スマホは「真を写す」のか?
ショート失礼。
テレビ受像機を持ってないので、箱根駅伝の中継をAMラジオで聞く正月の朝、鶴見の中継所の状況を伝えるアナウンサーが、どこかの選手がランナーを待っている間に「写真を撮っていた」としゃべっていて、それに何か違和感を感じる自分がいた。
昭和生まれのオッサンだから、「写真」っていうのは銀塩の光化学反応で、そこにある光に映されたありのままの像を2次元の印画紙に焼き付けるイメージがある。ソニーのマビカから始まった、半導体電子素子で電気信号に変換され二値化したデータを保存して別デバイスであるディスプレイでそれっぽく再現して再生する俗にいうデジカメ画像はどちらかというと「録る」の静止した画と言うイメージで、それを仮にカラープリントしたとしても、それを印画紙と同じように「写真」と表現することに、根拠なく心理的な抵抗感があったからだ。
今のデジカメやスマホの撮影機能は下手な高級一眼レフの高性能フィルムのそれよりも上だというのに、なぜそう思うんだろう?、デジタルは様々な電子補正がかかっているから?、加工が容易だから?、でもフィルムカメラだって決してそのものを写し取っているわけじゃなく、レンズ前にフィルターを入れたりレンズで捻じ曲げたり、様々な手法を駆使して真の姿を、意図的に演出して造り上げているのにね。
これは手作りと機械作り、天然ものと養殖もの、現場手組とプレハブ加工といったものの、前者を然したる根拠なく何となくありがたがる大衆心理と同じなのかなと思う。本当の本質としては差がないのに、そこに心理的な付加価値があるような、そんな感じ。
そう思う根拠はそれまでの狭く短い人生経験だったり、外部からの(決してプレーンなものではなく著者などの偏向が入った)知識の集積だったり。でもそれにはそう信じるに値する経験もあってそれを上書き肯定してきたからこそ、確立した価値観なんだと思う。とはいえ誤った情報をそう脳内で反芻しているとしたら、それは洗脳そのものだったりもするんだけど。
…自分は本当にその物や出来事を一切の補正や加工を受けない形で正しく認識して理解してるのかな?。そう思ってるだけで実は何かしらの影響を受けた勝手な価値観フィルターをかけてるんじゃないかな?、それこそが真理を歪めて「真」を見失った物事の見方そのものなんじゃないのかな、なんてことを、AMラジオを聴きながら考える。
…いい年したオッサンで色々な事を何となく達観してるようなつもりでいても、実はまだまだ未熟なんだな(苦笑)
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