2025.03.23

膝蓋骨だけじゃなくこっちもバキバキに(T◇T)

先日の膝のケガといい、どうもここ最近自分の身の回りでは「ナニかを失う」と言うムーブメントが多く起きてる気がする。

今までは大体トントンで何か良くないことがあれば何かいいこともあったりしたんだけど、なんだかよくないことのめぐりあわせが多く発生しているような気がする。いわゆる「厄年」って言うイメージというか、何というか…

いや、何が言いたいかというと、先日予告した、全身麻酔手術入院の備忘録を書こうと思って準備してたんだけど、入院中の話しのネタとなる画像を撮影してたスマホを不注意から落っことしたら、今まで何度も同じように落っことして無事だったんだけど、今回は液晶がバッキバキに割れて、タッチ操作を一切受け付けなくなってしまって、入院ネタを引き出せなくなってしまって…バキバキになるのは膝の皿の骨だけでいいだろうに、なんでこんなコトに…_| ̄|〇

Sumahobakibaki

スマホでやらねばならない事については、バックアップのAndroid機にSIM移して、アプリも移行して、生活上困ることは無い状態にまでしたけど、入院中に色々撮影してた画像データとかが全然引っこ抜けなくなってしまって現在困り中。

旧いアイホンなので、街の修理屋に持ち込めば多分数千円で直せると思うけど、今はそこに出向くことが出来ない身体なので、もう少し回復して自力でそういう所に行けるようになるまで、ちょっとお預けになります、申し訳ないです。

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現在は手術の縫合部をそのままむき出しにしていても良くて、痛みに耐えつつ曲げて言っていい、と言う事になってるので現状はこんな感じ。

Hizanuime

未だにソフトボールくらいのサイズで腫れてて、ちょっとグロい。この縫い目の下は砕けた皿の骨を固定するピンやらワイヤーやらがあって、それをレントゲンで見るとこんな感じ。これが外せるのは一体いつになるのやら…

Hizazray

今の自分に出来るのは、とりあえず痛みに耐えつつ曲げ伸ばし運動して関節可動範囲を広げつつ、ゲッソリ落ちた脚の筋力を取り戻してゆくこと。そして割れた骨が早々にくっついて一体化するよう煮干しやら牛乳やらを飲み食いしてカルシウム摂取して、日光浴してビタミンDの光合成に務める、ってことかな。

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2025.03.09

退院後に実験してみた

ここをご覧の皆様、私的なドジでご心配&お騒がせしております。

2/21に負傷、救急搬送、膝の皿の骨が粉々であることがわかり、当日はとりあえず帰宅してくれと言われ関節固定具をまかれただけでどうにか帰り、2/22に通院、救急搬送時のCTやレントゲンの結果から観血手術と入院が必要と方針が決まったものの、土日祝を挟むため麻酔医の予定が立たず、しばらく在宅待機してくれと言われ、そこから3日間負傷箇所は手付かずで固定しただけの状態で痛み止めだけ飲んでウンウン唸りながら何もできず自宅で過ごし、2/25朝に電話連絡が入り、明日から入院、翌日手術、その後経過観察で入院、という方針が決まりました。

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当初は2/26に事前検査入院、2/27午前に手術、午後から翌日2/28まで入院で、早ければ2/28午後に退院、と言われて、「2泊3日ならまぁこの位もっていけばいいか、出張ビジホ生活と大差ないもんな」、と一人タクシーで病院に乗り付けましたが、手術で切り開いたら想定以上の木っ端微塵具合だったようで、手術時間は予定の倍以上、その後の入院経過観察も1日では終わらず、結局8日間の入院生活となりました。

今は3/5に退院して、翌日からどうにか在宅勤務のみですが復職し、出来る範囲でたまった仕事に追われております(昨日の土曜も在宅勤務で対応)。退院の際は、ここにたまに現れる友人のgamiさんに迎えに来て頂き、大変お世話になりました。「持つべきは良き友」、です、gamiさんありがとう(^^)/♪

計8日間の入院生活、人生初経験の出来事や有意義な事、色々な気付きなどが多かったのもあって、その入院記を今日まとめようかと思ったのですが、今朝の起床時に悪いクセが出て

ino::今飲んでる鎮痛剤はあくまで対処薬であり、治療薬じゃないから今日一日飲まなかったら現状どのくらい痛いんだろう?」

と実験したくなり、朝からそれを抜いたら痛すぎて起き上がれず、結局日中寝込みました(苦笑)

ino:「ああ薬効がないと、まだこんなにイタイのか…耐えられなくはないけど身動き取れない…」

という貴重な経験が出来ましたが、すみませんちょっと頑張るための気力も痛みで持っていかれてしまい、今日はこのくらいでダウンです(苦笑)

「私的骨折手術入院記」、もう少々お待ちくださいませ(^^;)<ばき!
 

 


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2025.02.21

しばらくバイクに乗れなさそう

諸般の事情で画像無しです。

今日の午後、ホントにちょっとしたことで躓いて、そのまま数段の階段の上からジャンプするような形になってしまい、どういう形でなのかよく記憶が定かでないけど、左膝から着地して、全体重を乗せてコンクリートのタタキにジャンピングニーバットやらかしてしまいました。(バイクは関係ないです念のため)

膝からの強烈な激痛に、あら?これちょっと単なる打撲じゃないわ、と思いながらも倒れたまま動けず、10分くらいそこでウンウン唸って、どうにか身体が動かせるようになったけど、膝は曲げられないし、立ち上がれない状態。バイクに乗るときは膝を保護するガードを付けて走ってるけど、今回は無防備な歩行時だったのでモロにダメージが膝関節に入ってしまった。

どうにか手を伸ばして、背負ってたデーバッグを外して前に持ってきて、腕で全体重を支えながらどうにかその階段に腰を降ろして、ズボンをまくってイタイ膝を見ると…あ~あ、ちょっとヤバいかも。挫滅創寸前で内出血はしてるけど、膨らみ方が尋常じゃない。これは冷やしておとなしく安静にしておけば良くなる、と言うレベルじゃないよ…。

じゃあどうする?

・自分で乗り物に乗って動けるか?、…いやこれダメだ。立ちあがれない、一歩も歩けない。
・タクシー呼んで病院に行けるか?、…敷地の外に出られない。救急病院に電話したら、普通来院なので長時間待つよ、とのこと。

なので、県の救急相談番号に電話して、現状を説明できる範囲で全て(脂汗掻きながら)話したら、

「その状態だったらもう救急車呼んでください」

とのこと。

なので自宅の玄関先にへたり込んで動けない状態で、やむなく自力で119に通報。命には別条がないから出来るだけ救急隊に負荷を掛けたくなかったけど、ちょっとギブアップだ、ゴメンナサイ。

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自分自身が患者として乗るのは以前SX復活後にクルマにはねられた時以来かな?、それ以外だと何度も乗ってるけど。

救急隊に、大げさになってしまい申し訳ない、ありがとう、と話してストレッチャーに載せてもらい、さっき電話かけて聞いた最寄りの救急病院に担ぎ込まれた。救急車なのですぐに処置室に入れて対応してくれた。感謝。

痛いのは左膝だけ(他も何かあるかもしれないけど、ここの痛みが強すぎて良く判らない)。色々検査して、CT取ってレントゲン取って処置室戻ったら救急医がレントゲン結果を見て

「あ~、膝の皿の骨がぱっくり割れてますねこれ、痛かったでしょう?」

はっはっは、どおりで過去最大級の痛みな訳だ(^^;)

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その後以前の交通事故の時と同じように、パンパンに張れ上がった膝から内出血した血を大量に抜いて、応急用のコルセットを装着。松葉杖を渡されて、じゃあこれで帰ってください、明日また来てね。となった。ああこの感じは、以前の時と全く同じやんけ(^^;)

身内に速報を入れていたので、駆けつけてくれた妹の肩を借りて車に乗せてもらい、どうにか自宅に帰り着いた。
松葉杖kさえあれば一人で動ける。食料はタップリある。部屋はフルバリアフリーだからこんな状態でも動ける。

・・・ただ痛い。これは痛い。明日の診察結果次第では、手術することになるかも、とのことなので、単なる骨折じゃないかもだし、膝の皿の骨の下もどうなってるかまだ分からない(CTの結果を読める人は明日登院とのこと)

30代、40代の頃と違ってこの歳になるとケガの直りも遅くなるし、完治も本当にするのかなぁ…(T_T)?

まぁこれも人生の試練だ。少なくともバイクで事故らなかったから、痛いのは自分の身体だけ。全て自己責任で誰も悪くない。
ただ本当に、ふとしたことでそれなりに大きいケガをしちゃうもんだな、まぁこのくらいで済んでよかった、と思おう。

明日からせっかくの3連休、通院以外は多分何も出来ない。バイクは当然当分乗れないし、クルマもウチのはMTだから無理。
こういう時は、こういう状況でやれること楽しめる事を探してやってやるさp(^^)q…しかし痛~い!…ホント痛~い!!!
 

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2024.11.25

そろそろ再起動にかかろう

人生に一大事が発生して、ドタバタした日々を過ごしてきたけど、少し落ち着いて来た。

倒れた母は元の生活を送れるようなことはもうないだろう障害を負っているが、命に別状はない状態になってきた。今は救急車で運ばれ急性期の手当てを行った病院からリハビリを主体とする病院に転院し、最長150日間の入院期間中にどれだけ機能回復ができるかのチャレンジを老いて弱った身体で毎日頑張っている。

ここから先は未来の話しになるが、その結果どこまで回復が叶うかはわからないけど、症状が固定化したと判断されたらそこを出て母は次なるステージに移る事になる。少なくとも昭和の古い建売一戸建ての実家での一人暮らしは無理だから、自分を含めた子世帯で面倒を見るか、介護生活を送れる特養ホームといった施設に移る事になると思われる。この方針はリハビリ入院期間中にある程度見定めて準備を行わなければならない。

それが自分の生活にどういう影響をあたえるのかは、正直まだわからない。第三者的な目線だと、重荷を背負って見えるのだと思う。

でも、自分自身がこういう状態になって思うのは、

「それでも生きていてくれてよかった、生きていてくれることがそれだけで嬉しい」

という、ポジティブな実感だ。高齢の要介護の老人など生かしておくだけで無駄だと思う人もきっと居ると思う。老人に医療費をかけるよりもワカモノや子育て世代にお金を回すべきだ!、とかね。純粋に長期的経済的観点から見たらそういうドライな考えもあるのかもしれない。でも当事者の身内としては、ただ生きていてくれることが、こんなにうれしいのだという事をしみじみと感じている。それに社会にとって老人の存在は意外とそんなに悪いことでもないのだな、と実感してることもあるけど、それは次の機会にでもまとめよう。

きっと母が健全だったころよりも自分の人生の負担は増すと思うけど、この2カ月弱くらいでそれを背負ってゆくくらいの覚悟は出来た。まぁ全てを一人で背負い切ったら多分自分も長く持たないから、それはしないで、同じ志を持つ強力な味方である自分の姉兄妹たちと出来る範囲で協力しあって対応して行くことになる。出来る範囲で頑張って行こう。親孝行は出来るうちにやらないとねp(^^)q

また今回の件で、母と同じかそれ以上に年老いた、伯父や伯母といった高齢の身内親族にも連絡をとり、実際に会って話をして、その過程で伯母が亡くなって葬儀に出たり、と、自分の周りで急にそういうモードが増え始めた。親孝行だけでなく、子供のころに色々世話になった伯父や伯母にも、その子らよりは出来ることは少ないけど、出来る範囲で伯父孝行、伯母孝行をしていきたいと思う。

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…ということで、今年はバイクにあまり乗れないまま終わりそう。大排気量車でも多くて一カ月に1回くらい、小排気量車だと、一年間で4回とか5回くらいしか乗れてない車体もある。それでも手放さないよ、自分が乗れるうちはカワイイ我が子みたいなものだから最後まで面倒見て乗りたいと思ったときにいつでも乗れるようにメンテして保険を生かして稼働状態を保ち続ける。まぁ母の対応で生活に困るようになったらさすがに手放してゆくとは思うけど、まだまだオレは頑張れる、だから頑張るp(^◇^)q

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2024.09.23

その境地には19年前に到達済み

ふとyoutubeをみてたら、こんな動画があったので通してみてしまった(苦笑)

「なぜ老後は異性と関わってはいけないのか?ブッダが語った3つの教え」

自分はもういい歳したオッサンだ。この歳になるともう色恋沙汰は正直ごめんだ。年齢を重ねてしまうと、新しい男女関係や夫婦関係というモノをゼロから構築するのは無理だと思っててる。もっとライトでカジュアルな恋愛関係っていうのも多分難しい。どうしても利害関係と今の生き方に対する影響が生じてしまうからね。一番注意しなくてはならないのは、自分より若くキレイな女性が接近してきたら、それは最大限の警戒信号を発して、人生から徹底排除しなくてはならない、ということ。オッサンが若い子に惚れられるなんてことはファンタジーではあるかもしれないけど現実には起こりえない、もしそれが起こったらそれは自分を金ヅルとしてしゃぶりつくそうとしてるとしてる時だけ。奇跡的にそうではないピュアな話がある可能性はゼロじゃないけど、悪意ある接触である可能性の方が極めて高い。リスク管理はこういう時に危険を排除するように行わないとほぼ大体死ぬ。悪いけどそんなのはこの年齢になれば嫌でも理解してるのよね。

そういう危険性を排除して、相互にメリットが得られるような親しげな人間関係を構築し、共に生きる「共生する仲間」ならある程度信用信頼が出来そう。その場合、それは別に性別関係ないし、ある程度の年齢差も関係ない、生命体としての人と人との関係構築なんだと思う。例えば本当に気の置けない友人らと時と空間をある程度共有する共同生活なら楽しい老後もあるかと思うけど、実際の所は、まぁ付かず離れずの距離感を持って、個人の自由をガッチリ確保しながら、たまに遊ぶような、細く長く切れない交友関係が死ぬまで継続出来ればそれが一番幸せだと思ってる。

オッサンのザレ言だけど、男女の色恋沙汰はその悪影響や打算を一切排除してでもいいから一緒にいたい!、という動物の本能である性衝動に突き動かされて爆発的に制御不能で出来上がってしまった舞台の上で維持し続ける関係性だと思うので、その若さゆえの勢いがないと、色々難しいと思う、閑話休題(苦笑)

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この動画を見ると判るんだけど、チョンガー老人が煩悩に苦しみブッダ様に相談すると欲望と執着を捨ててココロの静寂を得なさい、途中でブレてもそれが収まるまで待てる精神力を持ちなさい、という事を説いている。これを見て自分は2005年の5月30日に書いたこれを思い出した。というか、ここで引用いしていた離婚後のココロの苦しさから脱するきっかけとなった、とあるエピソードを思い出した。もう19年も前話なんだけど、やたら鮮明に脳内に蘇ったのだ。

命日であり誕生日でもある

この中の引用記事にある一言「愛するものを手放しなさい」これはクリスチャンの言葉らしい、つまりキリスト教の教え。でもさっきのブッダの説話は仏教の話。つまりこれは宗教と言う矮小な枠内ではなく、人としての生き方の本質なんだな、と、そう思い返したのだ。

欲望も、執着も、人が生きることの原動力の一つになりえるパワーがある。それに本格的に捕らわれてしまうと、再起不法になるくらい墜ちて這い上がれなくなり、映画もののけ姫の中で高潔な神々が祟り神に墜ちる原因の一つにもなっているように思う(まああれは怒りとか憎しみとかそういうネガティブ感情の方が大きいとは思うけどそれをいさめられない本質は執着だと思う)。その弱さそのものが人が人でありうる意味でもあると思うけど、それを乗り越えたところに確かにある意味の到達点があるのだと、あのとき墜ちかけていたけど戻ってくることが出来た自分は思う。

とはいえ欲望にまだまだまみれた自分は仏教における「解脱」の領域になんて全然達してない。濡れ手に粟粒がつくように、日々強い欲望やしつこい執着にまみれて生きてる。でもそれをあの時に理解して叩き落とす事が出来た経験は間違いなく自分をそれ以前よりも強く変えてくれている。だからこのyoutubeの動画を結構アッサリ受け入れる事が出来た。そしてまとわりついた欲望と執着を叩き落としながら生きていけると確信してる。

…あ、老いらくの恋がイカンと言ってる訳じゃないよ、人の幸せは千差万別だから何が正解で何が失敗なのかを決めるのはその人が死ぬ間際に思い返した時まで誰にもわからないからね。やりたいと思うなら死ぬまでトライするのもまた人生、そこは死ぬ間際にやらなかった事を後悔するくらいならやってみて、仮に失敗したっていいじゃない、と思う。そういうトライ以外にも人生でまだやって無いことは沢山あるから、そういう挑戦は自分もやるよ~!、ただし動画みたいな話はもうある程度の境地に達しちゃってますんで…、という、ただそれだけの話なので、そこは悪しからずです(^^ゞ
 

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2024.05.13

目がついてこない

責任のある職位から退いたGWは、間の平日を年休で埋めて大連休に出来た。

ぶっちゃけこれが出来なかった、月初営業日は組織長は出勤強制だったから。

久々に大連休を満喫して、バイクの車検も2台通して、車中泊で2泊の旅もして、ああ休みっていいなぁ、と悠々自適に過ごしてた。その間はネット活動やスマホの使用を極力避けて、自然な景色を見るようにしてた。なぜか?、目が加齢によって衰えているからだ(汗)

今の仕事は以前の現場仕事と異なり、出勤にせよ在宅にせよ、ほぼ液晶モニターを眺めながらの各種事務仕事だったりする。少しは屋外仕事もあるけど1~2割って所かな?、ソッチの仕事は現場現物現実をOJTするべく後輩に任せて自分はバックアップに回る事が多いので。

そんな状態でモニターを眺めながらのPC仕事を一日中やったりすると、何が起こるか?、・・・眼精疲労だ。

あれ?オレってこんなに目が悪かったっけ?、あれれ?なんで今打ち込んでる文字列の上に灰色の同じ文字列が出来てるの?、って感じで、老眼と乱視?と、焦点調整範囲が驚くほど狭くなってて、夕方から少し残業した時間だと、もう目が疲れて液晶モニター見たくない状態になる。無論小さい画面のスマホもキツい。若い頃から数年前の現場仕事してた頃まで視力で困ることが全く無かったし、ほんの一年くらい前まではここまで目が疲れる事が無かったんだけどなぁ・・・老化ってこういう事なのかも。

体力や関節痛、といった加齢による衰えも感じることは感じるが、視力に関する衰えが正直一番進行が早い気がする。これを止められるのなら、PC仕事なんてやめてもいいと思うくらい。でもそうも言ってられrず、毎日目を酷使しては帰宅後目を養生して過ごすことが増えた。

そんな事情で、夜に自宅でPC叩いてここを作文するのが今までと違ってかなり辛くなってしまい、今の筆不精状態に拍車をかけてます…スミマセン(/_;)

雨の休日とかに自宅に籠ってる時とかだと、エクセルで家計簿をつけたりする事が苦も無く出来る目力残ってるけど、平日の夜は…何と言うか、本当に目を使う残力が減ってるというか、その時間にはPCもスマホも使いたくない症候群というか、そういう感じに最近なってて、TVを排除した生活もあいまってAMラジオを流しっぱなしにして耳から情報収集することが増えてます。

メガネを掛ければ今の苦行から解放されるのかな?、PC仕事をする前に普通に視力を測ると今も左右1.5くらい見えるから生活上は殆ど困らないんだけどけど近い距離の視力はいわゆる老眼症状でかなり悪化してるし、暗い夜道だと前からくるクルマのヘッドライトが縦3連に見えたり満月が縦に3重化して見えたりするので、そのあたりが矯正できるとQOL上がるんだけどな。

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2024.01.31

十年ぶりは…ハードすぎた

1月後半、色々あって、久々にここに書くネタが豊富にあるなぁ、今年は幸先いいや、…と先週末まで思ってた。

ここ最近の悩みの種でもあるなかなか回復しない膝痛が、USB電源を使った電熱サポータ捲いて温めまくったら少しずつよくなっていった、とか。

Hizaita202401

年末ギリギリにやったふるさと納税返礼品がほぼまとまってやって来て在庫過剰になったとか、

Hurusatohenrei2023

そろそろ新たに調達した老後を見据えたバイクの話をしようかな、とか、

F9bbrroboaavpso

一カ月前に脱皮のそぶりを見せないニューえびぞ~君の心配をしたけれど、何と真冬の冷たい時期に予告なく突然脱いだえびぞ~君とか

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水温一桁だから多分本来なら冬眠するような体調で活性下がりきってる時期のはずなんだけど…

Ebidappi202401b

脱いだ方に赤みをみんなもっていかれて、なんだか青白い冬カラーになったえびぞ~君、カワイイなぁ(^◇^)♪

…と、浮かれてたのは,1/26の夕方に、出社して買い物しながら帰宅した時までだった。

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週末の夜に、なんだか咳っぽくなってきた。ケホケホと軽い咳が出る。そしてなんだか微熱が出てきた。37℃を少し超えてきた。ここ最近寒いからなぁ、ついに風邪ひいちまったか、豚肉と長ネギ食ってレモネード飲んで、シオノギのPL服用して暖かくして早く寝よう、と寝た。

翌朝の土曜日、起床時にはその状態が全く改善してないどころかむしろ悪くなってた。ただいわゆる新コロナとかインフルエンザみたいな高熱が出るわけじゃないし、味覚はあるし、まぁ新コロナ禍の間警戒しまくって一度も風邪ひいてないからちょっと重めなのかな、とその日は一日水分たっぷりとって寝て過ごすことにした。寝るのが一番風邪に効くからね。3時間寝て30分起きてまた寝る、みたいな、よくまぁこんなに寝れるな、というくらいひたすら寝て過ごした。

その翌日の日曜日、ついに来た。起床時で38℃後半、39℃まではいかなかったけど、ロキソニンを呑んでも30分くらいだけ楽になるけどその後また元に戻る、を繰り返した。そして肺と気管支の奥底が痛い、重たくて辛い止まらない咳。…ああ、これ経験あるぞ、新コロナじゃない、インフルエンザだろ?

インフルなら、発症してから体内でウィルスが増殖しきる前に抗ウイルス薬を投入しないと苦しい期間が長引くだけだ。だが寄りにも寄って今日は日曜日で、地域の町医者や発熱外来みんなやってない!、新コロナ時に機能してたこういう言時の相談テレホンは何度掛けても繋がらない。しびれを切らして膝痛で世話になってる比較的大きい(救急外来もあるし入院病床もある)地域中核病院にTELすると、新コロ対応でインプルと同時に検査する抗原キットを使ったドライブスルー検査でならインフル診断と抗ウイルス薬処方出来るとのこと。

高熱のままだととてもじゃないけどクルマの運転なんてできないのでロキソニン服薬して少し解熱させて楽になってから(タイムリミットは約30分)この間に一人クルマに乗り込んでそこに飛び込んだ。…結果として、インフルA型に見事感染、抗ウイルス薬を即日車中に居ながら処方をうけ、帰宅。休日緊急対応だったせいだろうか?、ウィルス検査は健保対象とならず全額自腹、会計はウイルス感染が確定したので窓口に来られると困るので現金支払いをここでしてくれ、と言われたけど、検査自腹が大きくて、サイフに1万チョイしかなくて支払えず、後日回復してウイルスが抜けきった1週間後くらいに支払いにきてくれ、と言われてそのまま開放された。健康保険証替わりのマイナンバーカードで本人特定されてるから逃げられないからの配慮なのかな?と思ったりしながら感謝。

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インフルエンザ感染なんて久々だなぁ、と思ってここの過去ログを見たら、ほぼきっかり10年前だった。

その前にも出張先で感染して寮に軟禁状態になった記憶があるのでもっと過去を調べたら、今から15年前に感染してた。

その頃はタミフルで救われてたが、今回はタイプの違う吸入タイプが出たのでチャレンジ。稲蒜といういままでの服用薬と違うタイプ。
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藁にも縋る思いでこれを吸い、また寝込んだ。…過去のインフルネタを見ると、これでもう戦いは終わったかのように見えるかも。自分もそう思ってた、でもここからが今回やたらきつかった。

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服用当日:高体温継続、咳をするだけで呼吸苦しく、肺炎か?、と不安になるくらい。息をすると喉の奥からゼルゼルゼル・・・という不快音が響いて来て、喉奥が痛くなる。服薬したけどちっとも眠くならず、高熱と頭痛と激しい咳と胸の痛さにさらされて、食欲ゼロでもの食えない状態で身動きとれなかった。特効薬飲んでるんだから寝ればよくなるはず!、の思い込みだけで横になってたけど深くは眠れず。

服用翌日:状態全く変わらず。月曜だが仕事出来る状態じゃない。耐えかねて30分だけ正気にさせてくれるロキソニンを飲む、するとそれが効いてる間だけ何となく寝られる。ただせき込むと目が覚める、なにも食えない状態変わらずで、味の付いたものを飲む気に慣れず麦茶とかプーアル茶ばかり飲んでた。かなり弱って来てた。この状態は続くとツライ…

服用三日目:若干熱下がる!、だがまだ仕事は無理で休む。喉と気管支と肺の状態変わらずなため咳き込みが怖い。ロキソニンの代わりにシオノギのPL(総合感冒薬なのでちょっと熱が下がるのだ)を飲んで寝て起き上がって食パン1枚だけ齧って寝る、みたいな感じ。ここまでくると布団に横になってる時間が長すぎて、今度は身体の節々が痛くなってきた。せっかく癒えてきた膝痛も、左横を剥いても痛い、右横にしても痛い、あおむけでも伏せても痛い、つまり何やっても痛みを感じるので毛布を足の間に挟むなど工夫したが改善せずツイに腰痛的な痛みまで・・・さすがに耐えかねて、体圧分散タイプのテンピュール素材の分厚いマットレスを引っ張り出してきて使う。あまり身体にまとわりつく柔らかさは個人的にはあまり好きじゃないので持ってるけど使ってなかったが、そんなこと言ってられない。そしたらそれが意外とよかった。解熱が進んできたこともありその夜は久々に深く眠れた。念のため缶のカロリーメイト1缶どうにか飲んで、総合感冒薬も飲んでね。

服用4日目:これ実は今日の事だけど、目覚めで身体の痛みはなし、発熱はまだあるけど37℃少しくらい(この一週間体温測りすぎて電子体温計の電池使い切ってしまったため不明)、ずっと苦しかった咳が収まってやっと起き上がれて普通に活動できるように。久々に朝飯を食って、ふるさと納税返礼品の野菜ジュースPETを遠慮なくガブ飲みして、養分が内臓に染み入る感覚を久々に味わった。これなら月末〆で承認決済しなきゃいけない仕事が在宅勤務なら出来るな、と判断して、今日はふらふらしながらも在宅で仕事再開。ふぅやっと社会復帰出来たかな?

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以上ダラダラ書いて来たけどこれが月末騒動の顛末。

正直、インフルエンザをなめてた、かかってもどうにかなると思ってた。10年前も15年前もタミフル飲んだら比較的早く元気になったのもあって、今回もそうだろと勝手に思ってた。でも月日がたち自分と言う生命体は時の流れと共に確実に老いて衰えてる。だから同じようなウィルスの攻撃に大ダメージを受けてしまった、という事だと思う。それに経験があるインフルだから、まだある意味助かった、これが未だ感染してない新型コロナだったら…そう考えると初老に足を突っ込んだ世代としてはこういう感染症一発でも油断しちゃいけないんだな、としみじみ感じた、喰らうリスクを甘く見積もるな、その時点と過去の経験や見積は全然見合わない状態かもしれないんだから、今回みたいに。


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2023.12.24

突然、膝が壊れる

あれは12月の第二週、普通に出勤して、普通にサラリーマンらしい事務的な仕事を淡々としてた。

そしたら、夕方くらいに、何故かだんだん両方の膝が痛くなってきた。普通に歩いて、普通に階段上り下りして、ごく普通の日常の動きしかしていない、運動らしい運動とか、ハードに使うようなことは全くしてないのに。

最初は軽い痛みだった。なので「なんだろう?」くらいしか思わなかった。でも定時の終業のカネが鳴る頃は、気のせいを通り越して明らかに痛みを感じた。とはいえまだ歩ける。何だか理由は判らないけど、だんだん痛くなってるから、早く帰ろう、と定時きっかりで仕事を切り上げて帰路に就いた。

…駅に着く頃にはズキズキした痛みになってた。できるだけ痛みを感じない様に、ゆっくり、かつ膝の確度を変えないように、ぎこちなく動く。駅のホームに上がる階段を上ると痛みが一気に増してゆく、うぉ~!痛てぇ!、

そのまま電車に乗って席に座る。座っていても痛みは感じる。そして自宅の最寄り駅に付いた時にはもう立ち上がるのも必死になってた。ホームから改札のある階面まではエレベータを使って、改札をようやく出たけど、そこからもう殆ど歩けなくなってた。自宅まで歩くのはどう考えても無理だ、スタスタ歩けば数十秒のタクシー乗り場まで行って、自宅までタクシーで移動、どうにかして帰り着いた。

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この時点では、両足が痛かった。痛いけど腫れてはいないし、熱も持ってない。ただ左膝は曲がりにくくなっててああ水が溜まって来てる、という事が体感出来た。とりあえずこのまま極力動かないようにして、その日はトラムセット飲んで寝に入る。…途中寝返りで激痛で目が覚めた。一体何なんだ(冷汗)さっぱりわからないけどどうにかそのまま寝た。

朝になったら、右膝は痛みがかなり軽くなってた。代わりに左膝はもう激痛で、左足に体重をかける事すら困難だった。とても出勤出来ないので、その日は終日在宅勤務として、極力動かさず、様子をみることした。午後になっても痛みは変わらず、左右の膝関節の形状が肉眼で明らかに左が膨れているような状態(水が溜まってる)感じでこりゃ耐えてても仕方ない、と判断して、過去の交通事故の際に世話になって膝関係のカルテも残る中規模病院に電話して、翌日午後に診察を受ける予約をいれた。

結局その日は午後も痛い、夜も痛い、で自宅から動けなかった。なにせ玄関のタタキに降りる動作すら激痛で、郵便物を取りに行くこともできない有様だった。自宅がフルバリアフリーの平屋で平面移動だけで生活できることがこんなに楽だったのか、としみじみ実感。

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翌朝も痛みは変わらず、というかかえって強くなってて脂汗流しながら午前中在宅勤務して、午後通院。しかし何で整形外科は元気いっぱいの老人であふれかえってるんだろう?、そういう足腰が良く動くご老人たちを眺めながら診察を待って呼ばれて入って、…炎症してない、腫れてない、だけど水が溜まってる、なので水を抜いて様子を見ましょう、となった。ブットい注射針を膝の皿の下に突き刺して、かなりの寮の薄黄色いリンパ液が抜けた。痛いけどちょっと痛みが和らいだかな、膝も曲げられるようになった。

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これで良くなればいいかな、数日たてば治るだろ、とその時は思ってた。

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だが、激痛はその後も続く。抜いたリンパ液はキレイで、炎症や負傷の兆候みたいなものもないので関節内に何か明確な異常が起きたわけじゃなさそうなのに、一体何なんだろう?

ともかく動かさないこと、痛み止めとシップで痛みに耐える、これしかなかった。これが数日続いた。一週間後くらいにやっとビリっとくるような生傷感が消えて、ハードに痛めた関節の痛みみたいな状態になったけど、それでも階段の上り下りやちょっと捻りが加わるとズキっ!とした鋭い痛みが走るので、身動きなかなかできない日々が続く。なにせイスに座ってても痛いから始末に負えない。ただ特定の角度に保つとそこだけは痛くないというポイントを発見したので、その角度を上手く保ちながら片足引きずって歩くことは出来るようになってた。

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10日たった辺りでもまだ同じくらい痛みがあって、これ動かさないから変わらないのかな?、試しに出勤してみるか、と朝にいつもより30分くらい早く駅まで歩いて行ってみたけど、少し歩いて階段を上ると痛みがかなりぶり返して、これは職場にたどり着けても帰れなくなるかもしれない、と思って結局自宅に戻ってきてしまった。こんなに歩けない動けないのは過去にバイクで事故って両膝の関節内骨折で身動き取れなくなった時以来だな(約19年前)…今回は原因が全くわからないので何がトリガーでまた起きるか判らないのがツライところ。もしかするとあの頃の古傷が何か影響してるのかな、と思ったりもするが、真相は判らない。

…で、今朝になって、やっと普通の姿勢で平面が歩けるようになった。20段くらいの階段なら手すりに荷重を預ければ上り下り出来た。おそるおそる30分くらい歩いてみたけど、緩い痛みは感じるけどそれが悪化して行くようなことはなさそうだ。どうにか治る方向にベクトルが切り替わった。

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人の身体で、首、肩、腰、股関節、膝、踝、は痛めて動きが制限されると日常生活するのが困難になる。

原因があればそれを繰り返さなければいいけど、今回の膝痛は、正直全く原因がわからず始まった。これを防ぐ方法は判らない。
たまに原因不明で腰痛になることもあったけど、それでも3日くらいおとなしくしてれば快方に向かったけど、今回は2週間くらい生活に大きな支障が出たのがちょっとショック。新型コロナ以降在宅勤務と言うスタイルを取れるようになったからまだ働けたけど、それが無かったらこの期間は丸々休まないといけなかったと思う。とはいえ2回くらい座り姿勢でも発する痛みに耐えかねて午後から休んで寝転んでたりもしたけど

今回のトラブルの原因が、例えば加齢によるもの(いわゆる『五十肩』と同じような)、とすれば、今後生きてゆく過程で同様のことが何度も起こりうるという事になる。腰痛だって起こるだろうし、以前の事故で痛めた首だってまた何が起きるか判らない。そう考えると元気に動けるってことがこれからは貴重になってゆくし、またいつ身動き取れないくらいの痛みに襲われるかもしれない、という事になる。

例えるならば、地雷源を歩くようなもんだ。いつ何が起きるか判らないし、今までは低かった爆発の確立は加齢とともにどんどん高くなってゆく。極力それを踏まないように、踏んで痛い目にあってもそれを乗り切っていけるように、覚悟と、準備を固めて生きて行こう。
 

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2023.07.24

父の死

先週末、父親が亡くなった。

もうかなりの高齢だったし、現代医学では治らない(悪化を遅らせる事だけしかできない)難病にかかっていたので、もう数年前から覚悟はできていた。なので、友人や知人を交通事故や自死で亡くした時のような激烈な悲しみは今は感じない。とはいえ人生を長く一緒に過ごしていた肉親であり親だから、きっとこれからそれなりの喪失感がやってくるのだと思う。

父は、ありていに言えばよく出来た人だったと思う。両手放しにベタ褒め出来るかというと諸事情で100点ではなかったと思うけどそれでも95点くらいは付けてもいいくらいの人間味もある立派な人だった。完全無比ではなくたまに失敗はするけど最終的にはそれを糧としてリカバーして行くタイプ。理系の技術者で、仕事人としても尊敬に値する人だった。

自分はその人の子供として、同じように立派に育ったのか?、と言うとそこは盛大な疑問符は付く。何せ自分はココにツラツラと泣き言を書いてるような、『こういう人間』だからね。あ、読んだことのない人は適当にかいつまみながら過去ネタを呼んでみてください(自虐)

仕事人としての自分は、父が行けた所にはたどり着けなかったけど、それでもある程度の所まではこれた。多分それは今は亡き父も生前はきっと認めてくれていたと思う。

家庭人としては妻と子供5人を一人で支えて育て上げてるから、これは正直マネが出来ない偉業だ。まぁ自分はバツイチで子無しだから同じ土俵にすら立てないのだけど、それでも普通の技術系サラリーマンがいわゆる一流企業の中で、普通ではたどり着けない程度の地位に努力の末に登って、最終的にはある程度の給料を得て、妻と5人の子供を養ってた。これは仮に自分が離婚せず子供を成すことが出来たとしても、同じ事は出来なかったと思う。とはいえ一時期は他人に正直に言うとドン引きされかねないくらいの貧乏生活も過ごしたんだけど、今ではそれも良い笑い話だ。

同い年の母とは中学入学の同級生だったころからの付き合いで、高校大学と交際を重ねて、就職する前の大学院生のうちに学生結婚、就職後に自分を含む5人の子供を成して、まさに死が互いを別つ時まで添い遂げてる。これも僅か17カ月で結婚生活を終えた自分とは勝負にならないくらいのツワモノだ。ある意味、究極理想の夫婦像なのかなと思う。そういえば自分が子供の頃は両親が喧嘩しているところを一度も見たことがない。とはいえ実は子供には見せないようにお互い配慮しながらも、ちゃんと大なり小なりの喧嘩はしていた、と後になって聞いた。そういう所も脱帽だな、と思う。

そういう両親が過去から受け継いで、そして自分らの子世代に繋いだDNA、こういう自分の手に託された分を自身は未来に襷渡しすることは出来なかった。そういう点では親不孝極まれると思う。でも他の兄弟は子を成して次の世代を生み育てて、両親がこの世で出会って生きて未来に託した命と言う襷はきっとこれからも繋がって行く。自分はその先を見届けながらいつか一人で死ぬ。

父は、もう命の炎が消えかかってるから会わせたい人が居たら早く連絡を、という主治医のカウントダウンスタートの連絡を受けて慌てて集った多くの身内親戚縁者(この中に自分も入る)と、死ぬ数時間前まで普通に会話し、別れ際に相手の手を力強く握りかえす握手をして別れ、すべての面会者が個室の病室(最期の別れが出来るように病院側が配慮をしてくれた)を出てから、ほんの数分で容態が急変、その後2~3時間後にあっけなく亡くなった。

かなりの高齢でありながら記憶力もありボケもせず、足腰も歳相当に弱ってはいたけど身内が辞めろ免許返納しろというのも聞かず、亡くなる2週間前まで一人で車を運転して、持病とは異なる手術を要する病変で倒れて救急車で運ばれ入院してから外科手術を受け、それは成功したけど、老人性誤嚥性肺炎を発症して死にかけて、そこから復活し、最期は長年闘ってきた難病の急激な悪化が生じてそれが死因となった。

その1週間ほどを病室で過ごしただけで、難病対応の通院や服薬、家庭用の酸素供給機などの対応も自分で行い、身内に負担を課す介護などは一度も発生せず、入院後は集中治療室で数回死の淵を覗いては戻ってきて、死が迫る直前まで矍鑠とした態度で来客を迎えて会話して過ごし、そしてそれを終えた後に長年連れ添った母にだけは苦しんでる姿と弱い所を見せながら、本人には覚悟が出来ていたのだろう、苦しみの中で過大な延命処置を拒み、母に見送られて逝った。

…果たして自分にこんな死に方が出来るだろうか?、そう考えると、父にはやっぱり敵わないな、と思う。

父さん、あなたの子供として生まれてきて、共に暮らしながら育ててもらい、生きること、遊ぶこと、学ぶこと、働くこと、家庭…はゴメン自分には出来なかったけど、最期に死に方までも模範を示してくれてありがとう、ただただ感謝します。
 

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2023.05.30

気が付けば20年

今日5/30は自分の離婚記念日。結婚した日はだいぶうろ覚えになってきたけど、この日だけは自分にとっての絶対座標なので、たぶん死ぬまで忘れることはないと思う。

この日には、最近のワカモノ事情を組み合わせて長文書こうと思ってたんだけど、今日は職場で労災が発生し、その対応で責任者として最後まで職場に残ったのでこんな時間に帰宅して気力がないので、記念日ネタだけでご勘弁。そっちは近いうちにupします(^^)

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たった1年と5か月しかなかった結婚生活だから、そっちにはその後積み重ねたその後の20年間に埋もれて、かなり記憶の彩度は落ちてきた感がある。後半は軋む関係に苦しかったけどそこに至るまでと、始まった前半は自分だけは人生で一番幸せでうれしくて楽しかった、それを超える経験は多分死ぬまでできない。相手もそうだったら結果は違ったんだろうけど、それはもう何を言っても仕方がないのでパスだ。

ここで何度も言ってるように、自分は元カミさんが、自分と別れることで幸せに生きる方向に舵を切って進んだ人生が彼女にとってのベストだと思ってるし、それゆえに自分といるよりもはるかに幸せになれたと信じてるし、だから今でも、これから先いつまでも幸せであって欲しいと思う。その思いは20年間変わらなかったな。我ながら一途だね(苦笑)

20年前のこの日に、ではこれでさようなら、と別れてから一度も会ってないし電話等で話もしてない。専業主婦だったので年金手帳を預かって会社に出してたのでそれを返す連絡をその後にメールで送ります、とやっただけだったっけ?、預かった連絡先のメモもそれに同封してその後電話番号もメルアドも何もかも抹消したから本当にそれっきり。なので今日改めて思い出そうとしても、あの当時は4K画像のように思い出せたそういう情景も、もう20年間の劣化が進んで崩れかけて色あせたジグゾーパズルみたいになってるんだなぁ、自分にとっては。

人間のいいところはそうやって記憶の鮮度が下がってゆくことだと思う。これが常に鮮度100%のまま心に残ってたら、自分は今生きてないと思う(苦笑)。どんな事でも色あせて、ぼやけて、かすんで、その上から毎年薄く積み重なる新しい経験と記憶で覆い隠していけるから、人は何があっても未来に生きていける。…で、こうやって生きてる(自爆)

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自分の人生に沢山の影響を与えたそれらの経験も、今の自分を形作る土台として表に出ることはなくてもしっかり自分を形作って支えてくれると思う。人生の経験に無駄はないという、そう考えると20年前の自分よ、あの日の絶望の夜も、20年後にはどうにか明けたよ、と言えると思うぜ。望んでた未来には行けなかった、そういう生き方は出来なかった。でもまぁそれはしゃーない。それを失ったことで、出来たこと、たどり着けた未来もあったんだよ、と、もし自分が過去に戻れて当時の自分に語り掛けることが出来たら言ってやりたい。

まぁその翌日から、半身を生きながらに割かれたような半分の荷物家財がなくなったその時の住居からすぐに逃げ出すために死に物狂いで引っ越し先を探して一か月以内にバイク8台持って引っ越しできる素晴らしき旧宅を見つけてその貧乏長屋での生活にも慣れた翌年の5月にここを始めてるから、それがもしも無くなると今につながる自分も存在しない事になるんだけどね(タイムパラドックス)

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