2025.05.06

リハビリはホントに大切

スミマセン、一カ月くらい間があいちゃいました。

以前負った久々の大怪我、救急搬送からの入院手術を経て自宅での不自由な療養生活を経て、今回は現状を報告。

まず、4月末の経過観察での主治医との話では、経過は想定通りに進んでおり大きな問題はないけど、いわゆる全治(ある程度日常生活に支障がなくなる)は4カ月見込みなので、診察の時点ではまだ2カ月経過の中間地点、骨折した破断面は粉砕してたこともあって隙間が広いのだけど、まだ新たな骨の生成が始まっているくらいだそう。こと。

ただ、硬度を保ったブロック単位では貫通させた金属ピンとワイヤで固縛してあるので、膝関節の稼働は(周囲が腫れ上がったり痛かったりはあるけど)リハビリを進めて少しでも動くようにしないとダメだそう。そこは痛くても頑張らないと今後膝関節が元のようにならないから頑張り時、だそう。

実際、今現在で、左右の膝の形状は全然違ってて、健全な右膝に対して、左膝はまだ大きくはれ上がってる状態。膝蓋骨も手触りでおおよそだけど、右が直径50mmΦくらいなのに対して左は横幅60mm、縦で70mmくらいある。このまま骨が固まったら、左膝の膝蓋骨は右よりも一回り大きく分厚くなるんだろうな、より丈夫になって簡単に割れないようになってくれればいいんだけど(まるで人体改造のよう)

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とりあえず、現状の治療中に自分がやるべきな事として主治医から示されたのは以下の通り。

・受傷時から手術後の約3週間固縛して固化した膝関節の曲がり角度確保
・動かさず衰えた左脚の筋肉の稼動と、筋力の回復
・とはいえ骨折部はまだ生傷なので過度の負担をかけてはならない
・だが関節固定装具や、松葉杖といった補助器具に頼ると回復が遅れるので卒業する

これ、よく見ると、前の2つと、後ろの2つは、実は相反する内容だ。

機能回復を優先して前の二つを愚直に実行すると、後の二つは足枷となる。
受傷部を養生し、負担を掛けず楽に静養するなら、前の二つは悪化の行為だ。

この、正と負の双曲線が許容する交点から、少し無理出来る範囲内で、回復させるための活動を行ってその交点をより前向きに動かし続けて行かなければならない。それがリハビリテーションだ。

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さかのぼる事1か月半くらい前。関節固定を外して少しずつ動かして行きましょう、と主治医から指示があり、そこからリハビリが始まった。

最初はまるで自分の膝回りの筋肉や皮膚が、テング印のビーフジャーキーのようなガチガチの干し肉にでもなったんじゃないか?、と思うくらい膝関節はガチガチに固まっていて動かず、さらに何をやるにしても激痛が走るような状態で、こんな状態になってしまうと、もう死ぬまで膝は曲がらず、足を引きずって生きてゆくことになるんだろうな、と思ったりもした。

痛くて耐えられない膝の曲げ、でも理学療法士は本人が痛くてリミッターをかけてしまう領域に情け容赦なく外力を加えて曲げてしまい、自分は無意識にうめき声よりも大きな声を上げてそれを制止する。でもこの痛みを超えて行かないと関節は曲げていけない。なので初期の頃は拷問を受けるようなイメージで痛さを覚悟して喰らいながらリハビリに通っていた。

そして少し改善がみられると、痛いけど先に進める!、という実感がわいてくるので、今度は自宅でも自身で「セルフ拷問」のようなリハビリを自主的にやって、痛いけどさらにその先へ!、という活動をやるようになり、徐々に、徐々に、膝の曲げ角度は増して行き、2週間くらいで丸く大きく腫れあがったままで、頑張れば直角近く曲げられるようになってきた。

Hiza90degree

この頃はまだ脂汗を浮かべうめき声を上げながらどうにかここまで曲げられはしたけど、まだ筋力回復まで至って無かったので、歩行には両松葉杖が必要だった。でもここまで曲がると頑張ればクラッチベダルが踏み込めるので、ウチの四輪車(2台ともMT車)のシートに無理矢理苦労して乗り込んで、両手を使って太ももを持ち上げてペダルの上に左足先を乗せさえすれば、片道15分くらいなら車の運転も出来るようになっていた。これが前回のオートミールの話をUPしたあたり。

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…で、ちょっと端折って、今では膝関節はこの位まで曲がるようになった。

Hizakaihukuchuu

ちょっとたどたどしさはあるけど、松葉杖も無しで数分間歩行する事も出来る。恐る恐る試しに軽いバイクに乗ってみたら、おっかなびっくりだったけど(もし倒したら一人では起せないから)どうにか乗れた!、でも膝を同じ角度にずっと保ったままが負担になるようで、走ってるだけでどんどん痛くなってしまうので、そこはまだ途上みたいだ。でも回復は進んでる間違いない。

これもリハビリのおかげ、本当にそれが無かったらここまで回復出来てない。辛いけどやったらやっただけ、必ず成果が実感できるから頑張れた。いやいや、今が終わりじゃなく、まだまだ回復の道のりは半ばなので、これからも新しいリハビリメニューが加わる度に痛い思いや辛い体験は続くのだけど、それを乗り越えれば必ず良い方向に進める、ともう判っているので、頑張れる。

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ふと思う。リハビリも、勉強も、スポーツも、ロールプレイングゲームとか、仕事、そして人生そのものも、みんな基本的には同じだなぁ、と。

そんななの無理!、メンドクサイ!、出来っこない!、痛い!、辛い!、もう嫌だ!、逃げたい!、止めたい!、と思う領域があって、そこで挫折するとそこ止まりで終わりだけど、それを歯を食いしばって乗り越えると、今までの痛みや苦労や頑張りには。こういう意味があったんだ!、だからこうやってたのか!、と目からウロコが落ちて、ハラオチして、そして新しくやれる事が増えて、さらなる次を目指したくなる。

その次に行くには今まで以上の努力が必要で、どんどん道は険しく、登坂の角度が増して行く感じだけど、それでもその先に行けるという信念があればその苦境も超えられる。まぁ超えられず挫折しちゃうこともあるかもだけど、それでも努力した頑張ったという自己肯定感は得られる。

さあ!、まだまだ頑張るぞ!、先に進もう!、ケガのリハビリも、色々挫折して当初の目的を失い迷走しっぱなしの感のある、我が人生とやらも p(^^;)q

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2025.02.24

普通に歩ける夢を見る

松葉杖無しには動けなくなって数日。

膝関節の動きを抑制する添え木入りの頑丈なサポータを装着しただけで、それ以外なにもしてないので痛みが改善する感じはない。

強いて言えば、ちょっとしたインプット(動かしたとかモノが当たったとか)に対して鋭敏かつ莫大な反応をしていた痛みが、少し丸くなったというか、ほんの少し鈍くなったような気がする、というだけ。遅く立ち上がっても結局痛みのピークには達するので、決して油断は出来ないのだけど。

痛み止めは普通のロキソニン60mgが処方されているけど、上限の一回2錠を寝しなに飲んでやっと寝られるくらいなので、自主的に手持ちのトラムセットに切り替えた。こっちの方がやっぱり効く。患部の左下に枕を挟んで持ち上げてる状態で横になっていれば、かなり楽だ。今週入院手術が済むまでの暫定だから、許してね主治医の先生。

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今の所自宅療養は寝るしかない。寝床の脇にノートPCをどうにか据えて、寝ながらネットサーフィンくらいは出来るけど、それでも夜は眠くなるので痛み止めを飲んで横になると案外すぐ寝られる。そうするとここ数日やたらリアルな夢を見る。すごく不思議なんだけど、足が健全な状態で色々歩いたり階段登ったり、自分に何も起きていない状態である夢を立て続けに見た。

ああ、オレこうやって普通に動けるじゃん、歩けるじゃん、と夢の中で何だか安心していて、ケガしたことが夢や幻想なんじゃないか?、と夢の中で思ってる不思議な感覚だった。まぁそこから目覚めて寝床の中で身体を少し動かしただけで、すぐ現実に引き戻されるんだけど。

何でそんな夢を見るのか判らないけど、その内容はぼんやりした感じや完全に現実とかけ離れてるようなものではなく、自分の日常そのもの、なのでやたらリアリティがあって、しかも目覚めてしばらくよく覚えてるので、目覚めが二つの世界を行き来する扉みたいなイメージ。この夢は自分の願望が脳内で映像化しているんだろうか?、ならもっと楽に生きてたり、世間一般的な(自分が生きてきたけどたどり着けなかった)幸せな人生の景色を見せてくれてもいいのに、何故か現実とほぼ同じ世界。ああ夢が無い夢だ(だんだん混乱してきた)

ちなみに今朝見た夢は、今日の朝に目覚めて朝飯喰って、普通に可燃ごみを持ってゴミ集積場に行って顔なじみのご近所さんにあいさつするだけの夢。その後目覚めて苦労して起き上がって松葉杖突いてゴミをまとめて表に出られる格好に着替えてから靴を履いて松葉杖でどうにか集積場に行って戻ってきたよ、現実はやっぱり現実、あぁ痛い痛い(T◇T)

それともこれは何かの暗示なんだろうか?、それとも寝てる間の脳内で活動する何か(誰か?)が現実の自分に何かを伝えようとしてるのかな。そうだとしても残念ながら今の所理解出来ないや(苦笑)

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2024.12.31

波乱万丈の2024年も終わり

…と、タイトルに書いたけど、そういえばここ数年いつもそう書いてるような気がする(汗)

うれしい事楽しい事といったポジティブな人生の出来事が少なくなって、ネガティブな出来事が増えてきてるのは事実だ。

去年は父が亡くなり、今年は母が倒れて入院(退院後は要介護)、いつかはやってくるライフイベントなんだけど、出来ればいいことも同じくらい起きてほしいと思ってしまうのは甘えてるのかもなぁ。今はそういうステージと考えるしかないな。自分もいつ事故や病気で倒れて救急車に乗って病院に担ぎ込まれて死んでしまったり要介護状態にならないとも限らない。人生の後半戦は残念ながらポジティブな出来事なんてめったに怒らないから、ネガティブな出来事をどれだけ躱してゆくかが、生きる目的になってゆくような、そんな気がする。

今年は初めて新型コロナにも掛かったし、11月から血圧が上がって(特に下の血圧が高い)降圧剤を毎日服用しながら血圧手帳に記録をせっせと貯めてる状態。大動脈石灰化とかいう腹部エコーの結果も出たし、LDLコレステロール値も高め。たまにでいいからポジティブなライフイベントとか起きないもんだろうか…頼むから。

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そんな状態だったので、乗り物道楽は捗らず、毎年恒例の各車年間走行距離記録は以下のような燦燦たる状態に。

レガシィ : 847km
サンバー :1324km
R1100GS  : 992km
TDM850  : 362km
XTZ660   : 224km
LS650   : 373km
XT600Z  : 470km
SRX600  : 325km
TT600R  : 188km
DR-Z400SM : 397km
TZR250RS : 329km
TY250ZS  :  0km
DT230   : 444km
TW200   : 132km
SX200R  : 268km
DT200R  : 96km
DF125E  : 268km
CUB110  : 604km
KSR80   : 329km
CRM80   : 104km

1000km超えたのはサンバーだけか…、バイクで最長はほぼ1000kmくらい走ったR1100GS、これは高速使っての日帰りツーとかの影響だな。TR車のTY-ZSはいいとしても、他は300~400kmくらいと、100km前後ってところかな?、カブは物珍しさから少し多めに乗って600kmも走ったのね。

たったこれしか乗らない乗り物を維持し続けるのは無駄だ!、と思うだろうなぁ、端から見たら。自分だって知人がこうやってたらそう思うかも。ただちょっとしか乗ってないのは事実だけど、これ動態保存するために必要なんだよね。乗らない走らないバイクはどんどん劣化して壊れてゆくけど、エンジンをかけてあちこち動かして磨いて空圧見て油脂さして液モノ(オイル、ブレーキフルード、冷却水、バッテリ液、キャブ内清掃等々)を正しく管理すると、四季に一回ずつしか乗らなくてもちゃんと動いてくれる。

今はストーブリーグ、ということで乗れてないけどちゃんとタスクは果せたと自画自賛。これから年老いてどんどん乗れなくなったら、少しずつ手放さないといけないかもだけど、出来る限り動態保存状態を保ちながら、次の世代にたすき渡しするまで頑張って維持するよp(^^)q

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そういう乗り物維持費を含めた、2024年の家計は…詳細は見ても楽しくないだろうけど、去年よりは安く済んだ。ここを長く見てる人なら大体判ると思うけど、正直な所このBlogを初めてから今に至るまで、そんなに大きな生活レベルの変動はない。今だに冷暖房はケチるし、見切り食材ばかり買うし、業務スーパ食材率高いし、カセットコンロ生活だし、服はワークマンやドンキの格安品ばかりだ。2000年代の初期頃と大きく違うのは、風呂に入ろうと思えば入れるようになったことと、電子レンジを持ってて日常で使えるようになった事くらいだと思う。住まいはボロボロ借家から持ち家に代わったけど、生き方としてはほぼ同じ生活レベルのまま生きている。

そんな今年の家計管理の結果はこの通り。

2024kakei

約230万/年、という総額のうち、上記の乗り物道楽として二輪費と四輪費という費目があるけどそれの合計が約106万、その他の趣味道楽として約15万を使ってる。それらを差し引いた、実質的な生活費は108万/年、一か月平均で約9万/月、という事になる。道楽は死ぬまでこのペースで行くなんて事は無いだろうから、将来年金生活とかになったらそこはガッツリ減るはずなので、今のところ公的年金の支給額だけで貯金しながら生きていける…はず。なにせ独身男の生活保護費や、最低賃金での8H×5日×4週で得られる手取りよりも自分の実生活費は低いからね。老後対策も生活レベルを上げないまま生き続けた事で、ほぼ終わってると言っていい。

そこに至る前に交通事故や大病になったら破綻するから、取らぬナントカの皮算用そのものなんだけど、今の自分にできるせめてもの準備と心構えってことで、やれることを淡々とやってゆけば多分老後の生活も大丈夫なはず。インフレリスクや景気後退、株価暴落、世界恐慌といったネガティブイベントがあったらこれまたコロリと破綻するくらい脆いガラスの老後準備だけど、冒頭にも書いた通り、出来れば何かポジティブな出来事が起こって事態が改善するような、そういう前向きなモードに人生が切り替わってくれることを祈りつつ、2024年終わりのあいさつにかえてUPします(^^;)

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2024.12.27

仕事納め

2024年最終出勤が終わり帰宅。これで年末年始の休みに突入する。

私生活のゴタゴタトタバタと、仕事のウダウダトタバタ(自分に非がないトラブルなのになぜか対応を押し付けられて巻き込まれた)でここまで大変だったけど、とりあえず息継ぎ出来る状態に。明日から1/5までは連休なのでちょっと自分を取り戻すことが出来るかと思う。入院中の母の見舞いも出来る範囲で行くけどね(^^)

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さて本題。今日出勤したら、隣の部署の責任者から小声で今日の夕方にコッチの部署で納会(という名の要は飲み会)をやるんだけど参加されますか?、との話があった。声をかけてきた人も、そっちの部署の人間も長く一緒に仕事をしているので良く知っており、ある程度仲もいい。

こういう場合、昭和生まれのオッサンである自分はどうするのが正解か、

 1.飲みの誘いはハイ喜んで!、と参加させてもらう
 2.今日はちょっと用事があるので…、と不参加表明する
   (実際に用事があっても無くても)

応えは2、謹んでお断りする、だ。

どういうことか?、こういう明確に実施する日が判っていて、しかもどこでも混みそうなタイミング(連休前、金曜日、忘年会シーズン)での飲み会は、今日の朝に突然突発的に思いついたものではなくて、ある程度事前に計画されて実施に向けて参加者を募って人数を確定した上で予約済み、というくらい調整が済んでいるとみるのが普通だ。

それなのに、それらの変更が難しい当日の朝になって、お誘いをしてくるのは、本当に自分に来てほしいからじゃなく(もしそうなら事前調整の段階で声がかかっているはず)、突発的な欠員が出たのでやむを得ずに、とか、自分が参加しないことを前提として儀礼的な意味合いで声をかけているな、と自分は考える。

前者ならそれなりに出て欲しい的な雰囲気を醸すかバカ正直にその理由を告げても別に問題はないから言うはずだ。今回はそれはない、つまりこれからの休憩時間とかでそういう話が自分に聞こえてきたときに、疎外感を感じさせないためだけの声かけで、実際に「おお、じゃあ参加するよ」となったら多分少し困る(とはいえその可能性も無きにしも非ずだからそうなったら仕方なく組み入れる)はずだ。

正直若い頃はこの「その場の雰囲気を読む」が苦手で、自分の希望や都合を優先してこういう事に対して回答していたような気がする。でもそこそこの期間を生きて、色々な人物観察をしてきて、いいことも悪いことも含めて色々な人との付き合いを経験すると、悲しいかなそういう「空気を読む」能力が培われてしまうものだ。

今回はその空気を彼から感じた。なのでこう答えた。

ino:「おお、いいね、うーん、行きたいんだけど、ゴメンちょっと
   今日は別に約束があって、ソッチに行くから遠慮しておくよ」

そういったら、ほっとした表情を浮かべ、安心したかのように、判りました、スミマセン急に誘ってしまって、という答えが返って来て、会話は終わった。ああやっぱりそうだったか、無理させたね、ゴメンゴメン(^^;)

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実際には別の約束なんて無いので、そのまま家に買って貧乏節約自炊の夕飯を食うだけだったけど、相手のこちらを気遣う優しいウソを感じ取ったので、こちらもその相手に嫌な思いをさせずに済む優しいウソをついて、物事をキレイに軟着陸させる方向に誘導をした。そうすることで今後の関係もまたうまくいくからね。もし最初の計画から自分を入れての飲み会がセットアップされたら、その時は快く参加させて頂けばそれでいいし、今後ずっと誘いが途絶えたらそれで別にいい、職場の儀礼的な人付き合いは、そうやってその時点で最善の方法を取ればいいだけだから。

中には本心から参加したくない飲み会や、同じ場に居たくないヤツなんかもあったりするけど、それでも短絡的に即断即決で断ったりせず、他の参加者や今後の関係などを加味して、表面的にはニコニコしながら一次会までは参加するこだってある。大人の判断、大人の機転、大人の関係って、よく言えば高度な、悪く言えば利己的で打算的なそういうもんだと、もう理解しているから、それでうまく回って行くもんなのよね。
 

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2024.04.25

肩から荷を下ろす解放感に驚く

3月まではいわゆるカンリショクをやっていたが、色々なことを鑑みてこのタイミングで後進に道を譲って自分は退くのがほぼ全方位にとってベターだと判断して、任期途中で降りて後輩をその座に押し上げた。

詳細を言うと長くなるけど、色々なタイミングが丁度この1点で都合よく合う、そんな状態だった。厳密には偶然、ではなくそれを発案してからそうなるように調整して合わせた、とも言うけど、それも年単位の準備をしててから出来たことで、思い付きでは出来なかった。

そう、この計画はじつは2年前から発動してた。なのでそれに向けてコツコツと準備をして、下地を作って、やるべきことを大胆に捻じ曲げてスケジュールを変えたりしながらずっと狙っていたのだ。なのでほぼ全方位でデメリット無しの条件をこのタイミングで持ってこれた。誰も気付いてなかったかもしれないけど、それなりに大変だった、でも上手くいった、よかったよかった(^^)

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で、自分はいくつかの責任者と言う肩書を外していわゆる専門職ってやつに降格。別の部門の若い課長の下に入って普通の課員をやることになった。組織運営は適材適所の人材がやるのが正しく、年齢とか経験数とか、そういうお飾り的なパラメータで決めるのは愚の骨頂。若い上司は大歓迎。

つまり組織を率いて支持を出して全体を見ながら全体を取りまわして結果を出してゆく側から、その仕事を果たすための構成員側に回った、という事なんだけど、ここに驚きがあった。

「こっちの立場って、こんなに気が楽だったのか…」

カンリショク側になった時に、それまで自分の上司が陰ながらやってて自身が関わってこなかった組織運営と組織としての目標達成とか、そういうものを全て自分一人で背負ってコントロールして行くことをに戸惑いながらもここ数年やってきてある程度慣れ切っていたけれど、これってやっぱりこんなに「重たい」仕事だったんだなぁ、と気付いた。そしてその「重たいもの」を降ろした立場って、こんなにも身軽で気楽で苦しくないんだな、と驚いた。

美味く表現できないけど、大リーグボール要請ギブスを外した直後の星飛雄馬というか、サウナから出たあとの外気の涼しさというか、今まで苦しい状態が日常化してて気付かなかったけど、それを取り除いて役を降りるってことは、こんなにも開放感溢れて「重たいものを降ろした」感に満ちてるとは思わなかった。

そして組織長をやってた事で一般社員のままだと知り得なかった色々な知識や経験を失く事なく持ったまま、別の組織長の下になり一般社員として働くという、このチート感。これはちょっと面白いかもしれない。今までは新しいことにチャレンジして習得して身に着ける事がずっと要求されてたけど、今はレベルが上がって強い武器と魔法を使えるような状態で最初の村のあたりに降り立ったロールプレイングゲームの勇者感とでもいうか、仕事にイージー感あるし、組織を運営して成果を出すという頭上に乗ったプレッシャーからも解放されて、あまりに不思議な感覚の中にいる。

これで給料が同じだったらもう何も言う事はないのだけど、残念ながら職位的には降格なので給料は下がる。年収ベースで言うと…60~70万くらいかな?、やっぱりとうか当然というか、背負うものが無くなればその分だけ給料は下がるのは仕方ない、ここは文句言ってはダメだ(苦笑)

また自分のそれまでの働きを部下の立場で見ていた、自分の職位職務職責を変わって背負った後輩は、押し寄せる雑務と責任と管理業務にアタフタしながら毎日「これはどういう事ををやればいいんでしょうか?」と聞いてくる。ああ自分も初めての時はこうだったなな、と思いながらその時の前任者が自分にしてくれたように一つ一つOJTして業務という襷を渡してゆく(事前に引き継ぎ資料を作って引継ぎもしたのだけどやっぱりすべてを一発では伝えきれなかった)

そんな感じで、メンタル的はかなり楽になったので、4月に入ってからしばらくのびのびと暮らしてしまった。あっさり片付けてほぼ毎日定時であがり、私生活時間をたっぷりゆっくり過ごし、休日も痛めた膝や腰を養生すべく丸一日布団でゴロゴロしたりしてた。今までだったらせっかくの休日!、絶対に無駄にしない!、よしバイク4台くらい乗ろう!、という感じだったのに、そういう焦りからも解放されて、かなりダラケさせてもらってた。こんなに無駄な時間を使えるなんて…なんて贅沢なんだろう(/_;)<ばき

まだ定年退職とかで完全リタイヤしたわけじゃないけど。そうなった時はこんな感じのもっと凄まじい版なのかな?、と思ったりもする。だけどそこはまだ未踏の地なのでそこに至らないと判らない。でも背負ってた責任を他者に任せて手放すって事が、喪失感とか屈辱感といったネガティブ感情ではなく、むしろ逆だったことにちょっと驚いた。人生の中には、実際にやってみて経験しないと判らない事ってまだまだあるんだろうな(^^)


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2024.03.29

3月業務終わったぁ!(とはいえ明日もこっそり在宅勤務確定)

現場系仕事をしてた時と違う緊張感と仕事の質ではあったけど、久々にその頃に匹敵するような仕事の量と質に押しつぶされそうになってたこの3月、一応今日の今をもって業務終了!、自分が3月末まで持ってる承認決裁権限をつかってやらねばならないことは…多分終わった…はず(汗)

業務用PCをログオフして、今日は一人祝杯上げるか!、と思った矢先に、あっ!アレまだ終わってなかった!、と残仕事に気が付いてしまった_| ̄|〇

まぁこの世の中何が起こるかわからないし、突然のトラブルなんかも事前に見越してたので、明日は休みだけど、元々予備日にして明けておいた。それで対応すればまだ間に合う、3/31までは、自分は今の権限を有しているからね。

自分は不器用だから、なかなか一発でキメてキレイには終われない。大体保険を掛けて、予備を用意して、叩かなくてもいい石橋も叩いて渡る。それでも漏れはあるし、抜けもある。それを潰しながら今日まで走ってきたけど、まだ漏れてた!、でもそうなった場合でも最後に帳尻を合わせて迷惑かけないよう、自分の休みを犠牲にはするけど最後の命綱を仕掛けておいた(あ~良かった!)、それを使って逃げ切って見せるぜぃ(^^;)
 

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2024.03.20

やたら忙しい

短文、色々なものが重なってくる月末半期末年度末、ここ一週間くらいは残業&休出ばかりで、今日は祝日らしいけど在宅でフル勤務。

残業代も休出手当も出ないいわゆるカンリショクなので、働きホーダイ(働かせホーダイ)だけど、まぁ仕方ない

社会の中で、
  会社の中で
    部門の中で、

担った職責は果たさなきゃならない、時間給じゃなく、成果給みたいなもんだから、それを請け負ってる以上、果たさねばならない。

これでもまだ親族の中とか、家族の中とかを背負ってない分、まだ負荷は軽い。地域の中、とかは住民としての一定責務を背負てるけどね。

さて、0900から仕事開始!、落ち着いたらいつもの感じに戻します(^^)/

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2023.05.25

蚊って無害と思わせるくらい

ちょっと前の話し。

休日にバイクに乗ってそこそこ満喫して帰ってきた夜、何だかのどぼとけのあたりに虫刺されみたいな痕があるのに気が付いた。何となく痒いな、蚊にさされたのかな?、というくらいにしか考えてなかった。その日はそのまま寝た。

翌日、なんだかそこが膨らんできてた。直径2cmくらいのプヨプヨした水膨れ?、そしてモウレツに痒い。いわゆる蚊に刺された時に塗るスーっとする塗り薬をしたくらいじゃ焼け石に水、全くこのかゆみに勝てない(収まる気がしない)。こんなに痒いと多分無意識で皮膚をかきむしってしまいそうだ。なのでやむなく手持ちの最終兵器をごくごく少量使ってその痒みを抑えた(おかげで夜に寝ながらかきむしるといった事態は起きなかった)

Nurikusuri

そしてその次の日、何と喉元のそれはさらに膨らんで、大粒の梅干し一個くらいの水膨れになってた。その痒さもスゴイ。こりゃたまらん。ひたすら耐えるしかないが一度掻くと痒みが爆増する感じなので最終兵器をまた少々だけ使ってどうにか抑え込んだ。

さらにその次の日、水膨れは収まって平になってきたが、蚊に刺されたような小さい膨らみを中心とした直径5cmくらいの赤みは広がって痒みは健在。それが結局約一週間ほど続いた。…ぢつは、2日目くらいで何となく何にやられたのかは判ってた。これ蚋にやられたに違いない…

 蚋(ブユ、ブヨともいう) 詳細はこちらを参照 → wikipedia「蚋」

正直ヤラれた瞬間は全く分からない、でも二日目から始まった強烈な痒みとその後の症状からして、ただ事じゃないと色々調べて、ああこれだ、と自己判断。虫刺されレベルでは使わないくらい強力なステロイド剤をこれまた自己判断で使ったけど、おかげでどうにかしのげた。でも諸刃の剣というくらい強いヤツなので長くは使わなかったけど。

これに比べたら日常生活で「わろきもの」と称される小憎らしい蚊も、ホント全然実害無いといってもいいくらいの可愛さ。そのくらいこの被害ツライ(T_T)

もしやられたら自分みたいに自己診断自己対処せず、すぐ皮膚科に行った方がいいです、というくらい強烈です、いやホントに。
 

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2023.04.30

久々にうれしいニュース舞い込む

この話の登場人物、以前ここにネタとして上げたかと思って、過去ログを漁ってみたけど記載が無かったので、何を言ってるか判らないかもしれないですが、個人的備忘録ということでご勘弁下さい。

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震災前の…ええっと、たしか2009年の後半だったかな?、その頃に、当時自分が関わってた某設備の現場仕事のヘルパーとして、3名の派遣社員が加わった。みんな20代前半のワカモノ。彼らは三者三様の個性があって、ズバ抜けて仕事が出来るやつ、スロースタートだけどコツコツ努力して気が付いたら欠かせなくなってるイプ、そしてオチャラケた感じでいつも何やら落ち着きのないタイプ、だった。

自分のチームには…最初の奴を欲したんだけど、諸事情で最後の奴が加わった(苦笑)。本人がどこにモチベーションを感じてるのかよく判らないけどそれでも持っているらしいやる気と、任せた仕事が全くかみ合わず盛大に空回りしてて、見てて危なっかしい奴だったけど、まぁこの世代のワカモノなんてそんなもんだろ、きっと自分だってそうだったんだろうな、と自分のチーム全員で気長に育てる事にした。突っ走っては失敗したり、くだらないことで落ち込んだり、と色々あったものの、彼はジワジワと成長してる様子が感じられ、本質はあまり変わらないものの、もう少し自覚が出ればそろそろ使い物になるだろ!、…と思ってた矢先に、東日本大震災が起きて、自分やチーム、会社やこの業界、いや日本と言う国全体が、もはやそれどころじゃなくなってしまったようなジェットコースタカタパルト状態になった。

そこから始まった嵐のような仕事の中で、彼は自分のチームから外れていき、だんだんやる気を失ったのか、それまでやってきたことと違う事を新しく覚えることが苦痛なのか、少しささくれた感じが出てきて、派遣期間の3年が過ぎる手前で、突然所属する人材派遣会社を辞める、と言い出した。それを辞めるということはつまり自分のカイシャにくる派遣期間も強制終了だ、あと数か月なのに。このまま乗り切れば一旦外れるけどちょっと間を置けばまたウチのカイシャに来てもらうことだって出来なくもないのに(当時はそういう抜け道があった)。

その時は自分も彼も長期の地方現場仕事の区切りで一旦本社勤務となってたので、いいか職を辞するのは人生の一大事だから、そんな短絡的ではなくもう少し慎重に落ち着いて考えてみろよ、とたまに一緒に飯を食いながら気長に対応してたけど、ある時の部門の飲み会に自分も彼も出るのだけど、その飲み会の場に「さっき会社に寄って辞表だしてきましたよ!、今日の飲み会はオレの送別会です!」と変に強がる彼が表れた。

あちゃー、やっちまったか、オマエ仕事辞めたらその次考えてるのかよ?、と聞いたら、呆れたことに本当に何も考えてなかった(苦笑)。その夜の飲み会では飲んだくれて騒いで泣いて、と大暴れしてくれて、えらい目にあった。まぁワカモノらしい暴れっぷりといえば暴れっぷりだった、イマドキはそういうのはまずないだろうけど、あの頃ワカモノは飲んだくれて暴れるのはそんなに珍しくなかったから自分は同僚と一緒になって彼をどうにか抑え込んで、ふらつく彼が帰って行くのを見送った。

ここまでが前提。

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その彼とは、どういうわけか、彼が仕事を辞めて再就職せずプラプラしてる状態になったその後も交流があった。

たまに連絡してきたり、以前住んでたボロ屋に遊びに来たりしてた。またせっかく仕事を辞めたのだからオレもバイクで北海道行きたい、とか言い出したので、自分の予備テントや予備キャンプ用品、予備役として捨てずに持ってた古いツーリンググッズなんかを無償で押し付けて、旧宅の庭先で実際にそのテント立ててそこで一晩を過ごし朝になったらテントを畳んで撤収する予行練習をやって、よし!、じゃあ行ってこい!、と送り出したりしてた。その北海道バイクで一人旅ではかなり色々な経験をしたようだ、まぁそれが彼の人生にプラスになったか思い出深いモノになったのであるなら、自分がかかわった甲斐があったというもんだ(^^)

そんな彼も、いつまでもプーしてる訳に行かないので、ついに覚悟を決めて実家に戻ります、と連絡してきた。戻って親の伝手で就職先を探すとのこと。おお!頑張れ!、くじけんじゃないぞ、困ったらまた連絡してこいよ、何ならこっちに転がり込んでもいいぞ、気張れぇ!、と見送り、それ以降は会ってない。とはい年に1~2回は連絡があって、それもだんだん少なくなってきた。最後に連絡があったのは2018年だったかな?、元気にやってることだけ伝えてきた、よしよし、あの頃のオマエと違って、かなり大人になったじゃないか、一安心だな(^^)

そしてそれからずっと連絡が途絶えた。2013年に一度電話があって、メールも2通くらい来たかな?、記憶に残ってる最後は2018年だったっけ。でもそのくらいで無事と近状を伝えてくるだけだった。基本的に「便りが無いのは良い便り」だと思ってたので、連絡は無くてもきっとどこかで頑張ってる、そう思ってた。

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…そして、つい先日、実に5年ぶりくらいに、彼から電話がかかってきた。元気にしてたか?、変りは無いか?、新コロ大丈夫だったか?、といった話をすると、彼はあの頃と変わらぬように照れ笑いするようなしゃべり方の感じでええ、まぁ、大丈夫でした、といった感じで話してきた。

…で、久々に電話してきたってことは何かどうしたのか?、困ってるのか?、と言うと、彼は(姿は見えないけど何となく)モジモジした感じでこうしゃべりだした。

「…実は、オレ、結婚することになりまして」

お?、おお!おお!、そうか!!!、まさかオマエが、嫁さん貰う?、スゲーな!、成長したな!、良かったな!、めでたい!!!

「やめてくださいよ~、オレもう38なんですから」

いくつになったってオマエはオマエじゃんか、いや~もうホントに良かった!、嫁さんと幸せになるんだぞ、オレはオマエにも話した通りそれが出来ずに人生をドロップアウトして挫折したバツイチ男だけど、オレを反面教師として、せめてオマエは俺の薄くなった頭頂部を踏み台にして幸せになれ!、…ん?ナニ?、嫁さんは*歳若い?だぁ?、良いじゃん!、これからの人生はオマエ一人じゃなく、家族という単位で全てを考えて、そのために行動して、そして自分の大切な家族みんなで幸せになれよ!

自分が知る限り、ありとあらゆる賛辞の言葉と、今後の人生のスタート地点でありゴールじゃないぞ、これからが本当の気張り時だからな!、といった励ましを行い、自分のような挫折人生は送るなよ絶対だ!、と自虐ネタも繰り出して、彼を祝福した。

若い頃が余りに危なっかしいから正直、所帯を持つタイプじゃないと思ってた(ごめん)

でも十数年たって、人は成長するものだな。気が付いたらバツイチで人生挫折した自分を軽く追い越していきやがった。それに悔しさや嫉妬なんて全く無くて、ただただ、よかった、嬉しい、という感情しか湧かなかった。

今どこに住んでて、何をやっているのかは、彼が言わなかったから判らない。自分もあえて聞かなかった。でもあの当時の短い付き合いでしかなかった自分の連絡先を今でも持ってて、こうやって連絡してきてくれるのは正直嬉しかった。直接結婚式なりで祝う事は出来ないけど、でも万が一喧嘩したり離婚がチラついたら、以前いきなり会社を辞めたように突っ走らず、オレに連絡してきな、そしたら全身全霊で止めるからな!、と彼と話して、電話を切った。

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次に彼から連絡がくるのはいつになるやら。間違っても離婚しそうだ、とかじゃなく、子供生まれましたとか、そういう嬉しい知らせであればいいなと思う。

結婚はめでたい、でも結婚はうれしい楽しい幸せ…だけじゃないことも、自分は挫折経験者なのでよ~くよ~~く知ってる。
だから彼には頑張って何もかも乗り越えて幸せになって欲しいと思う。

またいつか何かの機会に直接会う事があれば、その時には彼や、出来れば彼の家族一同にメシでもおごって、彼の若い頃の無鉄砲ぶり、そしてそこからの成長を、自分が知る範囲ででしかないけど、それを彼の奥さんや子供に伝えてみたいなと思う。…でもさすがに嫌がるか(苦笑)

ぢつはあの最後の飲み会で酔って暴れまくってた有様は、実は200万画素くらいのデジカメの動画撮影機能で画素は荒いけど、動画データがまだ自分の手元に残ってるんだよね(^^;;)<ばき
 

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2023.01.03

百均で消えてしまって困ったモノ

ショート&また百均ネタで失礼。

以前は普通にダイソーとかセリアとかであって、たまに買って使ってたとあるもの、最近一気にどの百均からも無くなってしまって困ってた。アマゾンで見たらそれらしきものがあったので、中国からだと思うけど約3週間かけて届いたのがコレ。

Earsponge

インナーイヤータイプのヘッドホンのユニットに被せるスポンジ。これを付けてサイズを調整しないとしっかり耳に収まってくれずに簡単にポロポロ落ちてしまって使い物にならないのよね。

最近の主流はカナル型といって耳の穴にシリコンゴムのキノコを差し込むタイプ。これは密閉型と言われるタイプで、耳の穴を塞いでユニットの振動が鼓膜にダイレクトに入るのでいい音が出るんだけど、自分はこの手のヘッドホン(イヤホンといってもいいかな)は耳をふさぐと他の音が聞こえにくいので注意力散漫になるとの、カナル型密閉式は常時強い刺激が鼓膜に入るのでなんだか聞き疲れてしまう(耳が痛くなる)のがあって、出た当時はよく使ってたけど、今は逆にこの画像のタイプを愛用してる。

これで聞くのは昔はステレオの音楽だったけど、今はそれではなくAMラジオや、趣味の無線の受信音。そういう音だと両耳でも片耳でも、鼓膜にやさしいオープンタイプの方が圧倒的にいいのよね。

なのにそれに必須となる被せるスポンジが百均から消えてしまった!!!

これは本気で困った。あらゆる百均の店舗をハシゴして探し回った。でもどこも無かった。カナル型のシリコンゴムは沢山種類あるのに、スポンジ何で無くなっちゃったのよ、イヤホンやスマホ用イヤホンマイクとしては、まだこのタイプが売ってるのに!。

結局アマゾンで買ったこれがちゃんと使えたので事なきを得たけど、アマゾン通販だと中国からの取り寄せになるので時間がシャレにならないのでぜひ店頭で買いたい。

そこで百均各社さん、こういう消耗品(しかも現行商品用でもある)を無くしてしまうとユーザーはすごく困るのでぜひ復活してくださいな。10個5組で以前あったけど、これってそんなに長く持たないものだから使う人は必ずこれを求めて店頭に行ってリピート買いするんだよね。

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