2023.05.25

蚊って無害と思わせるくらい

ちょっと前の話し。

休日にバイクに乗ってそこそこ満喫して帰ってきた夜、何だかのどぼとけのあたりに虫刺されみたいな痕があるのに気が付いた。何となく痒いな、蚊にさされたのかな?、というくらいにしか考えてなかった。その日はそのまま寝た。

翌日、なんだかそこが膨らんできてた。直径2cmくらいのプヨプヨした水膨れ?、そしてモウレツに痒い。いわゆる蚊に刺された時に塗るスーっとする塗り薬をしたくらいじゃ焼け石に水、全くこのかゆみに勝てない(収まる気がしない)。こんなに痒いと多分無意識で皮膚をかきむしってしまいそうだ。なのでやむなく手持ちの最終兵器をごくごく少量使ってその痒みを抑えた(おかげで夜に寝ながらかきむしるといった事態は起きなかった)

Nurikusuri

そしてその次の日、何と喉元のそれはさらに膨らんで、大粒の梅干し一個くらいの水膨れになってた。その痒さもスゴイ。こりゃたまらん。ひたすら耐えるしかないが一度掻くと痒みが爆増する感じなので最終兵器をまた少々だけ使ってどうにか抑え込んだ。

さらにその次の日、水膨れは収まって平になってきたが、蚊に刺されたような小さい膨らみを中心とした直径5cmくらいの赤みは広がって痒みは健在。それが結局約一週間ほど続いた。…ぢつは、2日目くらいで何となく何にやられたのかは判ってた。これ蚋にやられたに違いない…

 蚋(ブユ、ブヨともいう) 詳細はこちらを参照 → wikipedia「蚋」

正直ヤラれた瞬間は全く分からない、でも二日目から始まった強烈な痒みとその後の症状からして、ただ事じゃないと色々調べて、ああこれだ、と自己判断。虫刺されレベルでは使わないくらい強力なステロイド剤をこれまた自己判断で使ったけど、おかげでどうにかしのげた。でも諸刃の剣というくらい強いヤツなので長くは使わなかったけど。

これに比べたら日常生活で「わろきもの」と称される小憎らしい蚊も、ホント全然実害無いといってもいいくらいの可愛さ。そのくらいこの被害ツライ(T_T)

もしやられたら自分みたいに自己診断自己対処せず、すぐ皮膚科に行った方がいいです、というくらい強烈です、いやホントに。
 

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2023.04.30

久々にうれしいニュース舞い込む

この話の登場人物、以前ここにネタとして上げたかと思って、過去ログを漁ってみたけど記載が無かったので、何を言ってるか判らないかもしれないですが、個人的備忘録ということでご勘弁下さい。

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震災前の…ええっと、たしか2009年の後半だったかな?、その頃に、当時自分が関わってた某設備の現場仕事のヘルパーとして、3名の派遣社員が加わった。みんな20代前半のワカモノ。彼らは三者三様の個性があって、ズバ抜けて仕事が出来るやつ、スロースタートだけどコツコツ努力して気が付いたら欠かせなくなってるイプ、そしてオチャラケた感じでいつも何やら落ち着きのないタイプ、だった。

自分のチームには…最初の奴を欲したんだけど、諸事情で最後の奴が加わった(苦笑)。本人がどこにモチベーションを感じてるのかよく判らないけどそれでも持っているらしいやる気と、任せた仕事が全くかみ合わず盛大に空回りしてて、見てて危なっかしい奴だったけど、まぁこの世代のワカモノなんてそんなもんだろ、きっと自分だってそうだったんだろうな、と自分のチーム全員で気長に育てる事にした。突っ走っては失敗したり、くだらないことで落ち込んだり、と色々あったものの、彼はジワジワと成長してる様子が感じられ、本質はあまり変わらないものの、もう少し自覚が出ればそろそろ使い物になるだろ!、…と思ってた矢先に、東日本大震災が起きて、自分やチーム、会社やこの業界、いや日本と言う国全体が、もはやそれどころじゃなくなってしまったようなジェットコースタカタパルト状態になった。

そこから始まった嵐のような仕事の中で、彼は自分のチームから外れていき、だんだんやる気を失ったのか、それまでやってきたことと違う事を新しく覚えることが苦痛なのか、少しささくれた感じが出てきて、派遣期間の3年が過ぎる手前で、突然所属する人材派遣会社を辞める、と言い出した。それを辞めるということはつまり自分のカイシャにくる派遣期間も強制終了だ、あと数か月なのに。このまま乗り切れば一旦外れるけどちょっと間を置けばまたウチのカイシャに来てもらうことだって出来なくもないのに(当時はそういう抜け道があった)。

その時は自分も彼も長期の地方現場仕事の区切りで一旦本社勤務となってたので、いいか職を辞するのは人生の一大事だから、そんな短絡的ではなくもう少し慎重に落ち着いて考えてみろよ、とたまに一緒に飯を食いながら気長に対応してたけど、ある時の部門の飲み会に自分も彼も出るのだけど、その飲み会の場に「さっき会社に寄って辞表だしてきましたよ!、今日の飲み会はオレの送別会です!」と変に強がる彼が表れた。

あちゃー、やっちまったか、オマエ仕事辞めたらその次考えてるのかよ?、と聞いたら、呆れたことに本当に何も考えてなかった(苦笑)。その夜の飲み会では飲んだくれて騒いで泣いて、と大暴れしてくれて、えらい目にあった。まぁワカモノらしい暴れっぷりといえば暴れっぷりだった、イマドキはそういうのはまずないだろうけど、あの頃ワカモノは飲んだくれて暴れるのはそんなに珍しくなかったから自分は同僚と一緒になって彼をどうにか抑え込んで、ふらつく彼が帰って行くのを見送った。

ここまでが前提。

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その彼とは、どういうわけか、彼が仕事を辞めて再就職せずプラプラしてる状態になったその後も交流があった。

たまに連絡してきたり、以前住んでたボロ屋に遊びに来たりしてた。またせっかく仕事を辞めたのだからオレもバイクで北海道行きたい、とか言い出したので、自分の予備テントや予備キャンプ用品、予備役として捨てずに持ってた古いツーリンググッズなんかを無償で押し付けて、旧宅の庭先で実際にそのテント立ててそこで一晩を過ごし朝になったらテントを畳んで撤収する予行練習をやって、よし!、じゃあ行ってこい!、と送り出したりしてた。その北海道バイクで一人旅ではかなり色々な経験をしたようだ、まぁそれが彼の人生にプラスになったか思い出深いモノになったのであるなら、自分がかかわった甲斐があったというもんだ(^^)

そんな彼も、いつまでもプーしてる訳に行かないので、ついに覚悟を決めて実家に戻ります、と連絡してきた。戻って親の伝手で就職先を探すとのこと。おお!頑張れ!、くじけんじゃないぞ、困ったらまた連絡してこいよ、何ならこっちに転がり込んでもいいぞ、気張れぇ!、と見送り、それ以降は会ってない。とはい年に1~2回は連絡があって、それもだんだん少なくなってきた。最後に連絡があったのは2018年だったかな?、元気にやってることだけ伝えてきた、よしよし、あの頃のオマエと違って、かなり大人になったじゃないか、一安心だな(^^)

そしてそれからずっと連絡が途絶えた。2013年に一度電話があって、メールも2通くらい来たかな?、記憶に残ってる最後は2018年だったっけ。でもそのくらいで無事と近状を伝えてくるだけだった。基本的に「便りが無いのは良い便り」だと思ってたので、連絡は無くてもきっとどこかで頑張ってる、そう思ってた。

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…そして、つい先日、実に5年ぶりくらいに、彼から電話がかかってきた。元気にしてたか?、変りは無いか?、新コロ大丈夫だったか?、といった話をすると、彼はあの頃と変わらぬように照れ笑いするようなしゃべり方の感じでええ、まぁ、大丈夫でした、といった感じで話してきた。

…で、久々に電話してきたってことは何かどうしたのか?、困ってるのか?、と言うと、彼は(姿は見えないけど何となく)モジモジした感じでこうしゃべりだした。

「…実は、オレ、結婚することになりまして」

お?、おお!おお!、そうか!!!、まさかオマエが、嫁さん貰う?、スゲーな!、成長したな!、良かったな!、めでたい!!!

「やめてくださいよ~、オレもう38なんですから」

いくつになったってオマエはオマエじゃんか、いや~もうホントに良かった!、嫁さんと幸せになるんだぞ、オレはオマエにも話した通りそれが出来ずに人生をドロップアウトして挫折したバツイチ男だけど、オレを反面教師として、せめてオマエは俺の薄くなった頭頂部を踏み台にして幸せになれ!、…ん?ナニ?、嫁さんは*歳若い?だぁ?、良いじゃん!、これからの人生はオマエ一人じゃなく、家族という単位で全てを考えて、そのために行動して、そして自分の大切な家族みんなで幸せになれよ!

自分が知る限り、ありとあらゆる賛辞の言葉と、今後の人生のスタート地点でありゴールじゃないぞ、これからが本当の気張り時だからな!、といった励ましを行い、自分のような挫折人生は送るなよ絶対だ!、と自虐ネタも繰り出して、彼を祝福した。

若い頃が余りに危なっかしいから正直、所帯を持つタイプじゃないと思ってた(ごめん)

でも十数年たって、人は成長するものだな。気が付いたらバツイチで人生挫折した自分を軽く追い越していきやがった。それに悔しさや嫉妬なんて全く無くて、ただただ、よかった、嬉しい、という感情しか湧かなかった。

今どこに住んでて、何をやっているのかは、彼が言わなかったから判らない。自分もあえて聞かなかった。でもあの当時の短い付き合いでしかなかった自分の連絡先を今でも持ってて、こうやって連絡してきてくれるのは正直嬉しかった。直接結婚式なりで祝う事は出来ないけど、でも万が一喧嘩したり離婚がチラついたら、以前いきなり会社を辞めたように突っ走らず、オレに連絡してきな、そしたら全身全霊で止めるからな!、と彼と話して、電話を切った。

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次に彼から連絡がくるのはいつになるやら。間違っても離婚しそうだ、とかじゃなく、子供生まれましたとか、そういう嬉しい知らせであればいいなと思う。

結婚はめでたい、でも結婚はうれしい楽しい幸せ…だけじゃないことも、自分は挫折経験者なのでよ~くよ~~く知ってる。
だから彼には頑張って何もかも乗り越えて幸せになって欲しいと思う。

またいつか何かの機会に直接会う事があれば、その時には彼や、出来れば彼の家族一同にメシでもおごって、彼の若い頃の無鉄砲ぶり、そしてそこからの成長を、自分が知る範囲ででしかないけど、それを彼の奥さんや子供に伝えてみたいなと思う。…でもさすがに嫌がるか(苦笑)

ぢつはあの最後の飲み会で酔って暴れまくってた有様は、実は200万画素くらいのデジカメの動画撮影機能で画素は荒いけど、動画データがまだ自分の手元に残ってるんだよね(^^;;)<ばき
 

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2023.01.03

百均で消えてしまって困ったモノ

ショート&また百均ネタで失礼。

以前は普通にダイソーとかセリアとかであって、たまに買って使ってたとあるもの、最近一気にどの百均からも無くなってしまって困ってた。アマゾンで見たらそれらしきものがあったので、中国からだと思うけど約3週間かけて届いたのがコレ。

Earsponge

インナーイヤータイプのヘッドホンのユニットに被せるスポンジ。これを付けてサイズを調整しないとしっかり耳に収まってくれずに簡単にポロポロ落ちてしまって使い物にならないのよね。

最近の主流はカナル型といって耳の穴にシリコンゴムのキノコを差し込むタイプ。これは密閉型と言われるタイプで、耳の穴を塞いでユニットの振動が鼓膜にダイレクトに入るのでいい音が出るんだけど、自分はこの手のヘッドホン(イヤホンといってもいいかな)は耳をふさぐと他の音が聞こえにくいので注意力散漫になるとの、カナル型密閉式は常時強い刺激が鼓膜に入るのでなんだか聞き疲れてしまう(耳が痛くなる)のがあって、出た当時はよく使ってたけど、今は逆にこの画像のタイプを愛用してる。

これで聞くのは昔はステレオの音楽だったけど、今はそれではなくAMラジオや、趣味の無線の受信音。そういう音だと両耳でも片耳でも、鼓膜にやさしいオープンタイプの方が圧倒的にいいのよね。

なのにそれに必須となる被せるスポンジが百均から消えてしまった!!!

これは本気で困った。あらゆる百均の店舗をハシゴして探し回った。でもどこも無かった。カナル型のシリコンゴムは沢山種類あるのに、スポンジ何で無くなっちゃったのよ、イヤホンやスマホ用イヤホンマイクとしては、まだこのタイプが売ってるのに!。

結局アマゾンで買ったこれがちゃんと使えたので事なきを得たけど、アマゾン通販だと中国からの取り寄せになるので時間がシャレにならないのでぜひ店頭で買いたい。

そこで百均各社さん、こういう消耗品(しかも現行商品用でもある)を無くしてしまうとユーザーはすごく困るのでぜひ復活してくださいな。10個5組で以前あったけど、これってそんなに長く持たないものだから使う人は必ずこれを求めて店頭に行ってリピート買いするんだよね。

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2022.12.31

行く年(2022)、来る年(2023)

ちょっと早いけど、2022年最終投稿ということでご挨拶。

今年の私的ビッグニュースは…ニューえびぞう君と暮らし始めた事かな(^^;)

2022newebizo
ついさっき撮影。こんなに長生きするとは飼い始めた当時は思ってなかったというのが実は正直なところ(汗)。いつも元気いっぱいで見てて楽しい♪、でもスルメやシラスよりも水草を好んで食うという不思議な食性は今も変わらず。なんで?

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2022年は自宅生活が継続していてここをUPする事が決して難しくないはずなのにかなり活性が下がってしまってすみませんでした。
その理由をi客観視で自己分析すると、

 ・PC不調が続いた(今使ってるPCはVISTAがプレインストールされてたという年代のPCで不調が続いてた)
 ・デジカメ使用が減って白ロムスマホによる画像撮影が多くなったけどそれをPCに取り込む手間やトラブル大変
 ・残業時間は減っているものの中間管理職というストレスフルな職責で平日の夜PCに向かう気力が減る
 ・休日はバイクに乗ったり無線したりで出来るだけオフ生活を楽しんでたためここに注力出来ず

全部が見苦しい言い訳だけど、まぁここは個人のダラダラした独り言コーナーなのでご勘弁ください(^^;)

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さて、来年ですが2023年というのはちょっとだけ意味のある年になります。

 ・このBlogのURLにもネタにしてるXT600Zテネレが生誕40周年
    (超オーバークオリティの原発ですら40年が寿命呼ばわりされてるのにポンコツバイクが40年走る事の凄さ)
 ・このBlogを始めてなんと20年
   (つまりそれは家計簿の集計が20年分になる事と、離婚してからもう20年と言う事)

我が愛すべきポンコツのXT600Zテネレ、1983年に300台限定で発売されたバイクですが、実は今、そのうち3台持ってます。

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…全部自分のです(汗)、縁あってウチに集まってきました。壱号車は赤いホイールのやつで普通に走り回ってます。弐号車は同じような丸目ヘッドライトのやつ、これは登録抹消でナンバー無し。エンジンはかかり走れるけどあちこちからオイル漏れがあるのでそれを直してから車検を通す必要あり。参号車は今年やってきたニューカマー、登録抹消状態で、エンジン不動で自走出来ず、という状態。来年はこれらをどうにかして全部走らせてやりたいと思ってます。

ここが20周年というのは特に何もすることはないのですが、よくまぁココログというblogシステムがこんなに長く持ったなぁというのが率直な気持ち。そして活性低下しつつ我ながら今もここにupしてるというのもある意味驚きなのかも。離婚してなければ、もし子供がいたら来年は成人式か、と思うとこれまた色々考えることはあるけど、それは自分には許されなかった生き方なのでそういう事でいちいちクヨクヨはしないで、自分自身の今の生き方をせめて自分だけは認めてやろうと思います。

と、言う事で、今年ここに立ち寄って頂いた方々、つたない駄文にコメントお寄せ下さった方々、どうもありがとうございました。来年2023年の自分がどうなるかを、また懲りずに細~く温~く、眺めて頂けましたら幸いです(^^)/
 

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2022.09.11

失った信用は戻らないぞ

ちょっとネガティブな話をするけど、ごめんなさい。

つい先日、新コロナで在宅勤務優先の自分でも諸事情で連続で某所に出向く事が必要になり連日それを続けてた時期がある。

丁度その時に、朝は晴れてたけど午後から大雨になった日があった。自分は猛暑の夏に『男の日傘』に目覚めて、どんな天候でも常に長傘を持ち歩いてたので大雨が降っても何も問題が無い。でもその時に同じ場所に業務支援でやって来てたとある人(仲はよくはないが顔は知ってるというレベル)は朝が晴れたため折り畳み傘すら持ってない、どうしよう?、とブツブツ言ってた。

自分は基本的に「備える人」だ。消耗品だけでなく生活必需品はバックアップを常に用意する。なのでその場所にも2週間前に来たときにごく普通の安物のビニール傘を備えとして置いていた。そしてその人も自分も、明日も明後日も同じ場所にやってくる予定。なので

「じゃあ置き傘があるから、これを貸しますよ、明日晴れたら返してくださいね」

と言ってそれを渡した。その人はこれで濡れずに駅まで行ける、ありがとう明日持ってきます、と言って帰っていた。

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…で、翌日、天気は晴れた。そしてその人は出社してきた。朝に顔を合わせた時に傘が返ってくるのかと思ったら、挨拶だけしてそのまま素通りしてその後も近寄ってこない。ああ、忘れたのでバツが悪いのね、なのでその日は翌日帰ってくるんだろうと、不問にした。

ここまでくれば、もう判ると思うけど、結局その後その傘が返ってくることはなかった(-_-;)

さすがに数日たっておかしいだろ、と声をかけたら、こういう回答が返ってきた。

「は?、たかだかビニール傘を、返せっていうんですか?、セコイですね、あんなの帰りの駅でタクシー乗る前に捨てたに決まってるじゃないですか」

…あのなぁ、あのビニール傘は安物だよ?、たしか250円(税抜)だった、買ったのは2018年の11月、最果ての地に出張してたときに、買い物行ったときに大雪振って来てそのスーパーで買った安物だよ。だがな、その後もずっとメンテして使ってきたんだよ。使ったら必ず乾かして、フレーム可動部には水置換性グリス差してサビない様にして、強風に吹かれても折れない様に大事に使ってきたんだ。それをオマエが困ってるというから返すことを条件に貸したんだろうが!

「ハイハイ、じゃあ金で返せばいいんですね?、ホントセコイ人だ」

なんかもう、そいつと話す事関わることが人生の無駄使いと感じてそれ以上話すのを止めた。ロスで言えば275円を4年弱で減価償却計算すればごくわずかなものでしかない、だけど「借りたものを返す」という行為に金銭的な大小は関係が無い。1億円だろうが10円だろうが、自分を助けてくれて貸してくれた人には必ず返す。自分はそういう人間。だからこそ自分の中でそいつとの信頼関係は全て切れた。

もうそいつに何も貸すこともないし、困っていても助けることもないし、この出来事をきっかけとして今後公私ともに関わることは基本無いと思う。自分の中でそいつは「何もかも信用出来ない存在」になったから仕方がない。

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一旦壊れた信用は、もう二度と同じ形には戻らない。年月が経っても過去は無くならない。今の怒りを感じなくなることはあっても、もう元の状態に戻らない。だから、今後はるか遠い未来まで、仮にそいつが何かで死にかけていても、多分自分が助けることも声をかけることすらも無いと思う。

今回失った長年使ってきたビニール傘は非業の死を遂げさせてしまったけど、自分のわりかし近い所にこういうトンデモなヤツが居た、と言う事が早めに判って、そして今後の人生から完全に排除することが出来たという投資効果はあったんだと思おう…(-人-)スマン、許せ…
 

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2022.01.25

新型コロナ第六の波

年末年始収まっていたと思ってた新型コロナウィルス感染症、気が付いたら今までのとは比較にならないくらいの増加率と感染者数になってた。

幸か不幸か爆発的感染の原因となった感染力が強く潜伏期間も短いオミクロン株は重症化しにくいようで、感染者の増加はあっても重症者や支社の数は若干数増加してはいるものの依然のような勢いはないように思える。

だからといって安心して感染してもいい、というわけじゃないののはもう言うまでもないので、今までの5つの波を乗り切ったように、今回の6発目の波もどうにか知恵と工夫と運で乗り切りたいと思う。最後の運は自力でコントロール可能なパラメータじゃないし、それに左右される事が相当高いけどね(冷汗)

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2021.12.31

さらば2021年

ああ、今年も終わりか~、

…というのを、つけっぱなしにしてるAMラジオのNHK第一放送の紅白歌合戦で実感するのが大晦日の恒例行事。若いころはバイクで横浜港まで走って行って、ゼロ時の汽笛の音を聞くのが恒例だったんだけど、さすがに老化が進行すると寒さが厳しいので無理(冷汗)

今年は新コロ2年目ということで、新型コロナ対策に始まり、それで終わるようなイメージ。高校生や大学生がそのせいで思い描いていたような(ステレオタイプともいえる世間一般理想像の)青春が送れていない!、というクレームをつけてるとどこかのニュースで見た気がするけど、それを言えるのは学徒動員で戦火に散った世代だろうな、今はそれでもはるかにマシだよ、と冷たく思う自分どこかにいる。そう、意外に人類や日本は頑張ったと思う。オリンピックで壊滅状態になるんじゃ?、と思ったけどそうならなかった。結果オーライ上手くいった、そんな年だったかな(^^)

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個人的には、人生の変曲点を少し感じてる。色々な意味でピークを越してきている。つまりこれからの人生は下り坂、今まで通りのやり方や生き方ではうまく回らなかったり、失敗したり、という事がこれから増えてゆくような、そういうことをいくつも実感する事になった。そう考えれば今年を要約して要約して、最終的に一言で総括すると「失う年」または「失い始めた年」だったかなと。実際に不注意で物理的にモノを失くすことや、収入が人生のピークを越えた事や、体力や記憶力や食欲や毛髪(泣)といった生物としての活力も減ったな~、と思う。

ただそれでも幸せなのは、今でも新たに得られるものがあること、失ってもそれをリカバー出来る力がまだあること、そして失うベクトルが緩やかであるため、今後来る大喪失時代に向けた準備と覚悟がゆっくりやれる、ということ。そうこれは避けられない、言わば天災みたいなもの、だからそれと同じように、何が起きるかを予想して、それに対する(やりすぎともいえるような)備えをして、それでも避けられない老いという状況を認めて受け入れる覚悟をする時間が自分にはまだたっぷりある。

「今一瞬が、人生で一番若い」

という言葉を、これから噛み締めて生きてゆくよ、やれるうちにやれることをやっておく、そして若いうちに備えと覚悟を持つ。決して悲観的じゃない、前向きな覚悟をもっていくp(^^)q

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…と、言うことで活性が下がって更新頻度が落ちてるたこちらに今年いらしてくださった方々、そしてコメント寄せていただいた方々、今年もお世話になりました。ありがとうございます。来年は私的人間3大本能である「物欲」に切り込んでジワジワ抑え込んでゆく予定です。

これは老後資金である余剰金を生みだす稼力が数年後に確実に大幅低下することが判っているのでその事への対策と、あとまだ体が動く元気なうちにジワジワと「終活」をスタートさせるための段取りです。先日の革ジャンとのお別れも実はその一環。急激にやり始める事は出来ないからジワジワ舵をそちらにむけて行きます。人生の時間や資金といったリソースは有限ですし、一人暮らしなので全てを自分でやるしかないですからねp(^^)q
 

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2021.12.30

思い出はクローゼットではなく記憶の中に仕舞う

年末年始の片づけをしていた。

自分で言うのもなんだけど、自分はモノにこだわるタイプで、気に入ったものは一生手放すつもりなく色々なものが自宅にはある。まぁ厳選してるのでゴミ屋敷みたいにはなってないけど、減ることはないな、と片付けながら思ってた。

ふと、本当にこれはこうやって残しておかねばならないのかな?、と本当に突然思った。もし残しておいて、それをまた何かに使うのならば、残す意味はあるだろう。でも例えばこれは、もう使うことはない、そういうものを手に取って少し考え込んでいた。

使わないモノを大事に思ってそれでも持ち続けているのはなぜだろう?。

それはそのモノが自分の生きてきた記憶、思い出、それが生きてきた意味というか、証というか、そんなような、うまく言えないけど、そんな気がしていたからだ。人によってはそれは間違いだというかもしれない。でも自分的にはそれは間違いじゃないと思う。そういうモノも確かにある。でもそれはモノがそこに存在していないとダメなんだろうか?

そう考えていたら、…何だろう?、そのモノに対する様々な思いは溢れるものの、これを手放したくない、とう執着が霧が晴れるようにす~~っと晴れてゆくように何か憑き物が落ちるような、気持ちになった。

そうだよね、これが無くなっても、自分がこれと生きてきた過去や思い出は無くならないじゃんか(^^)

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なので、これを手放すことにした。無論価値などないから、手放すとは廃棄することを意味する。
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リアルな自分と冬に会った事がある人なら、自分がこれを着ている姿を見たことがきっとあるはず。だって、これは30年ほど前から去年まで、冬の外出時、出勤でも遊びでも、ほぼ必ず着ていた羊皮のジャンパー。もうズダボロで、あちこち擦り切れて、ポケットの底も抜けて、でも、不思議とすごく暖かくて、寒い季節に手放せなかった。でも擦り切れが激しくて、壁とかに当たると皮が削れて茶色いスジがまるでチョークで線を引いたように色が移る。自分はそれでもいいけど、人様に迷惑をかけてしまう。なので今年は使ってなかった。まぁ新型コロナの影響で外出機会が減ってたのもあるんだけどね。

これを買ったのは大学生のころ。バイクに乗り始めた頃だったのでブ厚い皮のジャンパーが欲しかった。でも高くて高くて(数万)、こんなの買ってもいいんだろうか?、と悩んでた時に店員のオバちゃんがこういった。

「これはいい物なので、高いですけど10年とか20年とか大事にしていれば使えますよ」

ハタチを過ぎた直後のワカゾーには、自身の人生と同じ長さも持つジャンパーなんてあり得ないよ、まぁ持って数年かな?、と思ってた。
でも本当に10年もったし、そして20年確かにもった。しかもそこからさらに10年使って、30年間くらい着てた。そう考えると本当にいい物だったんだな、あの時のオバちゃん、ありがとう(^^)。

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ズダボロだけど、それでもまだ着るとすごく暖かい。重たい服だけどその重さが身体に馴染んで心地いい。なのでまだ着ようと思えば着れる。でも、冬のアウターは他にもあるから、なくても困らない。いや、使い慣れたこれが無いとなんだか不安になるというか、それが考えられないから、手元に置いておきたい、という欲求が自分の中に頑固にこびりついてた。でもその欲求が晴れた。これが無くても自分は生きていける、

とりあえず最後の思い出作りで、これを着て自転車でお出かけ。色々な思い出が脳裏をめぐる。30年間自分の一部だったもんな。でもここでふんぎる。さあ、お別れだね(^^)

新品のゴミ袋にキレイにたたんで収める、そこで自分の一部を失う喪失感がリアルに襲ってきた。一瞬躊躇する。なので、第二ボタンだけハサミで切り取って、それだけを残すことにした。ボタン一個ならいいよね、残しておいてもさ。

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布製品ではないのでリサイクルには回せないので可燃のゴミに出す。ゴミ捨て場に置いた。その後やってきたごみ回収車に放り込まれ収納されて走り去るまでの様を最後まで見届けた。…ありがとう、さようなら、でも共に生きた過去はしっかり脳裏にあるし、そしてボタンは宝物箱にしまっておくから(^^)/
 


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2021.09.30

緊急事態宣言解除前日に思う目の疲れ。

明日には解除となる緊急事態宣言。

…だが、これが「安全になったから」と思う人は多分居ないと思う。解除されたことで新たな感染拡大の口火が切られた、と考える方が普通で、警戒の手綱を緩めるようなことは多分出来ない。まぁ浮かれポンチで飲み屋に繰り出すような輩や、いきなり旅行の予約をしだすような人もごくわずか居るとは思うけど、申し訳ないけどそういう人は自身が感染するし、他人に感染を広げると思う。

そういう状況の中で数年前までは労働者の甘え、として家庭の事情を鑑みて特別に許可してやらんこともない、くらいの導入に極めて高い明文化されてたり不文律だったりの理不尽に高いハードルが設定されていて、制度はあるが現実には誰も使えない、と揶揄されていた在宅勤務が、気が付けば一般日常化しつつある。かくいう自分の職場もそういう制定されていても誰一人取れないし言い出せもしないくらいだった夢の在宅勤務を自分もやっている。

諸事情で週の半分くらいだけど、自宅に籠って社給されたPCを自腹で契約したネット回線につなぎ、一円の補助金も無しで莫大なネット通信量を日中に使って仕事をしている。傍から見ると一方的に労働者が損するように見えるけど、これは会社側にも労働者側にも、良いこともあれば悪いこともある結果としてゼロサム。こんなのは昔からとっととやればよかったし、出勤してていても在宅でもさほど変わらない業務量をこなせることが新型コロナという強制カタパルトによって始まった壮大な社会実験の結果判明してしまったから、もう元には戻れないと思う。

…と、まぁここまではよくある話。

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今日はここからの話、というかただの愚痴。

自宅で目いっぱいPCを使って仕事をすると、初老の領域に入っている身体で目の衰えと疲れが激しくて、夕方から夜にかけて、私物PCの画面を見るのが正直辛い。老眼の症状(ピント調整機能が衰えてきて手前の物が見えない、小さい文字が読めない等々)がただでさえ進行していることに危機感を感じるのに、この在宅ワークでPCを使った仕事量がドバっと増えたことで目の衰えの加速が止まらない。もうここまで来たら労災扱いしてもいいんじゃないか?、と思うくらい目が辛い。

目が衰えたことで自分にとって一番びっくりなのは漫画と文庫本、雑誌類を読まなくなった買わなくなったこと。蔵書もそうだし新刊も興味はあっても手に取らないし買う気もしなくなった。老眼鏡をかければ読めるのだろうけど、老眼鏡やルーペ類はそれを使っている間はいいけど、終わって外すともう目の焦点が合わなくて昔の漫画表現でいうところの「メガネ…メガネ…メガネ…」とメガネを探さないと何も見えないような、そういう状態になるのが嫌なので使わない。

もう少し目を休めるような、事務仕事と現場仕事が適度にミックスしていて目の負荷が今より低かった現場労働の頃が懐かしい…、とふと思ってしまう。残業毎月150時間超とか当たり前だった時代だけど、私生活を切り捨てることの代償として実入りは良かったし、達成感ややりがいもあった。とはいえ連休はまず取れず毎日23時以降にならないと帰れず、そのまま夜間勤務もあり、なんて職場は今の価値観で言うと何を言おうがただブラック認定されて、誰もそんなところで働きたくない、と思うだろう。だけど全てを知って判った上で、自分はそれをまたやってもいいかなと思う事もある。

おっと、話が大きく脱線した、元に戻そう。

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そんなこんなで平日の夜にこうやってキーを叩いて文章をツラツラ書くのは、以前は楽しみだったけど、今は半分苦行みたいになってる。

例外として、休日の昼間バイクに乗って戻って来て寝るまでの間は、動体視力を使って遠方の自然を眺め続けることから実は目の疲れが仕事のそれとは比較にならないほど弱く、視力も回復してピント調整機能もよくなってるのでPCを触って文章やら家計簿やらを記すのに適している。

ということで、次回UPは多分休日の夕方から夜です。まぁ雨が降ったりした場合は休日の午前もありえますがそれはレアケースかと。
更新滞りスミマセン。10月はネタがたまってるので毎週更新を目指します(^^ゞ
 

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2021.08.25

ワクチン二回目接種完了

新型コロナが周りで騒がれ始めたのは2020年の正月頃だったと記憶している。

正直その頃は梅雨が来て湿気がドン!、と増せばそれで終わりだろうと思ってた。なので最初の緊急事態宣言が出た時にはそれなりの緊張感をもって対応をしていた。

その後はここでいうまでもない状況。少なくとも国民にただ同じことを言い続けるだけでそれ以上を頑なにしない行政に国民が飽き飽きして、徐々に最初の緊張感は薄れてゆき、今の緊急事態宣言は「狼が出たぞ!」と騒ぐ嘘つき少年のそれと同じように何の意味もない、誰の興味もひかない空に浮かぶただのアドバルーンになった。

唯一の前進はこれまた後ろ向きの行政が特例で認めた新しいワクチンの接種。なすすべがなかったスタティック対応に対し、唯一ダイナミックな対応であり、かつ実効力があるものとされた。そしてそれは進み、今日のニュースで全世界で接種が50億回になったとかなんとか。

新型コロナが最初から何一つ変わらないままであれば、それでよかった。だが敵は強力に変質し、感染力は増し、ワクチンの免疫力も永遠ではなく、最初に相当のワクチン接種を行って集団免疫を獲得したとされたイスラエルは、武漢株には耐えたが今のデルタで感染者も死者も増える傾向だという。

国民には緊急事態だ外出するな、といいつつオリンピックは強行してIOCの会長は銀ブラを楽しむというダブルスタンダードで、アドバルーンの信ぴょう性と効果がどんどんなくなってゆく日本、ワクチンの効能が減っていったら、一体どういう未来になるんだろうか?

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…と、悲観的になってもしかたない。また行政を批判したところで新型コロナは無くならない。つまりそれらはやるだけムダの無意味な行動といっていい、

じゃあ無力な我々一介の庶民はどうすればいいのか?

それは一年半前からずっと同じ事を言われている事を、飽き飽きしてようが信用できなかろうが、今もこれからも油断せず愚直に継続するしかない。少なくとも自分の廻りにも何名か感染した闘病し、生還した人達がいるが、その人達の話を聞く限り、やっぱり感染しないに越した事は無いと思う。

なので、8月に入ってから自分は無料のワクチン接種を受けた。自分が感染しにくくなる事は周りも感染させにくくなる事に繋がるし、感染しても重症化しないことは医療体制への負担を減らす効果があり、個人の健康問題だけではなく社会的福祉に寄与するとの判断に基づく。

自分には理解しがたいけど謎のワクチン陰謀説とか、何の害もない放射能や被曝がまるで命にかかわり将来に影響するかのような妄言を繰り返しているのと同レベルでワクチン批判否定する人達が居ることも把握していて、その主張はカケラの同意も同情もしない。打たないのは個人の自由、打とうが打つまいが感染するときはする、そのあとに苦しんだり死んだりするリスクをその人達は全て受け入れた覚悟の上での行動なのだから、その意思を尊重して自分はその人達の行動を止めない。どうぞ勝手に。ただしそれが原因で何かしらの助けを求められても助けないのは当然判ってやってるんだから、最後まで頑張ってね。

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接種後には一回目も二回目も見事に副反応による発熱症状が出た。どうもウチの血脈はワクチンに対して弱いようで、比較的副反応が弱く出現率が低いと言われるファイザー社の方でも悉く発熱が生じてる。発生確率が高いモデルナ打った身内は39.6℃くらい出たそうな。

自分の兄弟の連れ合いはファイザー2回で何の影響もなかったという人がいる中、自分の兄弟はファイザーでおおむね高熱を発した。かくいう自分も先日2回目のファイザー社ワクチン接種で、翌朝から37.5℃の発熱、そして一時間もしないうちにあれよあれよと38.5℃まで上昇。頭痛もガンガンで、全身倦怠感、とてもじゃないが出勤出来る状況じゃないし、在宅勤務もPC立ち上げてログオン状態にする事は出来ても、支払われる給料に見合うアウトプットをたたき出すパフォーマンスを発揮できる状況じゃないので白旗を上げて休みを取り解熱剤を飲んで寝込んだ。

新型コロナが流行り始めてからマスク手洗いうがいを継続してきたので今まで一度の風邪もインフルエンザもかかっておらず、発熱したこともなかった。そんな状況で約2年ぶりの38~39℃の発熱はかなりダメージが大きく、その日は結局ほぼ一日寝て過ごした。高熱はその日の夜には収まり、その翌日のAMまで微熱は続いたが、解熱剤で抑えられるので休んだ翌日から在宅勤務を再開。あー辛かった!

それでも、そのくらいで済んだ。実際に新型コロナに感染した人の話を聞く限りこの程度で済むのなら自分はこっちを選んだ事は正解だったと思う。繰返しになるけどワクチン接種は自分の為だけでなく人のため社会のためでもあるので、受けれる人は是非接種を。一人のリスクが減ることは回り回って社会のリスクが大きく減ることに繋がってゆくからね。

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…で、あと2週間弱すれば一応最初の武漢株の免疫は付くらしい。デルタに対する対抗力もそれなりとはいえ、無策無力状態からは強化される。

ワクチン接種当初は2回打てはマスク免除カラオケし放題旅行も飲み会も全て解除!、みたいな風潮が一部にあったけど、さっきも言ったけどそれは今の感染が武漢株であれば、の話で、今の敵はデルタ。そう考えると、ちょっとだけ防御力が上がったところで感染予防対策をしなくていいわけじゃない。

言い換えると、今ここでワクチン接種を終えたことで自分のリスクレベルは確実に下がるのだけど、どこまで下がるのかというおと、勝手な想像だけどワクチン未接種状態だった一年前くらいの第二波とかが起きてた頃のリスクレベルやアルファが流行り始めた頃に戻るだけで、新型コロナ流行の前のリスクレベルにはワクチンを2回接種しただけでは戻る事は出来ないと考える。

つまり無敵の防御力を得た、シューティングゲームにおける無敵状態になったわけじゃない。そこを勘違いしてなんでもやっていいんだ!とやるから感染は収まらない。今の状態はまさにそこだと思う。

政府が誘導するように踊らされなくていい。踊った所で起こった事に誰も責任は取らないので結局自分で自分の尻を拭くことになる。ならば最初から自分で何が正しい行動で何をすべきかを自己判断自己責任で考えて行動するしかない。

つまり新型コロナに勝つために有効な施策は政府の宣言でもないし、ワクチン接種でもない。「個人のモラルと良識ある行動」結局行きつく所にして出来る事は、たったこれだけなんだと思う。そう思わないやりたい放題の人があまりにも多いからそれを愚直にやる人が巻き込まれて台無しにされてしまうので、いつまでも終わらない。止めようよ、誰かがじゃないよ、自分らでやるんだぜ、これはさ。 

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