が、何でサラリーマンと一緒になって朝の通勤
電車に乗ってるんだ?…お前、いつのまにオレの足に(^^;)?
↑
そう、あの駅でこの列車を待っていた時だ、それしかない。
自分は公私共に認める生き物大好き♪中年男だし、相当珍しいで
あろう、そのシチュエーションをせっかくだからデジカメで記録
しておこうかな?、と思ったのだが、通勤電車の人込みの真中で
足元に向けてフラッシュを焚いたらOLのスカートの下を盗撮する
不届き者だと勘違いされて、鉄道警察に突き出されかねないので
断念。よって今回、画像は無しだ(^^;)<ばき!
しかし、冷静に考えるとコイツはものすごく運が悪くて、そして
運が良いな。野に生きる小生物が、まず生きて出られないような
この環境にこいつが飛び込んでしまったのは、この上ない不幸で
あるだろう。だが、その中に数多く立ち並ぶ足の中で取り付いた
その足が偶然とはいえ、生き物大好き♪蛾も大好き♪、な自分で
あったのだから。
普通の人だったら、気持ち悪がって振り払われて、踏み潰されて
しまったに違いない。「不幸中の幸い」だったな(^^ゞ<ばき
だけどココがコイツがいるべき場所ではなくて、冷酷無比な満員
電車の中である事実は変わらない、つまり未だに絶体絶命である
事に変わりはないのだ。もし自分の足から離れたらコイツの命は
この列車内で終わってしまう。
そう思うと、足元で丸く黒い瞳で自分を見上げて小刻みに羽根を
フルフルしているこいつが、まるで自分に助けを求めて縋ってる
ように見えて仕方が無かった。事実この列車に乗っている人間で
コイツの命運を心配して、しかもコイツを助けられる人間は自分
以外いないだろう…
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一見した所、触覚が小さいので、多分メスだろう、よって以後は
コイツを「彼女」と記す。
その場でしゃがめれば彼女を手に取り、軽く握った手の平の中に
保護して降りる駅まで連れて行く事は可能だろう。でも空いてる
とはいえここは満員の通勤電車の中だ、そんなことは出来ない。
とりあえず、まず彼女が足の上から落ちないようにそっとそっと、
足を動かして、他人の靴先で踏まれたり潰されたりしないように
微妙に体制を変えた。そして、足を持ち上げて微妙に動かす事で
靴の甲の上につかまっていた、彼女が飛び降りないように注意し
つつ、左足のインサイド側に誘導することに成功した(^^)
足元をずっと見つめて必死になって無言で何かをやってる自分を
周りのサラリーマンはいぶかしげに見ていた。何せ、足元の蛾の
存在など知る由もないし、そんな虫ケラの事など気にも止めまい。
だが自分は両足の間で彼女を保護しながら、このあとどうやれば
良いのかを考えた。このまま目的地の駅まで行ってもいいのだが、
降りる時にはどうしても自分も歩かねばならないから、その時に
彼女が落ちる可能性がある。そういう状態になったら救い上げる
事は不可能だ。
と、すると、降りる前にどうにかして足元の彼女を保護しなけれ
ばならない。うーん、どうしようか、と迷っていたら、人体圧搾
マシーンは次の駅に着いた。この駅では若干の人が降り、多数の
人が乗ってくる。…そうなるともう身動きが取れなくなる。
この時、意を決した。このタイミングでどうにかしよう、と。
マシーンが停止し、ドアが開いた。周りで数人の人間が降車して、
一瞬空間が出来た。そのタイミングを突いてすばやくしゃがんで
彼女をそっと右手で包み、曲げた指先の上に掴まらせた。そして
そのまま軽く握りこんで、彼女を手中に収めた。
自分の近くにいた若いOLは、一連の自分の行動に気付いたようで
まるで自分が素手で汚物を拾い上げたかのような、蔑んだ視線で
自分を睨んだ。
…あのなぁ、ねーちゃんよ、この手の中にいるのはアンタと同じ、
命あるモノなんだぞ。アンタが自分をどう思おうが勝手だけどな、
もし今アンタが死にかけたらオレに助けられるのならばアンタを
助けるよ。それと同じように、オレは「彼女」を救えたんだから
助けた。ただそれだけなんだぞ。それが判らないのか?
…無理か、アンタには命は理解できんよな、悪かった(^^)
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彼女は最初こそ自分の手の中で最初羽根をパタパタ震わせてたが、
諦めたのか、それとも落ち着いたのか、すぐに大人しくなった。
無事保護出来たものの、「ボレロ」的にクライマックスに近付き
つつある車内圧力はその駅からやっぱり脂汗を流すくらい上昇し
本来なら嵐に抗う船舶の錨となりうるつり革に掴まる事が出来ず
奔流に流されるまま圧迫され放題となった、うう苦しいぃ(-◇-;)
だが、手の平の中からたまに伝わる命あるものの感触が、どんな
シチュエーションよりも人と人とが触れ合っているのに無機質で
他人行儀な通勤電車の不毛な雰囲気を和らげてくれた。
電車はいつもの環状路線への乗り継ぎ駅に到達、いつものように
車内圧力が低下した。本来だと降りる駅じゃないけど自分もその
奔流に乗って車外に流れ出た。当然彼女を解き放つためだ。
すぐ近くにあった植え込みの所まで行き、そこの根元にそっと
彼女を放った。ここでも彼女は長く生きられないかもしれない。
でも、自分がしてやれるのはここまでだ。後は自分で生きろ(^^)
おっと、乗り遅れる!あわてて列車に戻った。
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どっと出た汗をぬぐおうとハンカチを取り出したら、右手には
彼女の燐粉がちょっとだけ付いて残っていた。ハンカチで拭けば
すぐ落ちるこれ、さっきのねーちゃんからみたらウス汚いモノ、
なんだろうな。でも同じ汚れならば、そんなねーちゃんと仮に
触れ合って移る人工的な顔料のファンデーションや濃い口紅、
臭い香水よりも、こっちの方がマシだな(^^)<ばき
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